uno

※連載「Uno croce nera...」の番外編
※単品でも読めます
※切甘





とある昼下がり。

不意に玄関から響いた音に、リビングを支配していた喧騒はあっという間に静寂へと切り替わる。



「! リゾットさん……!」


「ただいま、名前」



そして扉から現れたのは、仕事の関係で三日ぶりに帰宅したリゾット。



――おかえりなさいっ。

――無事でよかった……。

――お怪我はありませんか?



矢継ぎ早に口遊んでしまいたい言葉をグッと飲み込み、「熱いね〜」とからかう周りを気に留めることなく名前は彼の元へと駆け寄る。


ところが。




「!」


ふっと鼻腔を劈いた、ひどく甘い香りに止まる両足。

それをもたらすのは――目の前に立つ恋人。


異様に脳髄をクラリとさせるこれは、明らかに男性が身に付けるタイプのモノではない。

≪女性≫モノだ。



「……っ」



頭を殴り付けられたような衝撃が、彼女の心を襲った。

自然と彷徨う視線。


一方、ふわりと口元を緩めた男はいつも通り少女を抱きしめようと、こちらに歩み寄ってくる。



「名前?」


よくわかっているのだ。

リゾットは今まで≪仕事≫だった。

出逢ったとき、いや出逢う前から知っている、暗殺という生業。

要人の愛人など、自分には到底持ち得ない色香を放つ女性と関わることも、少なくはないだろう。



そう、わかっている。はずなのに――



「?」


「おお!? 名前ったらベリッシモ大胆……!」


「……」



伸びてきた逞しい腕を躱し、目を伏せたまま名前は彼が今着ている服にある――黒いベルトがクロスした箇所、すなわち金具部分を両手で掴む。

そして、それをおもむろに自身の方へ引っ張ったかと思えば、






バチンッ



「ぐッ!?」


「「「「「!?」」」」」



胸筋と腹筋を襲った衝撃に呻く男。

目の色を、興味から驚愕へと変えた仲間たち。




「ッ、名前……、突然何を――」



とは言え、今までにない変わった攻撃に倒れ込むほど、リゾットもヤワではない。


彼は少しばかりふらつきつつも視線を前へ移して――ハッと息をのんだ。

俯きがちの名前は、ひどく悲しそうに眉尻を下げ、今にも泣き出しそうな顔をしていた。



「っ、私……部屋に戻ります……」


「!? 待ってくれ、名前!」


「……っ」



必死の呼びかけ。

だが、彼女はそれに応えることなく、走り去ってしまう。


何が一体、どういうことなのか。

リビングを渦巻く驚きと動揺から、いち早く抜け出したプロシュートは呆然としているリゾットの隣に並び――次の瞬間、皮肉げにため息をついた。



「ハン、なるほどな……」


「…………なんだ、何が≪なるほど≫だ」



真顔ではあるものの実は狼狽えているのか、鋭くなった男の眼光。

それを視界に入れながら、名前の心情を≪香り≫で察知した彼は鼻で笑う。



「おいおい、リゾットリゾットリゾットよォ〜! お前な、人に聞いて解決しようとしてんじゃねえぞ。自分で考えやがれ……ま、あえて言うとしたら今のお前はあいつの複雑な気持ちに気付けねえ、ただのマンモーニってこった」


「マンモーニ、だと?」


「そうだ。そのカッチカチな脳みそ振り絞っても、答えが出てこねえっつーなら、このまま一生名前に嫌われてろ」



嫌われてろ――その一言によって、雷が落ちてきた感覚に陥るリゾット。


――オレは……名前に何をしてしまったんだ……?

わからない。だが、彼女を傷付けてしまったのはわかる。ただならぬ絶望に瞠目していると、次にやってきたのはすんすんと自分に鼻を近付け、おもむろに苦笑したペッシだった。




「……あの、リーダー。とりあえずシャワー浴びた方がいいっすよ」


「シャワー……?」



刹那、リビングを出ていこうとしたプロシュートが、彼を呼び立てるように叱咤する。



「おいペッシ! 何ヒント出してんだ……行くぞ!」


「あ、今行きやす!」


「……」


慌てて離れていった大きな背を、リゾットはただただ見送る。

しかし、シャワーというヒントを元に考えれども、答えは見つからない。


彼が迷走しているうちに歩み寄ってきたのか、今度はメローネが追い打ちをかけるように、肩を竦めた。



「あちゃー、これはアウトだね。ギリギリでもない、完全にアウトだ。どんまい!」


――アウト?

