※同僚ヒロイン
※切甘
最近は、彼の後ろ姿ばかりを見つめている気がする。
「あの、プロシュート」
「……なんだよ」
玄関に立つ恋人。
自然と、喉は震えてしまっていた。
「どこか出かけるの?」
ああ、口から溢れたのはどうしても聞きたくて、聞きたくない矛盾を孕む質問。
わかっている。
プロシュートが呟くであろう言葉は、私にとって嬉しい答えじゃないって、わかっているはずなのに。
「バーだ、バー」
「……、そっ、か」
ほら、やっぱり。
お酒の裏にちらりと窺える女性の影。
浮気とまでは言わなくとも、ひどく胸が痛い。
本当は≪貴方の恋人は誰なの≫って引き止めたい。でも、
「おい名前。お前――」
「いってらっしゃい」
「!」
私はいつの間にか、物分かりのいい女になってしまったみたい。
「……」
何も言わずに颯爽と出ていくプロシュート。
けれども、いつも一つだけ不思議でたまらないことがあった。
どうして私が見送るたびに、彼は一瞬だけ辛そうに眉をひそめるんだろう。
「っ……プロシュート」
苦しい。切ない。
でも――プロシュートの隣にいられるだけでいいんだ。
私からの告白で成立した関係。
必死に押し殺している本当の想い。
今にも飛び出してしまいそうな本音。
扉を開け放ち、彼の背中に縋ってしまいそうなこの身を、グッと抑え込む。
「行かな、いで」
ただどうか、≪都合のいい女≫にだけはならないように。
自制をかけることは意外に難しいけれど、とにかく気丈に振る舞えばいい。
そう、自分の心に言い聞かせ続けていた。
「……Pront」
そんなある日。
いつものごとくアジトから出ていたプロシュートは、不意にかかってきた電話とその内容に訝しげな顔をする。
「名前が、帰ってこねえ?」
『ああ。ターゲットの始末を完遂したであろう時刻からずいぶん過ぎている。最近暗躍し始めた組織の噂も聞く。それらに捕まったか、もしくは――』
チームリーダーが放つ、簡単に予測のできる候補。
それを聞き終える前に彼は電話を容赦なく切っていた。
自ずと漏れる舌打ち。
「チッ(……何やってんだよ、名前の奴は)」
男の脳内に浮かぶのは、任務前に交わした彼女との会話。
「名前。今回の相手にゃ敵対組織が付いてるらしいからな……ヘマすんじゃねーぞ」
「え……心配、してくれてるの?」
「おいおい、名前名前名前よ〜! オレはオメーのこと、一人の暗殺者として認めてんだぜ? 心配なんてヤワなモンしねーよ。強いて言うなら激励だ」
「……ふふ、だよね」
あのときの、自分に向けられたぎこちない笑みが、脳裏にひどく焼き付く。
気が付いたときには、プロシュートはやるせない気持ちをかのように拳を壁に叩きつけていた。
「クソッ!」
日陰者と世の中から弾き出されようとも、仲間は仲間だ。≪命を奪う≫という覚悟の裏には、喪失に対する恐怖だって生まれる。
いや、もちろんそれもあるだろう。
だが――
「(あいつは、いつでも笑って)」
名前は違う。
己の胸中に育まれた複雑な心情はすでに理解していたはずだ。
「(逆に、オレァ何してた?)」
女と関連付けられそうな場所を口にして、浮気しているかのような素振りを何度も見せた。
今来た道を足早に戻りながら、彼は恋情とまでは言わなくとも、仲間以上としての感情を持ち合わせていた自分に彼女が告白してきた日のことを思い出す。
すぐさま≪Si≫と首を縦に振れば良かったのだ。ところがそこで垣間見えた、妙な強がり。
「名前。言っとくが、オレは≪恋人≫っつーステータスに囚われすぎる女は嫌いだぜ。束縛は嫌いでな……自由にさせてもらうことも多い。それでも、オメーはオレがいいって言うのか?」
「う、うん! プロシュートがそういう人だって、少しは知ってるつもりだよ。だって……ずっと好きだったから」
「……」
「だから、よろしくお願いします!」
