Ami in una mano corretta
※原作後設定
※パープル・ヘイズから生き延びたイルーゾォのお話
曇りがかった日の朝。
「朝、か……」
ベッドに寝そべったイルーゾォは、窓から差し込む眩しい光に眉をひそめながら、意識だけを淡々と覚醒させる。
護衛チームと対峙したあの日。
パープル・ヘイズのウイルスから命からがら逃がれた彼に残されたのは、右腕と動かない身体だった。
「……」
ひどく狭くなってしまった自分の世界。
どれほど見据えども微動だにしない指先に、深いため息がこぼれる。
――オレ、何してんだろ……。
コンコンコン
「イル?」
思考を巡らせていた瞬間、扉越しに響く凛とした声。
その窺うような色に唯一自由の利く首を動かし、男はゆっくりと口を開いた。
「……名前?」
「うん、私。開けていい?」
「…………いいよ」
一瞬の間。
また≪今日≫が始まるのか――再び溢れそうな息を飲み込んでいる間にも、恋人である名前は歩み寄ってくる。
そして、いつもと変わらない、昔から変わらない笑顔で自分に声をかけた。
「おはよ、イル。よく眠れた?」
「……まあ、それなりには」
嘘だ。
昨日も一昨日と、いや毎日変わることなく早寝を繰り返しているが――実際は、日々の睡眠は1時間にも満たっていないだろう。
黒に覆われた空は、妙に人を感傷的にさせる。
一方、自分があまり眠っていないことを知ってか知らずか、少しだけ眉尻を下げる恋人。
「そっか……あ! 朝食も持ってきたんだった……食べるよね?」
「ん。ありがと。そこに適当に置いといて。後でマンミラに手伝わせるから」
「……イル。あんた、そう言っていつも食べてないんでしょ? マンミラちゃん、困ってたよ?」
「……」
バレていたのか。食べたくないという考えを知られたくなかったのか、イルーゾォが苦虫を噛み潰したような顔をしていると、その口元に彼女がずいとフォークを近付けてきた。
「ほら、口開けて?」
「い……いや、こういうのはしなくていいって言うか――」
「いいから! 黙って食べる!」
強制的な食事。このように、渋々朝食を咀嚼すると目の前で満足げに微笑む名前は、甲斐甲斐しく自分の世話を焼いてくれる。
食事だけでなく移動や入浴から――さらに言えば、誰にとっても酷に違いないだろうが、下の世話まで。
「さて、と。次は汗拭くからね?」
「!? それはほんとやめろって……!」
だが、自分は何も≪感じる≫ことができない。
すでに神経がその役割を果たさないにも関わらず、残念ながら欲というモノは体内に今も存在していた。
たとえそれを悟ったが優しく施してくれたとしても、この身体は快感さえ覚えられない。
「……」
もどかしさと憎たらしさ。己でさえ、≪なんて不便だ≫と苛立ってしまうことがあるのだ。
だからこそ彼女がどうしてが自分の元を離れていかないのか――彼は不思議で仕方がなかった。
「……、ッくそ」
ベッドの上。悔しさの滲む声音。
一人で起き上がりたいという想いに己を掻き立てられてから、早一時間が経っている。
しかし、隻腕にどれほどの力を込めればいいのかわからない。
「動け……動けよ、ッ」
隣の部屋で待機しているであろう恋人を呼ぶ方法は、もちろんある。
それでも、今ですら頼りきっている名前の肩にこれ以上――できるだけ寄りかかりたくはなかった。
「くそ……、頼むから動――――」
刹那、言葉が途切れる。
肘がシーツの上を滑り、宙を舞っていく躯体。
一つの動作。そのすべてが、スローモーションに感じた。
「(……落ちる)」
ガシャンッ
ひしひしと押し寄せた衝撃。
後頭部は床に突き当たっていないことから、動く首が自然と守ったのだろう。
だが――
「ッ」
「? 何、今の音……、イル!?」
ドアが開いたかと思えば、駆け寄ってくる靴と足音。
近くでしゃがみこみ、慌てて自分の背に右腕を回す彼女は、これでもかと言うほどひどく目を吊り上げている。
「ちょっと、何してるのよ……! って説教は後々。頭はぶつけてないみたいだけど……ッとりあえず闇医者に連絡して――」
「……痛くねえ」
「え?」
交わった視線。
不安と動揺を潜めた名前の瞳を見上げつつ、男は静かに音を紡ぎ出す。
その声は、ぐちゃぐちゃになってしまった感情が直結して、震えているのだろうか。
