04
※童話『人魚姫』パロ
※改変あり

人魚姫→連載ヒロイン
王子→プロシュート
従者→ペッシ
海の魔女→リゾット
お姉さん6人→ホルマジオ、ソルベ、ジェラート、イルーゾォ、メローネ、ギアッチョ





そこは――深い深い海の底。

魚たちが優雅に泳ぐその奥には、サンゴでできたお城がそびえ立っていました。

お城で生活しているのは、七人の人魚の娘たちです。



「〜♪(やっぱり、朝の海は気持ちいいなあ)」



その中でも、一番末娘である≪人魚姫≫は美しい歌声の持ち主として有名でした。

揺蕩う漆のような黒髪や夜空に浮かぶと言われるアンタレスより輝いた紅い双眸、左右に動くエメラルドグリーンのヒレ、そして聞いた者の心を動かす優しい歌。

薄紅色の珊瑚礁に腰掛け楽しそうに声を響かせる彼女に、人間を含めた幾人もの生き物が心奪われたのは言うまでもありません。


七人の娘は、時折喧嘩することもありましたが、みんなで仲良く暮らしていました。



「おーい、人魚姫! お前の歌はもっと聞きてェとこだが、そろそろ家に帰ってこーい」


「! ご、ごめんなさい。つい熱中してしまって……」


「ったく。しょーがねェな〜……ま、そこがお前のいいとこだしな。今度から気を付けろよ?」


「えへへ……はい」



1番目の姉は、人魚姫や他の姉にとって母親代わりです。

基本的に、妹たちの突拍子もない行動を≪しょうがないな≫の一言で許す朗らかな人でした。



「あ、人魚姫! またオレたちにも歌聞かせてよ! ね?」


「そうだな。俺も聞きたいと思っていた」




2番目、3番目の姉二人はいつも一緒にいます。

驚くぐらい仲の良い彼女たちは、静寂が海を覆い尽くす夜、頻繁に城を抜け出していました。


どこへ行っているのか――人魚姫は気になって仕方がありませんが、1番目のお姉さんに≪あまり深く追及しない方がいい≫と釘を刺されてしまい、聞けずじまいのようです。



「人魚姫。今日もこの≪ブラシ≫で梳かしていい?」


「はい! お願いします、お姉様!」


「(喜んでくれてよかった……人間に見つかりそうでかなり危なかったけど、海辺まで上がっただけはあるかな)」



4番目の姉。

彼女は人魚姫の髪をよく整え、褒めてくれます。

よく人間のモノを持ち帰る彼女の最近のお気に入りは、自分の姿を映し出す≪鏡≫というモノでした。



ただ、≪ヒトとは相容れない存在だ≫と考える娘も当然います。



「クソッ! 人間の野郎、また俺らをナメやがってェ――ッ! 一つのゴミでどんだけ海が汚れると思ってんだ、ボケが! オイ! お前はどうなんだよ。やっぱ海が一番だよなァアアア?」


「はい! 私、ここが大好きです!(にこにこ)」


「ケッ、ンなモンたりめーだろ。大体よオオ、他の奴らはどーして上になんか行きたがんだよ。地上っつーのは人間が…………ダァアアアッ! 思い出しただけでムカついてきたぜ! こうなったら――」


「でも……あの、お姉様。私≪ヒト≫の世界も好きですよ? 憧れちゃいます」


「!? フザけてんじゃねえぞ、テメーッ!!!」



6番目の、もっとも人魚姫と年齢の近い姉がその典型と言えるでしょう。

お怒りのお姉さんからグリグリとこめかみに拳骨を食らいながら、涙目の妹が慌て切った様子で弁解し始めるといった光景は、もはや恒例と言っても過言ではありません。



「たっだいま〜!」


「あ、お姉様! おかえりなさい……!」



一方で5番目の姉は、地上へよく出かけては、人間のことを話してくれる人でした。

彼女の口からスラスラと語られる自分の知らない単語。


美しく色とりどりなそれらを、人魚姫はいつも胸をときめかせながら聞いています。



「いやー、地上にあるモノは全部面白いけど、なんてったって超面白いのは≪ヒト≫だね! あいつら、オレたちみたいにヒレで泳ぐんじゃなくて、二本の≪アシ≫を使って≪歩く≫んだぜ?」


「あ、し……ある、く……ですか?」


「(キターッ! 今日もたどたどしい発音いただきました! 人魚姫のあどけない表情ディ・モールトベネ……! ハアハアハア、上に出かけるのもベリッシモいいけど、毎回これが楽しみなんだよなあ)そうそう。ハアハアッ……これからもいろーんな言葉を聞かせてあげるからね……!?」


