※別組織の暗殺者ヒロイン
※微切甘
カシャン
地下牢に響き渡る鎖の音。
天井に吊るされた両腕の痛みに耐えながら、名前は一人己の行動を省みる。
「(軽率だった。さすが相手はこの地域を牛耳る組織の……暗殺部隊)」
項垂れた首。
身動ぎ一つしようとしない身体。
薄闇の中で時折煌く、左手首を覆った毒々しい腕輪。
敵対組織に囚われた暗殺者。だがその瞳だけは、誇りを失いはしていなかった。
「!(……来る)」
耳を劈いた靴音。
それは、初めて耳にする癖のモノで――自分を捕まえ、蜘蛛やネズミをチラつかせてきた丸坊主や、まるで見世物を見物に来たかのような好奇の目をこちらに向けた変態マスクの足音ではない。
「(今回の標的は9人≪だった≫……もし、次に来るのがチームのリーダー≪リゾット・ネエロ≫なら、私は確実に――)」
殺られる。
覚悟せざるをえない≪死≫。
しかし、柵越しに現れたのは、海を思わせる蒼の瞳を持ったブロンドの男だった。
「ハッ……オメーがあいつらの言ってたネズミか。ずいぶんひょろっこいじゃねえか」
「……」
この男は――疲労に満ちた脳内で懸命に整理するデータ。
そうこうしている間にも、皮肉げに笑った彼は鍵を取り出し牢に足を踏み入れてくる。
「……おいおい。だんまりはねえだろ」
「っ! ……ん」
「暗くて見えなかったが、≪寝てる≫わけじゃねえようだな」
闇の中から伸びてきた手。
無骨で繊細な指先につーとなぞられる喉元。
これでもかと言うほどひそめられた彼女の眉根。
ひやりとした空間の中で迫り来る妙な擽ったさとむず痒さ。
「ぁ……っ」
「ったく、あいつらもあいつらだぜ……女一人に浮き足立たせてんじゃねえよ」
「んッ」
「悪いが……黙秘を続けるオメーを放っておくほど、オレらもお優しくはねえんだ。お前が所属する組織のことは吐いてもらう……どんな手を使ってもな」
思い出した――この男の名前は≪プロシュート≫。富豪の夫人、情婦。さまざまな女を魅了してきたチームの伊達男だ。
頭の中を駆け巡る≪最悪のシナリオ≫。
それでも名前は、喉を擽りいまだに自分の反応を見て楽しんでいるプロシュートをキッと睨みつけた。
「っ好きに、すればいい」
細められる男の双眸。対して、あくまで強がりの仮面を剥がそうとしない女。
元々、この任務がどれほど難しいかは、熟知している。
同時にわかってもいた。
私は、私たち暗殺者は――組織に捨てられたのだ、と。
「組織のことは決して話さない」
「……そうかよ」
たとえ捨てられても、話すことはしない、≪できない≫。もはや自棄と紙一重の矜持を胸に彼女はプロシュートと対峙する。
するとしばらくして離れた人影。≪興ざめしたからまた来る≫と、彼はなぜか楽しげに口端を吊り上げつつ、地下牢を後にするのだった。
日付、時間帯すら読み取ることのできない世界。
そこに影を落とした一人の優男。
耳が聞き慣れてしまった歩調。飽きもせず現れるその人物に、思わず名前の少々乾いた唇からは深いため息が溢れる。
「よお、約束通りまた来たぜ」
「(なんなの、この男……1日のうちに何度来るの? 弟分もいるぐらいだし、もしかしなくても世話好き?)」
「ふっ……返事ぐらいしたらどうだ? オレ一人喋ってるみたいで寂しいじゃねえか」
ジャラ、と揺れた拘束具。
そんなこと微塵も思ってないクセに――眉をひそめた彼女は内心悪態を付きながら、ゆっくりと口を開いた。
「毎回こんな薄暗いところに来て……あんた暇なの?」
「……ハン、やっと喋ったかと思えば、相変わらずの減らず口か。困ったモンだぜ……ちなみに、さっきの質問の答えになるが、オレがオメーの担当になったんだ。ありがたく思えよ」
「(誰がありがたいなんて……でも担当がいるってことは、私はまだ生かされるってことか……)」
「つーわけで、これ食ってもらうぞ」
視界の隅に映ったのは、牛乳にパンを浸した簡素な料理。
さらに、それを掬ったスプーンが口元に差し出されていることから、≪食べろ≫ということらしい。
空腹の訴えが、胃からないわけではない。
