優しい死神と人魚姫
※リーダー夢
※声を出すことができないヒロインです
※切甘
始まりは、月が雲に隠れたある肌寒い夜だった。
「うぐ、ッぁ……、!」
「……」
赤い煌びやかな絨毯に伏す四十代半ばの男。
麻薬、人身売買、密輸。
無害そうな笑みを浮かべておきながら、ありとあらゆる残虐なことを行い、結果として組織に目を付けられたらしい。
凄惨な死に顔と、口元から溢れるカミソリ。
それらを見下ろす――つい今しがた≪仕事≫を終えたばかりのリゾット。
「……」
――戻ろう。
しばらく一瞬たりとも動かなかった彼は、変わり始めた血の色から視線を外しながら、おもむろに踵を返す。
そのときだった。
カタン
「!」
「……女?」
鼓膜を震わせた足音。
引き寄せられるように男がそちらを振り向けば、ドアの前で立ち尽くす細身の少女。
暗闇でよく見えないが、その格好からこの屋敷の使用人だろうか。
薄く開かれた窓からの風が、静寂を突き抜けていく。
――……余計な≪仕事≫は避けたいが、仕方ない。
目撃者はすべて始末する。
身の保全のためと言える一つの策。
それを遂行するため、リゾットが己のスタンドを思い浮かべた――刹那。
「!」
入口で固まっていた少女が、不意にこちらへと駆け寄ってきたのだ。
そして――
「……なぜ、オレに頭を下げる」
深々と彼女は自分に向かって、お辞儀を繰り出した。
まるで、≪感謝の意≫を伝えるように。
ターゲットが死に際に放つ命乞い、にはどうしても見えなかった。
攻撃も忘れて、彼の頭が疑問視に埋め尽くされかけていると、ゆっくりと少女が姿勢を正す。
「!? お前……」
それは、雲から月明かりが顔を出した瞬間のこと。
頸部と手首。
まだあどけない彼女には、銀に輝く首枷と手枷が嵌められていた。
「?」
「……」
≪救われた≫とでも勘違いをしているのだろうか。
朗らかとは言い難いが、目の前にあるのは今自分の背を射抜く月光のような儚い微笑み。
――首輪、か。
チームにも科せられた首輪。
柄でもない――少女の姿が自分たちと被ったなんて。
カチャン
「ッ!」
「どこにでも、好きなところへ行け」
鍵を探すとまでは行かなくとも、鎖は脆かったのか簡単に切ることができた。
目をぱちくりとさせる彼女から距離を置き、退出を促す。
考えてみれば、一度も声を聞いていない。
そうは思ったものの、再び会うわけではないのだから――すでに感化され始めている自分を嘲り、リゾットは少女が動き出すのを待った、が。
「……」
「……?」
「……」
いつまで経っても、彼女が逃亡する気配はない。
――困った……いや、オレがここを去ればいいのか。
「はあ」とため息をこぼした彼は、困惑を隠しきれないまま足を進め、どこまでも静かな少女の横を通り過ぎる。
しかし。
ぎゅうっ
「! 何をするんだ」
「……っ」
「……、……邪魔をするならば、見逃したと言えども――」
大きな背中へ縋るように張り付いた、小柄な躯体。
強引に振り払うのも戸惑われ、混乱を極めた男がおもむろに口を開いた瞬間。
少女が、自分の左手を取った。
そして動揺するリゾットに目も呉れず、彼女は指先で手のひらへと文字を書き始める。
――まさか、声が……?
