05
※童話(民話)『美女と野獣』パロ
※改変あり

少女→連載ヒロイン
野獣→リゾット
父→プロシュート
父の弟子→ペッシ
ロウソク→メローネ
時計→ギアッチョ
ポット→イルーゾォ
ティーカップ→ホルマジオ

魔女→ジョルノ
村のボス的存在→ボス
ボスの取り巻き→ドッピオ





むかしむかし、森の奥にひっそりと佇む城に、寒さに凍えた子どもが「少しでもいいから暖を取らせてほしい」とやってきた日のことです。

ところが倹約家――悪く言えばケチで有名だったその城の王子は、子どもだからといって普段の客以上に待遇を怠ってしまいました。


すると、なんということでしょう。


大人しかったその子どもは、実は魔女が化けた姿だったのです。



「見た目だけで判断するなんて、いい度胸じゃあないですか。しかもぼくの好物である≪プリン≫すら出さないとは」


「な……!?」



まさに怒り頂点。

驚いた王子は慌てて謝罪を述べようとしますが、ブロンドを風にたなびかせた魔女には通じません。



「ゴールド・エクスペリエンス!」



次の瞬間、男の身体を眩い光が包みました。


そして部屋が元の暗さを再び取り戻したとき、彼は鏡に映った自分の姿に唖然とします。

信じがたい状況――ですが、黒目がちの瞳を何度ぱちくりさせても、現状が変わることは決してありません。



「(目の前にいる≪野獣≫はなんだ? まさかオレ、なのか?)」


「このバラが散るとき、それはあんたが死ぬときだ」



残酷な助言。テーブルにそっと添えられる美しい紅のバラ。




「人を愛し、その人から愛されるまで……ぼくがかけた魔法は解けない」









「……あんたは果たして人間に戻られるかな? 王子」



ああ、なぜタコのサラダではなく鳥料理を、プリンではなくティラミスを魔女に出してしまったのでしょう。

後悔と嘆きを交えた一人――否、一匹の咆吼が城中に響き渡りました。













それから何年もの時が経った頃のことです。

ある村に、誰よりも本を読むことが好きな少女がいました。


そんな美しくも変わり者である彼女を、自分の妻にしようと目論む男が一人。



「今日こそ≪Si≫と答えてもらうぞ。私と結婚しろ」


「ぼくが保証します! ボスはとても素敵な人ですよ! どこが、と言われると正直難しいですけど……全部です、全部!」


「お二人共……あの、お気遣いは結構です、から」



鉢合わせるたびにされてしまう求婚。

それに彼女は少々辟易としつつ、毎回≪No≫を口遊んでいます。


しかしもちろん、≪ボス≫と呼ばれる人物が納得するはずもありません。


眉根を寄せた彼は少女の手にある本を奪い取ってしまいました。



「フン、またこんな子どもじみたモノを読んでいるのか」


「あ……! 返してください!」


「これでも読んでおくがいい」


「〜〜っ」



お気に入りの代わりに手渡されたのは――男の自伝。

ひどく分厚い上に、本格的な自画像が表紙を飾っている代物。


いらない――これをどうすべきか考えあぐねたまま、肩を落とした彼女が帰宅する、と。




「ったく、またあいつらに絡まれたのか?」


「お父様……」



いち早く耳に届く呆れ気味のテノール。


発明家である父が口元を皮肉げに歪ませながら、ぽふぽふと美しい黒髪をなでてくれます。

一見、自分と同年代ではないかと勘違いするほど見目麗しい父親。しかし、親子揃って≪変わり者≫と呼ばれているので、これ以上周囲の人間の心に疑惑を増やすわけにもいきません。


不本意ではありますが、彼は自分の力で老人となり、外出するのでした。



「私……本を読む自由を奪われるぐらいなら、結婚なんてしたくないです。それにお父様を一人にしたくありません」


「おいおい、子が親に変な気ィ遣うんじゃねえよ。けどまあ……オレもオメーが嫁ぐとなったら相手を見極めるまで認めねえだろうぜ。一応聞くが、別にあいつと結婚してえわけじゃねえだろ?」