「オレにはもう、痛覚がないからさ……痛みも感じないんだよ。冷たさも温かさもない。だから、今までオレが殺ってきたあいつらと同じようになってるんじゃないか、って時々錯覚する」
触れた途端崩れてしまいそうなほど、張り詰めている空気。
室内には、外で鳴く鳥の声だけが響き渡っていた。
「イル……」
「……」
彼女の唇から漏れ出た名前が床へ虚しく落ちたと同時に、イルーゾォが細腕から離れようとする。
彼は≪自分で≫ベッドへ戻ろうとしているのだ。
それをすぐさま察知したのか、恋人の背中を強く抱きしめ必死に叫ぶ名前。
「! イル! なんで頼ってくれないの? っ、どうしてもっと――」
「名前こそなんで?」
「え?」
「なんでオレを……見放してくれないんだよ」
見開かれる眼。
言ってしまった。けれども、ずっと考えていたと打ち明ければ彼女は怒るだろうか。
「毎日毎日オレの世話して……名前はいつも笑顔でいるけど、ホントは面倒くさいだろ?」
ああ、惨めだ――そうわかっていても、振動する喉は止まらない。
「同情なら、いらねえんだよ……ッ!」
こんな、刃物みたいな言葉を紡ぐために、この声は残されたわけじゃないのに。
そう、頭では理解しているのに。
「わかったなら出て行ってくれよ! ッ早く!」
そうだ。
今までなぜその選択肢を選ばなかったのだろう。
いや、本当はわかっている。
自分が彼女を離したくないのだ。
どれほど痛々しい姿を見られても、そばに――隣にいてほしいのだ。
でも。
たとえそうだとしても。
こんなエゴに近い願望を抱く自分と距離を置いた方が、名前が幸せになれるなら――
「イル」
「ッ! ……名前」
次の瞬間、細く白い手が己の右手に重なった。
とは言えその触感を捉えられたわけではない。
視界に、小刻みに震える彼女の手の甲が映り込んだからだ。
「見放すわけない。それに同情なんてしてない。≪嫌いだ≫ってイルに嫌がられても、≪構うな≫って泣き叫ばれても! ぜっっったいに見放してなんかやらないんだからね!」
「ッ、だからなんで……」
「だって……だって、私はこんなにイルのことが好きなんだから……!」
するりと鼓膜を揺さぶる想い。
再びかち合った双眸。
恋人の目尻には美しい雫が浮かんでいる。
それに男が思わず見惚れていると、名前が儚い笑みを浮かべながら口を開いた。
「ねえイル。身体が、冷たくも温かくもないって言ってたけど……」
「大丈夫。イルの手は、すごくすごくあったかいよ」
「!」
刹那。
右頬がはっきりと捉える――手のひらの温度。
「ね?」
目前には、自分の手首を包む恋人が。
心に広がるぬくもり。いつぶり、だろうか。
溢れ出た穏やかさから静かに頷けば、なぜかはにかんだ彼女がおずおずと音を紡ぎ始める。
「あのね? 私が……イルが感じたいものを、ちゃんと一つずつ感じていくから」
だから、一緒に生きよう?
思いもしなかった告白。
イルーゾォが確認するかのようにもう一度見つめると、頬だけでなく瞼を赤くした名前が柔らかな笑みを浮かべていた。
幸せは、いつも身近なところに。今もある体温を胸に刻みながら俯いた男は、彼女に見つからぬよう密かに口元を緩める。
「……ぶっ。まさかの逆プロ、かよ」
「え!? 逆ぷ……ああッ! え、えっと、そそそそんな意味で言ったんじゃ……いや、その……確かにそういう意味でもあるん……だけ、ど……っ/////」
「…………ホント変な奴だよな、名前って」
「は? ……ちょっと! それ、どういう意味!?」
情けない奴だな、お前――そう言って煌く鏡の向こうで己を嘲笑う自分。
けれども、そいつ越しにいる愛しい恋人があまりにも幸せそうに微笑みかけてくれるから、滑稽だとどこまでも口端を歪めた彼は泡のように消えてしまうのだった。
Ami in una mano corretta
すべてを失っても、この絆だけは、どうか。
![](//img.mobilerz.net/sozai/1610_w.gif)
大変長らくお待たせいたしました!
難病を患ったイルーゾォと、彼を看病するヒロインのお話でした。どうしてもパープルヘイズのイメージが強くてこういった形にさせていただきましたが……いかがでしたでしょうか?
ちなみにタイトルは「右手にある愛」という意味です。
リクエストありがとうございました!
