王様と女王とぼく
『お願い!離してっ!!鷹斗っ、…鷹斗!!!』
「―――っ!!」
弾けるように身体を起こせば、古いベッドがギシリと軋んだ音を立てた。
嫌な汗が首筋を伝って、またあの時の夢を見たのだと理解する。
深い息を吐き、顔を手で覆う。
今でも耳に残って離れない、悲痛と言うにはあまりにも壮絶な叫び声
一体いつまでこの悪夢に魘されるのだろうか。
内側から叩かれるような激しい鼓動を感じながら、きっと終わりなど無いと悟る。
CZを統率していたキングが落命して、政府は事実上解体となった。
今はもう政府の監視もない、ただ、壊れているだけのこの世界。
反政府組織で最も過激派であり力があった有心会により、世界はこれから形を変えていくことになるのだろう。
CZ政府の科学力がなければ復興にも相当の時間を要する。
窓の外に広がる色のない景色をぼんやりと見つめながら、暫くこの国は荒れるだろう、そんなことを思っていた。
「円、朝ごはんの支度ができたわよ。」
「え、…あ、すぐに行きます。」
扉の向こうからかけられた柔らかい声に、ふと我に返る。
気がつくと、リビングからはバターの溶けるいい香りが漂ってきていた。
全身で抵抗する彼女を無理やり連れてCZ政府を後にし、共に生活を始めたぼく達。
彼女が朝ごはんをつくり、ぼくを起こす。
こんな生活が日常となり始めて、もうすぐ半年が経とうとしていた。
「円…、もういいのよ。」
朝食を食べ終え、紅茶を飲んでいた彼女がぼくにそう言う。
何が、なんて聞かなくてもその意味をぼくは知っていた。
だから何も知らないふりをして返事をする。
「お茶のおかわりですか?そうですね、流石に飲みすぎかもしれませんね。」
「…分かっているくせにはぐらかさないで。私はもう大丈夫だから、円は無理して私の傍にいることないのよ。」
何度言われたか分からない、彼女は毎日のように同じ言葉を繰り返す。
あの時、鷹斗さんが有心会の構成員に撃たれた時、彼はぼくに彼女を託した。
ずっとぼくを鳥籠に閉じ込めていたキングが最後に残したものは、彼女を守って欲しいという懇願の言葉と、ぼくへの謝罪の言葉だった。
「…もう鷹斗はいないんだから……。」
「…………。」
ぼくを縛り続けた王様はもういない。
だから自由になってもいいのだと、ぼくの好きな場所へ羽ばたけばいいのだと、この壊れた世界に一人残された女王は言う。
「円は央を探したいんでしょう?政府が陥落した今なら普通に外を歩けるのだから。私のことはもう気にしなくていいの。本当に大丈夫だから。もう、行って?」
けれど、もうぼくにとっての鳥籠はキングのものではなかった。
この世界へ来た頃よりも大分細くなってしまった腕をそっと取って、指で撫でる。
「……撫子さん、あなたもう少し量を食べた方がいいですね。これじゃいざという時に体力が持たないでしょ。」
「円………っ…。」
指先にキスを落とせば、ふわりと赤みが刺す白い肌。
あの日、彼女の心は死んでしまったのだと思った。
彼女の時は止まってしまったのだと。
しかし季節の移り変わりすら知れないこんな世界でも、やはり時は流れている。
緩やかに流れる時は、彼女の記憶を淡く染め上げ、心に負った生々しい傷を静かに癒していった。
この感情が同情なのか愛情なのかは分からない。
しかし確かに言えるのは、今ぼくを捕えているのは彼女への想いだった。
指先にあてた唇を、手の甲へ、そしてそのまま腕へと滑らせる。
赤く潤んだ瞳にふと暗い影が差して、そのまま床へと視線が落ちた。
今彼女は、あの人のことを考えているのだろう。
ぼくを受け入れる自分自身を恥じ、罪悪感に苛まれている。
そんな彼女の姿を見て、ぼくは知る。
結局、キングの鳥籠から出ることなんてできていないのだと。
頭の中に響く、王様の最後の言葉。
息絶える瞬間に謝罪の言葉を残して言った彼は、なんて狡猾で残酷なのだろう。
(…本当にやっかいな人ですね。鷹斗さん……。)
彼女に捕らわれたキング。
キングに捕らわれた彼女。
その二人に捕らわれたぼくに、逃げる場所なんてなかった。
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