私服に着替えて店を出ると既に女性達はいなくなっていた。
壁に寄り掛かるように立っていた円が、遅いんですけど、といつも通り文句を一言零す。
円がいつも車を停めている場所まで歩くイチョウ並木の歩道。
私の手を引いて少し先を行く、そんな円の後ろ姿を見ながらゆっくり歩く。
黒い夜空にコツコツと響く二人分の足音が耳に心地好い。
円と過ごす、こんな穏やかな時間が好きだ。
円髪の毛伸びたなぁ、なんてぼんやり考えていると、クイッと手を引かれる。
突然詰まった円との距離に、心臓がトクンと一つ音を立てた。
「マスターには気をつけてください、不用意に近づかないようにして会話も必要最低限にしてください。」
「……………。」
鼻と鼻が触れるような近さで、一息にそう言った円。
思わず脱力する。
「…円、あなたこの間岩田さんのことも全く同じように言ってたわよね?」
岩田さんはたまにシフトが重なる2つ上の男性で、彼には気を許すなとやはり円が言ったのは、つい先週のことだった。
「だってあの人完全に撫子さん狙いだったでしょう、あなた鈍いから変に期待させたら困るじゃないですか。」
「にぶ…。円はちょっと考えすぎだと思うわ。」
「現に告白されてるでしょう。」
「………一人だけじゃない。」
確かにバイトして二週間目に同い年の人に告白されたけど、確かにその人には気をつけろと円に言われたけど。
「店員にはぼくが迎えに行くことで牽制できますけど、客までは難しいですから撫子さんにしっかりしてもらわないと。」
「……何よ。自分だって女の人と楽しそうにしてたじゃない。」
「は?」
言ってしまってハッとする。
こんなことを言うつもりはなかったのに。
細い目を開いて、じっと私を見つめる円の探るような視線に堪えられず、俯いてしまう。
「女の人って、さっきの見てたんですか、趣味悪いですね。」
「なっ…!」
溜め息混じりに言われて、カッと頭に血が上る。
そんな言い方は無いと思う。
見たのはたまたまだし、円だって素直に言わないけれどすごく独占欲が強いくせに。
そうまくし立ててやろうと俯いた顔を上げると、憎たらしい言葉とは裏腹に、酷く優しい目が私を見下ろしていた。
かぁっと一気に体温が上がって、文句を紡ぐ予定だった口はただパクパクと動くだけで声を失ってしまう。
「珍しいですね、あなたが嫉妬するなんて。」
ふっと柔らかい微笑みを浮かべながら、円の細長い指先が私の頬を滑った。
くやしい。
結局いつも円のペースで、こんなふうに愛しげに見つめられて、こんなふうに甘やかな仕草で触れられてしまえば、私の心はすぐに緩んでしまうのだから。
「…嫉妬なんて大袈裟なものじゃないわ。ただ…、ちょっと、面白くないとは思った、けれど……。」
悔しさと恥ずかしさで尻窄みになる言葉。
これ以上ないくらいに顔が赤いのが自分でも分かる。
私を見下ろしたまま無言の円。
もうこの状況に堪えられなくて、気まずい空気を振り払うように早足で歩き出した。
大きく一歩踏み出した足が地面に着く前に、ぐっと後ろから強く腰を引き寄せられ、私はそのまま倒れ込むように円の胸の中へと収まっていた。
「ちょ…―――っん!」
振り返るように顎を掴まれて、文句を言う間もなく奪われた唇。
重なったと思うとすぐに円の熱い舌が入り込み、私の口内を掻き混ぜる。
「……っふ……んん……。」
お腹に回された手の下辺りがゾクゾクと震えて、膝の感覚が無くなっていく気がした。
いくら夜遅い時間で人がいないと言ってもここは公道なのに、とか。
掴まれた顎が痛い、とか。
そんな文句が頭の中で蕩けてしまった頃、チュッというリップ音と共にやっと唇が解放される。
「……どういうつもりよ。」
腹立たしい程満足気な笑みを見せる円を睨みつける。
「いや、不服そうなあなたが可愛かったのでつい。」
「…っその嗜好どうにかならないの!?」
無理ですね、とサラリと返し益々抱き寄せる円。
足でも踏み付けてやろうかしらと思いつつも、背中越しに伝わる円の体温は心地好くて、つい身を任せてしまう。
「彼女達には、恋人がいるからと丁重にお断りしていただけですよ。」
大人しくなった私の耳元で、ぽつりと円が言った。
「………ふぅん、それにしては随分と楽しそうに見えたけれど?」
あぁ、可愛くない。
どうして私はこんなに意地っ張りで素直じゃないのだろうか。
円はハッキリと恋人宣言してくれたというのに。
自己嫌悪で顔が上げられないでいると、円は抱き寄せていた腰を離して、再び私の手を取り夜道を歩きだした。
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