慰められているのか、貶されているのか――いや、この男の場合は後者だろう。そちらへ目線だけを向ければ、彼は静かに口端を吊り上げる。



「それとも、任務先で情婦かなんかと疚しいことでもあった?」


「ない。あるわけがない」


「……ま、そうだろうねえ。名前しか眼中にないあんたが、浮気なんてするはずないか。……にしても、名前もさあ……怒ってそのベルトで≪バッチン≫なんて、ずいぶん可愛い攻撃じゃないかッ! ベリッシモよかったね……オレがもし彼女だったらビンタ食らわすんじゃあないかな」


「ビンタ……?」



息継ぎすらせず放たれたセリフに、唯一理解できたのは名前をかなり怒らせてしまったという事実。

ますます沈んでいく心。


そんな自分を見て、なぜか楽しそうなメローネが部屋を後にしたかと思えば、入れ替わるようにイルーゾォがやってきた。



「うわッ! これは……」


「(一体なんだと言うんだ)」



全員が全員、眉をひそめるといった対応のみだからこそ、結論は路頭に迷ってしまう。

ところが、どれほど懇願を交えた眼差しを向けても、≪教えられない≫とおさげの彼は言いたげに首を横へ振るばかり。



「ごめん。オレも、リーダーが自分で気付いた方がいいと思う」


「……お前もプロシュートと同じことを言うのか」


「いや、まあ……あいつは確かにとんでもない伊達男だけど、恋愛に関しては長けてるからな。今回は賛成」



とりあえず、自分の服嗅いでみろよ。

そう告げた瞬間、ヒラヒラと手を挙げ鏡の中へと姿を消した男。


――服……?

与えられた新しいヒント。


顔をしかめながら、リゾットがそっと己の腕を鼻へ寄せた刹那だった。



「あー……ダメだな、こりゃァ。しょーがなくもねェ」



ホルマジオ、お前もか――あっけなく放たれた発言に、さらに沈没する胸中。

すると、苦笑いを浮かべた彼はポンポンと肩を叩いてくる。



「リーダーよォ……自分では気付きにくいとは言うが、こいつァかなりすげェぞ?」


「? 何がすごいと言うんだ」


「……いや、それは……なァ? 口には出しにくいっつーか……まッ、頑張れよ。珍しく怒った名前みてーな可愛い娘ちゃんが、アジトを出て行かなかっただけマシだって! まだ勝機はあるぜ?」


