「お待たせ、じゃあねえよなアアア? テメーは俺をなんだと思ってやがる!? 運転手か? 専属運転手だとでも思って…………オイ」
「ん?」
「……ずいぶん派手に殺ったみてえだな」
助手席に乗り込み、律儀にもシートベルトをはめていた名前の耳に届く、複雑さを秘めた声。
きっと、いや、確実にこの≪匂い≫で気づかれてしまったのだろう。
――踏み潰さなきゃ、よかったかな。
「まあ……その部類には入るかも」
「何があった」
こちらを真剣に見つめてくる天然パーマメガネ。
その瞳の中に小さな≪気遣い≫を発見して、おもむろに名前は顔を窓へと逸らす。
「……別に」
「その間はなんだ、その間はッ! まさか、色気のねえテメーを襲うような、変わりモンじゃあねえだろうしよオオオ!」
「ギアッチョ」
「……ア?」
「最低」
――どうせ私にゃ、色気の≪い≫の字もありませんよ!
十代の間にこちらの世界に入ったのだ。
色恋沙汰なんて経験すらしていない。
「はああアアアッ? テメーなあ! 本当のこと言って何が悪いンだよッ! クソが!!」
「本当のことでも言わないのが、普通でしょ!? ったく、リーダーとかプロシュートを見習ってほしいものね!」
「……リーダーはともかくよオ、プロシュートはただの伊達男だろうが」
「そういうところも、女性の心を仕留めるの! ほら、早く出発して」
「…………チッ」
舌打ちとともに動き出す車体。
その荒っぽくも、慣れてしまった振動に身体を委ねながら、ふと思う。
――珍しい。ギアッチョがキレずに運転するなんて。
もちろん、イライラは日常茶飯事だ。
だが、一度プッツンしたら止まらないのが、彼の性だ。
あれを止めるには、武力行使しかないのを名前もよく知っている。
――何か、理由でもあるのかな?
たとえば、キレたらメローネに何か奢るとか。
そっと右肘をつき、後ろの景色しか映さないサイドミラーを眺めつつ、彼らの≪賭け≫について彼女が逡巡していたそのとき。
「で、結局理由はなんだよ」
「……え?」
「え、じゃねえだろうがッ! テメーがそんだけ血の匂い纏わせてんのは、珍しいじゃねえか!」
やはり気になっていたのか。
隣で叫びながら運転するギアッチョ。
横へと移動していく景色を目にしながら、誤魔化せないな、と悟った名前は静かに口を開いた。
「ターゲットに……≪裏切り者≫って言われた」
「……まあ、アイツからしたらそうだろうなア」
「うん。この仕事してたらさ……正直、相手から罵倒だってされるし、殺されそうにもなるし、こんなこといちいち気にしてられないんだけど、ね」
「……」
先程までが嘘のように静かな車内。
どうやら、聞いてくれるらしい。
「なんでかなあ。その言葉が他人事には思えなくて」
「もちろん、私だってそうだし、チームも組織を裏切ろうなんて思ってないでしょ?」
「なのに……殺したアイツの最期の顔を見てたら、もしかしたら自分もこんな風になるんじゃないかって気がしてきて」
「見たくなくて、潰した。する必要なんて、なかったのにね」
――ギアッチョ、あんたはどう思う?
作り笑いで左を向けば、交わらない視線。
当然だ。彼は運転し続けているのだから。
しかしそれが、一生重ならないように思えてきて――
「ははっ、何おセンチになってんだろ、私」
自分から再びそらした。
そして、取り繕うように明るい声を出す。
惨めだなんて、思わない。
「ごめんごめん! どう思おうが、自分の勝手だって感じだよね」
「……」
「さて、と! 帰ったらリーダーに報告しないと。あ、でもそれより先に、シャワー浴びた――」
「名前」
「!」
ビクリ。彼女の肩が大げさなほど跳ねる。
ギアッチョが名前を呼ぶときなんて、限られているのだ。
どうやら、かなり怒らせてしまったらしい。
「な、何……?」
恐る恐る問えば、無反応。
――せ、せめて! 何か言ってよ!