感想&手直しのご希望がございましたら、ぜひお願いいたします。
polka
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※パープル・ヘイズから生き延びたイルーゾォのお話
曇りがかった日の朝。
「朝、か……」
ベッドに寝そべったイルーゾォは、窓から差し込む眩しい光に眉をひそめながら、意識だけを淡々と覚醒させる。
護衛チームと対峙したあの日。
パープル・ヘイズのウイルスから命からがら逃がれた彼に残されたのは、右腕と動かない身体だった。
「……」
ひどく狭くなってしまった自分の世界。
どれほど見据えども微動だにしない指先に、深いため息がこぼれる。
――オレ、何してんだろ……。
コンコンコン
「イル?」
思考を巡らせていた瞬間、扉越しに響く凛とした声。
その窺うような色に唯一自由の利く首を動かし、男はゆっくりと口を開いた。
「……名前?」
「うん、私。開けていい?」
「…………いいよ」
一瞬の間。
また≪今日≫が始まるのか――再び溢れそうな息を飲み込んでいる間にも、恋人である名前は歩み寄ってくる。
そして、いつもと変わらない、昔から変わらない笑顔で自分に声をかけた。
「おはよ、イル。よく眠れた?」
「……まあ、それなりには」
嘘だ。
昨日も一昨日と、いや毎日変わることなく早寝を繰り返しているが――実際は、日々の睡眠は1時間にも満たっていないだろう。
黒に覆われた空は、妙に人を感傷的にさせる。
一方、自分があまり眠っていないことを知ってか知らずか、少しだけ眉尻を下げる恋人。
「そっか……あ! 朝食も持ってきたんだった……食べるよね?」
「ん。ありがと。そこに適当に置いといて。後でマンミラに手伝わせるから」
「……イル。あんた、そう言っていつも食べてないんでしょ? マンミラちゃん、困ってたよ?」
「……」
バレていたのか。食べたくないという考えを知られたくなかったのか、イルーゾォが苦虫を噛み潰したような顔をしていると、その口元に彼女がずいとフォークを近付けてきた。
「ほら、口開けて?」
「い……いや、こういうのはしなくていいって言うか――」
「いいから! 黙って食べる!」
強制的な食事。このように、渋々朝食を咀嚼すると目の前で満足げに微笑む名前は、甲斐甲斐しく自分の世話を焼いてくれる。
食事だけでなく移動や入浴から――さらに言えば、誰にとっても酷に違いないだろうが、下の世話まで。
「さて、と。次は汗拭くからね?」
「!? それはほんとやめろって……!」
だが、自分は何も≪感じる≫ことができない。
すでに神経がその役割を果たさないにも関わらず、残念ながら欲というモノは体内に今も存在していた。
たとえそれを悟ったが優しく施してくれたとしても、この身体は快感さえ覚えられない。
「……」
もどかしさと憎たらしさ。己でさえ、≪なんて不便だ≫と苛立ってしまうことがあるのだ。
だからこそ彼女がどうしてが自分の元を離れていかないのか――彼は不思議で仕方がなかった。
「……、ッくそ」
ベッドの上。悔しさの滲む声音。
一人で起き上がりたいという想いに己を掻き立てられてから、早一時間が経っている。
しかし、隻腕にどれほどの力を込めればいいのかわからない。
「動け……動けよ、ッ」
隣の部屋で待機しているであろう恋人を呼ぶ方法は、もちろんある。
それでも、今ですら頼りきっている名前の肩にこれ以上――できるだけ寄りかかりたくはなかった。
「くそ……、頼むから動――――」
刹那、言葉が途切れる。
肘がシーツの上を滑り、宙を舞っていく躯体。
一つの動作。そのすべてが、スローモーションに感じた。
「(……落ちる)」
ガシャンッ
ひしひしと押し寄せた衝撃。
後頭部は床に突き当たっていないことから、動く首が自然と守ったのだろう。
だが――
「ッ」
「? 何、今の音……、イル!?」
ドアが開いたかと思えば、駆け寄ってくる靴と足音。
近くでしゃがみこみ、慌てて自分の背に右腕を回す彼女は、これでもかと言うほどひどく目を吊り上げている。
「ちょっと、何してるのよ……! って説教は後々。頭はぶつけてないみたいだけど……ッとりあえず闇医者に連絡して――」
「……痛くねえ」
「え?」
交わった視線。
不安と動揺を潜めた名前の瞳を見上げつつ、男は静かに音を紡ぎ出す。
その声は、ぐちゃぐちゃになってしまった感情が直結して、震えているのだろうか。
