第二話 桜の死骸
 高校三学年最初の始業式が行われた。校長初め、何人かの教師が代わる代わる壇上に上がり何かを話していたが、きちんと耳を傾けることはなかった。どうせ内容は「受験に向けてちゃんと勉強してください」といったところであろう。教師とは学校のレベルを上げることしか頭にない生物である。
 退屈な始業式、退屈なホームルーム、喧しいクラスメイトを適当にやり過ごし、その後漸く下校だった。
 雨が降っている。空を見上げれば雲は厚く、朝方のテレビ放送でやっていた「今日は一日中雨模様」という天気予報はおそらく的中するだろう。濡れるのを憂鬱に思いながらも、仕方なしに傘を広げて歩き始める。普段は自転車通学だが、学校から自宅まで徒歩約十五分とたいして遠くもない距離なので、安全面も考慮し、雨の日は極力徒歩通学にしている。
 私の通学路の両脇には桜の木が植えられている。そのため、無残にも雨のため早々に散ってしまった桜の花弁で地面が埋め尽くされていた。健やかに晴れた日ならば、桜の散る様というのはとても美しいものであるが、今日のように、雨に濡れ土を被って地面を這いつくばっている様というのは、とても美しいとは思えない。むしろ、死骸がごろごろ転がっているような不気味さをもっていて、今、桜並木ではなく桜の墓場を歩いているのだという感覚さえある。私は死骸を踏み付けながら自宅に向かう。嫌悪を込めて踏み付ける。
 学校から五分ほど歩くと古色蒼然とした公園がある。鉄棒は錆びきって赤褐色に変色し、ブランコは漕ぐたびガタガタと揺れ、滑り台にいたっては整備が行き届いていないのか、使用禁止となっている。そんな公園にも桜の木がたくさん植えられていて、桜の美しさを際立たせるための古めかしい遊具なのだと信じていたが、今日は肝心の桜が生気を失っていて、遊具は不気味さを際立たせているだけである。
 ふと、奥の方に白く浮かび上がる人影があることに気がついた。初めは霊でも見たかと思い足が竦んだが、目を凝らしてみると銀色の髪をした青年が今にも壊れそうなバスケットを利用してひとりバスケットボールをしているだけのことだった。青年はこちらに気がついていない。それをいいことに、たいした理由もなく、青年を眺め続けることにした。
 青年は黙々とシュート練習をしている。時々、何かを思案するようにボールをじっと見つめ、地蔵のように動かなくなる。少しすると、迷いを打ち消すように首を振ってシュート練習に戻る。私がただひとつ言えるのは、奇奇妙妙な光景だということだ。月光のような青白い光を放つ髪色をした青年が、雨に濡れながら、しかも、死骸だらけの公園で、死骸を蹴散らしながら、ひとりバスケットボールをしている。何故こんな日に、こんな場所で、そんなことをしなければならないのか。
 青年の心を読み解くことは到底不可能だが、なんとなく、青年は私のような人間とはかけ離れた存在のように思えた。凡人には知りえない人生を知っている、そんな存在。
 唇を噛みしめた。どうかしている。青年がどんな人間かなんて、真実は本人しか分からないというのに、なぜこんなにも暗雲が立ち込めるのだろうか。この確信にも近い思いはなんだろうか。
 途端に何かが滑るような音がして、振り返ったら視界が真っ白になって何も見えなくなった。しかし、何かが滑るような音は段々と迫って来る。車だ。
 突如襲いかかる恐怖心が私を支配して、避けること、喋ること、瞬きすること、呼吸の仕方さえをも忘れさせた。たすけて、と言葉にならない言葉を喉の奥で叫んだが、言葉にならなければ誰にも伝わるはずがない。この空気が冷える瞬間を私は知っている。
 大きなクラクションが聞こえた時、ぱっと視界が元に戻った。大型のトラックが私と接触するかしないかのところを気遣いもなしに通り過ぎていった。制服は水浸しだ。しかし、そんなことよりも――まだ、生きてる。
「おい、大丈夫か!」
 はっとして足下に置いていた目線を声の方向に向けると、先ほど気まぐれに眺めていた青年に違いない人物がすぐ後ろに立っていた。青年は心配気にこちらの様子を窺っているが、落ち着きを取り戻すことができず、うまく返事ができない。情けないほどに震える手をなんとか握りしめて、溢れそうになる感情を堪えるために地面を睨みつけた。目には特に力を込めていないと全部が溢れてしまいそうだった。
「どこか痛むのか」
 より心配気な声色になった青年の手がぐんと伸びて、私の肩に、触れた。

 雨が降り注ぐ中、ばちんという乾いた音が響いた。私が青年の手を強く拒絶した音だった。青年は何が起こったか分からないという表情を浮かべている。私自身もよく分かっていないのだから、当然だ。
 どういうわけか、伸ばされたその手は怒りと悲しみを湧きあがらせ、それらの感情はこんがらがり、こんがらがったまま心臓にべったりとくっついた。どうしようもなく不快になり、青年の手というよりは、心臓に貼り付いたそれを払うようにして無意識に平手を食らわせたのだが、困惑も混じり余計に不快になってしまった。ばつが悪くなって、再び地面を睨みつけた。
「ごめんなさい。ちょっと動転してる。怪我は、ないから」
 顔を上げずに駆けだした。
 次々と目から零れ落ちたものは熱かった。雨だから、青年には気付かれていないだろう。
 桜の死骸が嘲笑っているような気がした。


≪なんでこうなった≫

後書き…
雨に濡れて地面にびっしり貼り付いている桜を気持ち悪いと思ったことがあるのは私だけじゃないはず…!

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