円短編改造計画 | ナノ

sweetest


思わず持っていたトレーを落としそうになった。
それくらいに彼がここにいることが信じられなかったから。

「な、な、何で円がいるの???」
「何でって…、あなたのバイト先に迎えにくるのはいつものことでしょ。」
「ちがっ…、だって昨日の夜フランスから電話してきたのに、まだ帰れないって言ってたのに…!!」
「ああ、あの後すぐ用事が済んだのでそのまま帰ってきました。」

事も無げにそう言った円は、カウンター席に座ってマスターにコーヒーを注文する。
私はその様子を暫く混乱したまま見つめていた。

『フランスに新しくオープンする店舗の打ち合わせに行ってきます。帰国はまだいつになるか分かりませんが連絡しますので。』

そう円に告げられたのが2月の始めのこと。
メールや電話の様子でかなり忙しそうだと分かっていたので、今日の事はもう諦めていた。
実際昨晩彼から国際電話がかかってきて、もう2,3日は帰れないだろうと連絡を受けていたから。

今日は2月14日。

数日前からチョコレートは用意していたけれど、円とは会えないと知ってバイトを入れてしまったし、チョコだって家に置いて来てしまった。

「帰って来れるなら一言連絡くれれば良かったのに…。」

逢えると分かっていたら今日ちゃんと渡せたのに、そう思うと悔しい。

「何ですか、早く帰ってきたことが不満なんですか?撫子さん、あなたぼくに逢いたいとか思わなかったんですか酷いひとですね。」
「そ、そんなこと誰も言ってないでしょっ…!」

矢継ぎ早に捲し立てられて半ば反射的に否定する。
思わず必死になってしまった私を、彼はどこか満足気な表情で見つめた。
かぁ、と頬に熱が集まる。

分かっていてそんな意地悪を言う彼が憎たらしい。
それでも、どうしたって喜んでいる自分自身は隠し切れなくて。
だってこうして円の顔を見るのは二週間ぶりだから。

(逢いたくないわけ…ないじゃない……。)

お互い忙しいこともあって、二週間会えないなんてそんなに珍しくもない。
しかしメールや国際電話で彼と連絡をとる度に、すぐに会えない距離にいるのだと実感して。
この二週間、正直なところやっぱり凄く淋しかった。

「…そろそろ上がれると思うから、もう少し待っていてね。」

緩んでしまっているだろう頬を引き締めつつ、ひとつ咳払いをして。
ああ、もっと可愛い服を着てくれば良かった、なんて後悔しながら踵を返そうとすれば、く、と引かれる腕。

「服、着替えなくていいですよ。どうせすぐに脱ぐんですから。」
「―――っ!?な、何言ってるのよ???」

さらりと放たれた言葉に、一気に血圧が上がった。
誰かに聞かれなかっただろうか、と思わず周りを見回してしまう。
焦る私を少しだけ訝しげに見た円が、ああ、と呟く。

「違いますよ、用意してあるんです、あなたの服。」
「………え、服って…?」
「ぼくが勝手に選びましたから気に入るかどうか分かりませんが。」

そう言って円が隣の椅子に視線を落とす。
自然と目で追えば、置いてあったのはブティックの紙袋。
その隙間から少しだけ見えるのは、恐らく濃茶のワンピースだろうか。

「ここからだとあなたの家の方が近いですから、これに着替えたらまた出てきてください。」
「これ…、貰っていいの?」
「あなたに買ってきたんですから当然でしょ。」
「ありがとう、嬉しい……。」
「ま、どうせそれも脱がせますけどね。」
「?何か言った?」
「いいえ、何にも。」

そう言って、私の手をまるでダンスのエスコートでもする様に取った円。
真摯な仕草に、ドキンと心臓が跳ねた。
私の指先に円の吐息がかかって、お互いの視線が重なる。

「…今日はバレンタインでしょ?疲れているとは思いますけど、食事くらい付き合ってもらえませんか?」

どこか恭しく、穏やかな声で紡がれた言葉。
それはいつもみたいに私をからかうものではなくて。 
大好きな恋人からの、甘い御誘い。

疲れているのは円の方なのに、どうしてこの人は時々こんなにも私を甘やかしてくれるのだろうか。

胸が詰まってうまく言葉が出てこなくて、私はただコクコクと頷く。
そんな私に、彼は柔らかく笑ってくれるからまた胸がいっぱいになってしまう。

チョコレート色のワンピース。
これを、円はどんな気持ちで選んだのだろう。
そんなことを少し想像するだけで嬉しくて泣きそうだった。

「……食事、円のパスタがいいわ。」
「…別に構いませんけど、いいんですか?バレンタインにそんな食事で。」
「私、明日は講義無いから……、だから…。」

ここはバイト先で、周りには同僚やお客様がいて、私は手にトレイを持っていて。
分かっているのに、今はもうそんなこと少しも気にならない。

大好きな恋人に、甘い御誘い。

円の瞳が、ス、と薄く開いて。
覗く、艶っぽい紫水晶。

「ぼくの部屋に来たら帰せないですよ、いいんですね?」
「………ええ。」
「二週間ですからね、たぶん離せないですよ、…いいんですね?」
「………………。」

意地悪な笑みを浮かべては、私に問う。
肯定すると分かっているのに、このひとは私に言わせたがる。

「……私だって離せないわ。お互い様よ。」

叩き付けたのは甘過ぎる挑戦状。
円は一度瞳を瞬かせて、そして笑みを深めた。


恋人同士が愛を誓う、この日。

バレンタインの火蓋は切って落とされた。

今宵、大好きなあなたに。
最上級の甘さを。





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