顔には出さないものの、名前が心の中で焦っていると――
「っうわ!」
車が急停止した。
前のめりになりはしたが、頭をぶつけることはない。
シートベルトしておいてよかった――そんなことを考える名前の隣で、おもむろにギアッチョが外へ出ていく。
「え、ギアッチョ!?」
彼女の声を無視し、ずんずんと離れていく男。
しばらくすると、彼の姿は一切見えなくなっていた。
「……どうしよう」
本当に行ってしまうなんて。
どこへ、何をしに行ったかすらわからないので、勝手に車を運転するわけにもいかない。
さらに言えば、ここからアジトへどう帰ればいいのかも知らないのだ。
――ダメだ。私……ギアッチョに甘え過ぎてたんだ。
諦めつつも、どこかで期待していた。
彼なら、聞くだけ聞いて、余計な一言とともに返してくれるんじゃないかって。
静かに俯き、握りしめた手の甲をただひたすら凝視する。
「ッ」
胸が、締め付けられるように痛い。
それは、以前ケガを負ったときとは比べ物にならないもので――
「……っバカだなあ、私」
「なんだよ、今更気づいたのかア?」
「!」
隣から届く聞きなれた声。
「……? ギアッチョ、戻って――」
きてくれたんだね。
嬉しさに、名前が勢いよく顔を上げた瞬間。
「熱ッ!?」
左頬が、異常な熱さを察知した。
「な、何これ……って、ミルクティー?」
少しそれを避けつつ見れば、ギアッチョの右手と缶。
熱源はこれか。
「オイ。まさか、戻ってこねえとでも思ったのかよ」
「い、いや! そりゃ少しは焦ったけど、よく考えればこれ、ギアッチョの車だし!」
「……」
うんうんと頷いていると、なぜかじっとりとした視線を感じ、首をかしげる。
「ん? どうしたの? そんなげっそりして」
「テメーの鈍感さには、つくづく呆れさせられるぜ」
「え?」
「なんでもねえ。それより、さっさと飲めよ。運転できねえだろうが」
「あ……」
そうだ。きっと彼は気遣ってくれたのだ。
不器用としか言いようがない優しさに、ふふと笑えば、強く頭をはたかれた。
「痛ッ、もう……」
「……さっきの話」
「ん?」
言葉を返しながら、缶のふちに口をつける。
チリッと熱さを唇が訴えるが、気にせずミルクティーを喉へ通した。
――おいしい。
「俺たちがどう死ぬかなんて、まだわかんねえだろ」
「……、うん。そう、だよね」
「まあ……けどよ」
「名前。テメー一人では死なせねえ」
「!」
ようやく交わる瞳と瞳。
ギアッチョはにこりともしていないが、それでも名前の心には十分響いた。
「うん……ありがと」
「おう」
「ね、ギアッチョ」
再びミルクティーへと向けられる彼女の目。
その視線を追いながら、男が答える。
「んだよ」
「……携帯にさ、ワンタッチダイヤルってあるよね」
「? あの、数字どれか押すだけで、決まった相手に電話がかけられるあれか? それがどうした」
潤したはずなのに、渇き始める喉。
≪緊張≫なんて、柄でもないがしているらしい。
――でも、言わなくちゃ。
だって、ギアッチョは――
「……私の携帯。リーダーにだって電話かけるし、プロシュートやメローネからもかかってくる。でも」
「すぐ電話できるように登録してるのは……ギアッチョ、だけだから」
伝わったかな?
ううん、伝わらなくてもいい。
私にとって、貴方が特別なだけだから。
「……そうかよ」
ゆっくりと動き出す車。
一言。それ以上何も言わない隣の彼に、少しだけ苦笑してしまう。
そして、今は口にできない想いを心の中だけでそっと伝える。
――あとね? できれば……ううん、きっと叶わないだろうけど。もし、私がいつか命を落とすなんてことになれば、そのときは……ギアッチョに看取られたらいいな。
胸に秘めた脆く儚い≪誓い≫を思い返しながら、己の手の甲に落ちた≪何かの雫≫を、名前は終始見つめていた。
ワンタッチダイヤルに隠した恋
それが、今の私の精一杯。
![](http://img.mobilerz.net/sozai/1609_w.gif)
個人夢第二弾、まさかのギアッチョさん。
うーん、切微甘でいいのかな?と自分でも分類しがたいですが、楽しく書かせてもらいました!
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!!
polka
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