それから、名前は彼女自身がイメージする≪物分かりのいい女≫になろうと、必死に努めていたんだろう。
しかしその一方で、どこまでも大人しい恋人に自分が物足りなさを感じてしまった。
≪今、何してるの≫やら≪誰とどこで会ってたの≫やら聞いてくる女は、「ハン! ずいぶん束縛の強い女だ、鬱陶しい」と罵って――振るか、キレた相手に振られるかのどちらかだったはず。
「(じゃあなんでだよ。なんでオレは……名前にありったけの本音をぶつけさせようと躍起になってんだ)」
なのに、名前が作り笑いをする度に虚しくなっていく。
苛立ちやもどかしさに似たそれを酒で埋めようと、ますます己の帰りは遅くなるばかりだった。
「(ハッ、なんてザマだ。……本当はわかってるクセしてよォ)」
心臓の奥底に棲み付くモノ――これは喪失感だ。
大切な女が危ういと知って、ようやく気付くなんて。
滅多に表へ出すことのない、一つの≪後悔≫を蒼い瞳に滲ませたプロシュートはある人物に電話をかけ始めた。その相手とは、
『やあプロシュート。こっちの携帯にかけてくるなんて珍しいね、どうかした?』
「……名前の居場所を至急調べろ。あいつは優秀だからな……捕まってるって方が可能性として高い。メローネ。テメーならその場所、把握できんだろ」
『あは、何? プロシュート、あんたまさか今更名前の大切さに気付いたワケ?』
「ッ!」
飄々とした声色に歪む表情。完全に図星である。
自覚していなかったのだ。
己にとって、どれほど彼女の存在が大きいのかを。
あって≪当然≫、いて≪当然≫など、正しいように思えて実は間違っている。
「(オメーに言われなくとも、んなこたァわかってんだよ)」
人は、時折確かめなければならない。
ふとした瞬間失わないように。漠然とした何かから奪われないように。
苦虫を噛み潰したような顔をしていると、不意に受話口からため息が聞こえてきた。
『……組織がつい一ヶ月前制圧したばっかの倉庫。あそこに怪しい奴らがうろついてるって、最近はもっぱらの噂だよねえ』
「! お前、今――」
『おっと、二度は言わないぜ? ま、リーダーのメタリカは覚悟しといた方がいいかもね。鉄分補給用サプリは用意してあげるよ』
余計なお世話だ、そう言い返す暇もない。
男は、メローネのケラケラという笑い声が届くより先に走り出していたのである。
「う……、ッ」
今が何時か、ここがどこかすらわからない。
瞼を恐る恐る上げた名前は、視界を覆う闇に目隠しをされているのだと悟った。
「(頭がグラグラする。そうだ、私後ろから殴られて……)」
縛られた四肢。どうしようもないという現実に、まだ死んでいないと言うのに彼女の脳内を走馬灯の如く駆け巡るこれまでの記憶。
しばらくして心中に浮かぶ仲間たちの顔。
そして――
「(プロシュート……)」
瞳の奥から、決して消えることのない最愛の人。
故意に作り出された暗闇の中、名前は眉尻を下げつつ笑う。
「(最期に、もう一回会いたかったなあ)」
少しばかり眼から零れた水は、あっという間に目隠しへ滲んでしまった。
だが、死を覚悟した今なら――今だからこそ言えるだろう。
≪本当は私だけを見てほしかった≫って。
「……ッ」
徐々に近付いてくるいくつもの足音。
組織のことは、決して喋るつもりはない。
さらに、自分は曲がりなりにも女だ。
死とは違う最悪の事態を、嫌でも想定できる。
と言っても、彼女のスタンドは個別に対して攻撃するタイプであり、このどこともわからない場所一面を爆破できるようなタイプではない。
できることは、たった一つだった。
「(別に組織を信用しきってるわけじゃない。あんな待遇だし……でも、チームへの信頼と忠誠ぐらいある)」
情報の隠蔽。
後々、尋問するためだろうか。
嵌められていない猿轡――それだけが相手の失敗だろう。
窒息。その方法を駆使するために舌を歯で柔く噛む。
