9 グレイ=ランダール
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 椎菜は唸った。そして、これ以上ないくらい恨めしい表情でアレスを睨んだ。だが、まったく意に介した様子もなく、アレスは肩を竦めて告げた。

「いずれにしろ、今回の件の依頼人はあなたじゃない。王都にいらっしゃる女王陛下だ。陛下が依頼を破棄されない限りは、どうにもならないな」

 さっきまでと全然違う、憎らしいほど平淡な言い方に、椎菜はぎりぎりと歯を食い縛る。



 ――リラのばか! 何でこの人なんだ!



 実際に口に出したら不敬罪に問われるような文句を胸裏で並べ立てながら、椎菜は唇を尖らせた。

「……厭な人だ」

 言い捨てて、顔を背けた。あんなに優しいことを言っておいて、結局は現実を突きつけて、言いくるめて、椎菜の逃げ場を奪って、――そうして、アレスはついて来るのだろう。椎菜がどんなに遠ざけても、近づいてくるのだ。そして、それが不快じゃないからタチが悪い。

 傍らで、アレスが笑う気配がする。もう既に、当たり前のように隣に収まっているその人を、椎菜は複雑な思いで見た。どうして、この人の言葉は自分の中に響くのか。抗えない、優しい声をしているのか。グレイに似ているからだろうか。兄弟子だと、知ったからだろうか。――これ以上、拒む術を失って、何となく途方に暮れてしまう。

 まだ、恐怖は消えない。誰かが常に側にいる、その存在が自分のせいで消えてしまうかもしれない――その不安は尽きることはないけれど。だけど、ほんの少しだけ、この状態を心地よいと椎菜は感じ始めていた。――とてもとても不本意ではあったが。

 そんなふうに、ぐるぐると目まぐるしく変わる思考の渦の中で、椎菜はふと思い出した。そういえば、自分はまだアレスに言っていないことがある。本当は先刻、会ってすぐに言うべきだったはずの言葉。先に言われてしまったせいで、言う機会を逃してしまったのだ。この状況で今更何だと思わないでもないが、言うべきことはきちんと言っておかないと、気持ちが悪い。一応、礼儀については厳しく躾られてきたわけだし。

 ちらりとアレスの顔を窺うと、彼は実に穏やかな表情で目を閉じているところだった。いきなり目が合わなかったことにこっそり安堵して、椎菜は呼吸を整えた。

「……アレス」

 小さく、名前を呼ぶ。それをちゃんと拾い上げて、アレスがこちらに目を向けた。穏やかに、けれど何かを試すように、青灰色の瞳が椎菜を見つめる。椎菜はそれを真っ直ぐに見返そうとして、――少し視線を落とした。何だか、駄目だ。いざ見つめられると、やりにくい。やりにくいが、言うべきことは言わなければ。




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