「そう、ですね。優しい方がいいです」



厳しくも優しい父とそんな談笑を重ねた数日後、老いた姿の男の傍には愛弟子が。

大きな荷物を背に抱えた彼らを、少女は祈るような想いで見つめます。



「お二人共……無事に帰ってきてくださいね」


「ククッ、ただ発明品を公表しに行くだけだ。すぐに帰ってくる。……オメーも、戸締りとか気を付けろ」


「ふふ、はい。……弟子さん、お父様のことよろしくお願いしますね。お父様、怒るとすぐに手足を出しちゃうから」


「へい! お任せください! 兄貴が騒動を起こさねえよう、オレがきちんと――いてッ!」



ボカッ


小気味のいい音が鳴り渡ったかと思えば、患部を押さえる男。

この真面目で可愛くも、少々口が過ぎる弟子に対して父は鋭い眼差しを湛えつつ、ゆっくりと歩き始めました。



「余計なこと言ってんじゃねえよ。おら、行くぞ」


「いってらっしゃい……!」


胸に押し寄せる不安を抑え、元気に二人を見送っていた娘。










ところがその翌朝のことでした。

弟子が一人、青ざめた顔で家に帰ってきたのです。



「あ、あ、兄貴が! オレを庇って、城の牢屋に閉じ込められちまったんす!」


突然の雨風を凌ごうと二人がちょうど見えた城に入ったところ、そこにはなんと恐ろしい野獣が。

彼の衝撃的な告白に、彼女は驚くほかありません。


ですが、このままでは父が危ない――そう悟った瞬間、決意に光る深紅の瞳。

今も狼狽える弟子から詳細を聞き、少女は城へ向かって走り出しました。




「お父様!」



しばらくして辿り着いた目的地。地下牢のような場所の扉にある小さな格子。そこから父が驚きを滲ませながら顔を覗かせます。



「お前……なんでここがわかった」


「弟子さんが教えてくださいました。森の奥にあるお城って」


大きく見開かれる蒼い瞳。

優しく微笑んだ娘は息をひどく切らしたまま、安心させるように柵越しの手を強く握りました。


とは言え彼はこのような姿を見られたくなかったのか、決まりが悪そうです。



「あんのバカ弟子。簡単にバラしやがって……こりゃあオレの油断が招いた結果だぜ。娘の力を借りるほど、オレァ老いぼれちゃいね――」


「もう! こんなときぐらい娘の言うことを聞いてください!」


「……」



彼女がいつもらしからぬ叱咤をすると、父親である男は押し黙ってしまいました。

その隙を狙って、カツンと踵でアスファルトを鳴らしてから立ち上がり、ドアノブを何度も回す少女。



「ドア自体は古そうですし、何度か身体を押し当てればきっと――」






そのときでした。小さな躯体の背後に、大きな影が浮かび上がったのです。




「そこにいる男は勝手に城へ侵入した不届き者だ。このまま許すわけにはいかない」


「!」


「チッ、また出てきやがったな……!」



突然響いた低音に勢いよく振り返れば、そこには衣服を纏った野獣が。

こちらを貫く、今にも凍てついてしまうような眼光。


しかし、その赤い目がなぜか娘の心をひどく揺らしました。

ガクガクと動きをやめない膝。意を決した彼女は恐怖で唇を震わせつつ、おずおずと見上げます。



「あ……あっ、貴方が……城主なんですか?」


「そうだ」


「ハッ! 図体デカいクセして、ずいぶん器がちっさい野郎じゃねえか。あ?」


「お、お父様……! 落ち着いてくださいっ」



刺激するようなことをしてはいけない。

短気な性分であることもありすぐ激昂する肉親を宥めてから、少女は一歩、野獣の元へ近付きました。


警戒するように細められたその双眸に、怯えを携えた自分の顔が映り込みます。



「野獣さん、私がここに残ります」


「!?」


「ほう。その代わりに、父親を解放しろと言いたいのか」



おもむろに返された頷き。

ふさふさと生える毛を揺蕩わせた男は、少しの間逡巡してから――



「いいだろう」


「きゃっ……!」



無表情のまま、どこまでも長く太い腕で細身の娘を抱き寄せました。

そして野獣はもう片方の手で男の襟首を掴み、城の外に放り投げてしまったのです。


身構えることはできたものの、当然ながら扱いに眉を吊り上げる父。



「テメッ……娘を返しやがれッ!」


「お前はさっさと家へ帰れ。この娘はもらった」


「ッ、クソ」


重厚な音を立てて、閉まる扉。無理が祟って動かない身体。彼の悔しさを孕んだ声だけが、その場に劈いていました。











「城の中はどこを歩いても構わない。だが、西の外れにある部屋だけは決して入るな」



それから、萎縮する彼女に淡々と話しかける野獣。


表情を一切変えることのない彼は説明を終えた途端、すぐさま立ち去ってしまいます。

一瞬ですが、その広い背中から≪寂しさ≫が垣間見えたのは気のせいでしょうか。

闇に消えた影をじっと凝視してから、不安が押し寄せるのか両手を胸の前で握り締めた少女は、恐る恐るダイニングルームへ足を踏み入れました。



