キスマーク
ズキッと頭を走り抜けた痛みに、起こそうとした体が停止する。
(うっわ…、完璧に二日酔いだ…。)
昨晩飲んだアルコールは体内でアセドアルデヒトに変わり、頭痛と吐き気を誘発させていた。
昨日は任務が思ったより早く済んだ為、ワインでも買って帰って名無しちゃんと飲もうかななんて浮足立ちながら待機所へと向かった。
ドアを開ける寸前、中が嫌に騒がしいことに気づき、面倒を避けようと踵を返したが遅かった。
(くそっ…、あの髭…。俺を巻き込みやがって。)
アスマに引きずられる様に入った待機所には、また失恋しただの何だのと大騒ぎするコテツの姿。
慰めて下さい、なんてただ単に飲み代をたかろうとしているだけだろうに、運悪く居合わせてしまった俺は結局そのままコテツに付き合わされたのだった。
(それにしても、だいぶ飲んだな…、飲み屋に着いてからの記憶が曖昧だ。)
飲んで記憶を無くすなんてどれくらいぶりだろうか。
もういい年だというのに情けない話しだ。
胃のムカつきも少し治まり周りを見渡せば、太陽の位置がすっかり高い。
名無しちゃんの気配を探ると、ベランダで洗濯物を干しているようだった。
突然後ろから抱き着いちゃおうかな、と悪戯心にそう思い、ふと自分の酒臭さに気づく。
これでは彼女に嫌な思いをさせてしまうから、とりあえずシャワーを浴びることにした。
熱いお湯を頭から浴びると、少しずつ酔いが醒めていく。
湯気で曇った鏡を手の平で拭き、映った自分の姿にぎょっとした。
「なっ…!?」
耳の下から鎖骨にかけて、かなりの数の鬱血跡が、まるで花びらでも散らしたかのようにあったのだ。
(コレ、どう見てもキスマークだよね…?何だこの数、名無しちゃんがこんなことするか??)
赤黒くて痛々しく見えるキスマークに、頭がグラグラと混乱する。
嫌な汗が背筋を伝って、うまく思考が働かない。
とにかく落ち着かなければと、シャワーをお湯から水に切り替えて頭を冷やす。
どう考えても、名無しちゃんが付けたとは思えない。
行為の最中いつも俺が散々散らす紅い跡を見て、自分もしたいと必死になる彼女。
しかしうまくコツが掴めない名無しちゃんは、毎回悔しそう頬を膨らませていた。
(あの必死さが可愛くって、見てるだけで腰にクるんだよねー。)
思わずにやけてしまった自分の頬を叩く。
そんな邪なこと考えてる場合じゃないだろう。
気を取り直して昨晩の記憶を一から辿る。
飲んだ面子はコテツ、アスマ、ライドウ、俺の四人。
いつも通り、待機所から5分程の酒々屋で始まった飲み会。
コテツの失恋話しを聞き流しつつも、野郎同士の飲みは久しぶりで、何だかんだ楽しかった…気がする。
記憶を辿るうちにハッと気が付く。
(そういや中忍のくの一に声をかけられた…!)
心臓がバクバクと激しい音を立てて、耳鳴りに似た感覚がする。
まさか。
まさか。
(いや、そんな筈ない!)
今でこそ名無しちゃん一筋の俺だが、昔はかなり素行が悪かった。
有り得ない。
そう思いたいのに、自分の事を信じ切ることができない。
(あぁぁっ、何でシャワー浴びちゃったんだよ!匂いで分かったのに!)
酒の匂いで鼻が馬鹿になっていたのだろう。
普段であればキスマークを付けた人間の匂いが判別できたというのに。
どんなに考えても、どうしても思い出せない。
名無しちゃんは何があったか知っているのだろうか。
このキスマークを見たのだろうか。
……俺は、名無しちゃん以外の女性を抱いてしまったんだろうか。
(――っ吐き気がする。)
もしそうだとしたら、俺は自分が許せない。
それよりも、きっと名無しちゃんも俺を許してなんてくれない。
「名無しちゃんっ……!」
嫌だ。
絶対に嫌だ。
名無しちゃんと別れるくらいなら、いっそ俺を殺してほしい。
彼女を失うなんて、どうしたって耐えられそうにない。
うまく呼吸ができない。
ザァッと音を立てて降る水のシャワーを浴びて、俺の体は冷えきっていた。
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