息を荒らげ、どこか切迫した様子で顔を近付けてくるお姉さん。

それに首をかしげつつ、いつか叶えたい≪夢≫で深紅の瞳を眩いほどキラキラさせている少女。



「(早く私も地上に行ってみたいな……)」


心は期待にただただ膨らむばかり。ところが、日光をあまり浴びてはいけないという彼女の体質とお姉さん六人の過保護が相まって、人魚姫だけが地上へ赴くことをいまだ許されていませんでした。










しかし、ついに少女が待ち焦がれていたその日はやってきました。

お姉さん達が人間について口論している隙を見て、人魚姫は上へ上へと泳ぎ始めたのです。





バシャンッ


二つの世界を隔てる水面を突き破ったことで、目の前に広がる景色。


「わあ……!」


それは、自分が知っている世界とはどこまでも正反対のモノでした。


水中でなくとも息ができる、といったさまざまな不思議。

さらに今が夕暮れ時だからでしょうか。視界全体を覆い尽くす≪紅≫を見上げて、夕空と同じ色の双眸を揺らした彼女は感嘆の息をこぼします。


「(なんて素敵な世界なんだろう!)」



ドキドキ

ワクワク


そのどれもが入り交じった感情を持ち合わせたまま、きょろきょろと興味深そうに周りを見渡す少女。



少し離れたところを横切る≪フネ≫。そして赤から青へと変わりゆく空――≪ヨル≫の世界。

星が見てみたい、という逸る気持ちを抑えながらあらゆる光景を心に焼き付けていると、不意にある一つの影を船の上に発見しました。



「!(あれが、人間……?)」


どうやら、5番目のお姉さんから何度も聞かされていた≪ヒト≫のようです。

穏やかな波に揺られつつ、船の手すりに両肘を置いている彼を物珍しさゆえか食い入るように見つめてしまう人魚姫。



「……綺麗な人」


ぽつりと呟かれた感想。

風にたなびくブロンドと遠くを射抜く蒼。特に、ずっと下にある故郷を想わせる瞳が彼女は気になって仕方がないようです。



「(髪や目に……えっと、なんだっけ……そうだ。ほ、≪ホウセキ≫をいっぱい身に付けてるのかな?)」



とは言え、人間のことだけでなく地上のことをあまり知らない少女。美しい所以を宝石と勘違いするのも無理はありません。


一方で、白いシャツのボタンを三つ以上外した男は物憂げで、どこかつまらなさそうな表情をしていました。

どうしたんだろう――≪王子≫と呼ぶ不思議な髪型をした男と会話してから、再び海一面へ眼を戻した麗しい彼を人魚姫がそのまま観察している、と。



なぜかふと交わった視線。



「!」



チャプン

大きく目を見開いた彼女は、咄嗟に海面へ顔を隠してしまいます。



「(び、びっくりした……!)」


バレてしまったのだろうか。どうして瞳が重なり合いかけたのか。事実を確認したくとも、かなり動転していた少女には考える余裕もありません。




しばらくして、そろそろ大丈夫だろうと踏んだ人魚姫が恐る恐る顔を出せば――


何やら水夫たちが慌ただしく船上を駆け回っていました。



「?」


こてんとかしげる小首。

けれども、視界の隅で夜空を占め始めた灰色に彼女はハッと息を呑みます。


天井を埋め尽くす雲、強くなった風、上下する波、切り裂くように放たれた稲光――すべて嵐の兆しでした。



「(大変! あの人たちが……でも、どうしたら――)」


動揺に少女が視線を彷徨わせた次の瞬間、荒れ狂う海によって船が横倒しになってしまいます。

さらに、先程まで様子を窺っていた≪王子≫までもが放り出されていました。



「!? そんな……っ」


このままではいけない。

意を決した人魚姫は、彼が飛ばされたところに向かって懸命に泳ぎ続けます。



そして、ようやく見つけた海中でぐったりした男の姿。

唇から泡すら出ていない身体をなんとか両腕で抱き寄せ、その重さに堪えながら彼女はひたすらヒレを動かしていました。


「(早く……早く≪ハマベ≫に行かないと!)」









それから、どれほどの時間が経ったのでしょう。

すでに世界は白み、朝を迎えようとしているようです。


ただただ王子を介抱していた少女は、ふと濡れた白いシャツ越しの左胸に右耳を置いてみました。



トクン


トクン



「(心臓の音……生きて、る?)」


微かではありますが、三半規管を震わせた小さな鼓動。

自然と溢れ出る微笑。



「……よかった」


眉尻を下げた人魚姫は膝枕をしつつ、ホッと安堵の言葉を紡ぎます。

そして、己のヒトとは異なるエメラルドグリーンのヒレに広がった男のブロンドに、少女がそっとなでるように白い手を添えた――



刹那でした。



「…………ん」


「!」



少しだけ身じろいだ王子。

驚きで瞠目した彼女は、彼の頭を砂浜へ置いて海の中へすぐさま戻っていきます。



「……? 今、のは……」


霞む意識の中で届いた水音。全身を包む気だるさと柔らかな声色に、男は静かに喉を震わせるのでした。












その後、人魚姫は自分の住むお城へ帰ってきたものの、気が付けば物思いに耽ってしまいます。



「(あの人が忘れられない……どうしてなんだろう)」


遠くを見つめるあの眼差し。

想像した以上に逞しかった身体。

姉から聞いた≪男≫のイメージとはかけ離れた美しさ。



「できることなら、もう一度会いたい……」


人間になることができれば、今度はもっと近付けるかもしれない。

ついに思い立った少女が向かったのは、強力な魔力を秘めていることで有名な海の魔女のところでした。



「あの……すみません。魔女様はいらっしゃいますか?」


「……、城の姫か」


「!」


すると、突如黒衣を纏った人影が彼女の目の前に現れます。

おそらく魔女なのでしょうが、顔があまり見えません。


これまたイメージとは違う姿に驚きながら、人魚姫はおずおずと願い事を話し始めました。

しばらくして、黙り込んだまま話を聞いていた魔女が、ゆっくりと口を開きます。



「なるほど、な。人間になりたいと……確かにオレの力で君のその美しい尾びれを足に変えることはできる。だがそれには条件と対価が必要だ。それでも、なりたいと言うのか?」


