□ 序章:[ 宝物 ] 第一章:[     ]
第二章:[    ]



 音の正体を探ろうと天井を見上げるが、照明の光は無く、視界は暗闇に包まれていた。

「あ……あぁ」

 それだけではない。照明が、崩れた天井の壁ごと、落ちてきているのだ。

(落ちる!)

 最早見ていられなくなり、シキはとっさに、頭を腕で抱え込んだ。
 間も無く、男の悲鳴があがったと共に、瓦礫の雨が床に向かって容赦なく叩き付けられる音が響き渡る。
 その後、不気味な程の、静寂が続いた。

「た、たすかった?」

 シキは恐々と、顔を上げた。指の合間から、周囲の様子を伺う。そこに、二人の看守の気配はなかった。
 手探りで辺りを確認すると床には、亀裂が入り、残骸と化した照明器具が散らばっている。

 なんとも附に落ちないが、この隙に、逃げるしかない。
 ポケットから、枕カバーで作った、即席の包帯を取り出し、傷口に当てると、解けぬよう、きつめに縛った。

「痛っう!」

 本当は消毒用の火酒も持っていたのだが、見張りの目を掻い潜る為、リネン室を放火した時に使ってしまった。なので、気休め程度の応急処置しか出来ない。だが、贅沢は言ってられない。傷口を塞いでも、まだかなり痛むが今、看守に捕まってしまったら、これ以上に酷い傷を負わされる。脱獄計画の首謀者に一番近い立場であるシキには、地獄を何度も味わう位の拷問が待っているだろう。

(ともかく、早く逃げなきゃ)

 床に散乱した細かな破片を踏まないよう、シキは慎重に身を起こした。

(フン、自業自得だよ。威嚇射的で天井が崩れて、自分達に命中するなんて)

 急がなければならないが、看守の二人が気絶している位置ぐらいは確認した方がいい。

(あいつら、何処にいった?)

 照明が落ちてしまったので、辺りの様子は全く見えない。夜目は効かない方ではないが、頼る光がまるで無いとなると、下手に動いても、自分がどの方向に向かっているかさえ把握するのが難しかった。

(声が近くだったから……直ぐ側には居るはずなんだ)

 瓦礫の破片を踏まないようにして、這いながら看守が倒れている位置を探っていると、薄い、カード状の何かを拾った。紙で出来たものとは違い、角がなく、僅かに厚みがあって、表面が滑らかな、プラスチック製のカードだ。もしや、と思い指でなぞって確かめてみると、端には凹凸があり、コード番号らしきものが記されていた。確信した。多分、これは看守が扉を開閉する時に使っていたIDカードだろう。

「やった! これで」

 逸る気持ちを押さえながら、元に居た場所まで這って戻り、閉まっているシャッター付近ある解錠パネルに向けて、カードを押し当てる。照明が落ちたので、この部屋の電力も安全装置が作動して全てダウンしてしまったかと一瞬不安に駆られたが、どうやら杞憂だったようだ。パネルにカードが触れた瞬間、シャッターはIDを読み取り終えたという確認の為の電子音をさせた後、真上に大きくスライドした。シャッターが開いた瞬間、通路の照明の光が差し込み、失われた視界が復活する。

「よかった、他の看守は……来てないみたいだな」

 看守の一人が通信器で連絡を取っていたが、部屋の前には誰も待ち構えておらず、シキはそっと安堵のため息を零した。
「117番を捕まえた。今からそちらに連行する」
という報告を鵜呑みにしているのか、未だ逃げ続けているルートの追跡に、人員を裂かない為でもあるのかもしれない。看守は銃を持っている。一度捕まって、あの頑丈な鎖で繋がられたら逃げることは絶対に不可能だ。

(アイツらの、無駄の無い勤務形態のおかげで今回は助かったな)

 ルートが向かっているであろう「場所」に向かう為、非常階段を下っていたところ、先程の二人と鉢合わせになったのだ。仕方なく非常扉から一旦施設に戻り、今居るこの部屋で身を隠そうとしたのだが、部屋に入るところを見られてしまい、追い詰められてしまった。奇跡的に助かったが、いつまでも此処に留まっている訳にはいかない。中々戻ってこない看守二人を異変に思えば、すぐにでも仲間の看守が部屋に駆けつけて来るだろう。

