思わず笑いが込み上げてきた。雨が降り出してきたというのに、界隈は静けさを増したような気がする。このずれた感覚が余計に昂揚感を煽る。
 愛刀が遠くに放り出されている。その情けない有り様からは想像できないかもしれないが、幾度となく私と運命をともにしてきた百戦錬磨の刀で、多くの人を斬っていながら、ことごとく血を弾き、常に白銀の光を放つ美しい刀であった。もちろん、切れ味も申し分ない。男に力負けしないよう計算しつくされた刀身は、見事な曲線美を描いている。
 誰もがため息をついてしまうような上等な刀であるが、言わずもがな女であり忍でしかない私が初めから所持していたものではない。貰ったのだ。
 面白くて仕方ない。堪えきれずに声をあげて笑った。上等な刀をくれた人物は今、仰向けに倒れた私に切っ先を向けている。一国の主である伊達政宗だ。政宗も呼応するようににやりと笑った。
 政宗は私を好いてくれていて、私も政宗を好いている。長い間柄であるため、恋仲らしいことをしたのは一度ではないが、私たちはこの恋が成就しえないことを解していた。使い捨ての道具でしかない忍と未来を託された一国の主という身分の差は簡単に埋められるほど近くにはなく、世の中のルールに縛られた恋は人知れず歪み始め、いつしか私たちの『好き』は普通とは少し違っていた。
「私、今までずっと政宗のこと殺したくて仕方なかったの」
 披瀝した感情に政宗は特に驚いた様子もなく、なにを今更、というふうに首を傾げてみせる。
「手を繋ぐ度、やたらと汗ばんだの。このまま引き摺り落としてやりたいってずっと思ってた。政宗をここまで落とすことができたら、あとは二人で世界を捨てるだけって。簡単そうに見えて、なかなか難しいんだね」
 薄っぺらく笑った。
「だからかなあ、今日、政宗が刀を向けてきた時、すごく嬉しかったんだ」
「なら、なぜ抵抗したんだ」
「…分かってるくせに。意地悪だね」
 一国の主の負っている責任は、おそらく私が思っているよりも大きい。政宗は私ひとりのために、この国と、この国の全ての民の未来を放棄してしまうほど人が悪くなかった。人を選ばず優しいところも好きだったが、距離の遠さを痛感した。
 だから、政宗が刀を向けてきた時は本当に興奮した。落ちた、と思った。あの優しい政宗が、私と同じ狂気的な感情を抱いていると分かって、途端にとても近くに感じた。
 それでも抵抗したのは、たとえ政宗が願ったとしても、政宗には世界を捨てるつもりなどさらさらないと知っていたからだ。
 そもそも、日本随一の剣豪といっても過言ではない政宗の不意の一撃を避わすことができたのは、忍としての反発力のよさでもなければ、偶然でもない。
「実際のところ、私を殺す覚悟も決まってなかったんでしょ」
「名前には全部お見通し、か。そうだ、俺は中途半端な気持ちでお前に刀を向けたよ。もうなにが正しいのか、どうしたらいいのか分かんなくなっちまったんだよ」
 政宗も薄っぺらく笑った。
「だが俺は今、この上なく興奮してんだ。刀を交えてるうちに、お前の全てを断ち切れんのは俺しかいねえって確信を持った。俺だけがお前を解放してやれるんだって、俺だけの役目だって思ったら、嬉しくなってきたんだ。殺したい、そう思った」
「分かるよ。顔見れば分かる。でも、一緒にはいかないんでしょ?」
 政宗は少しだけ声を低くして言った。
「やっぱり悲しいか」
「悲しいというよりは、狡いと思ってた。政宗がひとりでなんでもかんでも抱え込もうとしてるなんておかしいって思ってた。でも、刀が弾き飛んだ瞬間に思ったの。今までで一番幸せだったことってなんだろうって。浮かんだのは、あの刀」
 私は遠くに横たわっている愛刀を一瞥した。政宗も私の視線を追って刀を見つめる。心なしか口角を持ち上げた。
「政宗には今まで着物とか簪とか、多くのもの貰ってきたけど、刀が一番よかった。私、根っからの忍なんだよ。でもね、忍としてはもう駄目。このままじゃ私も政宗もどこにもいけなくなっちゃうから、どうせなら政宗の手でって思ったよ。だから、嬉しい気持ちの方が大きいの。嬉しくて嬉しくてたまらないんだよ…」
 笑いながら泣いていた。滔々と流れる涙が止まらない理由は、私自身よく分からない。己の気持ちを把握しきれないくらいに胸がいっぱいで、そのくせ、なにかがすっぽり抜け落ちたかのような虚無感が、確かに私のど真ん中にあった。乾ききった笑い声を漏らす政宗にもこの感覚があるのだろうか。高ぶる思いと虚しい思いが交錯してめちゃくちゃになっているのだろうか。つらい、だろうか。
 もう一度愛刀の方に顔を向けた。今度はじっくりと眺めた。
 間もなく私は政宗の手でこの世から去る。その後、政宗はあの刀をどうするだろうか。できるならば、私の亡骸と一緒に葬ってほしいと思う。間違ってもそばには置いておかないでほしい。ましてや、腰に差しておくなど言語道断だ。――どうか、囚われないでほしい。
 政宗に向き直った。吸い込まれそうなほど深い色をした隻眼の、その奥にある海のような悲しみを見逃しはしなかった。ずっと、忘れることはないだろう。
「政宗、最後のお願いがあるんだけど」
「なんだ」
「死なないようってくれたあの刀で、私の全部、終わらせてよ」
「…そうだな」
 政宗は自らの刀を仕舞い、横たわっている刀を拾い上げた。すると、まるで死んでいたかのようであったその刀は、息を吹き返すがごとく青い稲妻を帯びて炯々と光り出した。やはり、上等な刀だ。瞬時にして私の息の根を止めてくれることだろう。
「名前…」
 政宗の温かな手が私の頬を撫でた。私は冷たくなった手を重ねた。少しだけ震えていた。
 最後のキスをした。政宗は今までで一番優しく笑って見せた。刹那、胸部に強く重い衝撃を受け、同時に激痛が走った。遠のいていく意識の中、「ありがとう」としっかり聞こえた。「ありがとう」と言い返せたかは分からない。


≪それと、ごめんね≫

後書き…
こんな話書いといてなんですが、ぶっちゃけこの時代はあんまり身分どうこうって気にする時代じゃない気がします。本気で愛し合っていたら普通に側室ぐらいにはなれんじゃないかとも思います。だって政宗がその国で一番偉いんだし、ねえ(笑)。そもそも、あの伊達軍が恋仲くらいでどうこう言いそうもないです(笑)。
でも!ろみお&じゅりえっとみたいなのってロマンじゃないですか!という主張でした(笑)。長くすいません。


*よく分からなかった人のための解説

政宗はヒロインの苦しみを知っていたたまれず、その苦しみから解放してあげたいと思いました。独占欲の強い政宗は、解放(幸福な死)してあげられるのが自分だけというのが嬉しかったのです。
ヒロインはもともと心中したかったのですが、政宗が国を捨てないことを知っていたし、そんな正しい政宗が好きでもあったので、心中は半分諦めていました。だから、苦しみは分け合って生きていこうと考えていました。でも、好きという感情に歯止めが利かなくなってきたうえ、政宗をずっと縛っているわけにもいかないと悟ったので、死を選びました。せめて好きな人に殺してもらえるというのが嬉しかったのです。
でも本当は二人とも普通の恋がしたかったのです。

という歪んだ愛情の話でした(笑

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