とは言え、敵が作ったものなど食べられるか、と名前は当然そっぽを向く。
「……(ふいっ)」
「チッ……ガキか、テメーは」
なんとでも言え。
首がもげるのではと心配になるほど拒絶を示した次の瞬間――あからさまに肩を竦めたプロシュートは、戸惑いもなくそのスプーンを口に含んだのだ。
ギョッと見開かれる目。
「!」
「どうだ? これで自白剤も媚薬もねえってわかったろ? オラ、食え」
「んんっ……!」
「言っとくが……全部飲み込むまで、スプーン取ってやんねえからな」
その隙を狙っていたかのように、口内に流し込まれた料理。
ひどく蹂躙される感覚。
口端から息を漏らした彼女が、我慢ならずに嚥下するのもそう遅くはなかった。
言うまでもなく、羞恥で苦悶ゆえに名前は涙目である。
「ふ、ぅ……ん……っ、……最低」
「ハッ、なんとでも言え。つーか、口移しじゃないだけマシだと思うこった」
「っ!」
まあオレは別に、それでも構わねえけどな――口をパクパクと開いては閉ざしている女を傍目に、再びスプーンを皿に寄せた彼はにやりと薄い笑みを浮かべていた。
それからも、男はまるで友人の元を訪れるかのように、地下牢へやってくる。
「よお」
「……(また来た……なんだかんだ言って≪無理やり聞き出すこと≫はしないし、なんなんだろう)」
生かさず殺さず。その心象だけがどうしても把握できない。
とりあえず、本当にあんたって暇人ね――そう、いつも通り毒付こうとした名前だったが、ふと薄闇の中でプロシュートが見せた真摯な表情に、黙らざるをえなくなってしまった。
「なあ。そろそろいいんじゃあねえのか?」
「……?」
「お前、わかってんだろ? いや……最初からオメーは覚悟してここに来たんだったな。≪自分はもう組織に捨てられてる≫ってよ。なら尚更――」
「捨てて……終わりだと思う?」
「……どういう意味だ、そりゃあ」
鋭くなる眼光。
次の瞬間、彼女は自分がつい口を滑らせてしまったのだと悟る。
なんでもない。そう言おうと顔を上げて、視界を埋め尽くした彼の切なさを潜めた面持ちに息をのんだ。
「……」
――なんであんたがそんな顔するの?
――情でも湧いた?
ありありと顔をしかめる眼前の男に対して、冗談めいた言葉が出てこない。
嬉しい――胸の内で光ったそんな感情を、どうしても認めたくなかったのだ。
「名前、さっさと答えろ」
「! 名前……知ってたんだ」
「ハン、こっちも組織に信用されてねえ分、情報収集力には長けててな。オメーのことは洗いざらい調べさせてもらったぜ」
当然、己も含めた組織内の情報は企業機密のはずだが、どうやら侵入もお手の物らしい。
――話しても、いいのかもしれない。それで何かが変わるわけでもないのだから。
観念をため息で表した名前は、カシャンと視線を誘導するように左腕を揺らした。
「これ」
「これ? ほーう、これってどれだよ……これか? それとも意外にデカいこれか?」
「んっ……ちょっと! 触り方がいちいち変態くさい! ……そうじゃなくて、この腕輪のこと」
「腕輪……?」
さわさわと身体に手を這わせようとするプロシュートに、すかさずお見舞いした蹴り。
しかし、それはするりと避けられてしまう。
チッ――優れた瞬発力に舌打ちしつつ、彼女は「危ねえ危ねえ」と笑みを滲ませる彼をじっと見据えた。
組織を裏切ることができない。その真意を伝えるために。
「これを外すとき、それは組織を抜けるとき」
グレー一色の床へ落ちた、自嘲を含んだ双眸。
ああ、ここは虚無感に富んだ声がやけに響いて仕方がない。
「この腕輪は≪ボスのスタンド≫。部下一人一人に一つずつ……かなり優れた量産型でしょ? これに危害を加えようとしたり、これを無理やり外そうとすれば、手首の静脈に針が刺さって一瞬で身体中に毒が回る。つまり即死って奴」
「……ずいぶん物騒なモンつけてんじゃねえか」
今、この男はどんな表情をして、どんな感情を抱いているのだろうか。もはや暗闇の中でも慣れてしまった目にあえてそれを映さないまま、溢しゆく実態。