「(す、少し怖いけど……何か事情があるの、かな?)」




きょろきょろと薄暗い周りを見渡した――次の瞬間のことです。


「ベネ!」


「え?」


どこからともなく聞こえた明るい声。

紅の灯る目をぱちくりさせつつ視線を落とす、と。


なんと、目の前に歩くロウソクと時計が現れました。



「まあ……!」


予想だにしなかった出来事に、瞳をきらきらとさせる娘。

一方、彼女の様子を視界に収めつつ、彼らは漫才のような会話を繰り広げていきます。



「ケッ、どうせすぐ出ていくんだろうが。歓迎会なんつー無意味なことさせてんじゃねえぞ、クソッ! クソがッ!」


「ちょっと〜、せっかくのお客さんにそれはないだろ〜? 初めまして、ベリッシモ可愛いお嬢さん! オレはロウソクだぜ!」



恭しくお辞儀をしてみせるロウソク。

するとどうしたことでしょう。

他にも食器たちが、シャンデリアの下へ集まってくるではないですか。


少女が≪夢なのだろうか≫と瞼を擦るなか、一人ずつ自己紹介が始まりました。



「……時計」


「ほんと来たのが可愛い女の子でよかった……あ、オレはポットだよ」


「ティーカップだぜ! よろしくな!」


「はい、よろしくお願いします。えと……皆さん喋られているということは、元々は人間だったんです、よね?」



おずおずと紡ぎ出された問い。

その瞬間、皆が皆大きく身体を動かし、個性的な肯定を示します。



「うん。魔女に、教育がなってないということでオレたちもモノに変えられたん、だけど」


「何か戻る方法はあるんですか?」


「……ごめん、それは言えないんだ」



おそらくその魔法を解くには、≪優しさ≫や≪同情≫とは違う、≪本当の想い≫が求められるのかもしれません。


申し訳なさそうに項垂れるポット。

気にしないでください――そう呟き、蓋の部分を人差し指で優しく撫でた彼女は、不意に野獣のあの赤い双眸を思い出しました。



「(このお城に囚われた身ではあるけれども、野獣さんとお話をしたい……)」


テーブルに広げられる豪華な料理を見つめたまま、刻々と考え込みます。


お人好しとよく言われる娘は、どうしても彼らを放っておくことができませんでした。


そうした表情を一瞥しながらロウソクがふと右腕を宙にかざします。

刹那、勢いよく部屋中を照らしていく明かり。



「みんな、湿った雰囲気はもうなしにしようぜ! さっきも言ったけど、本当に久しぶりのお客さんなんだ。オレたちはオレたちなりに歓迎しないとね」


「?」


それから、蔓延っていた恐怖を掻き消してしまうほど、豪華にもてなされました。

驚愕を凌ぐ絢爛さには、魔女の件で得た反省も込めているようです。その甲斐もあってか、興奮気味に顔を上気させている少女。



「皆さん、とても素敵でした! ありがとうございます……!」


「喜んでくれたみてェで嬉しいぜ! ……っと、もうこんな時間かよ。まだ物足りねー気もするが……そろそろ寝るか」


「はい、おやすみなさい」



柔らかな笑みで会釈をしていると、彼女の脳内にある提案が浮かびました。


振舞われたリゾット。そのあまりの美味しさに野獣ともそれを共有したいと考えたのです。

軽食に近いので、今から食しても遅くはないでしょう。



「(持って行ってみようかな。城のどこかできっと野獣さんも――)」


「やめといた方がいいよ」



一人になったはずの室内。

大きく瞠目した娘は、声が聞こえた方を即座に見下ろしました。



「! ロウソクさん……」


「王子に持ってくつもりなんだろ? あの人は大抵、一人で食べるから気にする必要はないぜ」


「……」


「ま、どうしてもって言うなら、探してみたら?」



たぶん自室にいると思うぜ――肩をすくめたまま彼が紡いだアドバイス。

破顔した少女はまだ温かい皿を手に走り出します。


しばらくして、コンコンと静かな城に響くノック音。

ところが、何度板に軽く拳をぶつけてみても、扉越しから返事はありません。



「(もしかして)」


刹那、≪予測≫を思い至ると同時に、彼女は足を再び進めました。


向かった先は西の外れの部屋。

ですがこちらでも反応は返ってきません。ついに、迷いあぐねた娘は興味も相まって、ドアノブを回してしまったのです。



「えっと……お邪魔します」


描かれた顔を否定するかのごとく破られた絵画。薄暗い世界を静かに見回した、そのときでした。

机の上に飾られる、あるモノが目に止まったのは。



「これは、バラ……?」


まるで引き寄せられるように、自然と近付いてしまう少女。

細い手からテーブルに置かれる料理。


そして、美しくも儚い花にそっと触れようとした矢先。



「何をしている」


「!」


身体を硬直させる、怒気を孕んだテノール。

恐る恐る振り向けば、憤怒を表情に宿した野獣がこちらを睨んでいます。