「はい。私……あの素敵な人に、もう一度会いたいんです」


「…………そうか。改めて確認するが、本当にいいんだな?」


「? は、はい」


どうしたのでしょうか。


ずいぶん念入りに問われ人魚姫が少なからず戸惑っていると、咳払いをした魔女がある瓶をマントの裏から取り出しました。

それには、透明の液体が入っているようです。



「これが人間になる薬だ。条件は王子と結婚すること。それができなければ……人魚姫、君は翌朝海の泡になってしまう」


「……はい、魔女様。覚悟はできています」


≪少し怖いけど、どうしても会いたい≫。

その気持ちを伝えるように少女がまっすぐ前を見据えれば、なぜか渋る様子を見せつつ頷いた魔女。



「君の覚悟はわかった。あとは対価か……そうだな、その声にしよう。君の歌は海中で噂になっているからな」


「えっ……ご、ご存知だったんですね……//////」


「ああ、よく知っている。ずっとオレも聞い……ゲフン。というわけで、美しいと評判の声をもらうぞ」



この薬を飲んだ瞬間、君の声は失われる――助言と共に手渡された瓶を、彼女はまさに緊張の面持ちで飲み干しました。

次の瞬間。


身体に渦が絡まり、驚く間もなく海面へと押し上げられていきます。



「!?」


そして、視界を掠めた≪赤≫を不思議に思いながら、人魚姫は逆巻く怒涛と耳を劈く激しい音に身を委ねていきました――――














「……?」


ゆらゆらと揺れる感覚。

なんだろう、と少女は小さく首をかしげます。すると――



「お、目ェ覚めたか」


「!?!?」


こちらを見下ろしている、美しい蒼と目が合いました。




「(ど、どうして抱き上げられて……!?)」


「おいおい。こっちはかろうじてワカメしか身に付けてなかったオメーを城に連れてこうとしてんだ。暴れんじゃあねえよ」


「!(そっか……人は≪フク≫を着るんだった)」



最後の最後に魔女から渡された海藻。

それの代わりと言いたげに自分を包む、おそらく≪コート≫と呼ばれるモノ。


極めつけは、腰からスラリと伸びたヒレではなく二本の足。


本当に人間になれたんだ――彼女が内心喜んでいると、「お前、名前は?」と王子が尋ねてきました。



「――ッ、……(そうだ、私……)」


ですが、人魚姫は声を出すことができません。

自ずと落ちる視線。


その様子に気が付いた彼が、心配そうに少女の顔を覗き込みます。


「……まさかお前、声が出ねえのか?」


「(コクン)」


微かな頷き。

彼女の胸の内を察した男は何も聞かずに、ただ頭をなでる右手を動かし続けるのでした。







それから、会話という方法は使えなくとも、Gioia mia(オレの喜び)と少女のことを呼んで可愛がる王子。

今日は、どうやら人魚姫に≪文字の書き方≫を教えてくれるようです。


一番信頼できる特徴的な髪型の従者に紙とペンを持ってこさせた彼は、不意に窓越しの景色を指で示しました。



「Gioia mia。あれはな、≪空≫っつーんだ。わかるか?」


「(空……)」


エメラルドグリーンのマーメイドラインドレス。それを身に纏い自分を見つめる彼女に、男はにっと笑ってみせます。


「で、あの境界線まで広がってんのが、海だ。そういや、お前は浜辺に倒れてたな……」


「(……海、海。王子様の瞳の色だ……!)」


「ん?」



小さく動いた桜色の唇。

その視線の先に己がいることに気付いた王子が、訝しげに眉をひそめました。



「オレの目? ああ、海の色に似てるってか?」


「(コクコク)」


まさかそうしたことを言われるとは思わなかったのでしょうか。


一瞬面食らったような顔をした彼は、ふっと柔らかな笑みを浮かべます。

そして、少女の滑らかな頬を両手で包みながら、胸中で湧き上がった想いを呟くのでした。


「ふ……可愛いこと言ってくれんじゃねえか」



本当に知らないことが多い人魚姫。さまざまなことを伝える度に、男の口元は歪んでしまいます。



