6 執着
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「けど、」

 呟いて、椎菜は俯いた。どうしても動き出せなかった。自分の手の届かない場所で、あの魔物との決着がついてしまうことが、どうしても納得出来なくて。判っては、いるのだ。このままランディの手に委ねるのが、きっといちばん良いことなのだと。このまま彼に任せれば、他に被害を出すこともなく、傷を負う者もないまま、あの魔物は滅ぶだろう。さっき、言ってくれた通りに――ランディが、大丈夫にしてくれる。だから、自分はそのときを待てばいい。

 けれど、ずっと――九年前からずっと抱いてきた感情は、胸の内で暴れまわる。この手で、椎菜が自分の手で終わらせなければ意味がないのだと。そうしなければ、この憎しみも憤りも昇華されることはないのだと。

「あたし、は」

 一旦は鎮まったはずの衝動を堪えようと、椎菜は喘ぐように息を吸った。空いてる片手で胸元を強く握り締める。殺してやりたい。殺してやりたい。あたしの大事な人の命を奪った、その元凶が、すぐそこにいる。今すぐにあの炎ごと、切り裂いてやりたい、のに。

 椎菜は唇を噛んだ。剣を持つ手に、更に力をこめた。微かに震えるその手は、力を入れすぎているせいで真っ白だ。――と、そこに対照的な、浅黒い大きな手が重なった。椎菜は弾かれたように面を上げる。

「な、に」

「――あなたはこれ以上、あの魔物に近づかないほうがいい」

「な……」

「あなたの傷が、増えるだけだ」

 やるせない口調でそう言われて、椎菜は絶句した。



 ――何で、そんなこと。



 だって、アレスは知らないはずだ。椎菜はアレスに、あの魔物に関わる全てを話してはいない。状況から推測することは可能だろうが――それにしたって、気遣いの仕方が的確すぎる。

 椎菜が魔物に抱く憎悪を宥め、そして遠ざけた。椎菜がこれ以上、傷つかないように。あの魔物に関わることのないように。事実、こうして魔物の近くにいるだけで、椎菜の心の傷は抉られるように痛んでいる。いつまでも手放せない憎しみの感情が、椎菜の心を掻き乱す。それは決して、快いものではない。

 ロディオが、話したのだろうか。養父とアレスの父親は古くからの友人だと聞いている。だから、その縁で椎菜のことを耳にする機会があったのかもしれない。でも、それでも――そう思いながら、椎菜は僅かに眉をひそめた。

 引っ掛かるのだ。いくら椎菜が人づてに話に聞いていた、親の友人の娘だからといって、こんなふうに気遣ってくれる――その理由が判らない。はじめて会った、はずなのに。出会って、まだ大した時間も経っていないのに、アレスは椎菜を守ろうとしてくれている。『護衛』という言葉以上の意味で。身体も――そして、この心までも。

 この人が――アレスが自分に向けているのは間違いなく『好意』だ。本当に、純粋な。まるで親が子を、兄が妹を思うような、疑いようのない『好意』。けれど、それを初対面の人間に向けるのは、少し不自然ではないだろうか。

 出会ってからずっと感じていた、違和感の正体。それに気がついて、椎菜は混乱した。何が何だか、さっぱり判らない。だが今は、そんなことを気にしている場合ではない。とにかく言われた通り、ロディオを呼んでこよう。話を聞くのは、それからだ。



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