「他の六人も、大方は僕と同じ意見だよ」
決然と、ナナシは明言する。
「誰も君の話には耳を貸さない」 「っ!なんでっ……、そんなことが、断言出来るんだよ!」
無論、合点がいくはずもないシキは息巻く。 例え、全員は無理でも一人くらいは、自分に共感してくれる者がいるかもしれない。 他者の協力を切望していたシキにとって、事実であろうと、それを容易に認める訳にはいかなかったのだ。
「どうしたんだ、何か言えよっ!」
黙すナナシをシキは更に捲し立てる。 気に入らなかった。不寛容な態度を取り続けることも、第三者のような物言いをすることも。 ナナシの言行一つ一つが何もかも、苛々した。
「他人が、信用出来ないから」
だが、ナナシは物ともしないようで、淡々と切り返してきた。 冷えきったその瞳が、告げている。人を信じられない者達にとって大人や子どもも関係無いと。味方など、要らないと。 ましてや、利用するだけ利用して後で捨てようとする人間に協力なんて出来る訳がない。 直接言われた訳ではないが、シキは真意を察した。
出会ったばかりで何の根拠も無いが、折り合いが悪いだけで、多分、ナナシは嘘を吐いてはいない。現に一度も躊躇せずに、こちらの質問を受け答えしてくれている。嫌なら、最初から無視をすれば良いだけの話だ。 しかし自分を味方だとも、敵だとも思ってはいないだろう。 片棒を担ぐつもりはなく、あくまで中立の立場でいる気だ。
「そこまでして、どうして外に出たいの」 「どうしてって、看守にこれ以上好きなようにされたくないからで」 「そんなのみんな一緒だよ。二度もやるからには……」
何か理由があるからじゃないの? とナナシ。同時に、再会を願ってやまない彼の顔が胸をよぎる。
「俺には、待っててくれている人が、いるから」 「ふうん、誰が?」
そっちから振ってきたくせに、大して興味なさそうにナナシは尋ねてきた。
「ルートが、きっと俺を待ってるっ」
そう言った瞬間、やっぱり、自分には彼しかいないことをシキは実感する。 裏切ってなど、いない。途中から居なくなったのは、きっと理由があったんだ。仲間が追ってくるのを信じて、どこかで待ってるはず。
脱獄に失敗した日、首謀者の一人だと看守に密告され、シキの隔離区域送りが決定した。 犯人は分かっていた。あの時、切り捨てた仲間によって、だ。 看守達からも、同房の子ども達からも、卑怯者だと、後ろ指をさされる日々を送ってきた。 本当の意味で、孤独になってしまったシキに、最早縋れるのは彼、だけだったのだ。
「ねぇ、シキ」
追憶に耽っていたシキを、ナナシは呼び戻す。
「な、何?」 「あとひとつだけ、聞いてもいい?」
そして、急に立ち上がったかと思うと、小さな手を伸ばし、シキの顔に翳す。 驚いて、目を瞑ると、
「こっち、いつから見えないの?」
首を少し傾げながら、囁くように、ナナシは問い掛けた。
「なに、を……」 「別に誤魔化さなくてもいいよ。最初から気付いてたから。片方が義眼だって」
シキはとっさに、掌で右の瞼を覆い隠した。看守によって治療された右目は本人しか違和感を感じられないほど、目立った跡も残らなかった。 それなのに、まさか、気付かれるなんて。
「独りになるのが、怖い?」
更なる追い討ちをかけるが如く、詰め寄るナナシ。 どうして、分かった。 上目遣いで凝視するナナシに、シキは、心臓を握られたかのような気分になった。
「まだ確信は持てないんだけど、言ってもいい?」 「い、いい。止めてくれっ! こっちに来るな、それ以上近付かないでっ!」
反射的に後退るが、狭い部屋だ。直ぐに、壁際に追い詰められてしまった。 この少年は危険だ。覗かれたくない心をいとも簡単に見透かしてしまう。誰にも、触れて欲しくなどないのに。
「右目を奪ったの、きっと彼だよ」 「デタラメ言うな……そんなはずない!」
シキは頭を振って、必死に否定する。しかし、それでも、ナナシは止まらない。
「部屋に来た時、最初に君自身が言ってたじゃない。何で置いていったって」 「黙れぇっ!」
それ以上の憶測を重ねられる前に、激情に任せ、シャッターに向けて突き飛ばしていた。 衝撃で、ナナシはよろめくものの、瞳は反らすことなく、前を見据えたままであった。苦痛を訴える表情すらない。 シキにはそれが酷く、不気味に映った。
「見るなよぉっ、そんな目でオレを見るなぁっ!」
ついに半狂乱状態に陥り、髪を鷲掴むと、繰り返し何度も後頭部を勢い良く叩き付ける。 暫くすると、ナナシは膝を折り、シャッターに沿ってズルズルと崩れ落ちていく。
「はぁ、はあっ……」
完全に動かなくなったナナシを見下ろしながら、その場にへたり込む。 幾ら大人染みているといえ、流石に力は外見相応だったようだ。 一時でも、ナナシを恐れた自分が馬鹿らしい。倒れているのはまだ、ほんの小さな子どもじゃないか。 だが、そうやって安心するのは束の間であった。
「な、何?」
急に照明が落ち、けたたましく、ホール一体にサイレンが鳴り響く。
「そんな、なんで」
無数に交差する探照灯の赤い光がシキの頬を照らす。 恐らく、シャッターに強い振動を与えたせいで、警報装置が作動したのだ。
「ど、どうしよう! っ、ひぃっ!」
慌てて立ち上がろうとするが、つま先が、何かに触れ、ビクリと身を竦ませる。
「ナ、ナシ?」
暗闇で覆われた部屋には自分とナナシしかいない。その正体が、ナナシであるということは直ぐに分かった。 次第に、微かだが視界が慣れてきた。 改めて見返しても、手足も一回りは小さく、幼い。 腕には、自分と同じく痛々しい痣が浮き出ている。 だがこれは、看守達がやったのではない。
「あ、ああ」
そこで漸く、シキは自らが犯した過ちに気付いた。
「ナナシ……ナナシぃいっ!」
当然、何度呼び掛けても返事が返ってくることは無かった。
「オレはまた……こ、れじゃ、オレも、あいつらと同じ、じゃないか」
気に入らない者には一方的に暴力をふるってでも、服従させる。 自分が最も嫌悪する看守達と何ら変わりもしない行為だった。
「なんで、なんでオレはいつも、こんな」
シキは頭を抱え、打ち震える。 抑制出来ない衝動。それは看守達が言うように自分が本当に「ヒトゴロシ」だと示唆しているかのようで。
「ごめ、ん。ナナシの言う通りだよ。怖かったんだ、独りにだけは、なりたくなかったんだ」
今更都合の良い言い訳だと、シキは独りごちる。 少年達は自分以外の者を信じられないという。しかし、シキの場合、その自分自身が一番信じることが出来なかったのだ。 涙目になりながら、徐にナナシの頭部を確認する。触れてみると、小さな瘤が出来ていた。
「お願いだから、独りにしないで……」 その呟きは無情にも鳴り止まぬ警報に飲まれた。ナナシを抱き締めると、無色透明の、檻の中で、静かに、シキは涙した。
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