「はぁっ、はあっ」
痛む足を叱咤して、漸く辿り着いた場所。そこは吹き抜け状のホールだった。 此処には最上階から一階まで、全ての階に行くことが出来るエレベーターがある。このエレベーターのみ、例え看守でなくとも、パスワードさえ入力すれば、可動出来ることをシキは知っていた。加えて、管理室からの遠隔操作も出来ない。非常階段に次ぐ、第二の脱出手段であった。 脱獄チームが少人数ならば、エレベーターを使った方が、老朽化して足場の悪い階段を使うより遥かに素早く移動出来る。だが、エレベーターに乗車出来る定員が七人の為、大人数では非常に効率が悪い。乗車する順番が内輪もめの原因になるということで、計画上ではエレベーター使用は見送りになったのだ。
「ルートっ!」
奇しくも、シキの予想通り、探し求めていた彼らしき人物は、そこにいた。 エレベーターを止めようと緊急停止スイッチを押すが、反応がない。少し屈んで下を見ると、外装に穴が空けられており、配線が切り落とされていた。
「何だよ、これ」
内部はまるでバリケードを張るように、細い棒状のモノが何本も突き刺ささっている。
「くうっ、っ!」
一本ずつバリケードを引き抜いていくが、何しろ此処まで辿り着くまで血を流し過ぎた。段々と視界が霞み始める。
(畜生っ。意識まで、朦朧と、してきた)
格闘の末、何とか腕一本分くらいは入るようになり、奥にある配線を掴み取る。切れた配線同士を繋ぎ合わせると、鋭い音を立てながら、小さな火花が散った。
(これで動くハズっ!)
叩くようにスイッチを押すと、オレンジ色のランプが点滅した。 早く、早く、早く。 ゆっくりと下降するエレベーターに、意識が奪われていたことが祟ったのだろう。シキの注意力は散漫になっていた。 到着を合図に。 壁穴から、目映い閃光が迸り、爆音が轟く。 爆発の衝撃によって、巻き起こった煙塵に、シキの身体は一瞬にして、飲み込まれてしまった。
「ごふっ、ごほっ!」
訳もわからぬまま、自らの意志とは関係なく突如、右側の光まで、奪われる。
「あ、つい」
焼かれるような痛みが右目に襲い掛かった。耐えきれず、蹲うようにして倒れた。 一体、何が起こったのか。 一向に痛みが引かない右目に、震えながら手をやった。すると、指先に棒状の何かと、覚えのあるヌルリとした触感をとらえた。 「あ、ああぅっ、うああっ」
開いた手のひらは、黒のインクと、血で染まっていた。 どんなに手で押さえても、止めどなく紅血が溢れていく。自分の色。初めて出会った日、彼が好きだと言ってくれた、自分の色と同じ色だった。 けれども、今は。彼はの目はシキを捕らえることはないのだろう。 (どうして?)
あと一歩で、脱獄出来るはずだった。ルートと二人で企てた計画に狂いはなかった。それなのに、どうして彼は自分を置いて一人で行ってしまうのだろう。 これまでずっと。ルートだけを信じ続けてきたのに。
「ルート」
血涙を纏わせた、震える指先で、手を伸ばす。
「オレは、君の、何、だったの?」
エレベーターから降りてきた人物は、答えを返すことはなかった。口の端を僅かにつり上げ、倒れているシキの側まで歩み寄っていく。
「じゃあね」
そう冷たく言い放つと、突き刺さったペンに手を掛け、口付けを落とした。離れ間際に──、無数の紅が一斉に飛び散り、色白い彼の顔を彩った。それからだ。シキが何も、見えなくなったのは。―END―
One rotten apple spoils the barrel. (朱に交われば紅くなる)
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