小さな薫風オレンジ


※兄貴夢
※一般人ヒロイン
※ほのぼの







「もう……来るなら来るって言ってよ。いつも唐突なんだから」



ある夕暮れ、深いため息をつきながら名前は己の背後を一瞥した。


その先には同じく廊下を慣れた足取りで進んでいく恋人、プロシュート。

一方、時折送られてくる彼女の視線に気付いたのか、彼はにやりと口元を歪める。



「……ハン、なんだ? 見ちゃならねえモンでもあんのかよ」


「そういうわけじゃないけど、ねえ?」



来てくれるってわかってたら、もっと料理とかお酒とかちゃんと準備してたのに――とは口が裂けても言えず、言葉を濁す名前。


詳細は知らないものの、忙しいことだけは理解している≪彼の仕事≫。

そのおかげで、ドタキャンと言えるものもあり会えないことも多いが、せめて家ではゆっくりしてもらいたいのだ。

もちろん、彼女の願いは突然現れる恋人によって、いつも叶わずじまいなのだが。



そして呆れの表情を浮かべていた名前は、リビングに足を踏み入れた途端、おもむろに男の方を振り返った。



「夕飯もアランチーニ(ライスコロッケ)とカプレーゼ(トマトとモッツァレラ、バジリコにオリーブオイルを味付けしたもの)しか用意してないんだけど……食べてく?」


「おいおい、決まってんだろ? もちろん食後はお前を……、つーかそれで十分じゃあねえか。よし、腹も減ったしさっさと作んぞ」


「えっ? いいよいいよ、仕事で疲れてるでしょ?」


「……ふっ、妙な遠慮すんなよ。ほら」



刹那、したり顔が近付いたと同時に肩が勢いよく抱き寄せられる。

解こうにも、意外に力の強いプロシュートの手は解くことを許さない。


彼女はもう一度ため息を吐き出しつつ、勝手に動く両足に身を委ねた。









「じゃあ、プロシュートはカプレーゼをよろしくね」


「はあ? お前な……アランチーニには油使うだろ? そっちをオレに任せろよ」


「……プロシュートこそ信念なのかもしれないけど、そういう≪扱い≫やめてよ……なんか気恥ずかしいから」



さすがイタリアーノ。

女性に対する配慮が行き届いている。


とは言え、彼のそれが擽ったくてたまらない名前は、こうして顔を合わせるたびに目線をあらぬ方へ移しながら自分に訴えてきた。

当然、恋人の初々しさに≪可愛い≫と胸中で笑みを深めた男が、その懇願にすんなり頷くわけがないのだが。



「ククッ、名前。お前が望むならもっと恥ずかしい気分にさせてやろうか?」


「いい。いらない。お腹すいてるんでしょ?」



からかいに秘めた本気。

だがそれは、頬をほんのり赤く染めた彼女にすかさずあしらわれてしまう。


こっちはいつだって本気なのによ――そう言おうとして、口を噤んだプロシュートは代わりに肩を竦めてみせた。



「へいへい。……相変わらずガードが固えシニョリーナだ」


表情に≪不満≫がありありと滲み出るが、仕方ない。

楽しみは食後だ、食後、と今度は内心でほくそ笑んだ彼が己のシャツに手を伸ばす。



「!」


すると、丁寧に捲られた袖から覗く、筋張った腕。

細そうな見た目にしてはかなり逞しいそれに、名前の鈴を張ったような瞳は大きく見開かれた。


自ずと速まってしまう心音。



「(――って、何考えてんの私!)」


一瞬頭を過ぎった感想を振り払おうと、彼女は慌てて首を横に振る。

そして、右隣でトマトをスライスし始めた男を一切見ることなく、目の前の食材へ集中することにした。



「名前。モッツァレラはここの使っていいのか?」


「うん、いいよー」


「了解……ってお前それ、まだ塩コショウ入れてねえだろ」


「え? ……ほんとだ!」



冷蔵庫からチーズの箱を取り出し、戻ってきたプロシュート。

一方、名前は炊いた米と溶き卵、さらにチーズを混ぜたモノを今にも丸めようとしている。


が、明らかに先程から位置が変わっていない調味料の容器に気付いた彼が、咄嗟に彼女の細い手を止めた。



「ったく」


