何も話そうとしない彼に、不安はどんどん募っていく。
頭をよぎる最悪なシナリオ。
早く知ってしまいたい気持ちと、知りたくない気持ちが葛藤している。
続く沈黙に緊張が限界まで高まり、もうカカシさんの顔を見ていられなかった。
唇をぎゅっとかみ締め俯くと、ふわっと温かい何かが顔を包みこむように触れる。
「そんな顔しなーいの。」
顔を上げれば、眉を下げて眼を弓なりに細めるカカシさんが私の頬を両手で覆っている。
その手のひらの温度と漆黒の瞳が、少しだけ緊張を解いてくれた。
「雅美ちゃん、今から俺が話すこと、よく聞いてね?」
酷く真剣な表情でそう言ったカカシさんが聞かせてくれた話しは、
私を深く暗い闇の中へと落とした。
帰れない。
もしかしたらそんな可能性もあるのではないかと思っていた。
でも、自分の身体が消滅してしまうかもしれないなんて、そんなこと考えたことも無かった。
(お父さんとお母さん、心配してるだろうな…。会社、無断欠席だし…。)
ショックで頭が働かない。
ボーっとした頭で元の世界のことを考えていると、眼が熱くなっていくのが分かる。
懸命に瞬きを堪え、涙が流れてしまわないように身体に力を入れた。
泣きたくなかった。
泣いてしまったら、その事実を受け入れてしまうようで怖かった。
その事実に押しつぶされてしまいそうで、怖かった。
必死に涙を堪えている彼女を見て、ふと思い出す。
この世界に来てしまってから、雅美ちゃんは少しも涙を見せない。
こんな小さな体に全ての不安と恐怖を貯め込み、ひとり耐えている。
そんな彼女の姿が痛々しくて、胸が軋んだ。
「雅美ちゃん…、大ジョーブだよ。」
いつもと変わらない口調で言えば、彼女は怪訝そうに俺を見上げた。
この状況でどうして私に向かって大丈夫だなんて言えるのか、瞳だけで彼女の気持ちが伝わってくる。
「雅美ちゃんの胸の術式、ソレね、俺の先生だけしか使えない技なんだ。」
「……先生?」
「うん。でもその先生はもう死んじゃってるんだけどね。」
「!!?死ん…、じゃ、じゃあどうして??」
「先生は本当にすごい忍だった。
優しくて、でもちゃんと厳しくて、俺に色んな事を教えてくれた。今でも本当に尊敬してる。」
雅美ちゃんが俺のベッドに現れた時のことを思い出す。
本当に一瞬だったけど間違いない、あれは先生の気配だった。
「ま、ちょっと変わったヒトだったけどネ。」
ふっと笑うと、彼女の瞳がゆらゆらと揺れた。
小さく震える手を、そっと握り締めて言葉を続ける。
「先生が俺に何を伝えたかったのかはまだ分からない。
でも、先生は俺と雅美ちゃんを引き合わせた。時空を超えてまでネ。
だから俺は…、雅美ちゃんが無事に帰れるまで、
命を懸けて雅美ちゃんを守るよ。」
握り締める手に力が篭もると、雅美ちゃんの眼から涙が零れた。
涙は関を切ったように次から次へと溢れ出す。
彼女は嗚咽を漏らし、肩を震わせて子供のように泣いていた。
この子を守らなければならないという使命感。
これは任務だからなのだろうか、こんなにも胸が熱い。
こんなことは初めてだった。
護衛に命をかけるのは当たり前で、何度となく経験してきた筈。
しかし、今目の前で泣きじゃくる彼女に対して言ったこの言葉は、今までと何かが違う気がした。
先生。
あなたのことだから、きっと何か意味があるんでしょう?
だから守るよ。
必ず。
そんな優しい言葉、今まで生きてきて、誰にも言われたことがなかった。
命を懸けて守るだなんて、普通なら怪訝な眼を向けてしまいそうな大袈裟な言葉。
しかし、それを告げるカカシさんの目は真剣そのもので、私の張り詰めた糸を簡単に切ってしまった。
子供みたいに声を上げて泣く私の頭を、カカシさんはずっと撫でてくれる。
この人を、カカシさんを信じていれば大丈夫。
自然とそう感じ、今までやりどころのない不安に押しつぶされそうだった心は、
涙が止まるころには嘘のように穏やかになっていた。
「…カカシさん、ありがとうございます。」
「お礼なんていいよ、俺がそうしたいだけだからサ。」
お互い顔を見合わせて、微笑みあった。
穏やかで温かい空気が、二人の間に流れていた。
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