1 リウムの歌姫 しおりを挟むしおりから読む目次へ そこに立っていたのは、小柄な黒髪の少女。先刻、歌声を披露していたこの店の歌姫だった。 近くで見ても、彼女の肌の色は物珍しかった。幾分は日焼けしているようだが、それでも柔らかな色合いをしている。化粧っ気もなく、髪を無造作にひとつに束ねているその姿は、女として着飾る意思がないように見えた。 歌い終えて――その後は給仕の仕事を手伝うことにでもなっていたのか、少女は前掛けをして、両腕でトレーを抱えている。そして冷ややかな目で、こちらを見下ろしていた。 少女が頬を引きつらせながら、口を開く。 「お客さま、下世話で品のないお話は店の外でやって頂けませんか? せめて悪口は本人に聞こえないところで言って下さらないと、不愉快ですので」 かろうじて顔に笑みを貼り付けてはいるが、怒気はまったく隠せていない。あの程度の軽口を受け流せないとは、やはり子どもなのだなと思いつつ、ランディは口の端を吊り上げた。 ――これはまた、からかい甲斐のありそうなお嬢さんのようで。 いい具合に酔ってきたせいか、つい悪い癖が出てくる。からかい甲斐のあるものは、徹底的にからかい倒す。それはランディの趣味みたいなものだ。にやりと笑みを深めると、不穏な気配を察したのだろう。アレスが咎めるように睨んでくる。 だがランディは構わずに、悠然とした態度で少女と向き合った。 「不愉快になるってことは、自覚はあるんだな」 「何がです?」 少女がしかめっ面で応じてくる。ランディはあっさりと言い放った。 「ちんちくりんとぺったんこ」 「どんだけ失礼なんですか!?」 「だって酒場の歌姫っていったら、そういう大人の色気とか期待すんだろうが」 「勝手に期待しないで下さい! だいたい、あたしだって自分で『歌姫』って名乗ってるわけじゃないんですから!」 「そう呼ばれてる時点で、期待に応えるのが義務ってもんだろー?」 「何なんですか、その屁理屈は!?」 少女は物凄く憤慨した様子で更に言い募ろうとしたが、不意に口をつぐんだ。遠くから、他の客に呼ばれたからだ。 少女はひどく悔しげにランディを睨むと、勢いよく踵を返して別の客の元へ向かっていった。ランディはそれを黙って見送る。もちろん、笑みを浮かべたままで。 するとアレスが呆れたように口を開いた。 「何をやっているんだ……?」 「暇潰し」 一言で答えてやると、アレスの深いため息が聞こえてきた。ランディは素知らぬふりで、新しい酒瓶に手を伸ばす。 そして再び酒を器に注いでいると、先程の騒ぎを耳にしたのだろう――店の主人が慌てた様子でやって来た。 困惑した表情で彼が訊ねてくる。 「ウチの店の者が何かいたしましたか……?」 「いや」 ランディはあっけらかんと返した。 「ちょっと世間話しただけだ。気にすんな。それより……」 ――あの娘の名前は? そう問おうとして、ランディは口をつぐんだ。わざわざ聞く必要もないだろう。確かに変わった容姿で、なかなか興味深い少女だったけれど――明日には新しい仕事を控えている身だ。仕事の内容が何であれ、この店で彼女に会う機会はないだろう。知ったところで、何の意味もない。 「……いや、何でもない」 ランディは静かにそう告げると、再び酒をあおった。主人とアレスが不思議そうにこちらを見ていたが、それを気にしないように努めて。 少女の存在が引っ掛かったのは、あの歌が思い出させたからだ。 置き去りにしたはずの記憶や人や、思いを。 けれど、きっと今日の出来事すら、自分は置き去りにするのだろう。忘れていくのだろう。足枷にしかならないと判っているから。 そうやって逃げていくのだ、後悔ばかりの過去から。 ランディは笑った。自嘲するように。その表情は店の灯りが作る陰影に紛れて、溶けるように消えていく。 誰にも気づかれることなく、静かに、密やかに――。 第一話『リウムの歌姫』了 |