「オレにはもう、痛覚がないからさ……痛みも感じないんだよ。冷たさも温かさもない。だから、今までオレが殺ってきたあいつらと同じようになってるんじゃないか、って時々錯覚する」
触れた途端崩れてしまいそうなほど、張り詰めている空気。
室内には、外で鳴く鳥の声だけが響き渡っていた。
「イル……」
「……」
彼女の唇から漏れ出た名前が床へ虚しく落ちたと同時に、イルーゾォが細腕から離れようとする。
彼は≪自分で≫ベッドへ戻ろうとしているのだ。
それをすぐさま察知したのか、恋人の背中を強く抱きしめ必死に叫ぶ名前。
「! イル! なんで頼ってくれないの? っ、どうしてもっと――」
「名前こそなんで?」
「え?」
「なんでオレを……見放してくれないんだよ」
見開かれる眼。
言ってしまった。けれども、ずっと考えていたと打ち明ければ彼女は怒るだろうか。
「毎日毎日オレの世話して……名前はいつも笑顔でいるけど、ホントは面倒くさいだろ?」
ああ、惨めだ――そうわかっていても、振動する喉は止まらない。
「同情なら、いらねえんだよ……ッ!」
こんな、刃物みたいな言葉を紡ぐために、この声は残されたわけじゃないのに。
そう、頭では理解しているのに。
「わかったなら出て行ってくれよ! ッ早く!」
そうだ。
今までなぜその選択肢を選ばなかったのだろう。
いや、本当はわかっている。
自分が彼女を離したくないのだ。
どれほど痛々しい姿を見られても、そばに――隣にいてほしいのだ。
でも。
たとえそうだとしても。
こんなエゴに近い願望を抱く自分と距離を置いた方が、名前が幸せになれるなら――
「イル」
「ッ! ……名前」
次の瞬間、細く白い手が己の右手に重なった。
とは言えその触感を捉えられたわけではない。
視界に、小刻みに震える彼女の手の甲が映り込んだからだ。
「見放すわけない。それに同情なんてしてない。≪嫌いだ≫ってイルに嫌がられても、≪構うな≫って泣き叫ばれても! ぜっっったいに見放してなんかやらないんだからね!」
「ッ、だからなんで……」
「だって……だって、私はこんなにイルのことが好きなんだから……!」
するりと鼓膜を揺さぶる想い。
再びかち合った双眸。
恋人の目尻には美しい雫が浮かんでいる。
それに男が思わず見惚れていると、名前が儚い笑みを浮かべながら口を開いた。
「ねえイル。身体が、冷たくも温かくもないって言ってたけど……」
「大丈夫。イルの手は、すごくすごくあったかいよ」
「!」
刹那。
右頬がはっきりと捉える――手のひらの温度。
「ね?」
目前には、自分の手首を包む恋人が。
心に広がるぬくもり。いつぶり、だろうか。
溢れ出た穏やかさから静かに頷けば、なぜかはにかんだ彼女がおずおずと音を紡ぎ始める。
「あのね? 私が……イルが感じたいものを、ちゃんと一つずつ感じていくから」
だから、一緒に生きよう?
思いもしなかった告白。
イルーゾォが確認するかのようにもう一度見つめると、頬だけでなく瞼を赤くした名前が柔らかな笑みを浮かべていた。
幸せは、いつも身近なところに。今もある体温を胸に刻みながら俯いた男は、彼女に見つからぬよう密かに口元を緩める。
「……ぶっ。まさかの逆プロ、かよ」
「え!? 逆ぷ……ああッ! え、えっと、そそそそんな意味で言ったんじゃ……いや、その……確かにそういう意味でもあるん……だけ、ど……っ/////」
「…………ホント変な奴だよな、名前って」
「は? ……ちょっと! それ、どういう意味!?」
情けない奴だな、お前――そう言って煌く鏡の向こうで己を嘲笑う自分。
けれども、そいつ越しにいる愛しい恋人があまりにも幸せそうに微笑みかけてくれるから、滑稽だとどこまでも口端を歪めた彼は泡のように消えてしまうのだった。
Ami in una mano corretta
すべてを失っても、この絆だけは、どうか。
![](http://img.mobilerz.net/sozai/1610_w.gif)
大変長らくお待たせいたしました!
難病を患ったイルーゾォと、彼を看病するヒロインのお話でした。どうしてもパープルヘイズのイメージが強くてこういった形にさせていただきましたが……いかがでしたでしょうか?
ちなみにタイトルは「右手にある愛」という意味です。
リクエストありがとうございました!
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