紅い月


年に何度か真っ赤な、それこそ血に塗れたような紅い月が浮かぶ。
それは神秘的でいて何処か不気味に浮かぶ。人々は太古の昔からその月を見て、時に魅了され時に怖れてきた。
そんな紅い月に関して、こんな昔話があったのを思い出す。

『紅い月が浮かんだ時、それは月が餓えている証拠。

紅い月が浮かんだ時は自分の本当に大切なものを隠しておきなさい。

隠しておかないと月に奪われてしまうから―。

月に一度奪われたものは二度と返ってはこない。だから、紅い月に奪われてしまう前にきちんと隠しておきなさい。』

ある地域では紅い月の浮かぶ日、生贄を一人差し出す風習があるらしい。
紅い月は血を欲していると称し、災いを怖れた人間の狂気の果て。

「つまり・・・紅い月の浮かぶ時、村人の誰かの大切なものを月に代わりに献上するのだ。災いを被る前に・・・・。しかし、その誰かの大切なものは奪われてしまう。そしてそれは・・・二度と返ってこない。」

作法委員会に与えられた委員会専用の部屋で作法委員長、立花仙蔵は言った。部屋を照らす光が静かに揺れる。
夏は終わったというのに、季節外れの怪談話をしているような雰囲気が部屋を包み、他の委員たちは怯える者が居たり、さして興味がないと視線を明後日の方向へと向けていたりしていた。
紅い月が浮かぶのは何故だ、と言う後輩たちの話を聞いていた仙蔵は、面白そうに口元に笑みを作ると以前、本で読んだ内容を話し始める。

紅い月は災いの予兆である。紅い月は”生贄”を欲しているため、”生贄”をその都度、一人選び出し月に返して飢えを鎮めてもらおうというのだ。
話し終えて仙蔵は、大人しく聞いていた後輩たちに笑みを浮かべる。

「さぁ、今日の委員会はこれで終わりだ。随分遅くなってしまった・・・お前達も早く長屋に戻って、大切なものが奪われないように隠しておくことだ。・・・今夜は紅い月が浮かんでいるからな。」

そう言って仙蔵は立ち上がる。そして障子にそっと手をかけると静かに開け放つ。
開けた先には随分と近いのか大きな紅い月が浮かび、仙蔵が障子を開けたことにより流れこんできた風が明かりを吹き消して部屋が紅い月明かりに照らされる。
風に長い髪を遊ばせながら、紅い月を背に立つ仙蔵はどこか美しくも恐ろしい。
後輩たちはその言葉におずおずと立ち上がると、それぞれに仙蔵に声をかけて各々の長屋へと戻っていった。

「紅い月、か・・・。」

後輩たちが帰っていったのを見届けると、仙蔵は柱に凭れ月を眺める。しばらく眺めていればふと、廊下の奥から人の気配が近づいてくるのを感じ取れることができた。
それでも仙蔵は別段、気に留めることもなくまるで何かをおびき寄せるようにずっと紅い月を眺める。

「今回の”生贄”はお前だろうな・・・?」

暗闇の中から現れたのは同室であり、親友でもある文次郎だった。彼もまた、連日徹夜しながらの委員会だったのだろうか。
どこか気だるそうな空気を纏っていた。

「おや、文次郎。私が今夜の生贄と言うのなら、お前は紅い月からの使者か?」

たった今、存在に気づいたとわざとらしい笑みを浮かべる仙蔵に文次郎は鼻で笑う。仙蔵が自分の気配に気づかないわけがないことを文次郎もまた知っている。
伊達に六年という長いようで短い歳月を共に過ごしてきたわけではない。

「それにしても、今回は前に見たときよりも一段と紅い・・・。これじゃ、あの村の"生贄"も一人じゃ済まんだろうな・・・。」

それは二人が六年に上がってすぐの実習忍務の時だった。
紅い月が浮かぶ夜、二人がある村に忍び込んだ際に見た光景。それはとても悲惨なものでしかなかった。
個人の感情など一切許されない光景で、二人は思わずその光景に見入ってしまったのを覚えている。
双子の片割れをまさに月へ返す儀式であり、片割れを片割れの目の前で殺す儀式。
月が映る澄んだ湖の岸辺に船が一艘、その船の中には色とりどりの花があり、それはまさに水葬の棺桶に見えた。
そこに何処か諦めたような表情を浮かべる着飾った少女が一人、縄に両手を拘束されて連れて来られる。
船の中心へと縄を解かれて寝かせられた少女は、村人によって湖の中心へと放たれる。周りに響き渡るは、顔の良く似たもう一人の片割れの悲痛な叫び。
船には元々、細工がされていたのだろう。水が徐々に船を満たし、湖に浮かぶ月の中心にくる時には船はゆっくりと沈んでいった。
まるで月に吸い込まれるように―。

「紅い月は"生贄"を欲している、とは誰が最初に言ったのだろうな。そしてそれを簡単に信じ、畏怖の対象にしてしまう人間は愚かで本当に恐ろしいものだ・・・。」

仙蔵は今でも文次郎と一緒に見たあの光景を今でも鮮明に覚えていた。
人という生き物は、迷信を信じやすい。誰かが何かを唱えれば簡単にそれを正しいと信じる。
簡単に信じてしまうからこそ、それが愚かな行為だと気づかずに繰り返す。そして、恨みを生んでは新たな恐怖を作り出す。
それが永久的に繰り返されるのだ。

「あの双子の片割れ、儀式の3日後に悲しみに耐えられず、湖に身投げしたと聞いた。」

文次郎は柱に凭れる仙蔵の隣に立って、重い口を開いた。仙蔵は、未だ月を眺めながら、そうか。と呟くように答えただけだ。
紅い月をずっと眺める仙蔵の横顔に不謹慎にも文次郎は、美しいと思ってしまった。どこか儚げで壊れやすい。

「なぁ、文次郎・・・私がもし、紅い月に返されることになったのなら・・・。お前の手で私を月へ返してくれ。」

ふと、笑みを浮かべる仙蔵の横顔を横目で見ながら、文次郎は一言、あぁ・・・。と頷くと月へと視線を移した。

今宵、紅い月の元へと返されるのは誰なのだろうか―。




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