一つの結論。
それが脳内に行き着いたと同時に、刻み終わったメッセージは――
『Prenda a cielo.(天国へ連れて行って)』
切ないまでの死を、望んでいた。
だが、リゾットがその願いを叶えることはなかったのである。
「……名前」
『こんにちは、リゾット』
美しい川沿いにある、小さな家。
そのドアを開ければいつも、スケッチブックを手に取ったあの時の少女――名前が迎えてくれる。
屋敷からここへ連れてきてから、かなりの時間が経った。
「風邪は引いていないか?」
『うん、大丈夫だよ。あ、見て? リゾットがくれたお花が咲いたの。綺麗でしょう?』
「ふ……ああ、とても綺麗だ」
スラスラと文字を紙に記し、笑顔でこちらへ見せる彼女にゆっくりと頷いた男。
当初は少しばかりの警戒を示していた少女だったが、今は疑いもせずに部屋へと招く。
――無防備すぎるのは少々困り者だな……。
名前は両親を自分と同じ暗殺者に殺され、そのショックで声を失ったらしい。
亡くなった後、彼女は名も知らぬあの屋敷の主人に養子として引き取られたが――想像通り、男の扱いはひどいものだったようだ。
「名前は……オレが怖くないのか?」
『え?』
ようやく花が咲いたような笑みが少女の顔に浮かべられ始めた頃、ふと疑問に思ったリゾットは尋ねたことがある。
自分は親の仇である者の同業者なのだ――出会った時点で嫌悪感や恐怖、憎悪という感情も存在しえるだろう。
ところが、「そんなわけがない」と言うかのように、慌てた様子で首を横に振る名前。
『怖くないよ』
「……一応聞くが、なぜだ?」
『だって、リゾットは≪優しい死神様≫だから』
「優しい……?」
死神は的を射ているだろう。
しかし、≪優しい≫と考えられているとは、思いもしなかった。
彼女をここに住まわせている理由は、慈悲だけではないというのに――――
トントン
「! すまない」
『謝らないで。でも、リゾットこそ大丈夫?』
その日のことを思い返していた彼の肩へ、弱々しく手が伸びる。
刹那、ハッとした男は「心配するな」と言うかのように微笑んだ。
それに対して、ただ事ではない反応を見せる心臓。
自分を生かしてくれた、優しい人。
物静かで、特に何をするわけでもなく、自分の頭をなでて帰っていく人。
だからこそ、名前が甲斐甲斐しくここへ訪れてくれるリゾットに≪好意≫を抱くのは、必然だったのかもしれない。
「(あ、リゾットだ……)」
水やりで濡れた花びらを、日差しが煌めかせるよく晴れた日。
鼻歌すら己の喉は紡ぐことができないが、名前は鮮やかな気持ちで部屋の窓を開けた。
そのとき、川越しに見えた高身長の男。
美しくそよぐ銀髪に、すべてにドキリとしながら、少女は彼が来ることを信じて疑わなかった、が。
「(……あ、れ?)」
徐々にこの家から離れていくリゾット。
さらに、そんな男の隣には――
「(綺麗な、女の人だ……)」
ブロンドを閃かせた、容姿端麗の女性。
二人は、自分にはできない≪話をして≫いた。
ツキリと痛みが胸の中心を貫き、じわりじわりと毒のように広がっていく。
「(リゾット……っ)」
もしかすると、恋人なのだろうか。
悲しい。
苦しい。
「っ、……」
自ずと開かれる薄紅色の唇。
だが、そこから音が紡ぎ出されることはない。
「……ッ、っ!」
発することが怖い。
変かもしれない。
歪かもしれない。
音がちぐはぐで笑われるかもしれない。
でもそれ以上に――
「……、と」
彼が何も言わずに離れてしまうことが、ひどく恐ろしかった。
振動する喉。
空気を捉える口腔。
――イチかバチか。
名前は深く息を吸い、
「っ、りぞっと……!」
思いの丈を声に乗せてぶつけた。
「!」
突如、耳を劈いた不安定ながらも凛とした旋律に、男は思わず瞠目する。
瞳に焦燥を織り交ぜて振り返れば、そそくさと閉められようとしていた名前の家の窓。
「……すまない。先に帰っててくれ」
「ちょっ……!?」
手に握っていたモノさえも放り投げ、駆け出した。
――今のは……。
呼ばれた自分の名前。
急き立てる心臓の音。
湧き上がったのは、これまでにないほどの≪喜び≫。
――名前、お前は今、オレの名を――