「(でも……ちょっとだけ。ほんのちょっとでいいから、プロシュートが悲しんでくれたら嬉しい……な)」
ひどく穏やかな諦念が押し込めた微かな望み。それと共に顎へ力を込めようとした――刹那。
耳を掠めていたはずの足音が一気に減った。
「?」
近寄ったわけでも、遠ざかるわけでもなく。
パタリと消えてなくなってしまったのだ。
そして、静かに開かれる扉の音。心はただただ自分を急かす。
「ッ(阻まれる前に早く――)」
「名前ッ!」
「(え……?)」
次に鼓膜を揺さぶったのは、聞き慣れたテノール。
眼前に気配が現れたかと思えば、腕と足、そして目元がするりと解放された。
心配を潜ませてこちらを覗き込む、美しい海をそのまま写したかのようなブルー。
「おし、生きてんな。薬も入れられてねえようだし……名前、喋れっか?」
「……ど、して……?」
「あ?」
男がペシペシと自分の頬を柔く叩いてくる。
その光景に混乱する心。
わからなかった。
来るはずはないと諦めていたのに、彼が――プロシュートが、ここにいることが。
「私……いつの間にか、死んじゃったのかな」
「はあ? おい、どうした」
「今起きてることが、信じられない」
「……名前」
「だって、おかしいよ。おかしい……っプロシュートがこんなどこかもわからない場所に、助けに来てくれるわけ――」
「!」
「いい加減気付け。ちゃんと生きてんだよ、お前は」
次の瞬間、名前は恋しいぬくもりに包まれていた。
そっと意外に逞しい背へ腕を回すと、それを見計らって彼のビロードのような声が彼女の三半規管を震わせる。
「名前。オレを、許してくれとは言わねえ」
だが、と連ねられた逆説。
「……ッ無事でよかった」
「っ」
まるで自分の存在を確かめるかのように腕の力が強まったと同時に、届くどこまでも安堵を含んだ音色。
すべてに、安心したからだろうか。
自然と涙腺が緩んでしまったようだ。
「わた、し……っ」
「ああ」
「ほんとはっ……す、すごく怖くて……死ぬのもほんとは、嫌……だし」
「ふっ……誰だってそうだ。オメーだけじゃねえよ」
「……、ぷろしゅーと……っあの、ね」
告げたい、本当の想いを。
今の関係から変わってしまうかもしれない。たとえそうであっても、後悔しないために言わせてほしい。
恐怖と安らぎが入り交じった感情に絶えず嗚咽を漏らしながら、優しく笑うプロシュートを見上げた名前はおずおずと口を開いていた。
Perditaに見出す
どんな時でもそばにいてくれた――彼女の大切さ。
〜おまけ〜
その後、二人がどうなったのかと言うと。
「ちょ、ちょっと……プロシュートさーん? そろそろ離してくれたら嬉しいんだけど……」
「却下だ。帰った途端リゾットに説教され、やっと終わったかと思えば反省文みてーなモン書かされ……オメーを全然感じられてねえんだ。要するに、構えよ」
「そう言われても、ねえ?」
改めて想いを打ち明けたあのとき。プロシュートは嫌な顔一つせず、むしろ腕の力を強くしてくれたのはよかった。
が、いくら互いの間にあったすれ違いが解消したにせよ、変わりすぎやしないだろうか。
ソファ上で後ろから自分を抱き寄せる恋人に、思わず名前は溜まりに溜まった愚痴を呟いてしまう。
「ま、前は全然構ってくれなかったくせに」
ピタリ。次の瞬間、止まる彼の動き。
「……」
「あ……、その」
しまった。
お前のは悪かねえな。これからは遠慮せず言えよ――そう囁いてくれたが、さすがにこの≪本音≫はまずかったかもしれない。
「……」
「ぷ、プロシュート。あの、今のはなんというか――んっ」
「名前」
刹那、一瞬だけ唇を男のモノで塞がれ、彼女は目をぱちくりさせてしまう。
瞬きを繰り返すだけの恋人。
その微笑ましい姿ににやりと口元を緩めつつも、自嘲するかのように眉をひそめたプロシュートはゆっくりと音を紡ぎ出した。
「今まで、なんだかんだと嘲ってきた奴は散々蹴散らしてきたが……これだけはわかるぜ。オレが大バカ野郎だった、ってな。名前が告白してくれたそのときから、意地なんてチンケなモンは捨てて、女であるお前じゃあなくお前っつー女を見りゃよかったんだ。……オレのこの想いは、信じてくれるか?」
張り詰めた空気。これほど緊張した経験が、今までの自分にはあっただろうか。
すると、
「ううん。信じない」
「…………、はあ!? おま、そこは」
「っ、だから――」
「これから、私に信じさせていってくれるんでしょ?」
「! ……ハン、上等だ」
やっとこうして、何事もなく微笑み合うことができた気がする。
とは言え、このまま解放されないのは困る――と、名前はちらちらと窺うように後ろを一瞥した。
「ところで、いつこの腕の力は緩まるの、かな?」
「いつ? ハン、一生ねえな」
「えええ? でも私、メローネに呼ばれてるんだけど……」
「は? どこにだよ」
すんなり彼女から返ってきた、部屋という回答。
寄せられていく眉根。
二人を包む静寂。
「チッ、何考えてんだあの変態は……」
「変態……そ、そりゃ私だって最初はかなり警戒してたけど……親身に相談に乗ってくれたし、なんだかんだ言って優しいよね」
「……ほーう」
見る見るうちに立つ青筋。
彼の様子に首をかしげた名前は、そのときまさかある≪戦い≫の幕が切って落とされたとは、思いもしていないのだった。
![](//img.mobilerz.net/sozai/1616_w.gif)
長らくお待たせいたしました!
プロシュート兄貴で切甘でした。
リクエスト、ありがとうございました!
彼女から本音を聞けた分、兄貴はこれからヒロインを溺愛しそうな予感ですね(笑)。
ちなみに、Perditaとは伊語で「喪失」を意味するそうです。
感想&手直しのご希望がございましたら、お願いいたします!
Grazie mille!!
polka
>
※切甘
最近は、彼の後ろ姿ばかりを見つめている気がする。
「あの、プロシュート」
「……なんだよ」
玄関に立つ恋人。
自然と、喉は震えてしまっていた。
「どこか出かけるの?」
ああ、口から溢れたのはどうしても聞きたくて、聞きたくない矛盾を孕む質問。
わかっている。
プロシュートが呟くであろう言葉は、私にとって嬉しい答えじゃないって、わかっているはずなのに。
「バーだ、バー」
「……、そっ、か」
ほら、やっぱり。
お酒の裏にちらりと窺える女性の影。
浮気とまでは言わなくとも、ひどく胸が痛い。
本当は≪貴方の恋人は誰なの≫って引き止めたい。でも、
「おい名前。お前――」
「いってらっしゃい」
「!」
私はいつの間にか、物分かりのいい女になってしまったみたい。
「……」
何も言わずに颯爽と出ていくプロシュート。
けれども、いつも一つだけ不思議でたまらないことがあった。
どうして私が見送るたびに、彼は一瞬だけ辛そうに眉をひそめるんだろう。
「っ……プロシュート」
苦しい。切ない。
でも――プロシュートの隣にいられるだけでいいんだ。
私からの告白で成立した関係。
必死に押し殺している本当の想い。
今にも飛び出してしまいそうな本音。
扉を開け放ち、彼の背中に縋ってしまいそうなこの身を、グッと抑え込む。
「行かな、いで」
ただどうか、≪都合のいい女≫にだけはならないように。
自制をかけることは意外に難しいけれど、とにかく気丈に振る舞えばいい。
そう、自分の心に言い聞かせ続けていた。
「……Pront」
そんなある日。
いつものごとくアジトから出ていたプロシュートは、不意にかかってきた電話とその内容に訝しげな顔をする。
「名前が、帰ってこねえ?」
『ああ。ターゲットの始末を完遂したであろう時刻からずいぶん過ぎている。最近暗躍し始めた組織の噂も聞く。それらに捕まったか、もしくは――』
チームリーダーが放つ、簡単に予測のできる候補。
それを聞き終える前に彼は電話を容赦なく切っていた。
自ずと漏れる舌打ち。
「チッ(……何やってんだよ、名前の奴は)」
男の脳内に浮かぶのは、任務前に交わした彼女との会話。
「名前。今回の相手にゃ敵対組織が付いてるらしいからな……ヘマすんじゃねーぞ」
「え……心配、してくれてるの?」
「おいおい、名前名前名前よ〜! オレはオメーのこと、一人の暗殺者として認めてんだぜ? 心配なんてヤワなモンしねーよ。強いて言うなら激励だ」
「……ふふ、だよね」
あのときの、自分に向けられたぎこちない笑みが、脳裏にひどく焼き付く。
気が付いたときには、プロシュートはやるせない気持ちをかのように拳を壁に叩きつけていた。
「クソッ!」
日陰者と世の中から弾き出されようとも、仲間は仲間だ。≪命を奪う≫という覚悟の裏には、喪失に対する恐怖だって生まれる。
いや、もちろんそれもあるだろう。
だが――
「(あいつは、いつでも笑って)」
名前は違う。
己の胸中に育まれた複雑な心情はすでに理解していたはずだ。
「(逆に、オレァ何してた?)」
女と関連付けられそうな場所を口にして、浮気しているかのような素振りを何度も見せた。
今来た道を足早に戻りながら、彼は恋情とまでは言わなくとも、仲間以上としての感情を持ち合わせていた自分に彼女が告白してきた日のことを思い出す。
すぐさま≪Si≫と首を縦に振れば良かったのだ。ところがそこで垣間見えた、妙な強がり。
「名前。言っとくが、オレは≪恋人≫っつーステータスに囚われすぎる女は嫌いだぜ。束縛は嫌いでな……自由にさせてもらうことも多い。それでも、オメーはオレがいいって言うのか?」
「う、うん! プロシュートがそういう人だって、少しは知ってるつもりだよ。だって……ずっと好きだったから」
「……」
「だから、よろしくお願いします!」
それから、名前は彼女自身がイメージする≪物分かりのいい女≫になろうと、必死に努めていたんだろう。
しかしその一方で、どこまでも大人しい恋人に自分が物足りなさを感じてしまった。
≪今、何してるの≫やら≪誰とどこで会ってたの≫やら聞いてくる女は、「ハン! ずいぶん束縛の強い女だ、鬱陶しい」と罵って――振るか、キレた相手に振られるかのどちらかだったはず。
「(じゃあなんでだよ。なんでオレは……名前にありったけの本音をぶつけさせようと躍起になってんだ)」
なのに、名前が作り笑いをする度に虚しくなっていく。
苛立ちやもどかしさに似たそれを酒で埋めようと、ますます己の帰りは遅くなるばかりだった。
「(ハッ、なんてザマだ。……本当はわかってるクセしてよォ)」
心臓の奥底に棲み付くモノ――これは喪失感だ。
大切な女が危ういと知って、ようやく気付くなんて。
滅多に表へ出すことのない、一つの≪後悔≫を蒼い瞳に滲ませたプロシュートはある人物に電話をかけ始めた。その相手とは、
『やあプロシュート。こっちの携帯にかけてくるなんて珍しいね、どうかした?』
「……名前の居場所を至急調べろ。あいつは優秀だからな……捕まってるって方が可能性として高い。メローネ。テメーならその場所、把握できんだろ」
『あは、何? プロシュート、あんたまさか今更名前の大切さに気付いたワケ?』
「ッ!」
飄々とした声色に歪む表情。完全に図星である。
自覚していなかったのだ。
己にとって、どれほど彼女の存在が大きいのかを。
あって≪当然≫、いて≪当然≫など、正しいように思えて実は間違っている。
「(オメーに言われなくとも、んなこたァわかってんだよ)」
人は、時折確かめなければならない。
ふとした瞬間失わないように。漠然とした何かから奪われないように。
苦虫を噛み潰したような顔をしていると、不意に受話口からため息が聞こえてきた。
『……組織がつい一ヶ月前制圧したばっかの倉庫。あそこに怪しい奴らがうろついてるって、最近はもっぱらの噂だよねえ』
「! お前、今――」
『おっと、二度は言わないぜ? ま、リーダーのメタリカは覚悟しといた方がいいかもね。鉄分補給用サプリは用意してあげるよ』
余計なお世話だ、そう言い返す暇もない。
男は、メローネのケラケラという笑い声が届くより先に走り出していたのである。
「う……、ッ」
今が何時か、ここがどこかすらわからない。
瞼を恐る恐る上げた名前は、視界を覆う闇に目隠しをされているのだと悟った。
「(頭がグラグラする。そうだ、私後ろから殴られて……)」
縛られた四肢。どうしようもないという現実に、まだ死んでいないと言うのに彼女の脳内を走馬灯の如く駆け巡るこれまでの記憶。
しばらくして心中に浮かぶ仲間たちの顔。
そして――
「(プロシュート……)」
瞳の奥から、決して消えることのない最愛の人。
故意に作り出された暗闇の中、名前は眉尻を下げつつ笑う。
「(最期に、もう一回会いたかったなあ)」
少しばかり眼から零れた水は、あっという間に目隠しへ滲んでしまった。
だが、死を覚悟した今なら――今だからこそ言えるだろう。
≪本当は私だけを見てほしかった≫って。
「……ッ」
徐々に近付いてくるいくつもの足音。
組織のことは、決して喋るつもりはない。
さらに、自分は曲がりなりにも女だ。
死とは違う最悪の事態を、嫌でも想定できる。
と言っても、彼女のスタンドは個別に対して攻撃するタイプであり、このどこともわからない場所一面を爆破できるようなタイプではない。
できることは、たった一つだった。
「(別に組織を信用しきってるわけじゃない。あんな待遇だし……でも、チームへの信頼と忠誠ぐらいある)」
情報の隠蔽。
後々、尋問するためだろうか。
嵌められていない猿轡――それだけが相手の失敗だろう。
窒息。その方法を駆使するために舌を歯で柔く噛む。
「(でも……ちょっとだけ。ほんのちょっとでいいから、プロシュートが悲しんでくれたら嬉しい……な)」
ひどく穏やかな諦念が押し込めた微かな望み。それと共に顎へ力を込めようとした――刹那。
耳を掠めていたはずの足音が一気に減った。
「?」
近寄ったわけでも、遠ざかるわけでもなく。
パタリと消えてなくなってしまったのだ。
そして、静かに開かれる扉の音。心はただただ自分を急かす。
「ッ(阻まれる前に早く――)」
「名前ッ!」
「(え……?)」
次に鼓膜を揺さぶったのは、聞き慣れたテノール。
眼前に気配が現れたかと思えば、腕と足、そして目元がするりと解放された。
心配を潜ませてこちらを覗き込む、美しい海をそのまま写したかのようなブルー。
「おし、生きてんな。薬も入れられてねえようだし……名前、喋れっか?」
「……ど、して……?」
「あ?」
男がペシペシと自分の頬を柔く叩いてくる。
その光景に混乱する心。
わからなかった。
来るはずはないと諦めていたのに、彼が――プロシュートが、ここにいることが。
「私……いつの間にか、死んじゃったのかな」
「はあ? おい、どうした」
「今起きてることが、信じられない」
「……名前」
「だって、おかしいよ。おかしい……っプロシュートがこんなどこかもわからない場所に、助けに来てくれるわけ――」
「!」
「いい加減気付け。ちゃんと生きてんだよ、お前は」
次の瞬間、名前は恋しいぬくもりに包まれていた。
そっと意外に逞しい背へ腕を回すと、それを見計らって彼のビロードのような声が彼女の三半規管を震わせる。
「名前。オレを、許してくれとは言わねえ」
だが、と連ねられた逆説。
「……ッ無事でよかった」
「っ」
まるで自分の存在を確かめるかのように腕の力が強まったと同時に、届くどこまでも安堵を含んだ音色。
すべてに、安心したからだろうか。
自然と涙腺が緩んでしまったようだ。
「わた、し……っ」
「ああ」
「ほんとはっ……す、すごく怖くて……死ぬのもほんとは、嫌……だし」
「ふっ……誰だってそうだ。オメーだけじゃねえよ」
「……、ぷろしゅーと……っあの、ね」
告げたい、本当の想いを。
今の関係から変わってしまうかもしれない。たとえそうであっても、後悔しないために言わせてほしい。
恐怖と安らぎが入り交じった感情に絶えず嗚咽を漏らしながら、優しく笑うプロシュートを見上げた名前はおずおずと口を開いていた。
Perditaに見出す
どんな時でもそばにいてくれた――彼女の大切さ。
〜おまけ〜
その後、二人がどうなったのかと言うと。
「ちょ、ちょっと……プロシュートさーん? そろそろ離してくれたら嬉しいんだけど……」
「却下だ。帰った途端リゾットに説教され、やっと終わったかと思えば反省文みてーなモン書かされ……オメーを全然感じられてねえんだ。要するに、構えよ」
「そう言われても、ねえ?」
改めて想いを打ち明けたあのとき。プロシュートは嫌な顔一つせず、むしろ腕の力を強くしてくれたのはよかった。
が、いくら互いの間にあったすれ違いが解消したにせよ、変わりすぎやしないだろうか。
ソファ上で後ろから自分を抱き寄せる恋人に、思わず名前は溜まりに溜まった愚痴を呟いてしまう。
「ま、前は全然構ってくれなかったくせに」
ピタリ。次の瞬間、止まる彼の動き。
「……」
「あ……、その」
しまった。
お前のは悪かねえな。これからは遠慮せず言えよ――そう囁いてくれたが、さすがにこの≪本音≫はまずかったかもしれない。
「……」
「ぷ、プロシュート。あの、今のはなんというか――んっ」
「名前」
刹那、一瞬だけ唇を男のモノで塞がれ、彼女は目をぱちくりさせてしまう。
瞬きを繰り返すだけの恋人。
その微笑ましい姿ににやりと口元を緩めつつも、自嘲するかのように眉をひそめたプロシュートはゆっくりと音を紡ぎ出した。
「今まで、なんだかんだと嘲ってきた奴は散々蹴散らしてきたが……これだけはわかるぜ。オレが大バカ野郎だった、ってな。名前が告白してくれたそのときから、意地なんてチンケなモンは捨てて、女であるお前じゃあなくお前っつー女を見りゃよかったんだ。……オレのこの想いは、信じてくれるか?」
張り詰めた空気。これほど緊張した経験が、今までの自分にはあっただろうか。
すると、
「ううん。信じない」
「…………、はあ!? おま、そこは」
「っ、だから――」
「これから、私に信じさせていってくれるんでしょ?」
「! ……ハン、上等だ」
やっとこうして、何事もなく微笑み合うことができた気がする。
とは言え、このまま解放されないのは困る――と、名前はちらちらと窺うように後ろを一瞥した。
「ところで、いつこの腕の力は緩まるの、かな?」
「いつ? ハン、一生ねえな」
「えええ? でも私、メローネに呼ばれてるんだけど……」
「は? どこにだよ」
すんなり彼女から返ってきた、部屋という回答。
寄せられていく眉根。
二人を包む静寂。
「チッ、何考えてんだあの変態は……」
「変態……そ、そりゃ私だって最初はかなり警戒してたけど……親身に相談に乗ってくれたし、なんだかんだ言って優しいよね」
「……ほーう」
見る見るうちに立つ青筋。
彼の様子に首をかしげた名前は、そのときまさかある≪戦い≫の幕が切って落とされたとは、思いもしていないのだった。
![](http://img.mobilerz.net/sozai/1616_w.gif)
長らくお待たせいたしました!
プロシュート兄貴で切甘でした。
リクエスト、ありがとうございました!
彼女から本音を聞けた分、兄貴はこれからヒロインを溺愛しそうな予感ですね(笑)。
ちなみに、Perditaとは伊語で「喪失」を意味するそうです。
感想&手直しのご希望がございましたら、お願いいたします!
Grazie mille!!
polka
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