簡単にモノを引き裂くことができる爪。月夜に光る牙。他人を拒絶する眼。

伏せ目がちになった彼女は、バラへ伸ばそうとしていた手を胸元に引き寄せながら、ひどく口ごもってしまいました。



「あ、あの……」


「ここに来るなと言ったはずだ」


「ごめんなさいっ! でも私――」


「出て行け」










「今すぐに出て行け……ッ」


バタン

怒号が鳴り渡った途端、喧しい音を立てて扉が閉まります。



「……」



もう一度謝って、自分のそばを横切った娘。不意に映り込む、先程まではなかったはずの≪皿≫。


ソファにかけようとして止まる腰。やはり、少女が捉えた寂寥感は気のせいではなかったのかもしれません。





一方その頃、部屋を飛び出した張本人は乱れる息も厭わず、無我夢中で走っていました。



「はぁっ、はっ……はぁ」


もつれそうになっても、動かし続ける足。

後悔と切なさで歪む視界。そんな彼女は気が付けば――



「あ……」


雪の降りしきる城外へ出てしまっていたのです。


心を支配するのは、彼に対する罪悪感と暗闇への恐怖。

膝は相変わらず震えたまま。



「(お城に戻らなきゃ……でも)」




不運にも、目印すら付けず駆け抜けたことで道がわかりません。おろおろと周囲を見やった次の瞬間。カサリ、と葉が擦れ合う音を感知する鼓膜。



「!?」


周りは森に覆われた黒、黒、黒。精一杯目を凝らせば、そこにいたのは無数のオオカミでした。


彼らの眼は獲物――娘を射抜き、今か今かと涎を垂らしつつ狙っています。



「……っ」



逃亡する力も振り切る力も残っていないのでしょう。少女は、長期外出は疎か、狩りすら出たことがないのです。


高揚した様子のオオカミたち。

後ろ足で土を蹴り、一斉に飛びかかってくる数多の影。

自分は食糧。次の瞬間を想像して、ぎゅうと目を瞑った彼女は静かに身構えました。



「?」


しかし、数秒経っても彼らは一向に襲ってきません。

頭上にはてなマークを出現させた娘が薄らと瞼を上げると――眼前には先程とは違う光景が広がっています。


揺れる深紅に映る逞しい背中は、少女にとって見覚えのあるものでした。



「その木の後ろにでも隠れていろ」


「や、野獣さん……どうして」


「……」



――答える必要はない。

震えた声で問いかける彼女に対し無言を貫いた男は、力強い攻撃でオオカミたちを捩じ伏せていきます。



「グッ」



覚束ない足取りで去っていくオオカミ。


とは言え、さすがに野獣も無傷ではないのでしょう。

ふらついた巨躯にハッとした娘は、焦燥を滲ませながらいそいそと彼を支えました。

ずしりと伸し掛られる体重から必死に耐えていると、男がこちらを睨み拒絶の声を上げます。


「離せ。このぐらいの傷、どうってことはない」


「〜〜ダメです! バイ菌が入っちゃいますよ!? 少しずつで構わないので、歩けますか?」



心配を交えた言葉。自らを放ってさっさと逃げればいいというのに――よたよたと歩く小柄な少女を、不意に野獣の視線が射抜きました。

そこに潜む微かな呆れ。



「≪父親の身代わりになる≫と言ったときから思っていたが、ずいぶん変わった娘だな」


「えと……そう、でしょうか? 確かに、村の人にもよく言われていましたが、自分自身ではなんとも」


「……ふ、そうか」


「!(今、野獣さんが笑って……)」



その後、なんとか城へ戻ることができた二人。

暖炉のそばで蠢く二つの影。服の袖を捲くり上げた彼女が持つピンセットの先には、消毒液の付いた脱脂綿が。


矛先は言わずもがな自分の腕です。彼は頬を小さく引きつらせてから、淡々と音を紡ぎました。



「やはり、やめないか? 見るからに痛そうだ」


「治すための痛みです。耐えてください」


「……」


ぽふぽふと施される治療。


かなり傷に沁みるのか男が肩を震わせる中、ふと机上で空になった皿を見とめて、娘は驚くと同時に少しでも歩み寄ることができたのだと微笑みます。


しかし、視線を元に戻して笑みを消す少女。

そう、野獣は自分を守ってくれたのです――巻かれたばかりの包帯に優しく添えられる細く白い手。



「?」


「あの……野獣さん」







「約束を破ってしまって本当にごめんなさい。そして――」


カタッ、と火に燃えて落ちた炭。

同時に彼の目の前で咲き誇る、ひだまりのような笑顔。



「助けてくださって、ありがとうございました」


「――」


「野獣さん?」


「……いや、気にするな。(いつ以来だろうか。……悲鳴や罵倒を上げられるのではなく、こうして感謝されるのは)」


彼女が「お料理とても美味しかったです! 野獣さんも食べてくださったんですね」と呟けば、「ああ。ちょうど空腹で……満足してくれたのなら、よかった」とたどたどしくも途絶えることはない会話。


