「どこにもとどまっていたくないの」

 彼女の骨折は完治した。
「ずっと暗いところにいるの」
 彼女は俯きかげんに語る。
「だけどバイクに乗ってたことは後悔してないの。バイク事故が悲惨なのは知ってたし、雨の日にバイクを飛ばしてたのは自業自得だし、なによりバイクは私の心を解放してくれたの。あの頃、私は誰よりも自由だったよ。空が、いろんな色してた。後ろで元親が嬉しそうにしてるのが嬉しかった。もうなにも見えない。もう二度とバイクに乗れないのが、つらい。こんなとこにとどまっていたくないよ」
 事故を起こして以来、ずっと泣くことのできなかった彼女が初めて涙をほろほろと零した。彼女の涙は透き通っていて、とても綺麗で、その涙を見つめながら無意識のうちに口を動かす。
「どこへだって行けるさ」
 彼女を抱きかかえて駆け出す。彼女の涙は透き通っていて、とても綺麗で、それは彼女が再び自由になれる可能性の欠片のような気がして、今日久しく彼女に会いに来た理由を思い出したのだ。
 逆に悲しませてしまうかもしれない、そんな不安もあった。それでも、不安以上に彼女の涙が――可能性の欠片が枯れてしまう前にと強く思って、強く願って、彼女を信じて、がむしゃらに走った。
 彼女を座らせると、彼女はすぐにはっとする。それは、彼女が愛してやまなかったものだ。
「俺、バイク免許取ったんだよ。今度はさ、俺がお前の行きたいとこに連れてってやるよ。毎日でも、何度でも、お前と一緒に走ってやるよ」
 彼女は何も言わなかったが、俺がバイクを跨ぐと、昔俺が彼女にそうしていたように、彼女が俺の腰に腕を回してきた。俺は頷いてエンジンを入れる。バイクは呼吸を始め、やがて大きな唸り声を上げる。ミラーを覗いた。背中に顔を押し当てている彼女の表情を窺うことはできないが、背中から小さな震えが伝わってきていた。怖いのかもしれない。彼女の手を握る。色を判別できる俺に彼女の恐怖は理解できないから、怖がらなくていいなんて言わない。
「今日だけ特別に俺の行きたいところ連れてってやるよ」
 バイクが走り出す。飛ばし気味に海沿いを西へ西へと下っていく。日が落ち始めていた。橙色に煌めく海が嬉しそうに波立っている。風に運ばれ海に辿り着いた葉っぱが嬉しそうに揺蕩っている。潮の香りに包まれたこの空で海鳥が嬉しそうに繰り返し円を描いている。たとえ夕暮れであっても世界はこんなにも嬉しそうにしているってこと、お前に伝わればいいのになあ…。
 バイクは走り続ける。バイクはどこまでも走っていく。特に厚着をすることもなかったために全身に吹きかかる風は冷たく感じたが、そんな肌寒さもなんとなく心地よかった。お前もそうだろうか。空を見上げると、星が輝き始めていた。

 バイクだっていつかは休まなくてはならない。彼女の家まで戻ってきた。外はすっかり暗くなってしまった。それでも、彼女の世界はこんなところよりも暗いのだろう。バイクをとめて、まだうまくバランスのとれない彼女をバイクから降ろしてあげた。遅くまで付き合わせて悪かったな、と謝る俺に、誰よりも――なによりも嬉しそうに、ありがとう、と答えてくれたお前はありのままのお前で、無限の可能性を感じさせる俺の英雄で、泣きながら強く抱きしめた。


≪君と自由になる≫

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