彼女と自分を、川の向こうを繋ぐ橋を走り抜け、乱れた息を整える暇もなくインターフォンを鳴らす。
しかし、いつも勢いよく開かれるはずのドアが、なかなか動かない。
とは言え、この一枚の板越しにある気配は感じられることから、傍にはいるのだろう。
「名前、どうした」
「……」
「開けて、くれないのか?」
チャイムを諦め、コンコンとノックを試みる。
だが、返ってくるのは無言と同じくノック音のみ。
「名前……頼む、このドアを開けてくれ」
「……」
「もう一度だけでいい。もう一度、オレの名前を呼んでほしいんだ」
「!」
ガチャリ
しばらくして、そろりと押し出された扉に入り込むようにして、リゾットは強引に足を玄関へと進ませた。
そして、目元を少しだけ赤くした少女に驚きを見せてから、静かに口を開く。
「どうした?」
「っ」
「……オレが、何かしてしまったか?」
小さく震えては、閉じる彼女の形の良い唇。
それをじっと見つめていると、名前がおもむろに自分の手を取り、指先で文字を書き始めた。
そう、まるであの≪いつの日か≫のように。
『さっきの、女の人はいいの?』
「女?」
『楽しそうに話してたから、邪魔しちゃったでしょう?』
「? 楽しそうに……?」
思い当たる節のない彼が首をかしげればかしげるほど、寂しさを交えた視線を落とす少女。
その様子に、このままではいけないと言葉を紡ごうとした刹那――バラバラだったパズルが脳内でぴたりと合わさる。
浮上した答え。
きっと、彼女は驚くだろう。
「ふっ……」
『! どうして笑って』
「名前、あいつは女じゃあない。男だ」
「え?」と言いたげにきょとんとした名前に対し、男は頬を緩めつつ肯定を示した。
「そうだ。オレの仲間ではあるが、変態だぞ」
「……」
自分はなんて恥ずかしい勘違いをしていたのだろうか。
カッと火が近くで燃え盛っているかのように、首から上が熱い。
「〜〜っ(私……男の人にヤキモチ妬いてたんだ……!)」
波のように押し寄せた羞恥。
堪え切れなくなった少女は、するりと背を向け、部屋へ戻ろうとした、が。
その前に、しっかりリゾットによって後ろから抱きしめられてしまった。
「待て、名前。まだ本題が済んでいないぞ」
「!」
「……声を、聞かせてくれ」
「りぞ、と……」
「名前」
途切れ途切れの言葉。
だがそれは、ひどく彼の心を打つ。
肩に手を添えながらこちらを向かせ、そっと艶やかな髪をなでれば――不安そうに見上げてくる名前が。
「……へんじゃ、ない?」
「ああ。変であるわけないだろう……オレが予想していた通り、綺麗な声だ」
「っ、ありが、と……////」
たどたどしくも、透き通った音が玄関に響き渡る。
不意に、柔らかな笑みを湛えた男は少女の額に己のものを重ね合わせた。
「もっと、オレの名を呼んでほしい」
「ぇ……あ、りぞっと……?」
「……もう一度」
「? リゾ、ト……んっ!」
次の瞬間、細い背に回っていた腕に力が込められたと同時に、塞がれる唇。
「ん、っ……ン、っふ、ぁ」
「はッ、名前……好きだ」
「! ぁ、んんっ……りぞ、っと……はぁ、っ」
くぐもる甘い吐息。
容赦なく絡められる舌。
たったの数秒のことか、一分以上のことか。
胸が≪気持ちが同じだったことの嬉しさ≫でいっぱいになりながら、彼女はようやく蕩けるほどのキスから解放された。
「っはぁ、は……、りぞっと」
「ん?」
二人を繋ぐ淫靡な銀の糸。
それがぷつりと切れども、交わった視線が離れることはない。
――この人に出会えて、本当に良かった。
目尻に大粒の涙を溜めたまま、名前は自分の言葉で――拙い声音で想いを紡ぎ出した。
「……わたし、も……す、き」
優しい死神と人魚姫
迎えられたのは、暖かい≪ハッピーエンド≫。
![](//img.mobilerz.net/sozai/1610_w.gif)
お待たせいたしました!
リーダーで、声の出せないヒロインとのお話でした。
かなり最初の部分が切ないモノとなってしまいましたが、いかがでしたでしょうか?
そして尺の関係で裏にまで到達できず、申し訳ございません……!(もしよろしければ、フリリクで続きをry)
とら様、リクエスト本当にありがとうございました!
