「もしもし。交通会社の者ですが」
「……え?」
どうして――聞き覚えのない声が受話器から届いた瞬間、わけがわからなかった。
でも、次の言葉で私はすべてを理解した。
……ねえ、プロシュート。
貴方って本当、優しい大ウソつきだね。
私、いまだに全部思い出せるんだよ?
出逢ったときのことも。
いつもピシッと決めてる分、ギャップのある光を纏った髪が肩にハラリと落ちる瞬間も。
低血圧なのか、やけに不機嫌な寝起きも。
何かを隠すような甘く貴方らしい――婀娜やかな香水も。
……異常に足癖の悪い貴方を私が怒ったこともあったっけ。
それに、身体を重ねるときはますます艶っぽくなる吐息も。
弟君(?)がダメダメだって言いながら顔をしかめるくせに、話し続けている貴方の目はとても楽しそうに輝いていた。
あと、まずいって顔をしたから追及はしなかったけど、私が階段から落ちそうになったときも、貴方がどうにかして助けてくれたんだよね?
「よっ、名前。ずいぶん重そうなモン持ってんじゃあねえか……手伝うぜ」。
そう言いながらジャケットを脱いで、半袖から露わになる意外に逞しい二の腕も。
どんなときでも私の手を、頬を、肩を、背を、腰を包んでくれた無骨に見えて繊細で大きな手も。
すべて、すべて思い出せるのに――
仕事のことを尋ねたときの貴方の顔と雰囲気だけは、思い出せないの。
ううん、ほんとは思い出したくないだけ。
「プロシュート、あんたって携帯持ってないの?」
「あ? なんだよ、藪から棒に……持ってねえわけねえだろ」
「じゃあ、なんで直接会いに来てくれるの? プロシュートだって忙しいのに……それに、たまには電話越しに貴方の声を聞いてみたいよ」
「……悪い。これは仕事専用って決めてんだ」
「…………そっか、ならしょうがないね!」
生活感が全然なくて、仕事の話になると黙り込んで、ときどき視線に深く暗い闇を帯びて、どこまでも完璧な貴方。
だからこそ、覚悟はしていた。
貴方にはたくさんの――私より遥かに美しくて、素敵な恋人がいるんだろうって。
それなのに――
それなのに、どうして?
「唯一残っていた履歴が、貴方の電話番号だったんですよ」
どうして、貴方は私の番号を知っていたの?
「こちらも身元を調べてはいるんですが……もしかしたらと思い、お電話させていただいたんです」
仕事専用って、あんなに苦しそうに呟いていたじゃない。
「……もしもし?」
こんなときだけ特別扱いして、ずるいよ。
そもそも、≪御機嫌よう≫なんて貴方らしくない。
「あの、もしもし?」
「……どこ、ですか?」
「え?」
「遺体安置所の場所、教えてください……ッ私の、私の大切な人なんです……!」
ねえ、プロシュート。
貴方はたぶん、≪忘れろ≫って意味を込めて私にシオンの花を贈ったんでしょ?
だったら、忘れてあげない。
それに、完璧主義な貴方のことだから、本当は知っているはずだよ。
シオンの花言葉には――
≪君を忘れない≫って意味があることも。
だから――いつか。
いつか、私が貴方を忘れそうになったら、
ちゃんと、迎えに来てね?
Sionと共に眠る
――それが、私の幸せだから。
色とりどりの花に囲まれた庭の中で、キイキイと年季の入ったロッキングチェアーが音を立てる。
「――おばあちゃーん! どこ、行っちゃたのー!?」
それに重なるのは少し甲高い子どもの声。
眠り込んでいたのだろう。
うっすらと閉じていた瞼を上げた老婦は、視界を覆う暗い影に小さく口元を緩めた。
「……孫が呼んでるぜ、≪おばあちゃん≫」
「ふふ、ほんとだ。でも……私の目の前にいる≪色男≫が行かせてくれそうにないかな……迎えに来るの、ずいぶん遅かったね」
「おいおい。お前がオレのことをなかなか忘れねえからだろうが」
顔を上げれば――数十年前と一切変わっていない恋人が、不敵な笑みでこちらを見下ろしている。
そんな彼に対して込み上げるのは、嬉しさと一抹の切なさ。
「忘れるはずないよ。最初で最後の恋人だもの」
「……しっかし、まさかオレも≪おじいちゃん≫とはな……驚かないわけにはいかねえな」
「あれ、知ってたんだ……来てくれたときに倒れちゃうぐらい驚かせようと思ってたのに」
「ハン! 詰めが甘えよ。言っとくが、オレはずっと見てたんだからな」
少しだけ近くなった可愛い孫の声。
今、隣に立っている彼との間にできていた息子の、息子。
「あの子ね、びっくりするぐらい貴方にそっくりなの。生まれ変わりかなって思っちゃうぐらい……将来、かっこよくなるだろうなあ」
「……オレには及ばねえよ」
「ん? もしかして……嫉妬してる? 昔から、貴方って意外にヤキモチ妬きだったけれど、実の孫にまで妬いちゃうのはどうなの?」
「あ? 何言ってやがる」
「だって、いつもは澄ました顔で赤いバラを渡してくるくせに、あのときは仏頂面で黄色いバラを押し付けてきたじゃない……ふふ、今その顔を思い出しても笑っちゃう……!」
「……おい。まさか、子どもにそんな話までしてねえだろうな……」
「さて、どうでしょう? ……ずっと見ていてくれたんだよね?」
「…………チッ」
居心地が悪そうに眉をひそめ、そっぽを向いてしまうプロシュート。
その、相変わらずしゃんとした背筋に、彼を見上げていた彼女は自分を一瞥して苦笑を漏らした。
「……プロシュートは変わらないね。私は……私だけ、おばあちゃんになっちゃった」
「そうだな。一瞬、誰かわからなかったぜ」
瞳がかち合わないまま、言葉が紡がれる。
やっぱり――そう思い、俯いたそのときだった。
スッ
「!」
すっかり白へと変わってしまった髪に添えられる、紫のシオン。
見開かれた目を覗き込みながら、プロシュートはにっと口端を吊り上げ、決して変わりはしない想いを放つ。
「けど――オレの選んだ花が似合う最高の女。それは名前、お前しかいねえよ」
「ッ、もう……すぐ調子に乗るんだから……っ」
「ハン、何を今更」
「でも……そんなところも好き」
刹那、少しだけ面食らったような顔をした彼は、再び笑みを浮かべて、彼女――名前の手を取った。
「じゃあ、行くか」
「……うん」
「せっかくだ。オレの仲間も紹介してやるよ……かなり個性的だから覚悟しといた方がいいぜ」
「ほんと? ふふ、楽しみだなあ……私のことも、ちゃんと奥さんって紹介してね」
「ふっ、当然だろ」
静かに首を縦に振れば、ゆっくりと近付くプロシュートの端正な顔。
冷たくも温かくもない。
固くも柔らかくもない。
乾いても湿ってもいない。
それでも、久しぶりに彼と交わしたキスは、とても懐かしく甘い気がした。
終わり
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はい、初の死ネタでした。
原作を読み直し、その衝動で書いた結果がこれだよ!
考えが甘いのかもしれませんが、読むたびにみんなどうにかして生き延びてほしかったなあ……と思ってしまいます。
まあ、生きてほしいと願うがために、長編を書いていると言えばそうなのですが。
感想などがあればぜひお願いします!
読んでいただきありがとうございました!
polka
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