9 グレイ=ランダール
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 結局、逃げ隠れできないまま、椎菜はアレスを見つめ続けていた。アレスの足取りはよどみない。真っ直ぐに、こちらへ向かってくる。――と、急に歩調が遅くなり、アレスが音もなく立ち止まった。

「……?」

 立ち止まったアレスが顔を向けた先を見て、椎菜は再び目を瞠った。アレスが見つめているのは、こちらではない。剣だ。地面に突き立てられた、グレイの剣。アレスはそれをじっと見下ろすと、腰を落とした。そして、何かを手向ける。椎菜は目を凝らした。

「――あ……」

 思わず、声を洩らした。グレイの剣にアレスが手向けたもの――それが白い花だと気づいて、椎菜は腰を浮かせる。そのときだった。アレスが前触れなく、こちらを見たのは。

「――っ」

 目が合った瞬間、椎菜は顔を強ばらせた。アレスは驚いたように、軽く目を見開いている。互いに言葉もなく、見つめ合った。しばらくの間、沈黙だけがその場を漂う。だが、それもそう長くは続かなかった。

 立ち直るのはアレスのほうが早かった。彼は静かに立ち上がると、身体ごと椎菜のほうに向き直った。そして、先程より少し早足で近づいてくる。椎菜は後退りたくなるのをどうにか堪えて、アレスを見返す。おそるおそる青灰の瞳を窺った。

「――隣、いいか?」

 相変わらず低い落ち着いた声音で問われて、椎菜はぎこちなく頷いた。頷きながら、ほっとした。ちらりと見上げたアレスの表情が、昨日と変わりのないものだったからだ。青灰の瞳は穏やかな光を湛えて、こちらを見下ろしている。

 立ち上がりかけたままだった不自然な体勢から、椎菜は居住まいを正した。その傍らに、アレスが腰を下ろす。すぐ側というわけではない、程好い距離を保った場所。そこに腰を落ち着けて、アレスが何気なく口を開く。

「体調はもういいのか?」

「……うん。おかげさまで」

「そうか」

 ぼそぼそと答えた椎菜の声に、アレスが頷いた。横目で窺うと、彼はこちらを見てはおらず、どこか遠くへ目を向けていた。声と同様にその横顔も穏やかなもので、椎菜は不思議な思いでそれを凝視する。――と、さすがに視線が気にかかったのだろう。アレスが瞬きながら、こちらを見た。

「どうした?」

「あ! いえ、何も……」

 何でもありません、と慌てた口調で応じて、ぱっと顔を伏せた。何をやってるんだ、あたしは。何でもないわけがないだろう。――椎菜は自分を罵倒した。

 気になることなら――訊きたいことなら沢山ある。なのに上手く言葉が出てこない。どこから何から訊けばいいのか、見当がつかないのだ。歯がゆい思いで唸りながら、でも椎菜は頭の冷静な部分ではその理由を察していた。

 ――アレスが、何も訊いてこないからだ。

 ロディオたちから話を聞いたとしても、実際に椎菜に会えば、本人の口から聞きたいことだってあるはずだ。これがランディ相手だったなら、会った瞬間に質問攻めにあったに違いない。だから根掘り葉掘り聞かれることは、こちらだって覚悟していた。それなのに、アレスは核心に触れるようなことを口にしない。はじめてまともに言葉を交わした昨日と何ら変わった様子もなく、椎菜の隣に座っている。



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