感想&手直しのご希望がございましたら、お願いいたします。
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※声を出すことができないヒロインです
※切甘
始まりは、月が雲に隠れたある肌寒い夜だった。
「うぐ、ッぁ……、!」
「……」
赤い煌びやかな絨毯に伏す四十代半ばの男。
麻薬、人身売買、密輸。
無害そうな笑みを浮かべておきながら、ありとあらゆる残虐なことを行い、結果として組織に目を付けられたらしい。
凄惨な死に顔と、口元から溢れるカミソリ。
それらを見下ろす――つい今しがた≪仕事≫を終えたばかりのリゾット。
「……」
――戻ろう。
しばらく一瞬たりとも動かなかった彼は、変わり始めた血の色から視線を外しながら、おもむろに踵を返す。
そのときだった。
カタン
「!」
「……女?」
鼓膜を震わせた足音。
引き寄せられるように男がそちらを振り向けば、ドアの前で立ち尽くす細身の少女。
暗闇でよく見えないが、その格好からこの屋敷の使用人だろうか。
薄く開かれた窓からの風が、静寂を突き抜けていく。
――……余計な≪仕事≫は避けたいが、仕方ない。
目撃者はすべて始末する。
身の保全のためと言える一つの策。
それを遂行するため、リゾットが己のスタンドを思い浮かべた――刹那。
「!」
入口で固まっていた少女が、不意にこちらへと駆け寄ってきたのだ。
そして――
「……なぜ、オレに頭を下げる」
深々と彼女は自分に向かって、お辞儀を繰り出した。
まるで、≪感謝の意≫を伝えるように。
ターゲットが死に際に放つ命乞い、にはどうしても見えなかった。
攻撃も忘れて、彼の頭が疑問視に埋め尽くされかけていると、ゆっくりと少女が姿勢を正す。
「!? お前……」
それは、雲から月明かりが顔を出した瞬間のこと。
頸部と手首。
まだあどけない彼女には、銀に輝く首枷と手枷が嵌められていた。
「?」
「……」
≪救われた≫とでも勘違いをしているのだろうか。
朗らかとは言い難いが、目の前にあるのは今自分の背を射抜く月光のような儚い微笑み。
――首輪、か。
チームにも科せられた首輪。
柄でもない――少女の姿が自分たちと被ったなんて。
カチャン
「ッ!」
「どこにでも、好きなところへ行け」
鍵を探すとまでは行かなくとも、鎖は脆かったのか簡単に切ることができた。
目をぱちくりとさせる彼女から距離を置き、退出を促す。
考えてみれば、一度も声を聞いていない。
そうは思ったものの、再び会うわけではないのだから――すでに感化され始めている自分を嘲り、リゾットは少女が動き出すのを待った、が。
「……」
「……?」
「……」
いつまで経っても、彼女が逃亡する気配はない。
――困った……いや、オレがここを去ればいいのか。
「はあ」とため息をこぼした彼は、困惑を隠しきれないまま足を進め、どこまでも静かな少女の横を通り過ぎる。
しかし。
ぎゅうっ
「! 何をするんだ」
「……っ」
「……、……邪魔をするならば、見逃したと言えども――」
大きな背中へ縋るように張り付いた、小柄な躯体。
強引に振り払うのも戸惑われ、混乱を極めた男がおもむろに口を開いた瞬間。
少女が、自分の左手を取った。
そして動揺するリゾットに目も呉れず、彼女は指先で手のひらへと文字を書き始める。
――まさか、声が……?
