とても、静かな夜だった。
「……」
いつも通り仕事を終えたイルーゾォは、誰もいない真っ暗なリビングへと足を踏み入れる。
「……はあ」
呆気ない死だった。
スタンドも、武器も、護衛もない――簡単な暗殺。
それでも、心はひどく疲れてしまう。
「ッ、……寝よ」
寝てすべてを忘れられるほどこの仕事は甘くないが、起きていると脳は余計なことまで考え始めるのだから仕方ない。
繰り返す歪な日常。
そんなものに後悔を抱くのは――バカらしくて、とうの昔にあっさりと捨て去った。
だが疲弊は、疲弊だけはどうしても拭えない。
それでも同時に、その感情が自分はまだ人間だ、と妙な安心をもたらしもしていた。
「ふう……」
暗闇に現れる白い吐息。
そして、肌を突き刺していく寒さを感じながら、自分が先程出てきた場所――鏡を感情のない瞳で見つめ、そこへ静かに手をかざしたそのとき。
「!」
服越しに背中が捉えた、温かい人肌。
それが何か――誰かわかっていたイルーゾォは、小さくため息をついて口を開く。
「名前」
「……っ」
「重い。退いてくれると嬉しいんだけど」
するり。
簡単に消えた体重に彼が振り返れば、俯く少女――名前が寝間着で立っていた。
「……」
「? もう夜中みたいだけど、なんで起きてるの」
返ってきた無言。
「オレ、眠いから早く言えよ」
凍えるような寒さと無理矢理引き留められた理不尽さに、思わず苛立ちを声に込めてしまう。
すると、小さく肩を震わせる少女。
そんな彼女を見て、次にイルーゾォの心を占めるのは――自分への怒り。
――ダメだ。名前に当たりたくないのに。
「……ごめん。話なら明日聞くから」
慣れたはず、とは言っても死を凝視した後だ。
自分の感情をコントロールする余裕が、おそらくない。
相変わらず視線を落としたままの名前を一瞥して、イルーゾォは鏡に手を置いた、が。
「……待って」
自分の左手を優しく握る少女の両手。
それは、暗闇でもわかってしまうほどひどく白い。
――どうしてなんだろう。
名前だって暗殺チームの一員だ。
これまで、いくつもの仕事を請け負っている。
なのに。
――名前の手は綺麗に見える。
愛情、羨望、嫉妬、崇高。
そのどれでもない――いや、どれもが入り混じった感情に男は眉をひそめつつ、言葉を紡ぎ出す。
「……なんだよ」
「治療、しなきゃ」
「はあ?」
最初に言った通り、今回の任務は簡単だった。
もちろん、怪我なんて一つもない。
「おい、オレは別に――」
「いいからっ」
「! ……わかった」
怒っているのだろうか。
その感情の矛先がいまいち理解できぬまま、イルーゾォは名前にソファへと導かれていた。
「……」
「なあ、名前」
「何?」
「オレ、どこも怪我してないんだけど」
「してるじゃない」
しばらくリビングを支配していた静寂。
それが破られたと同時に、男が感じたのは左胸に当たる何か。
そのくすぐったさに、目を見開いた彼は慌てて口を開く。
「ちょ、名前……?」
「ここ……っ、いっぱい怪我してるじゃない」
「……」
どうやら、少女には何もかもがお見通しだったらしい。
この暗殺という仕事も。
必ずそれについて回るリスクも。
明らかに見合わない報酬も。
上から得られない信頼も。
すべて――彼の中に傷として残り、消えはしないのだと。
「……名前」
「ここのみんなは誰だってそう! 何気ない日常を楽しんでいても……どこかに絶対影を持ってる。忘れられない影を。ねえ、どうして隠しちゃうの? 隠す必要なんてないでしょ?」
「それは」
「みんな……っイルーゾォだって一人の≪人≫なんだよ? 痛いって、辛いって……言っていいじゃない!」
「!」
いつの間にか、彼女の言うそれを≪弱音≫だと思っていた。
このチームの誰もが持っている。
だから、自分だけがそんなことを口にしてはいけない。
正直になることを、互いに≪牽制≫してしまっていたのかもしれない。
「……そう、だよな」
「! イルーゾォ……?」
「暗殺なんて仕事……どれだけやっても……慣れるわけ、ねえのにな……ッ」
≪慣れた≫と暗示をかけていた。
揺るがせてはいけない自分自身の心すら、感情を捨て去るふりをして欺いていたのだ。
「っ」
暗くて顔は見えない。
だからこそ、吐き出すことができた。
「イルーゾォ……っ」
「……ありがと、名前」
「!」
刹那、左胸から彼女の手のひらの感触が消えたかと思えば、次にやってきたのはゴスッという音と重たい何か。
それから、微かに耳を掠めた嗚咽と服が雫で濡れていく感覚に、イルーゾォはギョッとして何か――名前の頭を見下ろす。
「!? 名前……な、なんでお前が泣いて――」
「ッ、イル、ゾが泣かない、から、っぐす……わたしが! 泣いてんの……っ!!」
次々に溢れ出しているであろう、彼女の涙。
めったに見られない美しいそれに今ばかりは暗闇を恨みながら、彼はそっと少女の髪をなで始める。
「……イルー、ゾ?」
「ん?」
「……ううん、なんでもない」
「そっか」
再び漂う静けさ。
だが、それは嫌な無言の世界ではなかった。
きっと――名前となら、どこにいても悪い気はしない。
「……イルーゾォ」
「なんだよ」
「あのね」
「おかえり」
≪幸せ≫は、どれほど小さくても傍にある。
はい、初イルーゾォさん……なんですが、どうしてこうなったのでしょうか。
せっかくだし甘いものを書きたいと思っていたのに、知らぬ間に切暗くなっている。不思議だ。
ちなみに、私の中ではイルーゾォは≪さん≫というより≪くん≫で、思春期真っ盛り&悩みがとても多いイメージです。
矛盾断固許さない、な彼に続く第2のツンデレだと――あ、その前にギアッチョさんがツンデレなのか微妙なところですが。
すみません、長くなってしまいました。
感想がございましたら、ぜひ聞かせてください!
ありがとうございました!
polka
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