「……」



――なるほど、よくわからん。

にしても、たとえ暗殺者とは言え、自分の仲間は無慈悲すぎやしないだろうか。


名前の元へ行きたくとも、理由がわからなくては意味がない。ついに痺れを切らした彼は、ソファに寝そべりまだ一言も発していない、ギアッチョを淡々と見据えた。



「ギアッチョ」


次の瞬間――面倒臭そうな視線。

そして、おもむろに身体を起こした彼は、ビシッと自分へ指を差してくるではないか。



「リゾット、テメー……匂うんだよ」


「に……匂う?」



引きつってしまう頬。

眼鏡越しの冷めた眼光。


少なからず動揺したリーダーに、チッと舌打ちをしつつギアッチョは微かに頷く。



「あア。はっきり言って、クセー。鼻がひん曲がりそうだぜ」


「!? ま、まままさかッ……加齢臭が――」


「〜〜こんの天然ボケがッ! なンでそうなんだよ! もっと甘ったりィモンがあるだろうがアアアアア!」



鼓膜を揺さぶった怒声。

だが同時に、ようやくすべてのパズルを一致させたリゾットは、ハッと目を見開いた。



「!」


彼女にもたらしてしまったのは――≪誤解≫だ。

今すぐにそれを解きに行きたい。


けれどもその前に――



「……洗濯とシャワーに行ってくる」


「ケッ、そうしてくれ」



善は急げと、そそくさとリビングから消えた男。

それに目線だけを向けたかと思えば、深いため息を吐き出したギアッチョが、おもむろに本を持ち直す。


「…………世話が焼けるぜ」












その頃、名前は身体をベッドへ一人預けながら、押し寄せた自己嫌悪の波に下唇をギュッと噛み締めていた。


「……」




リスクを負う仕事をこなすリゾットが、何事もなく帰ってきてくれるだけで、嬉しいのだ。

それなのに。



――あんな迎え方しちゃうなんて……っ。



「わた、し……私」


そばにいてくれるだけでいい。

恋を自覚した当初は、そうとだけ思っていた。

――いや、胸にそう言い聞かせていた、と言うべきなのだろう。


しかし、今や≪自分だけを見ていてほしい≫と考えてしまっている。



「〜〜っリゾットさん……」



あの甘く婀娜やかな香りが、こびりついて離れない。

歪とも呼べる永遠に、≪生≫を刻むことを忘れた心臓は、切ない痛みでじくじくと疼き続けていた。


ただただ、欲張りになっていく自分が嫌で仕方がない。



「っ」


白い枕を抱きしめる両腕に、力がこもる。

なんて謝ればいいんだろう――顔をそれへと深く埋めながら、彼女は今にも緩みそうな涙腺を必死に押し止めていた。










「……あ、れ?」


しばらくして目を薄らと開けば、視界を覆う靄。

身体を包む妙な虚無感。

ふと顔を上げると、そこには見慣れた後ろ姿。



「リゾット、さん……?」


「……」


世界に響き渡った己の声。

ところが、それは彼に届くことなく――男は自分から離れて行ってしまう。



「っ、待ってください……!」


追いかけたくて、動かした足。

引き止めたくて、伸ばした手。


しかし、どれほど意志に訴えかけても、それらは微動だにしない。

――やだ……っリゾットさん、待って……!


震うことすらやめてしまった喉。


頬に伝う雫をはっきりと捉えつつ、少女は声にならない声でその名前を叫んでいた。










「――……、ぁ」


瞬きをした刹那、視界に映り込んだ天井。

朦朧とする頭。


今までの光景は――夢、だったのだろうか。



「名前?」


「!」



優しい声音。

ハッと彼女が視線をそちらへ移せば、心配そうに自分を見つめる、ベッドの脇に腰を下ろしたリゾットが。

シャワーを浴びてきたばかりなのか、彼はズボンのみを身に纏い、いつもと比べてぺしゃんとなった髪からは水が滴り落ちている。


夢と現実のギャップに目を白黒させていると、一歩近付いた男がそっと少女の頬を撫でた。



「あ……」


自分はいつの間にか、泣いてしまっていたらしい。

眼前には、いつもと変わらないリゾットが――大好きな人がいる。


広がっていく安堵。



「〜〜っ」


ポロポロと、止めどなく深紅の瞳から溢れ出すナミダ。

次の瞬間、名前は恥ずかしさと不安も忘れ、彼の腰元にぎゅうと抱きついていた。



「リゾットさ……リゾットさん、っリゾットさん!」


「!? ど、どうしたんだ名前……まさか、オレはまた君を――」


「ごめんなさい……っ」



紡がれた謝罪の言葉。狼狽しながらも彼女の顔を覗き込めば、潤んだ眼とかち合う。



「私……私、ヤキモチを焼いてしまったんです」


「ヤキモ、チ……?」



今しがた放たれた単語をオウム返しにすると、コクリと頷く少女。

それから、名前が打ち明けたヤキモチとやらの内容は、リゾットにとって予想外のものだった。



「仕事関係でってわかっていたのに。リゾットさんから香った、女の人の香水に反応して……私、あんなひどいことを……」


「……ふ」


「! ど、どうして笑って……!」


「いや……ただ、嬉しいんだ」



――嬉しい?