なぜか落ち着かない鼓動。

男は、漠然とはしていますが、ひどく温かな何かに心が溶かされていく感覚を確かに察知していました。









「王子、それは恋だよ」


「恋?」



ロウソクから教えられた≪恋≫というモノ。

しばらくして、納得ゆえに頷いた野獣ですが、すぐさま肩を落としてしまいます。


「だが……オレはこのような見てくれだ。彼女が好いてくれるはずがない」


「最初から諦めてどうするのさ。大きい身体で得なこともあるだろ? まずは猛獣テクニックであの子の肉体からじわじわと攻め――ゲフッ! ……ちょ、冗談だってば! 思い切り殴ることないじゃん!」


「ロウソク、お前の発言はいつも洒落にならないことばっかじゃねえか」



己の蓋を飛ばし、容赦なくロウの先端に灯る火を消したポット。

≪懲りねえ奴≫と同僚に呆れる時計。

そして慌てて明かりを点け直そうとするロウソクに、カップはケラケラと笑ってから自分たちの主人に向かって助言を紡ぎました。



「なら一緒に食事でもしてみたらどーだ? 前に盛り上がったんだろ?」


「食事……」



確かに、食事ならば上手く行くかもしれません。

双眸に希望を宿した彼は、従者たちの言う通り娘を誘います、が。



「ここのお料理、本当に美味しいですね。野獣さ……」


「(ガツガツガツガツ)」


「……え、っと」



緊張のあまり、目の前の料理をひたすら貪ってしまう男。

広いダイニングルームを支配する、無言の空間。

少女が困惑していることはひしひしと認識しているものの、野獣は手を止めることができません。


「(どうすれば……まず何を話せばいいのかわからない。この子が喜んでくれることは一体なんだ?)」



こうして、初めてのアプローチは失敗に終わるのでした。

ズーンと音を携えて落ち込む彼に、ロウソクが今度はまともなアドバイスを授けます。


「笑ってみたらどうだい? 王子の笑顔に、彼女も夢中になること間違いなし!」



正直≪笑う≫ことに自信はありませんが、そんな自分を奮い立たせて男はさり気なく表情筋を動かしてみることにしました。しかし。



「きょ、今日は……いい天気、だな。(口元を引きつらせ)」


「? 野獣さん……もしかして、歯がお痒いんですか?」


不思議そうに首をかしげる彼女と項垂れる野獣。


あくまで平行線上の二人に、ついに時計が痺れを切らしたようです。

彼らの噛み合わない応酬を眺めつつ、地団駄を踏み始めました。



「……クソ、どんな作戦もまったくもって効果なしじゃねえかッ! これ、そもそも意味あんのかァ――ッ!?」


「ん? オレは結構上手く行ってると思うけど」


「はア? どこがだよ!」


「いや、だってさ……ほら」


ポットが指し示す先。

そちらへ時計が訝しがったまま、目線を移すと――



「先程庭で拾ったんだ。部屋にでも飾るといい」


「まあ、素敵なお花! ありがとうございます!」


「……気に入ってくれたのか?」


不安げな赤色。

彼の中で、幾度もの失敗が蘇るのでしょう。


一方、放たれた質問に娘はコクコクと頷いています。

大切にするため、自分の胸へ寄せられる可愛らしい花々。



「もちろんです……!」


「そうか、それならよかった。……ところで、君は読書を好むらしいな」


「あ、はい。確かに本を読むことは好きですが……えと、どうしました?」


「城の東側に、大きな図書室があるんだが」



よければ行かないか――恐る恐る囁くと、二つ返事で男の隣に寄り添う少女。

想像以上の進展に驚いたのでしょうか。口をあんぐりと開けている時計。


そんな彼を横目に、何かを思い至ったのかカップが声を上げました。



「お、そうだ。オメーら、いいこと思いついたぜ!」








カップの提案が実行されたのは、無数の星が空に煌く夜のことです。

従者たちは野獣に晩餐会用の衣装を着ることを促し、ダンスホールへ来いと急かしていました。


「ほらほら早く! 早くしないと見逃しちゃうって!」


「……お前たち。いちいちそうやってオレの眠りを妨げるんじゃあ――」



次の瞬間、どうしたことでしょう。

彼の眼前に広がった煌びやかな世界。


そこには美しいドレスを着た彼女がはにかんでいたのです。

しばらく息をのみ、佇んでいた男はハッと我に返って娘の傍へ歩み寄りました。



「ど、どうしたんだ、それは」


「あの……皆さんからドレスをいただいて」


「……」



静かに振り向けば、時計はばつが悪そうに目をこちらからそらし、一方カップは作戦成功と楽しげに笑っています。

そして、≪早く何か言え≫と顎(らしき部分)をしゃくるロウソクやポット。


