オトナのヴァレンティーノ

〜プロシュート〜





その日、小さな袋を手に抱えた名前はきょろきょろと周りを見回していた。



「(皆さん、どこにいらっしゃるんだろう……)」


2月14日。

前日にガトーショコラをなんとか作り上げた彼女は、朝からずっと男たちを探しているのである。



「(もしかしてお仕事かな……でも、≪今日は何もない≫ってリゾットさんも仰ってたし)……うーん」


もちろん、彼らの部屋に置いておくのも手だが、どうせなら直接渡した上で、感謝の気持ちを伝えたい。

物音一つすることなく、冷える空間。


リボンをあしらったそれをじっと見つめながら、少女が玄関に立ち尽くしていた――そのとき。



ガチャ


「! あ……」



外とアジトを繋ぐドアが開く。


そこから現れたのは、グレーのトレンチコートにマフラーで首元を覆ったプロシュートだった。


「ん? よお、名前。どうした?」


「ぷ、プロシュートさん! おかえりなさい!」


ようやく出会えた一人目に、タッタッと寒そうな彼の元へ駆け寄る名前。

可愛らしい靴音。


こちらに向けられる一般の家では当たり前かもしれない彼女の≪おかえりなさい≫が、まるで二人が特別な関係であると錯覚させる。



「ふっ……おう、ただいま」


だが、すぐに≪まだそうではない≫と己を嘲った彼は、ふと視界に映ったシンプルながらも愛らしい小包に、にやりと口元を歪めた。



「ククッ、そうかそうか。ヴァレンティーノだから、オレらを探してたんだな?」


「!? ど、どうしてわかったんですか……?」


「わかるも何も……つーか、≪ジャッポーネではシニョリーナが男にチョコを贈る≫ってのはマジの話だったのか」



まったく、羨ましい輩だぜ。

鼻で小さく笑い、肩を竦めてみせる男に対し、微笑んだ少女はコクリと頷く。


「はい。チョコレートを渡すと同時に、勇気を出して告白する……という、一つのイベントなんです」


「ほーう」



女性から想いを告げるとは――なかなか理解できそうにない感覚にプロシュートが少しばかり眉根を寄せていると、いつの間にか照れ臭そうに頬を赤く染めた名前が自分を見上げていた。


「そ、それでですね、プロシュートさん」


「ん?」


「あの……これ、受け取ってもらえますか……?」



目の前には、小さな両手に収められた小包が。

すると、皮肉げなモノから温かな笑みへと様変わりする、己の口角。



「……ハン、貰わねえわけがねえだろ。グラッツェ、名前」


「っ、えと、プレーゴです! えへへ、よかったあ」



甘酸っぱいムード。

むず痒い上に、珍しく熱くなりそうな顔をなんとか冷ましながら、彼は「嬉しさにかまけて忘れるところだったぜ」と呟き、流れるような手つきでコートの内ポケットから長方形の箱を取り出す。


当然、その深い緑――木賊色の包みと白銀のリボンに、きょとんとあどけない表情を見せる少女。



「? それは、頂いたんですか?」


「ちげーよ。美しいシニョリーナ、お前にだ」



彼女の故郷の習慣に従い、選んだのは自分オススメのショコラ。明らかに高級そうなその代物を呆然としている名前の白い手に握らせれば、徐々に丸くなった深紅の瞳。

どこまでも澄んだそれに≪今だけ≫は自分が映り込んでいる――そうひどく心地の良い優越感に浸っていると、ふと目の前のシニョリーナが視線を落としたことに気付き、首をかしげた。



「……プロシュートさん」


「あ?」


「や、やっぱり私が渡したの、返してください……!」



ピタリと止まるその場の空気。

それを遅れて切り裂く、男の怒りと呆れを交えた声。


「はあッ? おい、何を言い出すかと思えば……バカなこと言ってんじゃあねえ! キスすんぞ!」


「〜〜っだ、だって、なんだか申し訳なくなっちゃって……って、どうしてもう開けていらっしゃるんですかっ」


「ふっ、残念だったな。こいつはオレのモンだ(パクッ)」


「あーッ!」



ガトーショコラが、いとも簡単にプロシュートの口に収まってしまう。

小さく絶叫し、そわそわと落ち着かない様子の少女。


目線を彷徨わせる彼女を一瞥して、ゴクンと喉仏を上下させた彼は、おもむろに言葉を紡ぎ出す。



「美味い。すげえ美味いぜ。隠し味のビターが効いてて、オレ好みだ」


「!(さ、さすがプロシュートさん……)」



試行錯誤して決めた工夫でさえ、瞬時に当ててしまった――思わず尊敬の念を眼差しに滲ませていると、不意にガトーショコラを再び咥えた男の顔が近付き、高い鼻の先が名前のそれにコツンとぶつかった。

唇の距離、約3センチ。


「ッ、あ、あの……っ」


「どうせ口に合わねえんじゃねえか、とか不安がってたんだろ? そんなに心配なら、オレが食わせてやるよ」


「!?」



今更ながら後退ろうとする彼女を、その細い腰に手を添え、捕らえる。

逃がすはずがない。


――ったく、隙ありすぎなんだよ。

そして目の前を掠める≪スキ≫を見て見ぬふりするほど、自分は優しくない。


ますます真っ赤になる白かったはずの肌を目に焼き付けつつ、そっと少女の頬を撫でたプロシュートはおもむろに首を斜めへ傾け――――



「ちょっとちょっとちょっとー!? 何抜け駆けしてんのさ、おじいちゃん!」


「そうだそうだ! 約束放棄は許可しない!」


「あ、皆さん」


「……チッ(タイミング悪すぎだろ)」



刹那、次々と外から戻ってくる仲間。

仕方なしにガトーショコラを咀嚼し、自ずと溢れる舌打ち。


離れろと騒ぐメローネとイルーゾォ。

その鬱陶しさで、眉は当然ながらひそめられる。


「おい、耳元でわめくなって。わーったわーった」



腕から解放した途端、名前は状況を理解できないままあっという間にリビングへと攫われてしまった。


「……」


深いため息。

だが、これでチャンスがなくなったわけではない。



「……ま、のんびり行くか」


それに、展開を急いだからと言って、いい結果が得られるとは限らない。

くつくつと喉が鳴る。


また少女と二人きりになれる瞬間を、虎視眈々と狙えばいい――脳内を過ぎったシチュエーションに思わず口元を綻ばせながら、彼は今頃皆が集まっているであろうリビングに向かって、閑散とした廊下を歩き出した。









オトナのヴァレンティーノ




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