「じゃあお前はキスも知らねえのか?」


「(きす……?)」


「おう、キスっつーのはな、こういうことを言うんだよ」


「!?」



チュッ

額を掠めたかと思えば離れていったぬくもり。


「ククッ、おいおい。ペンはそう持つんじゃねえぞ」


船にいたあのときの彼の憂いに満ちた表情はどこへ行ったのやら。恨めしさと恥ずかしさでピャッと勢いよく紙へ向き直る可愛い娘。

それにクツクツと楽しそうに喉を鳴らした王子は、追い打ちをかけるように彼女のペンを持つ手に背後から己のそれを重ねました。


当然ながら、少女の頬はますます真っ赤になってしまいます。



「! 〜〜っ/////(どうしよう! す、すごく恥ずかしい……!)」


「いいか? Gioia mia……字はこうして書くんだ」


スラスラと刻まれていく≪コトバ≫。



「ああ、そうだ。……ふ、やればできんじゃねえか」


「っ……////」


「(不思議な奴だ、名前もどっから来たかもわかんねえのに。だが、自然と離してやる気にならねえ)」


王位を継ぐという定められた道に差し込んだ一つの光。

失わないように――彼は羞恥で震える手の甲を包んだ自分の手に、ますます力を込めるのでした。










その頃、確実に仲良くなっていく二人を魔法で覗きつつ、顔を歪める人物が一人。



「……誤算だった。まさか人間ごときがあれほど人魚姫に惚れ込むとはな……」


それは魔女です。

王子の人魚姫に対する感情は、見るからに兄が妹へ向けるものではありませんでした。



「人魚姫の望む≪結婚≫が叶えられるのも、時間の問題か」


とは言え、当の本人は王子の好意やアピールに気付いていないようです。

むしろ、少女の恥ずかしがり屋な性分が展開を押し止めていると言ってもいいでしょう。


もちろん魔女がその好機を見逃すはずがありません。



「ようやくあの過保護な姉たちから引き離せたんだ。そう易々と諦めてたまるか。……ましてや人間のモノになどさせはしない」


実は前々から彼女を自分のモノにしようと目論んでいた魔女。≪泡になる≫という言葉通りにことを進めるつもりもありません。

赤い瞳をぎらつかせた彼女が瓶を手に取った次の瞬間、その場には黒衣だけが残っていました。











一方その頃、人魚姫は一人外に出かけようと慣れ始めた足を動かしていました。


「(あ……)」


改めて見つめる自分の家とは違うお城。

どこまでも広がる青空。


そして、城の窓から頬杖を付いて見送ってくれる王子におずおずと手を振りつつ、少女は歩いていきます。



「(いい天気……お日様がこんなに近いなんて)」


結婚か、泡になるか。

そのことに関する不安は当然胸に蔓延りますが、彼女は今とても幸せでした。



「!」


しばらく経った時のことです。

なぜかガヤガヤと盛り上がっている住民たち。


それを不思議に思った人魚姫は、恐る恐るといった面持ちでそこへ近付きました。

どうやらチラシを配っているようです。


「(うう、見えない)」


ところが、集団に飛び込むことも声を出すこともできず、少女が困っていた――

そのとき。



「これを見るといい」


「(あ……)」



不意に、救いの手が彼女へ差し伸べられました。

さらさらと揺れる白銀の髪に赤い瞳。


優しそうな男に頭を下げてから、人魚姫は今しがた受け取ったばかりのチラシに目を通します。すると、


「!?」


すべてを読むことができなくとも、≪王子≫、≪結婚≫――予測はできました。

驚愕によってひどく揺蕩う眼差し。それを横目に、隣の彼が詳細を教えてくれます。



「先程、もっとも信頼されていると噂の従者がこれを触れ回っていた。今晩にも船上パーティーが開かれるらしい」



どれもが、初めて聞かされたことでした。



「(そんな……)」


衝撃的だったのは、結婚という事実でしょうか。

それとも≪自分が知らない≫という疎外感でしょうか。


少女はこのとき初めて王子の結婚相手に対するもやもやを覚えたのです。










