第四話 興味
 遅刻寸前に教室に飛び込んだ。私の席は一番窓際の一番後ろにあり、多くの人が憧れる最高のポジションにある。窓の開閉の権限を得たり、教師の長すぎる話に飽き飽きした頃に流れゆく空を眺めていられることは分かりきった利点だが、後ろの扉から入れば、どんなにギリギリの時間であろうとも、誰の視線を浴びることもなく席に着けるのも隠れた利点である。
 チャイムが鳴ると同時になんとか席に着くことができた。平気で早退をする私が遅刻を気にするのは、もともと朝が苦手で、頭をちゃんと起こすのに必死な時に説教をくらってあれこれ難しく考えるとなると、全力疾走するよりも疲れてしまうからである。
 しかし、遅刻していない今日も朝からどっと疲れてしまった。目の前の席に腰をおとしている長曾我部元親が私に向かって「おはようさん。遅かったな」と陽気に挨拶をしている。今までの授業で見覚えのないこの銀髪が目の前にあるということは、おそらくこの男、誰かの席を乗っ取っているのだろう。先日のことを思えば、多少いいところもあるようだが、基本は見た目どおりの不良であるということだ。周辺に立ち尽くしている人物はいないようなので、もともと前の席のクラスメイトはたまたま休んでいるようだが、悪事に私を巻き込まないでほしい。朝から、面倒くさい。
 朝は本当に疲れる。半日ほど仮死状態になれたら最高だ、と毎日思っている。
「あれ、不機嫌だな」
「自分の席に着きなよ。もうチャイム鳴ったよ」
「ん?ここだが」
 朝からくだらない冗談を言う長曾我部元親に多大な憎悪が湧いて、視線で射殺すつもりできつく睨みつけたが、長曾我部元親は首を傾げ、なんと笑い出した。ただでさえ苦手な朝だというのに、最悪の気分だ。大袈裟に笑い転げる長曾我部元親の頬骨を粉砕してしまおうかと渾身の力を込めて拳を作ったが、やはり面倒くさいので、真っ赤な他人のつもりで無視を続けることにした。それでも、長曾我部元親はお構いなしに「マジかよ」と笑い続けている。
 担任が教室の中に入ってきて、教室は静まり返った。かつかつと靴音を響かせて教壇に立った担任は、予想どおり鋭い視線を長曾我部元親に突き刺した。くるか、と身構えたところ、奇しくも担任の視線は手持ちのメモ用紙に向き直され、普段どおり連絡事項だけ早口に言って早々に教室から出ていった。再び教室がざわつく。まさか担任に見離されているほどの問題児なのだろうか。恐る恐る長曾我部元親の様子を窺ってみると、先ほどまで腹立たしいくらいに明るかった表情は一転、不愉快そうに眉をひそめていた。やはり。
「正直教師ってのはうざくてたまんねえよ。人の顔見る度に悪さしてねえか確認してよ、終いには『なんか起こしたら承知しねえ』って目で訴えてくるんだよな。警察かってんだ」
「いやさ、君、現在進行形で悪さしてるでしょ。自分の席に着かないのが悪いんでしょ。怒鳴られなかったのが不思議なくらいだよ」
 堂々と自分のことを棚に上げる長曾我部元親に仰天して、真っ赤な他人の振りを忘れて返答してしまった。そして、どういうわけか長曾我部元親は先ほどそうしてきたように首を傾げ、また笑った。
「苗字ってさ、おもしれえよな」
「はあ?」
 思わず語尾に力が込もった。面白いことを言ったつもりは毛ほどもない。
「あのよ、この席は正真正銘俺の席。ま、今の今まで授業サボってたから今日初めて席についたわけなんだがよ。もしかしてお前、見えちゃいけねえもんでも見えたんじゃねえか」
 霊だのなんだのという非科学的なものを見たとは到底思えないし、相変わらず苛立たしく思う口調ではあるが、いいかげん嘘をついている風でもないのも確かである。しかし、先日、長曾我部元親ではない誰かが前に座っていた、ような気がする。頭を捻る。そういえば絶対と言い切る自信が持てない。前に説明したが、学年の男子は全体の二割名前と顔の一致する人物がいればいい方で、私にとって男子とはその程度の存在でしかないのである。悔しいが反論する言葉が見当たらない。すると、苛立ちは虚しさに変わり、どうしようもなく疲れて、折角ほんの少しだけ蓄えたやる気が削げてしまった。
 よって、逃げ出した。どちらかというと長曾我部元親からではなく、今日という日から逃げ出した。向かった先はもちろん保健室だ。ちょっとしたテクニックを使えば、平熱を七度五分以上に上げることは容易い。それを保健室の先生に見せれば「少し休んでく?」と訊かるので「はい」と答えて一時間ベッドで寝て、再びやってきた先生の「具合どう?次出れそう?」という質問に「気持ち悪いです。ちょっと厳しいです」といかにもだるそうに答えれば、ほとんどの場合で帰宅可能だ。今回もその手順で帰るつもりだ。
 ベッドに入ったところでようやくほっと一息ついた。保健室は静かでいい。不良といえども、保健室で騒いだり暴れたりする人はいないから、ここは絶対安全地だ。
 目を閉じた。目の裏に長曾我部元親が浮かんだ。長曾我部元親に目をつけられたのは不覚だったが、こうやって距離をとり続けていれば飽きてそのうち会話もしなくなるだろう。それで、いい。もう誰とも関わりたくない。

