10 旅路の夜 しおりを挟むしおりから読む目次へ 「……いけない」 作りすぎた、とひとりごちてマーサは盛大に顔をしかめた。使い慣れた炊事場で、煮立った鍋の中身を掻き回す手を止めてから大きく息をつく。 ここ数日の間、客人が滞在していたので、食事を作る量が普段の倍近くになっていたのだが――すっかりその量に慣れてしまっていたらしい。無意識のうちに作ってしまった大量のシチューを見て、マーサはげんなりとした。さて、これをどうやって処理しようか。夫と二人きりで、この量は多すぎる。 食事時の主役だった若者たちはもういない。今朝方、王都に向けて旅立っていったのだ。――マーサの大切な愛娘も一緒に。 赤々と燃える炎を眺めながら、思い返す。『行ってきます』――そう言って発った、娘の姿を。 魔物の襲撃以来、娘――シーナは鬱ぎこんでいた。だが翌日の散歩から帰ってきたときには、少しだけその表情を和らげていた。頑なだった心も少しは解れたようで、再三に渡って拒否し続けていた『護衛』の件も、どうにか受け入れる気になったらしい。それでも心配なことに変わりはないのだが。 シーナの心痛を癒してくれたのは、おそらくアレスの存在なのだろう。見た目は少しも似ていないのに、やはり親子だ。シーナに対する接し方がよく似ている気がする。決して器用とは言えないが、穏やかに、相手のあるがままを認めて見守る。その様子は端から見ていても、とても微笑ましくて、マーサは久しぶりに安らいだ気分になったものだった。 ――父に、頼まれましたから。 旅立つ直前、マーサがあらためて感謝を伝えたとき、アレスはそう言って微かに笑った。その表情は昔、彼が傷だらけで娘を連れ帰ってきてくれたときに見せたものとよく似ていた。身を切るような哀しみを押し隠して、それでも靭(つよ)くあろうとする人の顔だった。 グレイ=ランダールは掛け値なしに優しい人間だったが、同時に不器用で馬鹿な男だったとも思う。息子に遺す最期の言葉に、何も他人の娘のことを言わなくてもよかったではないか。――そのせいで、アレスは今も縛られたままだ。シーナという存在に。 まるで呪いのように父親の遺言に縛られているアレスを、マーサは悲しく思う。彼もまたシーナのように、生きる道筋を決められてしまった。父親が最期に遺した言葉によって。そして、自分自身でも決めてしまったのだ。それをとても気の毒に思うけれど、今のマーサたち夫婦はそれを頼るしかない。遠く離れていく娘の無事の帰還を前向きに待つためには。 |