「……」


あっという間に過ぎてしまった時間。

夜、どうしようもできずに、ただただ海を渡る船の手すりにもたれかかることしかできない人魚姫。


王子に事実を確かめたい――でも、本当のことを聞くことが怖い。

昼間の一件依頼、彼女は彼を避け続けていました。



「(……王子様)」


どうか幸せになって、と口にできるほど、心の整理が付いたわけではないのです。

明日の朝、自分は泡になってしまう。


せめてお別れだけでも言えたら――小さな波が揺蕩う海面を一瞥して、少女が瞼を下ろそうとした刹那。



「「「「「「人魚姫!」」」」」」


「!(お姉様……!)」


聞き慣れた六つの声。

人魚姫のお姉さんたちです。


彼女たちは、自分を説くように一本の短剣を差し出しました。

≪魔女からもらってきたナイフで、王子の心臓を突き刺せば人魚に戻ることができる≫、と。



「(もう一度、人魚に……?)」










何もかもが静まり返った深夜。

どうすべきなのか――迷いに迷った少女は、王子の部屋に忍び込んでいました。


「……っ」


ベッドで眠る男。

ナイフを両手に握る自分。

今から、彼女は彼の命を奪わんとしているのです。


人魚に戻ること。泡になること。この二つにグラグラと心は揺れながら、ついに人魚姫は感情に従うまま短剣を振り上げました。



「(さようなら、王子様。私は貴方のことが――)」


月夜に煌く刃先。




しかし、その直後のことです。


カラン



「っ」


青白い光だけが包む室内に甲高い音が響き渡りました。

そしてそれに促されるように、少女の美しい深紅の瞳からはぽろぽろとナミダが溢れ始めます。


「(っできない……私には、この人を殺すなんて……)」


たとえ自分が泡になっても、いい。

彼の命と引き換えに幸せになるなんてできるわけがない。


けれども固まった意志と同時に、脳内を過ぎっていくのは自分を心配してくれた六人のお姉さんたち。


ごめんなさい――目元を拭いつつ、彼女が心の中で謝罪を口にした、そのときでした。



「ハン、ずいぶん刺激的なアプローチじゃねえか」


「!(え……?)」


寝台の上でムクリと起き上がった影。


今にして思うと、男は自分が侵入したそのときから目を覚ましていたのでしょう。

それでも目の前で笑っている、人魚姫にとってかけがえのない人。

想いの丈を告げることができたら、どれほど幸せでしょうか。




ですが、もうすべてが遅いのです。



「(――さよなら)」


ダッと部屋を出て行ってしまう少女。

そのただならぬ様子と唇の動きに、王子はこれでもかと言うほど目を見開きました。



「は? おい、何言っ――待て!」


慌てて彼女の後を追いかけます。


しかし。

消えた人影。さらに大きく立てられた水飛沫と広がっていく波紋に、彼は人魚姫の行方を悟ります。



「クソッ」


男にも迷いはありませんでした。










「……(私は、一体……)」


その頃、多少の≪息苦しさ≫を感じながら、徐々に沈んでいく身体にぼんやりと目を開きます。

ところが、その双眸が見る見るうちに動揺を宿しました。



「――」


自分は夢を見ているのでしょうか。


「(ど、して……)」



眼前に近付いてくるのは――こちらに向かって懸命に手を伸ばす王子。

刹那、引き上げられていく己の躯体。


さらに、唇を塞いだ何かに≪なんだろう≫と考えつつ、少女は押し寄せる疲労感に再び瞳を閉じていました。






「ハア、ハア……」


彼女を抱えた彼が辿り着いたのは、二人が出会ったあの浜辺でした。


「……おし、生きてんな」



ペタペタと人魚姫の肌に触れ、微弱ではあるものの確かにある体温を確かめます。

そして、息を整えた男が、こちらに向かってくる船に戻ろうと少女を横抱きしようとした――瞬間。



「させるか」


「グッ……!?」



突如現れた銀髪に黒目がちの瞳を持つ男――否、魔女。

一方で、まるで体内から何かモノが出てくるかのような苦しみに、喉を押さえる王子。


