「ん………。」
ふと目が覚めて、視界に入った天井が自分の部屋のものではないことに気付く。
懸命に記憶をたどるけれど、膜がかかったみたいにぼんやりした頭では思考がうまく働かなかった。
体を起こした途端ぐらりと世界が歪んで、咄嗟に伸ばした手が何かに当たる。
バシャッと液体が零れる音が部屋に響いた。
「お、おい、大丈夫かよ??」
耳に入った心配そうな声は聞きなれたもので、不安な気持ちがすっと溶ける。
「と、ら……?」
「急に起き上がんじゃねーよ。お前38度も熱あんだぜ?」
私の背中を支えてくれるトラ。
ここが彼のアパートであること、そして彼のベッドの中にいたことを理解する。
「あ、ごめんなさい。お水こぼしちゃった…。」
「んなこと気にすんな。かからなかったか?」
「…大丈夫……。」
間近で覗きこむ彼の澄んだ青色の目は、いつもより柔らかい光を灯していた。
「とにかくちょっと食って薬飲め。……ほら、熱いから気をつけろよ。」
「う、うん。」
トラが渡してくれたお皿からは、ほわりと温かな湯気が立ち上っている。
レンゲに乗せた雑炊を口に運ぶと、優しい香りと味が体中に沁み渡った。
何故か分からないけれど、その味が懐かしくて、そして苦しい程に切なくて。
鼻の奥がツンと痛くなる。
「………っ。」
「…、おい、どうした?何涙ぐんでるんだよ?」
「だって、トラが優しいから……。」
本当はそんな理由じゃないのだけれど、この気持ちをどうやって言葉に表現したらいいのか分からなかった。
「はぁ?お前な、普段オレが全然優しくないみたいな言い方すんじゃねーよ。」
少しだけ唇を尖らせたトラが何だか可笑しくて、今度は笑ってしまう。
泣いたり笑ったり忙しい奴だな。そう言った彼は私の頭をゆっくり撫でた。
その優しい手にまた涙が出そうになったから、私は彼の作ってくれた雑炊をまた一口食べて誤魔化す。
「うまいか?」
「うん、すごく美味しい…。」
「そっか、じゃあ食欲はあるみてーだな。」
にかっと歯を見せて笑う彼は、今日は本当に優しい。
病人相手なのだからこれが普通なのかもしれないけれど、そんなトラに私もつい甘えたくなってしまう。
「…よし、薬も飲んだしあとはよく寝とけ。」
「あっ……。」
空になったお皿を持って立ち上がろうとするトラの裾を、私は無意識に掴んでいた。
少し驚いたような表情で私を見た彼が、また優しく笑う。
「なーんだよ。撫子が甘えるなんて珍しいな。」
「………ごめんなさい。」
熱があるからといって甘えるなんて子供みたいだ。
我に返ると自分の行動が恥ずかしくなってしまった。
熱くなった顔を見られたくなくて布団を被れば、頭をそっと撫でてくれる大きな手。
胸の奥に甘い痛みが走る。
「謝ることじゃねーよ。風邪引いた時は人恋しくなるもんだろ?」
(…トラもそうだったのかしら。)
頭に感じる柔らかな感触と、胸を刺す痛みを感じながら思う。
親の愛情を受けることの無かったトラ。
幼い頃、きっと風邪を引いては寂しい思いをしていたのかもしれない。
想像すると切なくて堪らない気持ちになる。
「ずっとここにいてやるから、安心して眠れ。な?」
「……ん。」
だからこそきっと今のトラはこんなにも優しいのだろう。
(私も、トラにこんな優しさを伝えられているかしら...。)
伝えられていればいい。
心地好い眠気に誘われる中で、微かにそんなことを思っていた。
頭に伝わる彼の掌の温度。
苦しいくらいに大好きなその温度を感じながら、私はそっと目を閉じる。
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