先週、皆川の母親が倒れ、救急車で病院に運びこまれた。過労だけで済めば良かったのだが、皆川にとって絶望的な診断が医師から下されたらしい。

“暫く入院するんですってね、トモノリ君とこのお母さん”
“半年前、床に落ちた白杖を取ろうとして、駅のホームに落ちゃった娘さんの具合も相変わらず良くないんでしょう?”
“大変よねぇ”

 近所の人達は口を揃えて皆川の家族を哀れむ。
 だけど、他人の噂なんて、宛てにはならない。聡志の父が死んだ時、母と二人、散々な目にあった。皆、他人事だとばかりに面白おかしく触れ回る。何も知らないくせに。何も分からないくせに。
 それでも、あの部屋にもう皆川一人しか居ないと思うと、悲しくて、遣る瀬無くて、仕方なかった。

「なんで昨日、キス、したんですか」
「んー、なんでかなぁ?」
「皆川さんのおかげで、昨日眠れなかったんですよ。大事なクラス分けテストがあったのに」
「あはは、ゴメンゴメン」
 茶化すように顔は笑っているのに、声が、笑っていない。いつものような明るさが無い。
「初めてだったんですよ」
「そりゃ奇遇だね。オレもだよ」
「茶化さないで下さい」

 違うだろ。
頭の中で、幼かった頃の聡志が非難する。
 違う。この人に言いたかったことは、そんなどうでもいいことじゃない。
 頭を掻きむしって、叫びたかった。どうして、上手く伝えられないのだろう。
一晩悩んでも、分からず仕舞いで。結果、身体を冷やしたあげく風邪をひいただけだった。
 考えろ。中学受験でやったテスト問題を解くより、重要なことだ。考えろ。どうすれば、皆川を救うことができるのか。ここで分からなければ、もう二度と皆川に会えなくなってしまう。

「じゃあ、責任取って下さい」
「聡志くん?」
「勝手にボクにキスした責任、取って下さい」

いなくならないでずっと一緒に居て欲しいという気持ちを秘めた、今の聡史に出来る精一杯の引き止め方だった。

「目、つむって……?」

 皆川は聡志のマスクを少しずらすと、魔法の呪文を唱えた。
 小さい頃は、呪文通りに口を開けば、安っぽい飴玉が放りこまれた。たったそれだけで幸福な気持ちになれた。かさついた唇に、温かい舌が僅かに触れて、流れ落ちる滴を舐めとり、離れた。目頭があつい。瞼が重い。甘くない。しょっぱくて苦い味。あんなに我慢していたのに。やっぱり、泣き虫は治っていなかった。

「何処に行くんですか」
「だからさっき言ったじゃん。叔母さんのトコだよ」
「嘘だ」

 皆川の唱えた呪文の後はいつも、砂糖のように甘かった。それなのに、昨日も今日も苦い灰の味。皆川が嫌いだったはずの、灰の味がする。魔法の呪文を受けても、目から溢れる涙は止まらなかった。

「もう、行かないと。明日早いんだ」

 そう言って、顔も見ぬまま正面から抱き締められる。
小さな声で、
「大好きだよ、ずっと」
と言われた。聞きたくなかった。そんな言葉は。中学生になっても、きっと自分だけは何も変わらない。皆川はずっと前から先を進んでいるというのに。好きだった人を繋ぎ止める力さえない、無能な子ども。泣きすがるしか頭の働かない哀れな子どもだ。けれども、行かないで、と無責任に引き止めることすら出来ない中途半端に背伸びをした子どもだ。
 貴方が好きです。好きだから、行かないでと、気持ちを押しつけることもできない。ああ、どうして、自分はあの人よりも早く。大人になれなかったんだろう。そうすれば、例え両想いだったと気付いた後でも、割り切れたんだろうか。

「そっち、通っちゃいけないって言ったの……トモ兄じゃんか」

 手を伸ばしても、もう届かない。灯りの無い砂利道と消えていく皆川。結局、最後まで彼の背中を黙って見ていることしか、聡志には出来なかった。

─End─



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