思わぬ発言に、丸くなる双眸。

それにますます顔を綻ばせた彼は、ひたすら愛おしそうにじわりと濡れた彼女の柔肌を大きな手のひらでなぞる。



「名前が名も知らぬ女に嫉妬してくれたのかと思うと、嬉しくてたまらなくなる……と言っても、今回の行いはワザとではないからな? 情婦の服が置いてあったクローゼットに、長時間潜んでいたんだ。……それだけはわかっていてほしい」


「……」



心を埋め尽くしたのは、本当に喜びだけだった。

独占欲が強いゆえか、少女のことに関しては特に嫉妬することが多い男。


だからこそ、名前がおずおずと紡ぎ出した事実が胸を躍らせたのである。

一方、彼女はしばらく紅い瞳をぱちくりさせてから、リゾットの腹部に再び頬を寄せた。



「(そうなんだ、よかった……)でも、私……っこのままだともっと欲張りになっちゃいそうで……怖いんです」


「……怖がる必要はない。オレはむしろ遠慮せずにワガママを言ってほしいぐらいだ」


「! リゾットさん……」


「それにしても、今までもこれからもオレの心に居続けるのは君だけなんだが……ヤキモチを妬いてあの攻撃とは。本当に可愛いな、名前は」


「っ///////」



ベルトを弾いたことを思い出したのか、真っ赤に染まる少女の頬。

慌てて顔を隠そうとすると、彼が逃がさないと言いたげにコツンと額を重ねてくる。


その眼差しに浮かぶ、情愛と申し訳なさ。



「だが今回の行動は軽率だった……許して、くれるか?」


押し寄せる羞恥。それから逃れるために視線をあらぬ方へ移せば、ふと映った乾かしてある仕事着。

男の思いやりが、嬉しかった。



「り、リゾットさん……っ」


「ん?」



刹那、そっと大きな背中へ腕を回す。

許すも何も――軽蔑されないか不安だったのは自分だと言うのに、どこまでも優しい人だ。


ゆっくりと近付いてくる唇に、引き寄せられるがまま名前は瞳を閉じ、小さく微笑みながら柔らかなそれを受け入れたのだった。










ヤキモチサギ
寂しいと拗ねてしまう、そんな愛らしい生き物。




〜おまけ〜



「(……香水、かあ)」



ひとしきり、言葉もなく抱きしめ合っていた二人。

不意に今日の艶かしい香水を思い出した彼女は、男に小柄な躯体を寄せた状態でぽつりと呟く。



「私も……付けて、みようかな」


「ん? 名前……何を付けると言うんだ」


「! い、今の聞こえて……!」



交わる視線。

だが、想いを話すまでリゾットが諦めないことも知っていた。


ひどく動揺していた少女は、先程口にしてしまった思いつきについて恐る恐る紡ぎ出す。



「えと……私もその……香水を探してみようかな、って」


「……」








「必要ない」


「え?」


「……気付いていないかもしれないが、名前からはとてもいい香りがする」



そう彼が耳元で囁いたかと思えば、すんすんと首筋を嗅がれ、名前の顔は見る見るうちに紅潮した。

また、今更ではあるが、男の上半身は何も身に纏っていないのだ。



「り、リゾットさんっ! あの、十分わかりましたから、ぁっ……お願いです、っ離れてください……!」


「ダメだ。もっと、もっと……名前の香りをオレに染み付けてほしい」



どれほどジタバタと暴れても、解放されそうにない。

できるだけ目の前の肌を意識しないようにしながら、諦め半分で彼女は項垂れる。


一方、リゾットは空白の三日間を補うように、少女を強く強く抱きすくめていた。





「ん……っ? あ、これ……(すんすん)」


数分後。溢れ出た羞恥が限界に達し、彼と無理矢理にでも距離を置いた少女はおもむろに己の修道服へ鼻を近付ける。

そして、なぜか破顔するではないか。



「名前? どうした?」


「あっ……い、いえっ……(自分から漂うリゾットさんの香りが嬉しくて、なんて言えないよね……)えへへ////」


「……」



もちろん、その細く小さな身体をようやく解放したにも関わらず、名前が可愛らしくはにかんだことで、なんとか保っていたリゾットの理性がぷつんと容易く切れたのは言うまでもない。












ずっと書きたかったネタの一つが、ようやく書けました……!
連載ではリーダーの独占欲がかなり目立っていますが、ヒロインちゃんも実はそれなりにヤキモチ妬き。
そんなイメージの元、書かせていただきました(^p^)


感想などがもしございましたら、よろしくお願いいたします!
お読みいただき、ありがとうございました!
polka





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