夜のエネアドの街は、治安が悪くなる。それは、ここに限ったことではなく、それが、辺境に行けば行くほど悪化する、と言うだけの話だ。
そのおかげで傭兵稼業が成り立つわけだが。
「カファス!」
指先から溢れた光が、男の一人を捕らえる。まずは一人、と胸中でカウントしながら、リンは後ろを振り返った。
「っのやろぉ!」
仲間がやられて激昂した男が、サーベルを振り上げる。だが、それを軽い身のこなしでかわすと、リンは新たな魔術を解き放った。
「セルセラ」
静かに告げられた言葉は、光の帯となって、周囲にいた三人の男を巻き込んで鎖状に固まる。
「そう簡単には破れないぜ、俺の魔術は」
指を男達に向けたまま不敵に笑うリン。
と、唐突に、静かになった空間に、拍手が鳴り響いた。
「さすがだな、リン」
「ライト!」
兄の姿を認めるや、リンは嬉しそうに兄の側に駆け寄っていく。
「どうしたんだよ、こんな夜に」
「リンの仕事っぷりを、ちょっとね。でも、十分上達してるじゃんか、魔術」
嫌味のない笑顔で言われ、リンも思わず得意げに笑う。建国以来の天才と言われたライトの言葉だ。嘘ではないことがわかるだけに、まして、敬愛する兄の言葉なら、嬉しくないはずがない。
「あ、ライト、ちょっと待ってて。こいつらを兵士に受け渡して、仕事を終わらせたら…」
「嘘よ…」
言いかけたリンの言葉を遮って、夜闇に響く少女の声。二人が振り返れば、そこには、愕然とした表情のオリヴェートの姿があった。
「生きてるはずがない!! 私も、あの戦乱に参加したけど、貴方は、確かに死んだはずよ、ライト=エヴァーラスト!!」
「な…っ!」
声高に叫んだ彼女の言葉に、リンは驚きの声を上げる。だが、言われたライトの方は、平然としていた。肯定もしないが、否定もしない。その理由を知っているだけに、リンも、何も言えなかった。
ただ、もちろん、それでオリヴェートが納得するはずもなく、パニックになったように言葉を続けた。
「私の目の前で、貴方は私達の仲間の弓矢に撃たれて倒れた。それは間違いないはずよ! だから、リンの言葉が信じられなかった」
「それは、ライトが“神子”として復活…」
「ありえないわ! だって、私の弟は死んだのよ? あの内乱で、犠牲になって。なのに、こんな理不尽、信じられるわけがない!!」
リンの言葉も無視して叫び続けるオリヴェートの体から、唐突に黒い塊が吹き出す。それは、彼女の言葉、感情に呼応するように、どんどん膨らんでいった。そして、じわじわと広がり、何かの形を作っていく。
「リン…」
静かに、呼びかけてくるライト。それに応じて頷くと、リンも、真っ直ぐ前を見据えた。
「わかってる。あれは“狂気”だ」
きっぱりと言う頃には、それは、はっきりとした形を成していた。
「な、何、これ…?」
ようやく、我に還ったオリヴェートが、自分のすぐ後ろに現れた黒い塊に呆然と呟く。そんな彼女をかばうようにして、ライトがすっと前に立った。
「これが”狂気”の姿だよ。七つの大罪に縛られ、人の心が暴走したんだ。君の場合は”暴食”の罪」
「弟を救いたい、家族を生き返らせたい、その欲が呼び込んだ暴食の悪魔、ベルゼブブさ」
ライトの言葉を引き継いで言ってから、リンもオリヴェートの前に立つ。
「リン、やるぞ」
「仕方ねェな」
ライトの言葉に応じて、臨戦態勢をとるリン。その間に、完全な形を得たベルゼブブは、二人に襲いかかってきた。
「ちょ…、こんなやつ、どうするの!?」
「ちょっと黙ってろよ!」
困惑するオリヴェートに、リンは叫ぶと、その言葉を言霊に魔術を発動する。突然現れた炎に、ベルゼブブが一瞬怯み、足を止めた。
「だから言ったろ? ”再臨”は、求めるべきものじゃないんだ。本当に”狂気”に打ち勝てる者、そして、悪魔を使役できる強い力と意志を持つ者。そんな奴だけが”再臨”を扱える!」
「アスファ・リーフ!」
リンが説明する中で、ライトが魔術でサポートする。突風がベルゼブブを切り裂き、僅かに体を後退させた。
「行くぞ、ライト!」
「あぁ、リン!」
言い終わるが早いか、二人は同時に手を前へ伸ばす。リンは右手、ライトは左手、その先にあるのは、具現化したベルゼブブ。
「冥界アルルの王、オシリスよ。彼の御霊を
鎮めよ。導きの力を、我が手に!!」
綺麗に揃った呪文がゆっくりと形を成す。だが、その間にも復活したベルゼブブが突進してきた。僅かに発動に間に合わないか。
そう思った瞬間、
「ハッド!」
凛とした声に、思わず二人は後ろを振り返る。そこには、指先をベルゼブブに向けたオリヴェートの姿があった。
「私だって、魔導士なんだからね! エヴァーラスト兄弟には遠く及ばないけど」
わざと皮肉って言う彼女の言葉に、もう、迷いはない。その姿を見て取ると、リンとライトは不敵に笑ってみせた。
「当然! 俺達くらい天才じゃないと”狂気”を封じることなんか出来ないよ」
「言ってくれるじゃない」
お互い、笑い合って。
今度こそ、エヴァーラスト兄弟の呪文が完成した。
「イブリース・ケトム!!」
明瞭な言葉は、強い呪文となって、ベルゼブブにぶつかる。まともに攻撃を受けた悪魔は霧散し、そこには、元の闇が戻ってきた。
「さぁ、仕事も済んだし、帰るか」
「その前に、こいつらを警備兵に…」
「ちょっと待てぃ!」
何事もなかったかのような会話を始めるリンとライトの服をがっしと掴んで、オリヴェート。恐る恐る振り返れば、彼女は恐ろしいくらいの笑顔を見せていた。
「どういうことか、説明してちょうだい」
「……」
あそこまで見られては、さすがに言い訳ができない。ましてや、彼女は”狂気”の体験者だ。誤魔化しようもないだろう。
「…わかった」
降参、と言いたげに両手を上げてみせて、リンはため息をつく。そんな彼とは対照的に、ライトはオリヴェートに手を差し伸べた。
「じゃあ、公園に行こうか。あそこなら、警備兵のいる官署も近いし」
その言葉に頷いてみせるオリヴェートを見、やれやれと肩をすくめると、リンは自分が捕まえた男達を引き連れ、ライトの後を追った。
〔2012.10.21 Song by CONNECT 『あの雲を追って』〕
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