「――≪裏切りは許さない≫。組織は暗殺者である私たちを切り捨てておきながら、飼い殺しするつもりなの」
そういう組織よ、あそこは――伏せ目がちで小さく呟いた名前。
しばらくその場を支配した静寂。
瞬きを何度か繰り返したあと、女の耳には心地よいテノールが届く。
「へえ……お前のいた組織が相当なクソ組織だっつーことはわかったが、オメーらよく≪飼い主の手を噛まずにいられたな≫」
「ふふ、バカね。そんな待遇、我慢できるわけないでしょ? 実際、組織のやり方に反旗を翻した人たち――先輩はいた。今ある組織を壊して、自分たちの思う姿に変えてしまえばいいのだから……でもできなかったの。腕輪も含めて相手が悪かった」
「……」
過去は、どれほど足掻いても消せないものだ。その分だけ人は未来に想いを託すのだろうが、自分にはそれさえ許されない。話は終わり、と言いたげに彼女が静かに俯いた。
すると一歩、複雑な情念を湛えた状態でプロシュートが近付く。
「おい、話はまだ終わって――」
「っ、でもね。本当は……」
刹那、アスファルトに一つ、二つと広がった小さなシミ。
「!」
波のように、ひどく震えた声。
掠れてもいるそれは、一音一音を確かめるかのごとくゆるりと紡がれた。
「本当はすごく……悔しい。悔しくて、悔しくて……たまらない」
「お前……」
「組織に対してだけじゃない。このちょっと力を込めたら簡単に外せそうな腕輪に翻弄されてる私が許せない。この呪縛から解放されるには、組織の――少なくともボスの死を願うか、自分の死を選ぶのみ。けど私は……今までたくさんの命を奪ってきたクセに、今ここで舌を噛みちぎる勇気もないの」
「……(本音、言えるんじゃねえか)」
この暗殺者は、自分たちと同じ――首輪ならぬ腕輪を課せられている。
周りが聞けばどうってことのない、鼻で笑って済ませてしまうような小さな≪共通点≫。
それでもようやく、彼は名前の心にしっかりと触れられたような気がした。
おもむろに、そして確実に、一筋の水滴が伝う柔らかな頬へ手を寄せれば、警戒したのかビクリと肩が揺れる。
「ッ何? なんのつもり……?」
「ふ……別にどうもしねえよ。ハンカチ代わりとでも思っとけ」
「! 〜〜っキザな言葉ね」
なかなか止まることのない涙を優しく拭った指先。
ほぐされていく、囚われて常に張り詰めさせていた胸中。
自然と、彼女の口からは苦笑がこぼれていた。
「……本当、変な奴。でも……あんたが仲間だったら少しは変わって――」
「それ。やめねえか?」
「え?」
「≪プロシュート≫。アジトにゃ徹底的に調べて侵入したんだろ? ならオレらの名前も知ってるはずだよな?」
虹彩を超えて、胸まで貫いた蒼い視線。
直接心臓を掴まれ、揺さぶられた感触。速まってしまった鼓動に、慌てて男から目をそらす女。
「た……確かに、あんただけ私の名前呼んでたらフェアじゃないものね」
次からはちゃんと呼ぶ――つっけんどんな物言い。だが耳たぶを彩った赤に口端が歪む。
「ククッ……饒舌になったかと思えば、突然素直になりやがって。お前、結構可愛いじゃねえか。耳赤くなってんぞ」
「……うるさい」
それからというもの。
疲労がピークに達したのだろう。
微睡む姿に「もう寝ろ」と目元を覆い隠してやれば、名前は一分も経たぬうちに眠り込んでしまった。
「ん……? そういやタバコ吸ってなかったな」
静かに地下牢を出たプロシュート。そして、胸ポケットに手を伸ばしながらふと顔を上げると、そこには仄暗い壁に背を預けたリーダーの姿が。
「首尾はどうだ」
「ハン、どうもこうもねえよ。今は≪ただ寝た≫、それだけだ」
「そうか。……オレはそろそろお前が、彼女から≪何か情報≫を聞き出したと踏んでいたんだが」
「……チッ」
わかってんなら聞くんじゃねえ――苦虫を噛み潰したかのような顔。
しかし次の瞬間、リゾットを突き刺す彼の瞳は真剣みを帯びる。
「なあ、リーダーさんよ」
「……なんだ」
「おいおい。なんでそう不審がる必要があんだ。オレはただ、オメーに頼み事をしてえだけだぜ?」
頼み事?
