英央短編小説 | ナノ

ヒーローの長い夜


「……央、もう寝た?」
「んーん、起きてるよ」

繋いだ手が私の指先を撫でていたから、彼が起きていることは知っていたけれど。
ほんの数センチ先の距離から聞こえる央の声。
ぎし、と軋んだベッド。
央が体の向きを変えたことで、二人で使っている毛布が僅かに引っ張られた。
寒くない? そう言って私の肩に布団をかけ直してくれる央。
その優しい仕草に心臓が壊れてしまいそうなくらいドキドキすると同時に、不思議な安心感に包まれていた。

「央の手って、いつもあたたかいわね」
「え、そう? そういや手があたたかい人って心が冷たいとか言わない? えー僕心冷たいのかな……」
「ふふ、そんな迷信あてにならないわよ。央の心が冷たいはずないもの」

窓から部屋に落ちるのは、厚い雲に覆われた月の薄明りだけ。
肩を寄せてくすくすと小さく笑い合う、静かな、本当に静かな二人だけの夜。
触れた足先から、肩から、手から伝わってくる温度が愛しくて胸が詰まる。
焦がれて仕方なかったこのぬくもりを噛みしめるように、私は央の胸に頭を寄せた。
髪の毛を梳くように頭を撫でる優しい指に、じわりと目頭が熱くなる。

ねぇ央……本当はね、一人で眠るのが少しだけ怖かったの。
だって灯りの無いこの世界の夜、目を閉じるとどうしたって考えてしまうのは【あの世界】のこと。
いつも賑やかで優しくて、初めて心から友人なのだと思えた大好きな仲間たち。
きっとまた会えるから大丈夫、そう言って私の背中を押してくれた幼い央。

後悔は無い。
けれど張り裂けそうな痛みは、そう簡単に薄れはしないから。

無意識に力が入っていた、央と繋がる手。
それが不意に解かれて不安を覚えたのもつかの間、彼は私の体をぎゅっと抱き寄せた。
突然ゼロになった距離に心臓が跳ね上がる。

「っ、な、なか――…」
「僕はね、ずっと自分は強く在りたいって思ってた」

え、と顔を上げようとした私の後頭部を、優しく抑えるように撫でる大好きなあたたかい手。
普段よりもずっと落ち着いたトーンの声で、央は静かに言葉を続けた。

「君を元の世界に帰すことが辛くなかったわけじゃない……辛くないわけがない。でも、撫子ちゃんが笑っていられるならそれでいいって、そう思える自分は幸せなんだって思ってた」
「……うん」
「けど全然ダメだった。もうホント、ぜーんぜんダメ。……前向きに頑張らなきゃって何かをしようとしても、頭に浮かぶのは最後に触れた君の唇の温度と、僕を呼ぶ声と――悲しそうな泣き顔だけだった」

私を抱く腕に僅かに籠った力から、央の感情が直接伝わってくるみたいで胸が締め付けられる。

「君と過ごした間たくさん笑顔を見たはずなのに、どうしてか思い出せなくて、すごく苦しくて。なんでもっとちゃんと見て覚えておかなかったんだろうって、すごく悔しくて……」
「央……」
「元の世界へ帰したことを後悔したくなんてないのに、でも本音ではどうしようもなく後悔してた」

弱いんだよ、僕は。そう泣きそうな声で告げられた言葉は、今までずっと隠されていた彼の心の奥。
きっと央も同じ。
【あの世界】を思って胸を痛めているのだ。

でも、でもね、央。

「私は嬉しいわ、央。あなたが私を帰したことを後悔してくれていた事実が……」
「……撫子ちゃん」
「だって、危険も顧みずにもとの世界に帰してくれた央の気持ちを、私は無視して戻ってきちゃったんだもの。やっぱり帰さなければ良かったって、そう言ってもらえることがどれだけ幸せか分かる?」
「っ……」

央が私を抱き締める力以上に強く抱き締め返せば、彼は息を詰まらせる。
ぴたりとくっついた体から、私の想い全部が伝わればいい。そんな気持ちを込めて央の体を引き寄せた。

「…っ…あーもう! なんでそんなに可愛いかな君は……!」
「きゃっ……!」

突然の浮遊感に驚く間もなく、背中に感じたベッドの柔らかさ。
緋色の綺麗な瞳に間近で捕えられて、ようやく自分が押し倒された状態であることに気付いた。
キスの予感にぎゅっと目を閉じたけれど、いつまで経っても唇に降りるはずの感触はなくて。
そっと開いた目に映ったのは、なんだか困惑するように固まったままの央の姿。

「な、かば……?」
「う……今日は一緒におやすみするだけだと言ってしまったことを、今心の底から悔やんでいます……」

本当に苦しそうに眉尻を下げる央が可愛くて愛しすぎて、もう私の方が我慢なんてできなかった。
彼の胸元を掴んでぐっと顔を寄せて、ぶつかるような勢いでキスをする。
覆い被さる体がびくりと震えたけれど、構わずねだるみたいに唇を合わせた。

「……たぶん、って言ってたでしょ?」

我ながらすごいことをしているな、と苦笑しつつ彼の反応を待つ。
目をまんまるに見開いて驚きを露わにする央が可笑しくて、思わず笑みが零れた。

「……もう、反則」

はぁ、と深い深い溜め息を吐いた央。
脱力するように私の肩へ顔を埋めた央を、力いっぱい抱きしめた。

自分を弱いと言うヒーロー。
あなたに助けられた人はきっとたくさんいて、受け取ったあたたかい想いを忘れることはないだろう。
どんな時も他人の気持ちばかりを優先して、自分の願いは口に出すことすらできなくて。
荒っぽいことも痛いことも嫌いだと言いながら、いざという時には自分が傷つくことも構わなくて。
冷静で頭の切れる行動を見せるくせに、時々びっくりするような無茶をして。

そんな央が作り出そうとする世界は、いつだって優しい。

額に、頬に、首筋に、耳に……いくつもいくつも落とされる口付けを、私は素直に受け入れる。
焦りよりも恥ずかしさよりも、今は彼に強く求められていることがただ純粋に嬉しかった。
鎖骨にちり、と小さな痛みが走って、思わず漏れた吐息。
次の瞬間重なった唇の、その深さに眩暈を覚えた。

「っ、は……どうしよう、理性と紳士をフル動員しても抑えがきかなそう……」
「どうしようって言われても……」

(べつにかまわないのに……)

そう伝えてあげようかな、と思ったけれど、うーうー唸りながら葛藤している様子が可愛くて。
つい芽生えてしまった意地悪な心が口を噤ませた。

薄明りで世界を照らしていくヒーローも、たった一人きりでは世界を変えることはできないのかもしれない。
ならばこれからずっと、隣であなたを支えて行きたいと私は願う。

でもね、愛しい私のヒーロー。
この夜はあなた次第。





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