再び少女を見つめた瞬間、野獣は思ったことをそのまま紡いでいました。



「綺麗だ」


「!」



ぽっと朱に染まる彼女の頬。

その姿に彼は硬かった表情を緩めながら、流れ始めた音楽に引き寄せられるまま右手を優しく取ります。



「誰かが気を利かせて、音楽を奏で始めたらしい。……踊らないか?」


「え? でっ、でも……私、ダンスは一度もしたことがないんです」


「心配するな。これでも幾年か前までは習っていた身だ。君を転ばせることはしない」


「ぁ……っ」



美しい舞台で繰り広げられるワルツ。

最初は恥ずかしさと緊張でぎこちない二人でしたが、いつの間にか幸せそうに笑い合っていました。


当然、そんな彼らの様子を見守っていた従者たちの心にも、ある希望が生まれていたのです。



「んふふ……ベネ! 王子は彼女を愛してるんだねえ」


「ハハッ、確かに。この魔法が解ける日も近いかもな!」












しかし、そんなある日のことでした。



「お父様……!」


男が所持する不思議な鏡で、娘は父が弟子と共に村の地下牢へ閉じ込められる瞬間を見てしまったのです。

どうして彼らがそのような待遇を受けているのかはわかりません。しかし、ただ事ではないのは確かでした。



「(助けに行かないと! けど私は――)」


「村へ帰りたい、か?」


「! 野獣さん……」



背後から聞こえてきた声。


聞き覚えのあるそれに、思わず落ちていく視線。

すると、出会った頃より柔和な野獣の瞳が、一人葛藤する少女を映します。



「馬車を手配する。それに乗って帰りなさい」


「でも」


「いいから行くんだ」


「っ」


有無を言わせぬ言葉に秘められた優しさ。潤む深紅の眼。授けられた鏡。彼女は彼に対する感謝の想いを胸に、そそくさと走り去っていきました。

必ず帰ってきます――そんな言葉を残して。





「オイ」


「……時計か。どうした」


遠のいていく馬車を窓辺から眺めていると、声をかけてきたのは時計。

どうやら彼は主人の行動に納得がいかないようです。


それもそのはず。



「どうした、じゃねえだろッ! もう少ししたらバラは枯れちまうんだぞ!? なンでだよ!」


怒鳴る時計が見上げる先。

花瓶に生けられたバラの花びらは、もう一枚しか残っていませんでした。


危ぶまれる命。

ですが、その賭けで揺らぐほど、娘への男の気持ちも生易しいモノではありません。



「決まっている」


「……」


「あの子が大切だからだ」



おそらく時計も理解していたのでしょう。

先程とは一変して黙り込んだ彼に、野獣は自分の行いで物へと変えられてしまった従者たちの方を振り返ります。


「お前たち、すまない」



このまま花が散ってしまえば、喋ることすらできない本当の≪物≫と化してしまう――彼が黙々と頭を下げると、返ってきたのは思いもよらない反応でした。




「〜〜ケッ! あんたらしくねえ! あんたが、この城の主だろうがァアア! ナメやがってェ――ッいちいち俺らに気ィなんか遣ってんじゃねえよ、ボケが!」


「時計の言う通りだよ。ポットとして生活するのも、案外楽しかったし」


「それにさ……諦めるのはまだディ・モールト早いんじゃない? あの子ならきっと帰ってきてくれるさ。ね、カップ。あんたもそう――あれ」


「?」







「ねえ、カップがいないんだけど」











城にいる全員が行方不明のカップに首をかしげていたその頃、少女は村に辿り着いていました。


「お父様! 弟子さん!」



二人がいるはずの役場。

そこへ飛び込んだ彼女は、なぜか立っているボスとその取り巻きに必死の想いで言葉を紡ぎます。



「お願いです! 二人を出してください……!」


「フン……無理なことを言うモンじゃあないぞ。こいつらを閉じ込めたのは私だ。≪野獣がいる≫と言って、村人を惑わすのだからな」


「それに、老人かと思ったら若返ってるなんて……きっと魔女の類なんですよ! ですよね、ボス!」



男たちに大切な人たちを否定された娘は我慢ならずに、持ってきていた鏡を彼らの前へ差し出しました。



「っ二人は嘘なんてついてません。野獣さんは本当にいます!」


「何……?」



言われるがまま銀で彩られたそれを覗けば――なんということでしょう。

本当に野獣が見えたのです。


その瞬間、ボスは彼女から鏡を取り上げてしまいました。



「貸せ」


「あっ、返してください!」


「(まさか、野獣は本当にいると言うのか……!? あの親父は≪野獣がこの娘を攫った≫と言っていたな……私たちの結婚を妨げるものは、何者であっても存在してはならない!)」