お前が≪リーダー≫と呼ぶときはロクなときじゃあない、と彼は深い色の眼を疑心で満たした。
一方、薄い笑みを口元に象ったと同時に頷いた色男。
「ああ、そうだ――」
「ちょっとばかし……オレに≪有休≫をくれねえか」
翌日。
あくびを耐えた名前の耳孔を劈いたのは、久しぶりに聞く靴音だった。
「――ボンジョルノ! 調子は良好……ですか?」
「……(面倒な奴が来た……)」
「あはは、そう睨まないでよ。でも呆れた顔のあんたもベネ!」
今にもハアハアと息を切らし始めそうな勢いのメローネ。
いや、もうすでに荒げているではないか。
この男を前にすると、貞操の危機しか感じない。
あいつの方が、プロシュートの方がまだマシ――彼女が密かに肩を落としたその瞬間。
「期待してるところ悪いけど、プロシュートなら来ないぜ」
「!」
まるで胸中を読んだかのように、飛んできた言葉。
瞠目した女がせめて図星だと悟られないよう、咄嗟に外した視線。
とは言え、その心情を把握している彼はただただ話を続ける。
「ある組織を潰しに行ったんだよ。気持ち悪い腕輪を量産するようなクソ組織を、な」
「…………は?」
「ん? あ、やっと喋ったのか……あまりにも一言すぎて聞き逃すところだったぜ」
身に覚えのあるその特徴。当然ながら脳内を不安が過ぎった。
「まさか」
「そう、そのまさかだねえ。プロシュートが≪一人で≫潰しに行ったのは、あんたが所属してた組織だ」
「……(何無茶してるのよ、あのバカ。いくら小さい組織だからって弱小なワケじゃ……≪一人≫?)」
「ディ・モールト無茶だよな。あのおじいちゃん、一人で行くって聞かないんだぜ? 相手は毒とか十八番なところだし、さすがに危な――ん? 起きてる? もしもーし?」
「今すぐこれを外して」
何をすべきか――そう考えるより先に、発していた想い。名前は何日捕らえられても変わることのない眼差しを、男へ送る。
ところが、それを一身に受け取ったメローネはにたにたと笑みを浮かべるばかり。
「これ? んー、それってどれかな?」
「ひ!? ちょっ……こんなときにふざけてる場合!? 早く外してったら!」
どこ触ってんだ、この野郎。
だがどうしたことだろう。彼女が瞬時に急所を蹴り上げようとすれば、ひょいと両足を彼に抱えられてしまったのだ。
客観的に見ても、かなり恥ずかしい格好である。
「おっと、蹴らせないよ?」
「ひゃあ!? 離してっ! さっさと離してよ、この変態!」
「んふふ……いいねえ、その声その態度。てかオレは、あんたが捕まったときからずっと目、付けてたんだぜ? でもあいつに≪地下牢には誰も近付くんじゃねえ、特に変態≫って遠ざけられちゃってさ」
「っそ、そんな……やだ! ほんとにやめなさいってば! 〜〜っプロシュート――」
刹那。
「グエッ!」
カエルが潰れされてしまったような声と共に、床へ沈んだ変態。
その突然すぎる結果に呆然としていると、不意に呆れを秘めた音が鼓膜を震わせた。
「ったく、えらく騒がしいと思ったらそういうことかよ」
「! あ、あんた……いるならもっと早、く…………」
「……ふっ、どうした名前。ずいぶんなマヌケ面じゃねえか」
二つの目に映り込んだ景色。名前はプロシュートを包む凄惨さにハッと息をのんだ。
ところどころに滲む血。
ナイフや銃弾の痕で破れたスーツ。
会うたびにきちんと整えられていたはずの髪型も、今はひどく乱れている。
「そ、れ……もしか、して」
「あ? ああ……気にすんな。大したケガじゃねえ……それよりやることがあるだろ」
鮮明に現れた狼狽。
それを横目に、彼が目的とするのは彼女の左手首を締め付けてやまない腕輪。
細く見えて肉刺のある手が、その固く閉じられた金具を捉えた。
「っプロシュート! 言ったでしょ、その腕輪は――」
カラン
なんの音だろう――アスファルトに鳴り渡った無機質な音をどこか遠くで聞きつつ、ぼんやり考える名前。
「……?」
「あー、なんだ。やっぱ≪組織潰したら≫外れちゃうワケ? ディ・モールトつまんねー……まあ、三流組織の技術なんてこんなモノか。……ハッ! そうだ、オレがこれを改良して性的な意味で名前を飼い殺――ブベネッ」
