お祝いのキス
「ん? おい、名前。何、メローネの部屋の前で座り込んでんだ」
「! ぷ、プロシュート兄貴ぃぃ……!」
突如上から聞こえた声。
気が付けば、名前はその正体――プロシュートに泣きついていた。
「なるほどな……メローネにしてやられたうえに、恥ずかしい写真まで撮られていたと」
「う、っぅ、はい……さっきからドアを続けざまに叩いてるんですけど、反応がないんです」
かなり落ち込んでいるらしい。
自分の胸元にある頭をそっと撫でた男は、「メローネ、後で締める」と心の中で誓った。
「ほら、そろそろ泣きやめよ。可愛い顔が台無しだ」
「……か、可愛くなんかないです!」
こちらを見上げ、抗議する妹分。
その態度にプロシュートが小さくため息をつき、今度は彼女の頭を右手で小突く。
「いたッ」
「このマンモーナが。いいか? 確かにあいつの変態っぷりも異常だが、抵抗しなかった名前……お前も悪い」
こちらを見下ろす、青い瞳と目が合う。
彼は兄貴と呼ばれるだけあって、厳しくも正しいことを言う。
だが、今回ばかりは頷けないと、名前は唇を尖らせたうえで口を開く。
「……抵抗、ちゃんとしました」
「でも、できなかった。そうだろ? そうなりゃ、≪抵抗しなかった≫ということと同じになっちまうんだよ……わかるか?」
「……はい」
即座に言いくるめられ、どうすればいいのかわからない。
俯き、彼の特徴的なスーツの柄へと目を向ける。
「おい、名前。オレを見ろ」
「……いやで――」
「嫌だなんて言わせねえぞ」
グイッ
まさに強引な形で顎を持ち上げられた少女が、せめてもの抵抗と視線をそらそうとするが、それもできない。
いや、させてもらえない。
「名前。オレは別に、お前がキスされて泣いてたことやその反抗的な態度に、怒りを感じてるわけじゃあねえ」
「……え?」
そうなんですか?
思うがまま口を開こうとしたそのとき、名前の額にコツンと音を立ててプロシュートの額が合わせられる。
「!? え、ちょ……っ」
「『自覚しろ』。お前は女なんだ……仕事上、襲われる可能性もあるかもしれねえ。そのときに、≪抵抗できなかった≫って言うつもりなのか? 違うだろ? いいか、できるできないじゃなく、抵抗するための術を身につけろ」
「!」
やはり兄貴は兄貴だった。
あくまでも優しい表情で紡がれる彼の言葉に、名前は強く心打たれた。
「……はい! 私、やります!」
「ハン、よく言ったッ! そうと決まれば、早速練習だな」
「え?」
思わず目が眩んでしまうほどの、笑顔を見せるプロシュート。
だが、その意図がよくわからない。
「あの、プロシュート兄貴? いったい何を……練習するんですか?」
「そんなの決まってんだろ。キスだよ、キス」
「……? ……って、はい!?」
先程までの話はなんだったのだろうか。
少し後退った彼女に対し、逃がさないとでも言うかのように肩を掴む男。
「逃げられる状況下じゃあねえぞ? 精一杯、抵抗してみせろ」
「!? え、あのっ、本気で――」
刹那、引き寄せられる身体。
そしてそのまま近づいてきた端整な顔に、名前はきつくきつく目を瞑り――
チュッ
「……あれ?」
柔らかさを感じたのは、己の額。
少女が恐る恐る瞼を開くと、にたりと笑うプロシュートと目が合った。
「どうした? まさか、誕生日だからって唇だと期待でもしてたのか? 欲張りなマンモーナだ」
「!? 〜〜ッ////」
ハメられた。完全にハメられた。
金魚のように口をパクパクと動かすことしかできない名前。
彼女の真っ赤な顔とその初々しさに愛しさを覚えながら、男はただただ笑みを深めるばかり。
「ッ、あ、兄貴の……っバカ! ロリコン! 変態! ……えっと、バカ!」
「ハン! 名前は抵抗うんぬんより、ボキャブラリーを増やすことから始めた方がよさそうだな」
「なッ! ムキ――――ッ!」
「……まあ、でも」
悔しさのあまり少女が地団駄を踏む。
しかし次の瞬間――
「安心しろ、名前。オレが見惚れちまうぐれえのシニョリーナに成長したら、唇だけじゃなく身体の隅から隅までしっかりと味わってやる」
「!?!?」
だから、そのときの誕生日まで楽しみにしてろよ。
耳元で囁かれ、小さなリップ音とともにこめかみへ柔らかい感触を受けた名前の脳は、もう限界というかのように思考停止してしまうのだった。
お祝いのキス
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