それを見下ろしながら魔女は表情を一切変えることなく口を開きました。



「まったく……お前のもっとも信頼の置ける従者を操って結婚の噂を作り出したというのに……どこまでも計画の逆を行く人間だな」


「おまッ、何者だ……」


「そんなことはどうでもいい。人魚姫を返してもらおう」



人魚――その聞き慣れぬ言葉に驚くと同時に、妙に合点の行く脳内。

彼女に対して多々あった不可解な点がすべてその事実によって解決するのです。


とは言え、今はそれどころではありません。


せり上がってくる鉄の味に、顔をしかめた彼が眼前の魔女を睨みつけることしかできずにいた、そのときでした。



「(やめてください……!)」


「!」



阻もうと、魔女の腕に全体重をかけて抱きつく人魚姫。

しかし、問題はそこではありません。



水に濡れてしまった少女の服。それ越しに届く柔らかな感触が魔女の全神経を尖らせ――



「ブッ……!?」


なぜか鼻から赤いものを、しかもかなり大量に出してしまいます。

ふらつく身体。海中でないことも重なって、これ以上ここにいることは魔女にとって良策とは言えませんでした。



「く、ッ覚えていろ……!」


吐き出した常套句。

額に青筋を立てた男が≪おい待てコラ≫と叫ぶ暇もなく、魔女は海へ戻っていったのです。


とある瓶を砂浜に残して。



「?」


どこか見覚えのある姿かたち。その蓋を開けてみると――



「……ぁ。あ?」


「! お前、声が……」



なんと、その瓶には彼女の声が仕舞われていたのでした。

取り戻すことができた声。たまらず人魚姫は、王子の元へ駆け寄ります。



「王子様……王子様……!」


「お……っと。なんだ? ずいぶん想像したよりおてんばじゃねえか」


「! そ、それは……ごめんなさい」


「ふっ、謝んじゃねえよ。……驚くぐれえ綺麗な声だ」



ひとしきり抱きしめ合っていた二人。

互いのぬくもり、鼓動を確かめていたのでしょうか。


ようやく距離を置いた彼が、ズボンのポケットから美しい小箱を取り出しました。



「海の藻屑にならずに済んでよかった。gioia mia……これをお前に捧ぐぜ」


「? これは……」









「すぐに結婚を考えろとは言わねえ。だが、受け取ってほしい」


つっても、オレは短気だからあんま待ってやれねえけどな――そう言って目の前で笑う男。

ただ、少女には二つ解消できていない悩みがあったのです。


「どうした? 浮かない顔して」


「いえ。あの、王子様は結婚するんじゃ……」


「はあ? あー、そういやあいつを使って、とかなんとか言ってたな……。とにかく誤解だ。オレはお前しか見えてねえよ」



一つ目の問題が誤解とわかり、見る見るうちに彼女は頬を緩ませました。

そしてもう一つの悩みとは――



「???」


この、箱に入った銀の輪を何に使うのかがわからないのです。

≪ボウエンキョウ≫のように覗いて使うのでしょうか。


そう思い至った人魚姫が指輪に目を近付けようとしていると、上から笑声が届きました。



「ククッ、違えよ。こうすんだ」


違う――では何に、と少女が口を開くより先に、自分の指へと収まった銀の輪。

刹那、ようやく彼女は納得したのです。これが永遠の愛を誓うものであると――



「えへへ……//////」


途方もない照れ臭さで赤らむ顔。

それを朝焼けのせいではないと見抜き、からかう王子。

こうして二人はあらゆる壁を越えながら、互いの想いを深め合っていくのでした。



めでたしめでたし。






しかし――海の魔女が人魚姫のことをそう簡単に諦めるわけもなく、さまざまな妨害が二人にもたらされましたとさ。










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人魚姫



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