「きゃっ」


捕らえるように捻り上げられる少女の細い両手首。

そして、男は取り巻きの少年にある命令を下します。



「父親と同じ部屋に入れておけ。お前との結婚式はこの野獣を滅ぼしてからだッ!」


「わかりました」


「そ、そんな……!」



待ってください、野獣さんは何も――そう言い終わるより先に、娘は部屋に押し込められてしまいました。


無慈悲にも閉まった扉をひたすら叩いていると、不意に靴音がこちらへ近付いてきます。

そこには見覚えのある美しい蒼とブロンドが。



「お前……ッ無事だったんだな!?」


「お父様!」



どうやら無事だったようです。

彼の後ろには弟子も立っており、抱擁を交わした三人がおとなしくここに居座るはずもなく、静かに話し合いを始めました。



「ハン、オレとしたことが。お前を助けるために、あいつの力を借りようとしたオレがバカだったぜ」


「兄貴は悪くねえっす! オレがあいつらに事情を話しちまったから」


「いいや。遅かれ早かれ聞かれてただろうよ……クソ」


「……お父様、弟子さん。野獣さんは、とてもいい方なんです」



誤解を解いておきたい。


そうした想いが、彼女の胸には前から存在していたのでしょう。

怪訝そうな二人に対し、一つ一つ手短に事情を説明していきます。

すると、苦虫を噛み潰したかのような顔で考え込む仕草を見せた父。



「そういうことか。……しかしヤベーな。あいつらのことだ、野獣を倒すためにもう動き出してるかもしれねえ」


「!」


確かにあの男は≪野獣を滅ぼす≫と言っていました。


野獣に想いを馳せ、見る見るうちに青ざめる少女。

そのときです。



「ふいー……やっとよじ登れたぜ」



ドア越しからある声が届いたのは。




「! その声は、カップさん?」


「ご名答! 嬢ちゃん、待たせたな!」


鍵穴から窺える笑顔。

でもどうして――助かったと思うと同時に娘が小首をかしげれば、カップが得意げに説明を始めてくれました。



「実は俺、小さくなれんだよ。だからさっきまでオメーのポケットに……って、説明してる場合じゃねェ!」



カシャン

鍵が回された次の瞬間、扉が嫌な音を立てて開きます。


≪あとで行く≫と送り出してくれた父と弟子。彼女は再び元来た道を駆け抜けていきました。



「(どうか無事でいてください……!)」













「貴様が野獣か」


「……オレはお前に近付かない」


「ずいぶん覇気のない野獣だな。だがしかしッ! 私たちの安寧のため消えてもらう!」


刃を月夜に輝かせるボス。

一方、男は気力さえ失っているのでしょうか。

完全に野獣の劣勢で進んでいく戦い。


そして、光った刃先が彼の胸を貫かんとしたそのときでした。




「野獣さん……!」


「!」


愛しい声が男の耳を劈いたのです。


体内に満ちていく力。野獣は向かってくる敵をバルコニーまで飛ばす勢いで、腕を振るいました。

彼がぐたりとするのを確認した途端、信じられないといった表情で少女を抱き寄せます。



「戻って、きてくれたのか」


「もちろんです、貴方を置いていったりしません。だ、だって私は……野獣さんのことが……っ」


「……オレのことが?」


「〜〜っ/////」



彼を見上げた娘は自分の想いを告げようとしますが、なかなか恥ずかしくて言えません。

そんな姿がひどく可愛らしく、口元を緩ませた男が赤らんだ顔を覗き込み、もう一度問おうとした瞬間。



グサリ

肉を容赦なく切り裂く音と共に、頭上から呻き声が響き渡りました。



「う……ッ」


「! 野獣さんっ」


「フン、≪野獣≫というから村人を扇動しここへやってきたが、想像以上にたわいもない相手だった! 勝ったぞ! これで貴様は――ん? うおおおおおお!?」



勝ち誇っていたのも束の間、≪魔法≫がかけられたかのようにバルコニーが崩れ、崖の下へ落ちていく男。


とは言え、彼女はそれどころではありません。

野獣が目を閉じ、一瞬たりとも微動だにしないのです。



「いやっ……お願いです! 目を覚まして……!」


毛で覆われた頭を強く抱きしめても、体温は静かに下がっていくばかり。

ぽたぽたとこぼれていく美しいナミダ。



「……」


「野獣さん! ……私は貴方のことを――」


唇から小さく紡がれた愛の言葉。


刹那、最後の花びらがひらりと机上に落ちていきました。