「外は、暗いな」

 消灯時間が過ぎた後に始めた脱獄。だから多分、今は夜のはずなのだが、確証は持てない。何しろ時計はおろか、太陽の光さえ拝めないので、正確な時間が分からなかった。
 エルフの窓から望む外の世界は、いつ見ても晴れていることは無かった。空は常に厚い雲に覆われ、太陽も月も姿を現さない。エルフの周辺の建物は廃墟と化しており、交通機関も閉鎖されている。発生元は不明だが、有害なガスによって空気も汚染されているらしい。動物どころか植物も存在しない。唯一生きているのは、汚染物質に耐性のある寄生中に寄生され突然変異した動物のみだと聞いた。時々、エルフの地下にある排水路から侵入しているとも。一度、三日に一度許される入浴に向かう途中で、猫や犬並みのサイズに成長した巨大な蝙蝠が大量発生していたのを窓越しに見たことがある。隔離区域行きにされた囚人の子供だけが、毎晩、地下に向かわされ駆除作業を任せられているらしい。変異体(ミュータント)がエルフ内に侵入したという噂は聞いたことがない。朝になる前に全て彼らの手によって駆除されているのだろう。
 そんなに強いなら……シキとしては是非彼らも今回の計画加わって欲しかったのだが、一般区の子供と隔離区域の子供は接点がまるでなかった。あの情報収集能力に長けるルートにさえ、接触は困難だと言い切られてしまったのだ。

(いつまでも、こんなとこにいる訳にはいけない。早く逃げないと)

 再び非常階段に向かおうと足を踏み出した時、ふと見やった硝子窓。酷く濁り、淀んだ空を背景にした窓は鏡のように。くっきりとシキの姿を映し出していたことに初めて気付いた。
 頬には点々と紅い何かが付いている。親指でなぞってみると、硝子に写ったシキの頬に紅い線が広がった。親指を鼻に近づけてみると、僅かに鉄の臭いがした。これは、血だ。だが、痛みは無い。

 嫌な予感がした。

 恐る恐る後ろを振り返り、先ほどまで居た部屋の中を確かめる。鉄パイプより太い、何かが。瓦礫の山から突き出している。先端にはそれより細い、不揃いの長さの枝が五本、天に向かって伸びているように見えた。瓦礫に埋まった部分に近い、下方には括れがあり、半透明のベルトが巻き付けられている。シキには見覚えがあった。先ほど、若い看守が、連絡を取る為に使っていた、腕時計式の通信機だ。

「ひ、っ!」

 腕だ。造り物ではない。本物の、先ほどまで確かに生きていた人間の腕。

「う、うあああ!」
 瓦礫の山が音を立てて、崩れた。途端に真っ赤に染まった白衣が姿を現す。中年の看守の男だ。男はシキが倒れていた場所の目の前に居た。逆方向に折れ曲がった足からは、骨が肉を突き破っている。

「っ、ああ、」

 瓦礫の隙間から流れ出る赤い水溜まりは、シキの足元にまで広がってきていた。
 磨り減った靴底から、生暖かさが染み渡っていく。彼らがもう、手遅れの状態だと理解させられるのには、充分であった。

「あ、ああ、うわあああっ!」

 むせ返るほどの鉄臭さが辺りを立ち込める。足下の水溜まりが、深みを増して。このまま、底無しに、沈んでいくように感じられて。
 シキは部屋から目を反らすと、狂ったように持っていたIDカードを何度もパネルに叩きつけ、シャッターを閉めた。幻覚を振り払うべく、赤黒く染まった靴を脱ぎ捨てる。
 一刻も早く、この場から離れたい。その一心で、負傷した足の痛みなど構いもせず、裸足で駆け出していた。
 心臓が早鐘の速さで打ち鳴る。まざまざと目に焼き付いてしまった光景に込み上げる嘔吐感。それでも、シキは立ち止まる訳にはいかなかった。ルート以外、全員捕まってしまった。ここで、彼を探すことを諦めてしまったら。自分は独りになってしまう。

「早く、ルートを、見つけなきゃ」

 その呟きは、心からの叫びでもあった。
 シキが今、欲しているのは共犯者ではない。
 人が、二人死んだ。けれど、その二人は、看守だ。自分達を一方的に虐げてきた存在、敵なのだ。敵の言うことなんて、何の気に病む必要なんかない。
 そう言ってくれる味方が、シキは欲しかったのだ。

「違うっ、俺のせいじゃない、アイツらが、アイツらが勝手に自滅したんだっ!」

 そんな自己保身の言い訳を何度も並べ、無我夢中に走り続けた。

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