「……行かないで」
「……もう大学生のくせして弟に甘えんなっつーの。マジでそろそろ兄妹離れしろよな」
「っ、なんでそんな――…、ッ……」
大きな瞳いっぱいに溜まった涙は溢れて、淡い桃色の頬を伝い濡らす。
その雫を拭ってやるのが弟として正しいのかそうじゃないのか、それすらもう分からなくて指先が躊躇った。
オレを思って泣くおまえのその感情は、一体どこからきてるものなの?
もし、この手を伸ばせばお前に届くのだろうか。
小さな肩を震わせる姿に、胸の奥にふわりと灯った熱。
ありえない。そう思いながらも口を開く。
「なぁ……おまえ何で泣いてんの?」
「……どうして分かってるくせに聞くの?」
「だっておかしいだろ、子供じゃないんだから……弟が家出るくらいで普通そんな泣く?」
おまえを姉だと思ったことなんて無かったように、おまえの中でもオレが弟じゃなければいい。
そんな願いにも似た期待を何度も、何度も抱いてた。
「……泣くよ。だってシンは私のたった一人の弟なんだよ?血が繋がってなくたって、留守にしがちなお父さん達よりずっと一緒にいたんだもん……寂しくて当たり前だよ……」
――そうやっておまえは、オレのほんのわずかな期待さえ砕いてしまうんだ。
「おまえって…、ほんと残酷だよ……」
「え……?」
届くこと無く床に落ちた声。
無意識に伸ばした手が、涙を拭っていた細い腕に触れる。
しっとりと柔らかい肌の感触に、届いてしまった――…と、頭の隅で思った。
ぐっと力の籠ったオレの手に驚いたリリカが見開いた瞳を向ける。
引き寄せられてバランスを崩し、小さな悲鳴を上げたその唇を深く割った。
「っ……んぅ…!」
数えきれない程想像した。何度だって夢に見た。
けれど実際に触れたリリカの唇は、思考なんか一瞬でぶっ飛ぶくらい信じられない程甘い。
潜り込ませた舌でお前の口内を探りながら、その甘い感覚に酔う。
分かってた。
「――ッ、ぃ…やっ!!」
パン、と室内に響いた乾いた音。
力いっぱい叩かれた頬の痛さより、肩で息をするおまえの姿に胸が痛む。
(……ごめん)
分かってたんだ。
リリカへの気持ちを自覚した、あのヒーローみたいな背中を見た時からきっと。
「……さよなら、姉さん」
部屋を出て、全身をどっと覆う重力に足がふらついた。
オレとおまえを遮るドアはたった板一枚の厚さで、けれど決してリリカの姿を見ることも、体温に触れることもできなくて。
この距離を大切にしていれば、おまえとずっと一緒にいられたのかな。
一瞬脳裏に過った考えに、すぐにそんなこと無理だと気付いて笑えた。
だっておまえのことが好きだから。
一度だっておまえを姉として見たことなんて無かったから。
弟になれなくて、ごめん。
好きになって、ごめん。
(……本当は、ずっと一緒にいたかったよ)
伸ばした腕が届いてしまえば、壊れるって――分かってたのにごめんな。
→御礼と後書き
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