一つの結論。
それが脳内に行き着いたと同時に、刻み終わったメッセージは――
『Prenda a cielo.(天国へ連れて行って)』
切ないまでの死を、望んでいた。
だが、リゾットがその願いを叶えることはなかったのである。
「……名前」
『こんにちは、リゾット』
美しい川沿いにある、小さな家。
そのドアを開ければいつも、スケッチブックを手に取ったあの時の少女――名前が迎えてくれる。
屋敷からここへ連れてきてから、かなりの時間が経った。
「風邪は引いていないか?」
『うん、大丈夫だよ。あ、見て? リゾットがくれたお花が咲いたの。綺麗でしょう?』
「ふ……ああ、とても綺麗だ」
スラスラと文字を紙に記し、笑顔でこちらへ見せる彼女にゆっくりと頷いた男。
当初は少しばかりの警戒を示していた少女だったが、今は疑いもせずに部屋へと招く。
――無防備すぎるのは少々困り者だな……。
名前は両親を自分と同じ暗殺者に殺され、そのショックで声を失ったらしい。
亡くなった後、彼女は名も知らぬあの屋敷の主人に養子として引き取られたが――想像通り、男の扱いはひどいものだったようだ。
「名前は……オレが怖くないのか?」
『え?』
ようやく花が咲いたような笑みが少女の顔に浮かべられ始めた頃、ふと疑問に思ったリゾットは尋ねたことがある。
自分は親の仇である者の同業者なのだ――出会った時点で嫌悪感や恐怖、憎悪という感情も存在しえるだろう。
ところが、「そんなわけがない」と言うかのように、慌てた様子で首を横に振る名前。
『怖くないよ』
「……一応聞くが、なぜだ?」
『だって、リゾットは≪優しい死神様≫だから』
「優しい……?」
死神は的を射ているだろう。
しかし、≪優しい≫と考えられているとは、思いもしなかった。
彼女をここに住まわせている理由は、慈悲だけではないというのに――――
トントン
「! すまない」
『謝らないで。でも、リゾットこそ大丈夫?』
その日のことを思い返していた彼の肩へ、弱々しく手が伸びる。
刹那、ハッとした男は「心配するな」と言うかのように微笑んだ。
それに対して、ただ事ではない反応を見せる心臓。
自分を生かしてくれた、優しい人。
物静かで、特に何をするわけでもなく、自分の頭をなでて帰っていく人。
だからこそ、名前が甲斐甲斐しくここへ訪れてくれるリゾットに≪好意≫を抱くのは、必然だったのかもしれない。
「(あ、リゾットだ……)」
水やりで濡れた花びらを、日差しが煌めかせるよく晴れた日。
鼻歌すら己の喉は紡ぐことができないが、名前は鮮やかな気持ちで部屋の窓を開けた。
そのとき、川越しに見えた高身長の男。
美しくそよぐ銀髪に、すべてにドキリとしながら、少女は彼が来ることを信じて疑わなかった、が。
「(……あ、れ?)」
徐々にこの家から離れていくリゾット。
さらに、そんな男の隣には――
「(綺麗な、女の人だ……)」
ブロンドを閃かせた、容姿端麗の女性。
二人は、自分にはできない≪話をして≫いた。
ツキリと痛みが胸の中心を貫き、じわりじわりと毒のように広がっていく。
「(リゾット……っ)」
もしかすると、恋人なのだろうか。
悲しい。
苦しい。
「っ、……」
自ずと開かれる薄紅色の唇。
だが、そこから音が紡ぎ出されることはない。
「……ッ、っ!」
発することが怖い。
変かもしれない。
歪かもしれない。
音がちぐはぐで笑われるかもしれない。
でもそれ以上に――
「……、と」
彼が何も言わずに離れてしまうことが、ひどく恐ろしかった。
振動する喉。
空気を捉える口腔。
――イチかバチか。
名前は深く息を吸い、
「っ、りぞっと……!」
思いの丈を声に乗せてぶつけた。
「!」
突如、耳を劈いた不安定ながらも凛とした旋律に、男は思わず瞠目する。
瞳に焦燥を織り交ぜて振り返れば、そそくさと閉められようとしていた名前の家の窓。
「……すまない。先に帰っててくれ」
「ちょっ……!?」
手に握っていたモノさえも放り投げ、駆け出した。
――今のは……。
呼ばれた自分の名前。
急き立てる心臓の音。
湧き上がったのは、これまでにないほどの≪喜び≫。
――名前、お前は今、オレの名を――
彼女と自分を、川の向こうを繋ぐ橋を走り抜け、乱れた息を整える暇もなくインターフォンを鳴らす。
