ギシッ
とにかく近付こう――自分がこれからどう行動を起こすかすらわからないまま、一歩足を進ませた瞬間、軋む古びた床。
「!? わ、リーダーか……びっくりしたあ」
「……寒く、ないのか?」
肩を震わせた彼女が、ゴシゴシと裾で目元を拭っている。
それをわざと知らないふりをして、突拍子なことを呟いてしまう己の口。
もっと気の利いたことは言えないのか。
あの男なら、きっと呼吸をするより容易いに違いない。
渦巻いてしまう、嫌な感情。
そんな彼の胸の内すら知らぬまま、名前はいつもの笑みを街灯が照らす世界で見せる。
「あ、えと、うん! なんだか、風に当たりたかったから…………あ」
「?」
弁明にも聞こえるそれが、突如途切れる。
リゾットは何事かと首をかしげたが、彼女の視線の先を追って納得した。
携帯を片手に車へと乗りこむプロシュートの姿。
面倒くさいと言いながらも、相手は≪恋人≫なのだ。
「今からデート、か……」
「ああ、そのようだな。まったく、明日も仕事があるというのに、忙しない奴だ」
「ふふ、ほんとだね」
小さな笑声が消え、再び沈黙が漂う。
「……私も」
「私も、この仕事を選んでいなかったら……プロシュートの眼中にあったのかな」
しかしそれは、弱弱しいがしっかりとした彼女の本音によって破られた。
動き出す好きな人の車。
その後ろ姿を凝視していた名前は今しがた己が何を言ったのかを自覚し、慌てて隣に並ぶリゾットに向き直り、取り繕う。
「! ご、ごめん! 私、何リーダーに愚痴ってんだろ……気にしないで!」
こちらをただただ映すチームを包む深い色の瞳。
「ッ……そ、そろそろ部屋に戻るね?」
彼のそれに浮かぶ自分がなんだか惨めで、彼女はベランダの柵から手を離し、すばやく立ち去ろうとした、が。
「なぜ、そこまでプロシュートにこだわる?」
その声と、握られた手首に名前の身体はビシリと固まってしまう。
七分袖では鳥肌が立つほどには寒いはずなのに、流れる嫌な汗。
恋情とは違う、鼓動の激しさに囚われないよう、彼女は恐る恐る男の方を振り返る。
「リーダー……? とつぜ、ん……何、言って」
「考え続けていたことだ。なぜ、結果をわかっていながら何度もお前は伝えようとする?」
傷付けるかもしれない。
いや、確実に傷付けている。
――そんなことはわかっている。だが――
チームの誰にも、おそらく5年は同じ時を過ごした自分にさえも見せたことのなかったあの切なげな表情に、瞳から零れ落ちる涙に――堪えられるはずがなかった。
「……、それは……」
「つい先程、お前は言ったな。≪この仕事を選んでいなかったら≫……と」
「語弊があるかもしれないが、オレは選んでくれてよかったと思っている」
「え?」
どう返すべきなのだろうか。
リゾットの真意が読めず、名前はわざとらしく肩を竦めてみた。
「あの、さ……それって、どういう意味? 私たち同期だし、仕事仲間として動かしやすいのなら――」
「違う」
「お前が……名前が好きだからだ」
「!」
「ずっと見ていた」
目を見開いて、彼女が男を見上げる。
その表情は真剣そのものだ。
そもそも、リゾットがこんな性質の悪い冗談を言うはずがない。
信じられない、と冷静に否定する脳。
一方で熱さを帯び始める彼に掴まれたままの手首と心。
その温度差に頭がごちゃごちゃになってしまいそうで――名前はいけないとわかりつつも、リゾットの大きな手から逃げ出そうとする。
しかし。
「逃げることは、許さない」
やけに低いトーンで届く声。
それは、彼女が自分と目を合わせようとしないからだ。
だが、名前にも名前なりの想いがあった。
「す、きって……こんなときに、言わないでよ! 私、私……! リーダーを……利用、したくなんかないの!」
プロシュートが自分を恋愛対象として見ていないのは、嫌でも理解している。
でも、たとえそうだとしても、好意を寄せてくれているとなんとなくだが感じていたリゾットに甘えることだけはしたくなかった。
それが自分の中にある矜恃でもあり、相手への礼儀でもある。
そして何よりも、いつか己の心から好きな人が消え、変わっていくであろう自分が怖かった。
だが、男が彼女を解放することはない。
するはずが、ない。
「こんなときだからこそだ。放っておけるわけがないだろう。……それに、利用するならば存分に利用すればいい」
どこまでも優しくて、深い。
向けられるそのまなざしは、名前を癒すと同時にひどく惑わせた。
「いや、やめてよ……! お願いだから、優しくしないで!」
「名前。オレならば、お前をそんな顔にはさせない」
「! やめ――」
刹那、勢いよく身体を引き寄せられ、背中に走る衝撃と金属特有の振動音。
柵と彼に挟まれ、身じろぎすらできない。
「ッ……リゾ、ト……」
まるで獲物にされてしまったかのようだ。
射抜く視線から瞳をそらすことも許されず、ただただ見上げることしかできない名前。
そんな彼女の白くひやりとした頬をゆるりとなで、リゾットはつい数時間前までは口遊むつもりのなかった一つの言葉を、おもむろに紡ぎ出した。
「……名前、オレを見ろ」
「――」
ベランダを吹き抜けていく冷たい風。
少しだけ乾燥した唇が自分のそれに触れた瞬間――忘れ物でもしたのだろうか。
プロシュートの車のヘッドライトが、視界の片隅で光ったような気がした。
Triangolo eterno
恋の苦さと甘さ。貴方は≪どちらの手≫を取りますか?
すみません、お待たせいたしました!
兄貴とリーダーで三角関係でした。
音煌様、リクエストありがとうございました!
ちなみに、タイトルはそのままですが≪三角関係≫です。
そして、この後二人のどちらを選ぶか、それは皆様の想いにお任せいたします!
(兄貴視点で書けそうなのは事実ですが)。
感想&手直しのご希望がありましたら、clapやBBSにてお知らせいただけると嬉しいです。
Grazie mille!!
polka
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