「あちゃー、さすがに調味料無しはね……ありがとう、教えてくれて」



溢れる苦笑。

もちろん、味に多少の差異は出るかもしれないが――


問題は、名前のこの時々抜けた性格だ。

彼女には詳しいことを伝えていないが、実は≪兄貴分≫である上に世話焼きな男がこれを放っておけるはずもなく。



「マジで抜けてんなあ。普段から何か忘れたまま食ってんじゃねえか?」


「なッ! そ、それはさすがにない……と思う」


「クク、自信ねえのかよ」



あやふやな返答に、プロシュートは心配を交えて楽しげに喉を鳴らした。



彼がバジリコを取り出しながら笑む一方で、当然名前は小麦粉の付いた団子にパン粉をまぶして、不満そうに唇を尖らせる。


思うことは一つ。



「〜〜っどうせ、グルメなプロシュートには敵いませんよ!」


「お? ずいぶん可愛い反応してくれんじゃねえか。ま、お前の場合、味オンチじゃないだけマシだよな…………っと、オリーブオイル借りんぜ」



またそうやって躱した上に、からかう――男の≪十八番≫に自然と瞳は物言いたげになった。


しかし、彼女のじとりとした視線をすり抜けるように、すっと目の前を通り過ぎる腕。

素知らぬフリ。こうなってしまえば、何を言ってもこの優男な恋人には通用しない。


オリーブオイルという最後に味付けに完成を悟り、名前が心を切り替えて口を開く。



「プロシュート。カプレーゼ、できた?」



こちらはあと一分ほどで出来上がりそうだ。


だからもう少し待ってね――アランチーニ一つ一つが油に浮かぶのを待ちながら、彼女は黙々と鍋を見つめていた。



「おう。……ほらよ」


「え? 何か言――んむッ」



次の瞬間、口内に入り込んだ冷たいモノ。

こちらに指先を向け、口角を吊り上げているプロシュート。


トマトとチーズの独特な酸味にオリーブオイルや塩の風味が舌上で交じり合うことから、カプレーゼを放り込まれたらしい。



「どうだ?」


「…………美味しい」


「ハン、そりゃあよかった」



自分では何を感じるわけでもないのに、なぜ人が作るとこんなにも美味しく思うのだろう。

もちろん彼が腕利きであることも関係するだろうが――少し納得がいかない。



――もしかして、プロシュートって……どこかでシェフやってるのかな。


だが、どこか違うような。浮いた団子をシートの敷いた皿に引き上げる。

そして、先程投入されたサラダを飲み込むために喉を上下させた、そのときだった。



「つーわけでアランチーニもらうぜ」


「! ちょ、まだ熱――」


「あちッ!」


「だから、≪チーズが入ってるし熱いよ≫って言おうとしたのに……」



ピンポン玉以上のそれを口に含んだかと思えば、男があまりの熱さに叫ぶ。


普段は実年齢以上に大人びているくせに、なぜかたまにそそっかしい。

一応、弟分がどうたら、という話は聞いているが――




こんな調子で大丈夫なのだろうか。



「……ッ、ふう……熱いけど美味え。身体張って食っただけのことはあるな」


「もう、いちいち大げさだってば。それに危ない」



――でも、プロシュートが楽しそうでよかった。


一つ目をなんとか嚥下し終えたのだろう。

いつもの皮肉げなものとは違う、珍しく晴れやかな笑みを浮かべながら二つ目を食べようとしている彼を見て、「今度はちゃんと冷ましてから食べてね」と名前もまた自然と顔を綻ばせるのだった。









小さな薫風オレンジ
久方ぶりの≪休暇≫に、恋が香る。










お待たせいたしました!
兄貴と料理をするほのぼの夢でした。
ちなみに、アランチーニとは小さなオレンジという意味だそうです。
甘さ多めになってしまったような気もしますが、いかがでしたでしょうか?


リクエスト、本当にありがとうございました!
感想&手直しのご希望がございましたら、ぜひclapか〒へお願いします。
polka



prev next
16/39
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -