LOST of TERROR
※ヤンデレギアッチョ
※一般人ヒロイン





その日、普段通り矛盾に対し苛立っていたギアッチョは、リゾットに呼び出されていた。

時間の長さを感じさせない沈黙が淡々と部屋を占める中で、真顔を貫き通す彼が口にする内容は大体決まっている。



「ンだよ、仕事か?」


「ああ。お前に適任の仕事だ」



適任――以前、刑務所で男を凍死させたように、見せしめという意味だろうか。

それとも、凍らせて死体を粉砕しろということだろうか。


眼鏡越しの瞳に疑心を宿しながら、とりあえず続きを聞くために青年が耳を傾ける、と。



「ギアッチョ、お前にはこの大学に潜入してもらう」



そしてこの教授を消せ。

音もなく自分の前へ差し出された写真に居座る、一見穏やかそうな50代半ばの男。


二人の間をしばらく漂う静寂。

それをすかさず切り裂いたのは、言わずもがな眉を吊り上げたギアッチョだった。



「ハア!? オイリゾット! 潜入しなきゃあならねえんだよ! 無駄だろ! テメー、俺をナメてんのかッ!?」


「どうやらこの男は相当用心深いようでな……ゼミの生徒でさえも自身の研究室にはなかなか入れない。逆に言えば、入室を許された生徒は全員≪行方不明≫で処理されているという」


「……ソイツが一枚噛んでるっつーのか」



話の流れからして、そう考えるのが妥当なのだろう。鋭く睨みつけるついでに尋ねると、瞼を下ろしたまま静かに頷いたリゾット。



「元々は組織が関与し、パトロンとして支援していた人間だ。だが人体実験、臓器売買、薬物利用といった黒い噂が広がり、さすがに警察も動こうとしている。≪その前に消すべき≫だと、組織は判断したんだろう」



ケッ、と蔑んだ声が無意識のうちに漏れる。


利用するだけ利用したかと思えば、邪魔者扱いか。

確かにターゲットの非は否めないが、組織はいつだって勝手だ――ギシリと奥歯を噛み締めたギアッチョを一瞥した彼が、付け加えるように口をまた開いた。



「疑り深い性格なだけあって、お前のことを探る可能性もある。何か偽名を考えておけ」


「ゲッ、マジかよ」


「それと……今回の件は、高校に入学することなく組織へ入ったお前にとって、滅多にない機会だ。社会勉強も兼ねて、実際に授業を受けてみるといい」


「……」



俺の親父かなんかか、テメーは――少しだけ表情を変えた28歳に思わずツッコミを入れそうになりつつ、渋々了承の意を示した青年。

こうして、比較的長い任務を請け負った彼は一大学生として、有名大学に潜入したのだ、が。











イチャイチャ、イチャイチャ。

とある講義室にて。最後列に座った自分の周囲にはカップル、カップル、カップル。目を疑うような光景に、ただただ細やかな貧乏ゆすりが増していく。


「(イライライライラ)」



頬を引きつらせ、瞳孔が常に開きっぱなしのギアッチョ。

だが、目立つ行動は一切取らないよう、しっかりリゾットから釘を刺されているため、感情に任せて眼前で肩を寄せ合う男女を蹴散らすこともできない。


さらに、今にも机を壊しかねない彼を苛立たせる要素がもう一つ。



「(つか教科書要るなんて聞いてねえよ! あっても使ってる奴全然いねーじゃねえか、チクショウがッ!)」



どんな任務においても、組織に補助金という制度はないのだ。

もはやターゲットが話す講義内容など興味を失い、右耳から左耳へと突き抜けている――≪退出≫の考えすら脳内に浮かび始めた青年のそばに、ふと小柄な影が近付く。



「……あの」


「(クソ! クソがッ! この俺をナメやがってェェエエ!)」


「あ、あの。もしも――」








「あァんッ!?」


「ひぃ! ごめんなさい!」



形相と共に右隣を振り向けば、怯えた様子で頭を下げる少女が。


その髪色と顔立ちから察するに東洋人のようだ。

留学生だろうか――おずおずと拙いながらも紡がれるイタリア語。

とは言え、努力が滲む言葉使いにいちいち感心している場合ではない。訝しそうに眉根を寄せたギアッチョは、童顔の女を改めてじろりと睨めつけてから、喉を震わせた。



「ンだよ。なんか用でもあんのか」


「い、いえっ! ただ、教科書を持っていらっしゃらないようなので……」


「……ケッ! だからどうした」



見解は正しいが、お前には関係ない。そう、暗に吐き出した彼がすぐさま前方へ向き直る、が。



「よかったら、一緒に見ませんか?」


次に青年の三半規管を支配したのは、思いもしなかった発言。


お互いが見られるよう、長机の中央にそっと置かれた彼女の教科書。お人好しにもほどがある。

ますます怪訝の色を濃くした顔。



「はア? いらねえ。つーか、教科書なんざなくても死にはしねえだろうが!」


「え? でもさっき、復習テストは教科書からすべて出すって仰ってましたよ? その……遠慮しないでください。こうして隣になったのも、何かの縁ですし」


「……」


「ね?」



にこにこと笑っている少女から打ち明けられた新事実。結局、見せてもらわざるをえないらしい。

その数十分後、チャイムが鳴り渡ると同時に、ギアッチョは本の裏表紙にローマ字で刻まれた名前を自然と口にしていた。



「名前」


「ひゃい!? ど、どうして名前を」


「ここ。書いてるじゃねえか。……律儀な奴だな」



驚愕に満ちた表情を視界に収めながら、鼻で笑う。

しかし、そこに嫌味はない。


一方、しばらくの間鳶色の瞳をぱちくりとさせていた、日本からの留学生こと名前。

彼の指先が示す先にようやく気付いたのか、照れ臭そうに視線を落とした。



「あ……そうだった。すみません、持ち物には絶対名前を書く母の姿を昔から見てきたので、クセみたいなものなんです」


「へえ」



会話が少なからず響く、人気のない室内。男にとって標的でもある教授が姿を消したのを見計らって、彼女が小さく会釈をする。


「改めまして、名前です。貴方のお名前は」


「……チヨ」


「(チヨ……? イタリアではよくある名前なのかな。男性の名前の多くが母音oで終わるって言うし。)えっと、じゃあチヨくん……」


「〜〜オイ! 名前を呼ぶのは構わねーが、≪くん≫とか付けんのやめろッ! 呼ばれ慣れてねえんだよ、気持ちワリー!」



次の瞬間、ゾワゾワとした悪寒に似たモノが背を駆け巡り、目を剥くギアッチョ。

だが、少女は申し訳なさそうに眉尻を下げるばかり。



「できれば慣れて貰えたら嬉しいです……これもクセなので」


「チッ」


バツが悪そうに眉間にシワを増やす彼と、くすりと笑みをこぼす名前。

この出来事をきっかけに二人は授業が被ることも多く、会うたびに言葉を交わす友人となっていった。


一人イタリアへやってきた彼女はかなり慎ましやかだが、思ったことははっきりと口にするようで――



「あ。今、誤字が多いように見えたんですが……」


「は!? みみみみ見んじゃねえよ! クソ! つーかこの問題、俺をコケにしてんのかァアア!? 意味わかんねえ単語出してきてんじゃあねえぞ、チクショウが!」


「勝手に見てごめんなさい! で、でも……私はチヨくんよりイタリア語がダメだから……チヨくんの都合がいいときに、一緒に勉強付き合ってもらえたらなって」


「〜〜ッ突き落として上げるタイプか、テメーは!」



今いる場所が図書館であることも忘れて、司書から注意されるなど男は少女との関係に心地よさを覚えているようだ。


自分の生業を一切知らない、血に塗れていない友人。それを、心の奥底では求めていたのかもしれない。




紙が擦れる音と対話だけが響く鏡の中。

仕事においては、ビジネスライクに打ち合わせを進めながら、不意にイルーゾォがからかいの交じった声を上げる。



「で? どうなんだよ、楽しい楽しい大学生活は」


「どうもすっかよ。うるせえ奴らばっかだぜ。今日も授業そっちのけでくっつきやがってよォォオ」


「(いや、煩いことに関してはギアッチョも人のこと言えないって)……まあ、オレらにとって別世界のようなモノだからな。確かに新鮮かも」



いつも通り悪態は付くものの、少しだけ大学生活を思い出して表情を緩めたギアッチョにホッとする反面、黒髪の男には一つ気になることがあった。


「けど……、……」



刹那、言葉が途切れたかと思えば、イルーゾォがこちらを凝視しているではないか。

ヒクリ。痙攣する頬筋。



「なンだよ」


「いや、さっきから携帯持って妙にソワソワしてるからさ……なんかメールでも待ってんの?」



そう。彼が以前にも増して携帯を決して手放さないのだ。


実は名前とメールアドレスを交換した青年。

彼女からの返信が普段はテンポよく送られてくるにも関わらず、今日はなぜかメールが返ってこない。何度も確認するが、表記される≪0件≫という文字。



「(クソッ)」



味気のない画面を目にするたび、募る苛立ち。

ちなみに、男の辞書にプライベートという単語はない。



「(なんでだよ! すぐ返すだろッ! フツーよォォオオ! クソ! クソがッ!)」



また、最近妙に気に入らないのは少女の隣に並ぶ自分以外の男。

キャンパス内でそれを見ると、なぜか無性に胸中が嫌悪感で掻き立てられる。


感情の正体はわかっていない。アイツ誰だよ――ギアッチョがそう問えば、いい意味で人畜無害の笑みを浮かべる名前。



「部活の先輩なんです」



紡がれた一言。だが彼にとっては、その声色に困惑が宿っているように思えたのだ。

――だから、≪消した≫。




「先輩が旅行に?」


「うん、一人旅だって。急遽決まったらしいよ」



一週間後、友人から話を聞いた彼女はこてんと首をかしげる。


おかしい。先輩は今日≪大切な彼女とデート≫だと言ってたのに――思案を巡らせていたそのとき、視界の端に現れた特徴的なカーリーヘア。

ぱあと顔を輝かせた少女は、すぐさまギアッチョのもとへ走り寄った。



「チヨくん、お久しぶりです! どこかお身体悪かったんですか?」


「いや、ちょっくら≪用≫があったんだよ」


「用事? そうだったんですね……あ、このノート使ってください。前回の授業内容が書いてあります」


「……グラッツェ」



気恥ずかしそうにノートを受け取る彼に、名前が浮かべた穏やかな微笑。

男は、まさにこの≪何も知らない笑顔≫を願っていたのだ。

一方で彼女もキレやすい青年との交友関係に慣れてきたのだろう。ギアッチョに対してようやく外れた敬語。


そんなある夜、ベッドに寝転がっていた少女に、携帯が突然着信を知らせる。



「? もしもし」


『テメー……せめて相手の名前確認してから名乗れよ! ボケがッ! 詐欺に利用されちまうだろォ――ッ!?』



受話口から耳を離していても聞こえるほど、荒げられる声に一瞬だけ停止する思考。名前は目を白黒させつつ、おずおずと音を紡いだ。



「え? あ、えっと……チヨくん?」


『ンだよ。俺じゃあなんか都合でもワリーのか』


「ううん……ちょっとびっくりしただけだよ。でも私、電話番号伝えてたっけ?」



メールアドレスは出会った当初赤外線で交換したが、番号は残念ながら覚えがない。


不思議そうに彼女が首をひねっていると、携帯電話越しにハッという独特な笑声が届いた。



『ア? メールアドレスと一緒に入ってたぜ。……テメーまさか、忘れたとか言うんじゃねえだろうなァアアッ?』


「(んー、そうだったような違うような)」



腑に落ちない様子の少女。

当然知る由もない――時折途絶える連絡に耐えかねた彼が、自身の情報を秘密裏に調べ上げたなんて。


一方、男はそれを感じさせないまま、不機嫌を前面に出して呟く。



『つーか逆に聞くが、俺がオメーの携帯番号知っててなんか問題でもあんのか。別にいいだろうが! 俺ら、ダチなんだしよォ』



苛立ちと羞恥がありありと浮かぶ声音。照れ屋なギアッチョらしい。だが何より、≪ダチ≫という想像もしなかった単語が聞こえたことに名前は自然と破顔していた。


「! ふふ、確かに……お友達だしいいよね!」



こうして、彼の行動は友達という事実の確認を皮切りに、徐々にエスカレートしていく。しかし彼女は気が付かない。


むしろ電話とメールの着信件数に驚いた友人が慌てて忠告するのだが、少女は男への信頼ゆえに呑気に首を横に振るばかり。



「チヨくんはただ心配してくれるだけだよ」


「あんたね……心配っていう理由だけで男が毎日連絡してくると思う? しかもすぐ出なかったり、返さなかったりすると怒るんでしょ? 異常だって!」


「そ、そんなことないって。びっくりはするけど、チヨくんだって悪い人じゃ「ほら、また見てる! これ没収!」――あ!」



奪われた携帯電話。元々、この友達は少々世話好きな節がある。≪もう……≫と苦笑しつつ大人しく従う他ない。

その判断がまさか数時間後、あんなことに繋がるとは思いもしていなかった。




友人と別れると同時に携帯を開いた瞬間、名前は自分の目を疑う。



「ひ……っ」


上がる悲鳴。

視線の先に刻まれた数字は1000以上。


相手はもちろん、≪チヨくん≫だ。

狼狽に息をのんだ彼女は恐る恐る受話口を耳に当て、録音を再生し始めた。



『名前! 散々無視しやがってェエエエエ! どんだけかけてると思ってんだッ! ボケが!』


『まさかワザとやってんのか? 俺をおちょくってんだろォ――――ッ!? ンな遊びしてねーで、さっさと電話に出るかかけ直して来いッ!』


『なあ、出ろって。オメー、マジで死んでねえだろうな……?』









『名前……オイ名前。早く出ろよ。名前、心配させんじゃねえぞ』



怒りや悲しみ。あらゆる感情が入り交じった声が脳髄を貫いていく。名前が連呼されるだけという留守番電話もあった。


初めて少女を押し寄せてくるギアッチョへの恐怖。足も自ずと道中で立ち止まり、愕然としていた――そのとき。

前回の履歴から、3分しか経っていないにも関わらず、突如鳴り響いた着信音。ビクリ、と跳ねる細い肩。とは言え、普段からの習慣も引き金となったのか、名前は思わずボタンを押してしまう。すると、



『テッメー……! 人が電話かけてるっつーのに、なんで出ねえんだ! クソッ! クソッ!』


「ご……ごめんね? 実は、友達にちょっとの間携帯を没収されちゃって」


『チッ、それならそうと先に言えよ』


「……。う、ん」



次々と放たれる言葉に応えながら、小さな胸騒ぎに支配される心。


だからこそ、≪あのアマも消すか≫――電話を切る間際に紡がれたその言葉を、考えに没頭していた彼女が把握することはできなかった。







「そういえばあの子、今日からしばらく恋人と海外旅行なんだって。お熱いことよねえ」


「え……」



彼女とは今日、カフェに行こうと約束をしていたのだ。少なからずショックを受ける少女。

そして講義室においても悶々とした時間を送っていると、「よォ」という一言と共に現れるギアッチョ。


次の瞬間、先日のことが頭を過ぎり足は竦むが、やはり憂慮が原動力のようだ。ありがたさと恐怖の感情に促された名前が苦笑をこぼす。



「なんだか、私が途方に暮れてるとき、いつもチヨくんは一緒にいてくれるね」


「はア? 何言ってんだ。俺ら≪ダチ≫だろ、テメーはンなこといちいち気にしてやがったのかァ?」


「友達……」



当然のごとく告げられた自分たちの関係。彼の顔をちらりと一瞥した彼女はおもむろに眉尻を下げた。



「でも、こんなに付き添ってくれる人はそういないよ?」


「ケッ! 他と比べてんじゃねえぞ。それよりテメー、ンな風にボーッとしてたら、また学舎前の階段で転んじまうぜ? カフェオレでも飲んでさっさと目ェ覚ましやがれ!」


「! えへへ、ありがとう……(よかった、いつものチヨくんだ)」


「……ったく。テメーは俺が見とかねえと、マジで何しだすかわかんねーからな」



呆れとため息交じりに男が漏らすため息。

少女の面持ちにも、久方ぶりに安堵が溢れていく。

そう、おそらくギアッチョは極度の心配性なのだろう。


口に含んだカフェオレはとても甘く、いつもより美味しく感じた。









その夜。白い光が照らす大学への道には、息を乱しつつひらすら走る名前が。


「(携帯置いてきちゃった……またチヨくんに怒られちゃうなあ)」



校門は開いているものの、当然人気は少ない。

もはや生活の一部である携帯電話がひっそりと佇む場所は、おそらく小さな講義室。


なかなか入ることができない部屋で有名な、教授の研究室の隣だ。



「うう……ちょっと寒い」



己の腕を手のひらで覆う。夏とは思えない、背筋から迫り来る寒さ。まるでクーラーが壊れてしまったかのようだ。


しかし、目的地には無事辿り着けたらしい。相変わらず異常な件数が記されたそれをカバンに仕舞い、廊下に足を踏み出しながら彼女がホッと胸をなで下ろした瞬間だった。



「ったくよォ、無駄な抵抗しやがって」


「!」



聞き慣れた声が別の部屋、それも近くから少女の鼓膜を震わせる。

よくよく見れば少しだけ隙間の空いた扉。動揺より関心が打ち勝ったのか、それをそっと押して――薄闇の中、すぐさま目に止まったのは、氷像と化した教授。


それだけでも胸を激震させるというのに、自身の視界を埋め尽くす景色に驚くしかなかった。なぜなら、生きているのか死んでいるのかすらわからない人物を前方から淡々と見据える――



「(ど、どうして……チヨくんがそこにいるの?)」


ギアッチョの姿。

そのひどく冷ややかな眼差しに言い知れぬ恐怖を抱いた。

バクバクと落ち着きのない心音。すると、不意に室内を突き刺した着信音。


慌ててドアノブから手を離し、少しばかり身を潜ませる名前。一方、彼は携帯電話を耳に宛がい、平然と口を開く。



「もしもしメローネ? ああ、たった今終わったぜ。……は?」



この声色、この口調、やはり≪チヨ≫だ。眼前にいるのは、矛盾に止めどない怒りを示し、なんだかんだ言って優しいあの青年なのだ。


なぜ――疑問詞が彼女の脳内を占領する中、男たちの会話は続いていた。



「オイオイオイ、このギアッチョがなんかヘマでもすると思ってたのかァ? テメーはよォオオ!」


「(ギアッチョ……? どういうこと? チヨくんじゃない、の?)」



これ以上聞いてはいけない。

いや、≪聞きたくない≫。


焦燥に従うまま耳をギュッと両手で塞ぐが、荒げられる声は容赦なく鼓膜を揺らす。



「チッ……まあいい。ついでに地下牢、空いてるかホルマジオに聞いてくんねえか……、ア? 理由ゥ? ケッ! ンなモンなんでもいいだろ。とにかく要んだよ!」



掴むことができない内容。ギアッチョと鉢合わせることを避けたくとも、足は言うことを聞かず――少女に走る緊張。



「オイ! 誰がテメーらにやるか、ボケがッ! 見せる気なんざこれっぽっちもねえからな!」



通話を終えたようだ。

ビキッ、グシャリ。氷が砕かれ、踏み潰される音と共に、月光に照らされていた二つの影が一つだけになった。



「クソ……あの変態とジジイ、ナメたこと言いやがってェェ」


「(チヨくんが何をしたのか、なんでそこにいるのかわからない。でも……お願い。このまま、立ち去って……!)」


「……」



もう一度、講義室に飛び込んだ小柄な身体。

刹那、カバンの内部がピカピカと光り始める。


まさか次は自分に電話を――マナーモードにしておいて、これほど安堵したときがあっただろうか。



「オイオイ。アイツ、また気付いてねえのか」


「(ど、どうしよう。今出るわけにもいかないし……っ)」



必死に抑え込む動悸。


しばらくして舌打ちが聞こえたかと思えば、一言二言、彼が送話口に何かを吹き込んだ

そして、遠退いていく靴音。

どこまでも緊迫していた世界。それにようやく解放されたと名前はやおら息をついた、が。



「!」



安心したのも束の間、再び着信を表すデスクトップが双眸に映ったのだ。

だが、不安はあれどもいまだ消えることはない友情に急き立てられ、自ずと指先がボタンに触れる。



「もしも、し……?」


『……』


「えっと……チヨくん? どう、したの?」








『≪藁の山から一本の針を探す≫っつー言い回しあるよなア?』


「え、あっ、うん! 聞いたことあるけど……それがどうかした?」


『ンな無駄な時間過ごすなんて、バカのすることとしか考えらんねえ! どういうことだよッ! 俺をコケにしやがって……! 針のために藁の中を探し回る意味が全ッ然わけわかんねー! そもそも藁のそばで針扱うような仕事してること自体、フザけた話だと思わねえかァアア?』


「あはは、確かにそうだね」



無言の末に紡がれたのは、なんの変哲もない日常会話。その中で、彼女は平然を必死に装っていた。



『で、この言い回し聞くたんびにイラついてたんだけどよォ――ッ、やっと納得がいったぜ』



コイツのようなバカにならずに済む案を思い付いたんだよ。


苛立ちを押し隠した声で少女はその姿が男に≪見えるわけでもないのに≫、相槌を打つ。

次の瞬間、



『必死に探すっつーことはよっぽど大切なんだろォォオオ? つまり――』









「端っから失くさないように、箱に仕舞っときゃあいいんじゃねえのか?」


「――ッ!?」



背後から、電話越しだったはずの声が直接届いた。

油を注してもらっていないロボットのように、ひどくゆっくりと振り返る名前。



「オメーな、学校に来てるなら声かけろよ。無駄足踏んじまっただろうが」



すべて、自分が覗いていたことでさえ知っている目だ。

こちらを貫くギアッチョの冷え切った眼光に、自然と喉が震え出す。


殺される――心を広がっていったのは≪怯え≫。



「ぁ、っ……あ……チヨく、っおね、がい……ころさな、で……」


「はァア? オイ、テメーは俺を一体なんだと思ってんだ。ダチにンなことするわけじゃねえか」



怪訝と冷徹が貫かれた表情に宿る、呆れ。

たった一言。それでも、彼の寄せられた眉根に≪いつもらしさ≫を見出し、少しでも安心しようと試みてしまうのはなぜだろう。


ヒクリ、と気付かぬうちに嗚咽を漏らした彼女は、ぎこちなく笑った。

身体は一歩、後退ったまま。



「そ……そう、だよね。友達にそんなこと……する、わけ」


「たりめーだろォオオ? 逆にオメーはダチって思ってねえのか? 俺のこと」


「っううん! そんなわけない! わ、私にとっても……大切なともだ、ち……だよ?」


「……ハッ。それ聞いて安心したぜ!」










「オメーに付き纏う奴ら全員、凍らせて砕いちまったからな」










「え……?」


「アイツらハエみてーにうろちょろしやがって。名前も笑い返してはいやがったが、心ン中では鬱陶しがってたんだろ? どいつもこいつもオメーの一番気取ってよォ――ッ、我が物顔してんじゃあねえぞ、クソがッ!」


「(うそだよ、ね? チヨくんが、みんなを)」



男から胸のやわな箇所に突きつけられた事実。息が、できない。


周りに漂い始める冷気。わけもわからず温度が、体温が低下していく。

どれほど腕を摩っても粟立つ鳥肌に、少女はふと教授が殺されていた状況を思い出した。


瞳を見開いたまま顔を上げれば、そこにはどこまでも普通に歯を見せてにやりと笑っているギアッチョが。



「言ったろ、≪大切なモンは仕舞っとく≫って」



これからは自分しか映さない鳶色を確かめた刹那、精神を満たしていったのは≪友愛≫だけではない。


以前まで不透明だった彼の心中が一瞬の間に晴れ渡ったのだ。理解した――名前が柔らかな笑顔を自分以外の誰かに見せるたびに燻っていたこれこそが、恋情でもあるのだと。

――やっと手に入る。



「やだ……チヨ、くん……や、やめ――」


「無駄だな」



意外に大きな手のひらで目元を覆われる寸前のこと。

細長い指と指の間から見えた、相手の面持ちに滲む≪狂気≫。

日頃、矛盾に対する怒りばかりが宿っていたはずの男の眼には――いつからだろう。


今、こうして怯える少女だけに向けられた、思わず見つめ返してしまうほどに真っ直ぐで、ひどく歪な情愛が灯っていた。










LOST of TERROR
意識を失った瞬間、彼女の顔から恐怖が消えた。










大変長らくお待たせして申し訳ございません!
ヤンデレなギアッチョと、一般人で友人ヒロインのお話でした。
リクエストありがとうございました!
ギアッチョは、二大ヤンデレ(当サイト比)のリーダーやイルーゾォとは違うタイプだろうなという想像から書かせていただきました。いかがでしたでしょうか。


感想&手直しのご希望がございましたらお願いいたします!
Grazie mille!!
polka



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