ごめんね聡史。お母さん、お父さんの事を忘れたいの。

 父が居なくなってから何度目かの夕食の後。台所で食器を洗いながら、母は聡史にだけに、静かにそう告げた。その後、暫くしてから母だけは旧姓に戻った。家と新品の家具を全て処分して、祖母の家に引っ越した。今だから分かる。それは、母と父方の祖父母が仲が悪かったことと関係があったのかも知れない。
 父は仕事に熱心な真面目な人だった。幼かった聡志は、そんな父のことを誇りに思っていたが、突然亡くなって、母と自分を置き去りにした彼を理不尽に恨んだこともある。けれども、亡くなった父親の事を母のように忘れてしまいたくは無かった。父の名前だけは、捨ててしまいたくは無かった。

「トモ兄も、お父さんのこと嫌いでしょ」
 自分で握った塩辛いおにぎりを口にしながら、小学校三回目の運動会の日に、聡志は皆川にそう尋ねたことがあった。
 皆川は運動会や学芸会、学校の行事があるたび、いつもお弁当に付き合ってくれた。だが、学年が上がるにつれて、次第に気付いてしまったことがある。クラスメイト達が家族と仲良く弁当を食べる中、一人きりだった聡志に付き合ってくれた皆川。行事の最中、彼の“家族”を見かけたことは一度もなかった。

 だからてっきり、皆川も自分と同じ考えだとばかり聡志と思っていたが。

「駄目だよ、聡志君。お父さんのこと、嫌いになったら」

 彼は、違った。

「オレのオヤジも酒呑んでは、しょっちゅうおふくろに暴力振るってたし、妹が生まれても帰ってこないし、ジイちゃん肺ガンで死んだっていうのにタバコばっか吸うし、めちゃめちゃ最低な奴だったけど、でも」
「でも?」
「家族の中で、一人くらい好きでいてあげたって良いんじゃないかなぁ」

 そうだ。死んで一番無念なのは父親だろう。父がやり残したことを、自分も同じ職に就いて、やり遂げたい。そうすれば、初めて理解出来る気がする。父の気持ちも。母の気持ちも。
 亡くなる前は小学校の教師であった父を尊敬していた。
 お父さんのような先生になりたい。
 ずっと、昔から思い描いていた聡志の夢を改めて気付かせてくれたのは皆川であったはずだった。夢を叶えるまで、見届けてくれると彼は言ってくれた。それなのに。こんなに近くにいる皆川が、今すぐにでも二度と手が届かない、遠い場所に行ってしまう気がする。



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