しかし同時に、ある声が少女の耳を掠めたのです。




「……はあ。認めましょう、ぼくの≪負け≫です」



その瞬間、どうしたことでしょう。


眩い光があっという間に彼の身体を覆いました。

そして現れた≪人≫。さらさらと揺れる銀の髪。ゆっくりと上げられた瞼。

驚愕が波となって胸に押し寄せますが、かち合った優しい赤にすべてを理解した娘は、涙ぐみつつ男へ手を伸ばします。



「貴方、なんですね」


「ああそうだ。……オレだ」


「っ……よか、た」


応えるように手を包んでくれた彼の大きな手のひら。

それに頬を寄せ微笑むと、どこからともなく陽気な声が二人の元へ飛んできました。



「王子ー! 王子、王子、王子ー! 戻ったぜ! ベネ! オレたち、戻――ヘブッ!」


「うるせェェエんだよッ! テメーはいちいちいちいちよォォオオ! ちったァ黙りやがれ!」


「ハハ、まァいいじゃねェか! こうやって戻れたんだしよ! つか危ねーとこだったな。もう少しで俺ら完全に物だったんだぜ?」


「まあな……最後の最後で、どっかにいる魔女が許可してくれたってことだろ」











「それはどうですかね」


「「「「「「!」」」」」」



刹那、盛り上がっていたはずが一変。男たちを緊張が支配します。

なぜなら――



目の前には、自分たちの姿を変えたあの≪魔女≫が佇んでいたからです。



「貴方は……」


「初めまして、シニョリーナ。ぼくがそこのドケチな王子を野獣に変えていた張本人です」


「……、次は何をする気だ」


彼女を庇うように立ち上がる王子。

一方で、肩を小さく竦めた魔女はただ柔らかく笑うばかり。



「もう何もしませんよ。貴方たちの想いに感動して、思わずちょちょいとバルコニーを壊したぐらいなんですから」


どうやらあれは、本当に魔法によるモノだったようでした。

落ちていったあの男は今頃、永遠の死を迎え始めたところでしょう――そう呟く魔女の顔には黒い笑みが。


そんな様子に彼らはホッと胸をなで下ろします。しかし。




「ただし、≪結婚≫を許すとは言っていない」


「は?」


「貴方今プロポーズする気でしたよね? 気が早いにもほどがあります。……覚えておくといいでしょう、王子。恋愛には順序があるモノです。あと、食べ物の恨みは何よりも恐ろしいですよ」


「……」



その場を覆う≪唖然≫の二文字。

すると、それを引き裂くように二つの靴音が迫ってきました。


「オレも反対だッ!」



少女の父親です。

ある意味、一番の強敵かもしれません。

弟子に支えられた彼は肩を上下させながら、呆然とする王子に向かって叫びました。


「≪お父様≫って慕ってくれるこーんな可愛い娘に、まだまだ結婚なんてさせられっかよ……ゼー、ハー」


「兄貴ィ……ご老体なのにここまで全力疾走なんて無茶するから――」


「うるせえ! つーか、まずは不法侵入がどうって牢に一晩入れられてた分のツケ、オメーにゃ払ってもらわねえとなあ?」



今にも攻撃してきそうな男を必死に止める従者たち。

そんな彼らを蹴散らす父親。

楽しそうに眺める魔女。


混沌と呼べる光景を無言で見渡した王子は、隣の娘にだけ聞こえるようぽつりと呟きます。



「これは、結婚までにかなりの時間がかかりそうだ」


「ふふ、そうですね。王子様は……≪待つ≫のはお嫌いですか?」



おずおずと彼女が紡ぎ出した疑問。

ところが、一秒も経たずに返ってきたのは否定でした。



「……いや、そんなことはない。君とこうして一緒にいられるのなら、オレは何度でも彼らを説得してみせる」


「! ……やっ、やっぱり天然たらしさんなんですね」


「ん? ≪たらし≫とはなんだ」



男が首を捻りつつ言葉を放ちますが、顔を紅潮させたままどうやら答えてくれるつもりはないようです。彷徨う愛しい人の視線を彼があくまで追い続けようとする、と。




「おいそこ! 親の目ェ盗んで、人の娘口説いてんじゃねえぞ!」


「まったく、油断も隙もないですよ」



過剰な反応を示す父と魔女に、再び顔を見合わせてのどかな笑みをこぼす二人。

こうして王子と少女は密かに愛を育みながら、それはそれは騒がしい日々を過ごしていくのでした。










連載×童話
La Bella e la Bestia
美女と野獣



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