しかし、いつも勢いよく開かれるはずのドアが、なかなか動かない。
とは言え、この一枚の板越しにある気配は感じられることから、傍にはいるのだろう。
「名前、どうした」
「……」
「開けて、くれないのか?」
チャイムを諦め、コンコンとノックを試みる。
だが、返ってくるのは無言と同じくノック音のみ。
「名前……頼む、このドアを開けてくれ」
「……」
「もう一度だけでいい。もう一度、オレの名前を呼んでほしいんだ」
「!」
ガチャリ
しばらくして、そろりと押し出された扉に入り込むようにして、リゾットは強引に足を玄関へと進ませた。
そして、目元を少しだけ赤くした少女に驚きを見せてから、静かに口を開く。
「どうした?」
「っ」
「……オレが、何かしてしまったか?」
小さく震えては、閉じる彼女の形の良い唇。
それをじっと見つめていると、名前がおもむろに自分の手を取り、指先で文字を書き始めた。
そう、まるであの≪いつの日か≫のように。
『さっきの、女の人はいいの?』
「女?」
『楽しそうに話してたから、邪魔しちゃったでしょう?』
「? 楽しそうに……?」
思い当たる節のない彼が首をかしげればかしげるほど、寂しさを交えた視線を落とす少女。
その様子に、このままではいけないと言葉を紡ごうとした刹那――バラバラだったパズルが脳内でぴたりと合わさる。
浮上した答え。
きっと、彼女は驚くだろう。
「ふっ……」
『! どうして笑って』
「名前、あいつは女じゃあない。男だ」
「え?」と言いたげにきょとんとした名前に対し、男は頬を緩めつつ肯定を示した。
「そうだ。オレの仲間ではあるが、変態だぞ」
「……」
自分はなんて恥ずかしい勘違いをしていたのだろうか。
カッと火が近くで燃え盛っているかのように、首から上が熱い。
「〜〜っ(私……男の人にヤキモチ妬いてたんだ……!)」
波のように押し寄せた羞恥。
堪え切れなくなった少女は、するりと背を向け、部屋へ戻ろうとした、が。
その前に、しっかりリゾットによって後ろから抱きしめられてしまった。
「待て、名前。まだ本題が済んでいないぞ」
「!」
「……声を、聞かせてくれ」
「りぞ、と……」
「名前」
途切れ途切れの言葉。
だがそれは、ひどく彼の心を打つ。
肩に手を添えながらこちらを向かせ、そっと艶やかな髪をなでれば――不安そうに見上げてくる名前が。
「……へんじゃ、ない?」
「ああ。変であるわけないだろう……オレが予想していた通り、綺麗な声だ」
「っ、ありが、と……////」
たどたどしくも、透き通った音が玄関に響き渡る。
不意に、柔らかな笑みを湛えた男は少女の額に己のものを重ね合わせた。
「もっと、オレの名を呼んでほしい」
「ぇ……あ、りぞっと……?」
「……もう一度」
「? リゾ、ト……んっ!」
次の瞬間、細い背に回っていた腕に力が込められたと同時に、塞がれる唇。
「ん、っ……ン、っふ、ぁ」
「はッ、名前……好きだ」
「! ぁ、んんっ……りぞ、っと……はぁ、っ」
くぐもる甘い吐息。
容赦なく絡められる舌。
たったの数秒のことか、一分以上のことか。
胸が≪気持ちが同じだったことの嬉しさ≫でいっぱいになりながら、彼女はようやく蕩けるほどのキスから解放された。
「っはぁ、は……、りぞっと」
「ん?」
二人を繋ぐ淫靡な銀の糸。
それがぷつりと切れども、交わった視線が離れることはない。
――この人に出会えて、本当に良かった。
目尻に大粒の涙を溜めたまま、名前は自分の言葉で――拙い声音で想いを紡ぎ出した。
「……わたし、も……す、き」
優しい死神と人魚姫
迎えられたのは、暖かい≪ハッピーエンド≫。
![](http://img.mobilerz.net/sozai/1610_w.gif)
お待たせいたしました!
リーダーで、声の出せないヒロインとのお話でした。
かなり最初の部分が切ないモノとなってしまいましたが、いかがでしたでしょうか?
そして尺の関係で裏にまで到達できず、申し訳ございません……!(もしよろしければ、フリリクで続きをry)
とら様、リクエスト本当にありがとうございました!
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