待機所の扉を開ければ、思った通り気温はぐっと上がっていた。
町中にポスターを貼るよう言われたので、まずは待機所の外にと壁の埃を雑巾で拭く。
金色の丸い画鋲が何だか懐かしいな、なんて微笑ましく思いながらポスターを壁に合わせた時、背後から聞こえてきた甲高い声。
「そんな低い位置に貼る?普通。」
「届かないなら脚立くらい使えばいいのにね、ほんと気がきかない女ー。」
視線だけをちらりと向けると、そこには数人の忍服を着た若い女性が立ち話をしている。
(…はぁ。またですか……。)
心の中で深い溜息を零した。
この女性達は数日前からちょくちょく待機所の外で見かけるようになり、私が一人で外に出ると必ず聞こえるように陰口をたたく。
始めは理由も言っている意味も分からなかったが、何度目かの陰口でカカシという言葉を拾って全て悟った。
お約束もお約束、きっと私はカカシさんのファンのやっかみに合っているのだろう。
(まぁ、影口だけだったら気にしなければいいし。)
私は本来負けず嫌いで頑固な性格なので、こういった理不尽なことに対して我慢するのは本意じゃない。
本意じゃないし癪だけれど、カカシさんに迷惑が及ぶことだけは絶対に避けたいから、とにかくただ黙って耐えていた。
「あいつ無視かよ、すごい生意気なんだけど。」
「目ざわりなんだよ、チビが。」
「カカシさんが優しいから調子乗ってんでしょ、勘違いしてさー。」
(………むかつく。)
湧き上がる怒りに必死に耐えようとグッと拳を握ったとき、不意に階段の上から男性の声が降ってきた。
「お前ら、一般人相手に恥ずかしい真似してんじゃねーよ。」
少しだけ乱暴な言い方に驚いて見上げれば、その声の主はゲンマさんだった。
彼は腕を組んで壁によっかかりながら、女性達を見下すようしている。
口に咥えた細い銀の棒がゆらりと揺れていた。
相当驚いたのだろうか、女性達は蜘蛛の子を散らすかのようにその場を離れていった。
その姿を見送り、私はゲンマさんにお礼を言おうと視線を向ける。
初めて見る彼の威圧的な目に少しだけ怯んでしまったけれど、真っ直ぐ向き合って頭を下げた。
「あの…、ゲンマさん、ありがとうございました。」
「あんたも言われたい放題だな、なんか言い返せば?」
呆れたように言われてカチンとくる。
言い返さないのはこちらの意思なのだし、そんな風に言われる筋合いはない。
反射的に出てきそうになった抗議の言葉をぐっと飲みこんで、にっこりと笑顔を作って見せた。
「……時間と体力の無駄ですから。」
こんなことでいちいち腹を立てるのは悔しいから、精一杯爽やかな笑顔を彼に向ける。
そんな私を見て彼は一瞬眼を見開いたと思うと、突然大きな声で笑い出した。
「あっはっは!あんた、見かけによらず気ぃ強えな!おもしれぇ!」
何がそんなに可笑しかったのだろうか。
馬鹿にされているように思えて、私は益々カチンとしてしまう。
隠しきれなかった不満に気付いた彼は、喉の奥でククっと笑いながら私の頭をクシャクシャと撫でた。
その手が思いの外優しかったことに面食らってしまう。
「そんな顔すんな、ほめてんだぜ?あんたいい女だよ。」
「へ……?」
予想していなかった彼の言葉に、一瞬の間の後、顔に一気に血が集まった。
グシャグシャになっちまったな、と髪の毛を手ですきながら整えるようにされて、私は気をつけをしたまま固まってしまって。
「雅美、だったよな。俺雅美のこと気に入ったぜ。」
頭にあった手がそのままスッと頬に下りて、反対の手で咥えた千本を取る。
そのまま流れるように自然に近づくゲンマさんの顔。
その一部始終をついぼーっと見つめてしまい、はっと我に返る。
(ち、近い!!)
私はいつの間にか爪の跡が付くほどに握り締めた右の拳を、咄嗟に思い切り彼に向かって繰り出した。
しかし流石は上忍、一般人である私の攻撃など当たるわけもなく、パシッと簡単に受け止められてしまう。
ゲンマさんはフッと笑って顔を離すと、再び千本を咥えた。
「そんな拒否んなよ、雅美。」
「な、な、な……!」
文句を言ってやりたいのに、頭は真っ白で何も言葉が出てこない
「はは!お前随分と純情だな!」
「ゲ、ゲンマさんっ!からかわないでください!!!」
なんとか声を絞り出して抗議すると、彼は私の目をじっと見つめてぽつりと言う。
「ゲンマ。」
「は、はい!?」
「さん付けなんて固っ苦しいだろ、ゲンマって呼べよ。あと、敬語も使うな。」
「む、無理ですよ!」
本当に意味が分からない。
彼の言葉に頭の回転が全然ついていかない。
ブンブンと頭を振って答える私の頬を、フニっと抓ってゲンマさんは不敵な笑顔を見せた。
「…言うこときかねーと、今度は本当にするぜ?」
「―――っ!」
再度顔を赤く染めて固まる私。
フッと眼を細めて柔らかく笑ったゲンマさんは、またな、と言ってその場を後にした。
去っていくゲンマさんの後ろ姿が遠くになった時、全身の力が抜けたようにそのまま座り込んでしまう。
(なんだったの、一体……。)
ドクドクと高鳴る鼓動がうるさくて、思わず胸をぎゅっと抑えた。
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