 二回目のチャイムが鳴った。どうやら授業が終わったらしい。寝る事ができなかったためとても長い時間のように感じたが、いつもどおり保健室の先生が心配そうに体調を尋ねてきたところをみれば、今日の学校もこれでお終いである。成功だ。日々演技にも磨きがかかっているような気がする。
 荷物を整え、駐輪場にやってきた。胸の内は今回の成功を祝して大層盛り上がっているが、ここは気持ちを抑えて無表情であることに努める。学校を出るまでは油断できない。誰がどこで見ているかなど分からない。この抜かりのなさが私を完璧な病人へと仕立て上げ、誰にも疑問を抱かせないのである。そのはずだった。
「よう、また帰るのか。仮病で」
 荷物を取りに行った時に姿がないと思ったら、駐輪場で待ち伏せでもしていたのか、いざ帰ろうという絶妙なタイミングに長曾我部元親が現れた。しかも、なぜかこの男には全てを見透かされているらしい。本当に面倒だ。
「私がどうしようが、君には関係ないでしょ。放っといてくれない?」
「もしかしてお前、朝が苦手なタイプ?」
「だったらなに。放っといてって言ってんでしょ。私は帰る」
「おいおい、ちょっと待てよ。俺、謝りてぇんだ」
 もはやあまり興味が湧かなかったが、謝罪くらいなら聞いてあげてもいいかと思って、一旦自転車を停めることにした。
「なに」
「実はよ、お前の前の席は一週間前まで別の奴がいたんだよ。ほら、俺と仲いい家康。けど交換してもらったんだ。まさかまだ気づいてないなんて思わなかったしよ、朝苦手とは知らなくてな、つい調子のっちまった。悪かった」
 へえ、と思うだけで格別に驚いたり喜ぶことはなかったし、揶揄されたことなど今となってはどうでもよくなっていた。そのため、呟いた「別に気にしてない」という言葉には感情がこもらなかったが、うじうじと気にし続けているよりはよっぽどいいだろう。
 用が済んだので、再び自転車を引っ張り出して帰ろうとしたところ、言い残したことがあるのか、鬱陶しくも長曾我部元親が目の前に立ちはだかった。
「まだなにか」
「俺が家康と席交換した理由、わかるか」
「興味ない。それじゃ」
 自転車を軽くバックさせ、ハンドルを右に傾けた。いいかげん懲りたのか、長曾我部元親は無言で立ち尽くすだけで、しつこく何度も行く手を阻むつもりはないらしい。すんなりと横を通り抜けることができた。実に簡単で、一瞬の出来事だった。しかし、これで明日からは全てが元どおり、実にくだらない普遍の生活が戻ってきて、死ぬまで傍らにあり続けるのだ。変化なんていらない。これでよかった。これ以上面倒なことにならなくてよかった。
「俺はお前に興味あるんだぜ、なあ」
 振り返りそうになったのをぐっとこらえて、校門を抜けた。本心は違うだなんて認めたくなかったし、認めてはいけなかった。


≪こっち来ないで≫

後書き…
距離感ですよフフッ←
ヒロインも興味ないとか言いつつ、本当は興味津々なんです。素直じゃないなあ〜でゅふふw←

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