来月から、央がパリへ1年間短期留学する。
まだ十代半ばの私達にとって1年という期間は長い。
円はきっと、今までそんなにも長く央と離れていたことは無いだろう。
ずっと央と一緒にいた円だから、私は彼が心配だった。
ケーキを切り分ける円の様子をチラリと窺うが、いつも通りの無表情からは何も読み取ることができない。
「そういえば撫子、お前は留学の話どうしたんだよ。蹴ったのか?」
「え?あ、ええ、今回はやめておいたわ。」
円に意識を集中し過ぎていて、理一郎への返事が遅れてしまった。
一度理一郎に向けた視線を再び円に戻すが、彼は先程と変わらずケーキを切り分けている。
(円、やっぱり落ち込んでるかしら…。見た目には普段と変わらないけれど。)
「1年かー、央がいない間は円寂しくなっちゃうね。」
私が言い出せなかった事を鷹斗はすんなり言葉にする。
固唾を飲んで円をそっと見守ると、彼は口元だけで微笑んで「そうですね。」そう一言返しただけ。
また胸を掠める違和感。
円の表情は、まるで寂しいなんて思っていないように見えた。
「こやつには撫子がおるからな。寂しかったら慰めてもらえば良いであろう。」
「うん、そうだよね。撫子が傍にいれば寂しくなんてないよね。」
「まぁその通りです。」
「おい、さらりとのろけるなよ…。」
顔を真っ赤にして恥ずかしがる私を余所に、彼はしれっとした態度で皆の冷やかしを受け流す。
悪友達の発言をいちいち真に受けたりしない、彼は大人だ。
私と違って……。
円がカットしてくれたケーキを一口頬張れば、珈琲風味のビターなシロップがジュワリと広がる。
央のスイーツを食べているのに全然幸せな気分になれない。
モヤモヤした感情が渦巻いて、やり所の無い苛立ちへと変わっていく。
素直じゃなくて、天邪鬼で、可愛くないけど可愛い円。
そんな彼とずっと一緒にいた筈なのに、ずっと隣を歩いていた筈なのに。
いつからか彼は、私のずっと先を歩いていた。
寂しいとも悔しいとも違う複雑な感情。
それを振り切るように、また一口ケーキを頬張った。
「そういや円、お前中等部にファンクラブができたらしーじゃん。」
唐突に放たれたトラの一言に、フォークを持つ手がピクリと揺れる。
「ファンクラブ?お前そんな大層な物作ったのかよ。」
「………ぼくが自分で作るわけないでしょう。」
「へぇー。確かに、円は皆の中で一番変わったもんね。凄く格好良くなったよね。」
「ふむ。口数少ない物憂げなくーる男児。それでいて趣味はジュエリー製作という繊細な一面を持つ。
ぎゃっぷ萌えというやつだな。」
嫌な話題だ。聞きたいけれど聞きたくない。
「ちょ、皆…!撫子ちゃんがいるんだよ?」
央が話題に割り込むようにして小さく言った後、私を伺うように視線を向ける。
彼は高等部に上がってから、本当に大人になったと思う。
この自由過ぎるメンバーの中で、唯一空気を読めるのは彼だけと言っても過言じゃないだろう。
「そ、そっか…。撫子的にはいい気しないよね。ごめん、撫子…。」
「何でだよ、自分の彼氏がもててんだから悪い気しねぇだろ?」
「え、ええと………。」
皆の注目が私に集まってしまい、思わず狼狽える。
肯定すればいいのか否定すればいいのか分からず、言い淀んでいると、
円が少し大袈裟な溜息を吐いた。
「撫子さんはそんなくだらないこと気にしたりしませんよ。」
(…………くだらないこと?)
どこか面倒そうに言い放たれたその言葉に、私の中で何かがプチンと音を立てて切れた。
「…どうして円が勝手に決め付けるのよ……。」
「……はい?」
「気にするか気にしないかは私が決めることでしょ?
円が私の気持ちを勝手に決めないで!」
堰を切ったように零れ出す言葉は、自分でも止められない。
どうしても嫌だった。我慢なんてできなかった。
言いたいことを我慢するのが大人だというなら、私は大人になんてなれない。
「くだらないことなら教えてくれればいいじゃない!
何よ、自分ばっかり大人になっちゃって!
背もそんなに高くなっちゃったし目も細くなっちゃったし声も低くなっちゃったし!
円なんか!円なんかっ……!私は無理だもの!!」
途中から自分でも何を言っているのか分からなかった。
はぁはぁ、と息を荒げる私を全員がポカンと見つめている。
溜まっていた物を全部吐き出してしまったからだろうか、
体がふわふわと浮くような感覚がして、何だか気分が良かった。
「…トラさん、撫子さんにアルコール飲ませましたね。」
「なんでオレだよっ!飲ませてねぇよ!」
「だってどう考えてもアルコール入った人間の発言でしょ。目据わってますし。」
「…えっと円。ケーキに珈琲リキュール使ってるんだけど、まさか、ね…。」
「……撫子さん、弱いにも程があるでしょう………。」
円達の会話がどこか遠くに聞こえる。
靄がかかった様な視界の中に彼が見えて、思わず手を伸ばした。
そっと触れる指先。
優しく包み込む様にする少しだけ冷たい彼の手は、私のよく知っているもので。
3年前からずっと変わっていないその温度に、何故か涙が溢れた。
prev /
next