9 グレイ=ランダール
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 ぼんやりと空を眺めて、――椎菜はふと、眉をひそめた。人が近づいてくる気配がする。いつまでも戻らないことを心配したマーサ辺りが迎えに来たのだろうか。椎菜は僅かに身動いで、様子を窺った。視線を剣のある場所に戻す。それから、軽く目を瞠った。剣の向こう側――更に離れた所に人影が見えたからだ。

「アレス……」

 我知らず、声が洩れた。こちらに向かってきていたのは、アレスだった。気を失ってから、一度も顔を合わせていない――気を失う直前まで椎菜を守ってくれた、その人だ。

 どうしよう? ――椎菜は迷った。ここからアレスのいる辺りまでの間に、隠れられるような場所はない。今はまだ気づいていないようだが、勘のよい人のようだし、もう少し距離が近づけば、椎菜がここにいることに気づくだろう。そのときに目が合ったらと思うと、急にみぞおちの辺りがきりきりと痛くなってきた。思わず顔をしかめる。

 情けないにも程がある。――椎菜は唇を噛み締めた。最初に目が覚めてから、一晩、時間をもらった。きちんと立ち直って、アレスたちと向かい合えるように、十分な時間をもらったと思っている。なのに、自分はまだ怯えているのだ。彼の目に嫌悪の色が浮かんでいたら、どうしようかと。

 此処に来たのがランディだったら、違っていたのかもしれない。持てる限りの精神力を尽くして、向かい合う気になれたかもしれない。ランディは最初、椎菜に対して疑念を抱いていたようだったから――だから、ふりだしに戻っただけだと思えば、それほどつらくない。ないと、思う。

 だが、アレスは違っていた。あの人が自分に向ける感情に、負の要素は何も感じられなかった。最初から、何故か優しかった。厳しいことも言われたが、その根底には『好意』が存在していた。――理由は分からないままだけれど。それでも、アレスの優しさを疑う気にはなれない。

 まだ短い――ほんの僅かな関わりでも、居心地の良さを覚えてしまったのだろう。だからこそ、余計に怖いのだ。アレスの、あの穏やかにこちらを見る眼差しが変わってしまったらと思うと。それが疑念にまみれて、椎菜を嫌悪する――否定するようなものに変わっていたらと思うと、怖くて仕方がない。

 ――いいじゃないか、別に嫌われたって。

 胸裏で呟いてみせても、怖じ気づいた心はそう簡単に奮い立ってくれない。ロディオたちに全てを話すよう頼んだときに、嫌われることも、疑われることも、ちゃんと覚悟したはずだ。それに最初、椎菜はアレスたちの存在を突っぱねたのだから、別に認めてもらえなくても構わなかったはずなのだ。それなのに、どうしてだろう? 徐々に近づいてくるアレスの姿を見つめながら、椎菜は思った。似ているからかもしれない、と。

 アレスが魔物相手に振るった剣が、グレイのそれを思い起こさせたから。容姿や物腰はちっとも似ていないのに、あの人はどこかグレイに似ている。だから、否定しないで欲しいのだ。椎菜がここに存在することを。



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