第六話 虹色の
 屋上は西の階段を上っていき、五階に相当する階層にあった。長曾我部元親がピッキングしたという鉄の扉を開けると外に出られるらしい。「開けてみろよ」と催促されて、一歩前に出た。微かに胸の高鳴りを覚える。
 ドアノブに手をかけた。
 扉の隙間から、ふわっと潮の香りが舞い込んだ。古臭い鉄の扉からは想像できないような見晴らしのいい開放的な空間があって、学校であることを忘れてしまいそうだった。
 よくドラマで見かける背丈よりも高い柵はなく、辛うじて低く簡易な欄干が設備されているだけであったが、それこそがプラスに働いているに違いない。空が、物件や電柱の並ぶ道から見上げるのとは比べものにならないくらいに広大で、光り始めた星々をこの手で掴めそうだと本気で思った。空と繋がってしまいそうな海も、下から眺めるよりはずっと広い。そして、なにより潮風が気持ちいい。掃除してまでここを使いたくなる気持ちが分かった。
「すごい」
「そうだろそうだろ」
 長曾我部元親は嬉しそうに何度も私の肩を叩く。子どものようにはしゃぐものだから、おかしくて思わず声を上げて笑った。すると、長曾我部元親が驚いた顔をするので、恥ずかしくなって景色に目を戻した。この男といるとどうも調子が狂う。
「そういえば、話ってなにさ」
 苦し紛れに質問をした。長曾我部元親は慌てた様子で「あーそうだったな」と呟く。
「実はよ、緊急で頼みてえことがあんだよ。男子バスケット部のマネージャー、やってくんね?」
 思わず頬が強張った。バドミントン部を途中退部してから部活動には全くもって興味を持たなかった私に、あと半年だけ部活動をやってくれと無茶を頼んでくるとは、悪い意味で予想外だった。しかも、急に人数が足りなくなった女バスにボランティアでメンバー入りというわけではなく、男バスのマネージャーをやれと言う。
 自慢ではないが、私は運動神経がいい方で、体育の成績はよっぽど嫌いな種目が授業に入ってこない限りは5が付いて当たり前だ。だからこそ、スポーツ全般好きだし、スポーツをしているのを横目で見ながら雑用をこなすマネージャーなんて向いているはずがない。
「はっきり言っちゃうと、嫌なんだけど。なんで今更マネージャーなの?」
「今年の入部希望者がやたらと多くてな、ただの部員だけじゃいろいろと管理しきれなくなっちまったんだよ。それに、男バスって女マネがいるのが当たり前って感じで、大会とかだと結構惨めな思いをするんだ。頼む」
「ちょっと待って。そういうのってさ、君に頼んでもらってごり押しとかじゃなくてさ、部員が直接頼んでくるってのが礼儀ってもんじゃないの?そもそもなんで私なの?一年生に頼んだ方が絶対よくない?」
「言っとくけどな、男バスの部長は俺だから」
 長曾我部元親はわざとらしい困り顔でわざとらしく溜め息をつく。少しの間、理解ができなかった。
「え、部長?君が?」
「そう部長。あと君ってのやめてくんね?俺ら真っ赤な他人じゃねえんだしよ。長曾我部でいいから。長曾我部部長でもいいけどな」
 ここ数日間なにげなく関わってきて気づいたが、長曾我部元親…いや、長曾我部は確かに少しずれた不良である。しかし、軽くやんちゃをやっているような不良でさえが、部長に成り上がるまで懸命に部活動を行っているイメージなどないというのに、髪の毛を銀色に染めてしまうような不良が部長を務めているとは思いもよらなかった。正直なところ、すごいというよりはバスケ部も落ちたなという気持ちの方が強いが、それは口に出さない。
「つまり、部長直々のお願いってわけだ。でもさ、やっぱり一年から探した方がいいことには変わりないよね。それに、私、どっちかっていうとスポーツしたい側だし、細かいこと苦手なんだよね」
「まあ、全く勧誘しなかったわけでもねえんだがよ、まず俺らに近づこうってやついねえんだよな。分かるだろ?俺とこうやって話せるやつって苗字くらいなもんだぜ。な、頼むよ。マジに困ってんだよ」
 顔の前で手を合わせる長曾我部の本気の懇願に逆に私が困ってしまった。争いを避けるように生きてきた私には、最初はきっぱりと断っていたことでも、食い下がられると断れなくなってしまうという弱点がある。
 心底マネージャーをやりたくないのかと聞かれれば、そういうわけでもない。不向きとはいえども、本音を言えば、人生に一度くらいはやってみたいと思う。
 それでもやはり、どうしてもできない。長曾我部は部長だと言った。つまり、部活動はそれだけ真面目にやっているということで、マネージャーなんかを始めてしまえば、長曾我部と会う機会が増えてしまう。長曾我部との会話が多くなってしまう。長曾我部との関わりが深くなってしまう…。
 長曾我部のことは嫌いではない。嫌いではないからこそ、あの雨の日を思い出すと、一緒にはいたくない。その背中を遥か遠くから睨みつけていたくはない。
「怖いか」
 はっとして、いつのまにか遠くに逃げていた視線を再び長曾我部に向けた。長曾我部はもう困り顔をしていない。真っ直ぐと、私をとらえて逃がさない。完全に日が沈み、夜が訪れたこの世界にはとても目映すぎる虹色の眼光が、私の全てを覆い隠してしまう。長曾我部は、私は、誰なのだろうか。怖い、のだろうか。
「まあ、今日中に決めろってもんでもねえからよ、なんなら明日見学に来きてみるか?どうせバスケ部なんてまともに見たことねえんだろ?」
 そう言って、長曾我部は全てを見透かすように笑う。私はただ流されるまま首を縦に振って、そのまま顔を上げられない。「じゃあ今日はもう遅いから、明日な」と言って、遠慮なしに私の頭を撫で回す大きな手の平には、優しさがあった。
 少し馴れ馴れしくて、だけど強引じゃなくて、だけどずかずかと踏み込んできて、こっそりとなにかを壊していく。
 なぜだか泣きそうになった。


≪「お前なんか」≫

後書き…
やっと進めそうだ(笑)。最初のフラグ立てるのにこんなにかかるとは思わなかった(笑)。

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