大学の自習室で勉強をしていたら、窓の外がいつの間にかオレンジ色の夕日を背中に黄金色に染まっているのにふと目が止まった。
それにぼんやりと見とれて、時計をちらりと一瞥すると、いつも決まって乗っている電車の時刻が迫っていることにやっと気がついた。


「あと10分で自習室閉めますからね」


事務のおばちゃんの声で自習室を出ることにしてるのはいつもの習慣だ。
他の人も同じようで、ごそごそと帰りを支度を始めている。
ペンケースとノート、参考書を鞄に押し込んで自習室をそろそろと退室した。



定時の電車に乗って下宿先のアパートのある駅で降りた。
小ぢんまりとした下町であるが、私は結構気に入っている。
アパート近くのスーパーで夕飯の材料を買うために向かっていると、道のど真ん中で観衆がぞろぞろと群がっていた。
なんの騒ぎだろう、とその観衆の中へ興味本意で近づいてみた。


「なんの騒ぎですか?」


観衆の中にはアパートの大家さんであるおじいさんもいて、わたしは尋ねた。


「喧嘩喧嘩。若い男の子たちがね。二対一で」
「喧嘩?なんでまた」
「儂にもようわからんがね」
「それがねわたし初めから見てたからわかるんだけど」


お喋り好きのおばさんが一人、私たちの間にぐいっと割り込んできた。
おばさんは近所のあれやこれやな噂に精通している、この下町界隈の情報屋である。


「二人組の男達が道に空き缶をポイ捨てして、でも結構強面だったから私達何も言えなくてねぇ。そしたら男の子が『拾え』って注意してね、それで喧嘩になっちゃったのよ」
「はぁ」
「実に下らん話だねぇ。最近の若者は道に空き缶を捨てるのかい」
「わっわたしを見ないでくださいっ」
「冗談だよ冗談。でも、その男の子、偉いねぇ。勇気があるんだねぇ」


そのとおりである。
強面の男二人組に注意、あまつさえ命令系で「拾え」だなんてよっぽどの勇気である。
それは勇気ではなく、単なる無茶と無謀ともとれるかもしれないけれど、私なんかがそんな偉そうなことは言えない。
観衆の間から覗いてみると本当に強面の、そして見るからに筋肉の素晴らしい男が二人いる。
一方勇敢なお兄さんはこっちに背を向けていて顔はよくわからないが、しかし長身ではあるがなんと細身だ。
あんな筋肉に喧嘩で勝てるとは到底思えなかった。


「大家さん、これはやばいですよ、お巡りさん呼びましょうよ」
「さっき誰かが呼びに行ったんだ。時期に来るよ」


話しているとすぐにお巡りさんが笛を鳴らして駆けつけた。
若い二人組はそれに気づいて咄嗟に逃げていった(空き缶も一緒に持って行った)。
するとみんなが勇敢なお兄さんに群がって、凄いねぇとか頑張ったねぇこれ食べてとか、世話を焼き始めた。
さすが下町。おじいさんおばあさんの押しは強い。
お巡りさんには情報屋のおばさんが「悪いのは二人組の男達で、彼じゃないです」と弁明してくれたようで、勇敢なお兄さんにお咎めはないようだった。


「お兄さん怪我してるじゃないの」
「誰か消毒液と絆創膏家から持ってきてくれねえか」


私は、たまたま鞄の中に消毒液やら湿布やら絆創膏やらがあるのを思い出した。
朝寝坊をして、あわてて部屋にあったものを適当に突っ込んできた時にまぎれたらしのだ。
朝の私グッジョブ、と私は勇敢なお兄さんの元へ近づいた。


「私持ってます」
「おお、貸してくれるかい」
「はい、あっ、私貼りますよ」


鞄から消毒液と絆創膏を取り出した。勇敢なお兄さんの前に回りこみ、消毒液をしゃかしゃかと振る。
怪我をしているのは周りががやがやと言っているので、手の甲と口元だとわかっていた。


「すみません、手、出してくれませんか」
「……」
「あの……」


勇敢なお兄さんが手を差し出してくれない。
も、もしかして余計なお世話だったかな、と不安が頭を過る。
そっと勇敢なお兄さんの顔を恐る恐る覗いた。勇敢なお兄さんは怒っているわけではないようだった。
ただなぜか放心している。顔が呆けていて、しかし私をじっと見つめている。
私が何かしただろうか、または私の顔に何かおかしなところでもあるのだろうか。
強い眼差しにたじろぐが、私は一つ不思議なことに気がついた。

私は勇敢なお兄さんの顔を知っている。
何故だかは今一つわからない、だがしかし、私はこの人を知っている。
何のデジャヴだろうか。
訳がわからないけれど、これは単なる思い違いではないことは確かであった。
私も勇敢なお兄さんの顔をじっと見つめ返した。


「もしかし、て」


勇敢なお兄さんはぽつりと言葉を溢した。
言葉を溢したと同時に、眉を吊り下げて不安と悲しみと喜びを入り混ぜたような複雑な顔をした。
私はもう少しで何かがわかりそうで、でもわからなくて、勇敢なお兄さんの顔を見つめることしかできずにいた。

勇敢なお兄さんはそろりと私の右頬に片手を滑らせ撫でて、いきなり抱き締めてきた。
細身のお兄さんだったが、力は強い。
骨を折らんとばかりに私をぎゅうぎゅう抱き締めた。


「やっと見つけたぞ」


私はこの抱き締め方を知っている。
この体の感触を知っている。
私は、『私』はこの人を知っている。
このお兄さんが『戦国武将』と同じ顔をしているのだと解ったのは、お兄さんが私の名前をいとおしそうに呟いた時だった。

2010/12/06/Web

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