「何美味しい……じゃねえ。とんでもねえ発想してんだ、人の女勝手に腐りきった脳内で汚しやがって……つかメローネ。お前には元々、≪大きなお世話だ≫っつってただろうが。あとこうもオレァ言ったよな〜? オメーがわざわざ来て、≪分解するような代物でもねえ≫ってよお」
「あれ、そうだっけ? そんな話をしてたような、してなか――ってごめん! 冗談だって! プロシュートが戻ってこなかったら、名前をモノにしようと目論んでたのは認めるから! オレの可愛い≪息子≫をグレフルで枯らすのだけは勘弁……!」
飄々としたテンポで進められる言葉の応酬。そこでハッと我に返った彼女は、≪軽くなった手首に違和感を抱いたまま≫叫ぶ。
「あの……ちょっと! 勝手に話進めないでよ!」
自然と吊り上がる眉。
その声に会話を止めた男二人は、一度顔を見合わせてから各々に口を開いた。
「名前。こいつのスタンド能力、思い出してみろよ」
「え……?(確か、人間の女性に≪息子≫を産ませる、でしょ? それでその息子は生物を分解……≪分解≫?)」
「気が付いた? あんたに付いてた気持ち悪い腕輪。それもまあ……一種の生物だよな?」
つまり今や地に落ちた腕輪を、メローネは分解させるつもりだったのだろうか。
だが腑に落ちないことが一つ。
――なぜプロシュートは組織の壊滅を実行したのか。
解放された、という胸に溢れんばかりの感動より、蔓延ったその疑問が先行してしまう。
「じゃ、じゃあプロシュート、あんたは……なんで」
「ククッ、案外鈍いじゃねえか。決まってんだろ? 元々壊滅させるっつー命令は出てたが、なんてったってオレの手でお前を解放するためにはこれしか…………おい、名前?」
――解放する、ため?
頭を垂れた女。
それを訝しげに思った彼が顔を覗き込んだ途端、怒りを交えた瞳と目が合った。
「バカ、じゃないの……? いっぱいケガして、高そうな服もボロボロにして」
「はあ? どうしたんだよ、オメーそんなこと気にするタマじゃねえだろうが。オレはな、あの時お前が流した涙に――」
「それがバカだって言ってるのっ! ≪私を解放するため≫なんて、もしあの涙が作戦だったらどうしたわけ!? しかも本当に組織を潰しちゃって、そんなの……そんなの――」
「ヒーローのすることじゃない……っ」
「! ……ハッ、そうだな。ヒーローなんて正直柄じゃあねえが……お前が望むモンなら、なんにでもなってやるよ」
それにあの泣き顔が作戦じゃねえなんて、名前がそういう嘘を付けねえなんて、表情を見りゃあわかるんだ。諦めろ――そんな一言が添えられたと同時に、傷ついた両腕によって包み込まれた身体。
恥ずかしさは確かにそこにあるのに、離れる気が起きない。
強まった腕の力。この人の胸元は、なぜこんなにも心地がいいのだろう。
背後から届くメローネのからかいをあくまで胸に留めながら、彼女はこれ以上涙を流す自分を見られないよう、男の破れた衣服に顔を埋めていた。
組織が崩壊したことで、アジトの鎖からも解放された名前。
再び二人となった牢の中で鍵を鳴らすプロシュートに対し、女の胸を巣食うのは≪羞恥≫。
「(不覚……この男の前で二度も泣いちゃうなんて……)や、やっと自由の身、って奴ね。ずっと縛られてたから、もう腕戻らないかと思った」
ぶつぶつと照れ臭さゆえの文句を紡ぐ。
しかし、たとえそうだと理解していても、口と手を出したくなるのが彼の性格というもので。
シニカルな笑みが、突拍子もなく近付いた。
「自由の身、だ? ふっ……そうはさせるかよ」
「え……、っ!」
痛みを解そうと肩を上下させていた彼女が瞬きをした刹那、腰と顎に添えられた両手。
密着した二つの身体。唇を掠めた柔らかな感触。
気を抜けば、肌越しに伝わってしまいそうな鼓動の音。
たった数センチの距離。目の前では、形のいい眉を上げた男が綺麗に笑っている。
「名前、わかってっか? ……お前はもう、オレに捕まっちまってるんだからな」
――ああ、最初からこうなることは決まっていたのかもしれない。
恥ずかしさゆえに抗いたくても、今こうして優しく髪をなぜる手つきに、笑顔に、仕草に、言葉に、胸が高鳴って仕方がないのだ。
「ねえ……私、もしかしなくても組織より質の悪い男に囚われちゃった?」
「ククッ、ああそうだ。かなり質ワリーぜ? 一生離してやる気はねえから、覚悟しろよ?」
「……ふふ、望むところ」
――むしろ、あんたがどれほど嫌がっても離れてあげない。
だって本当は、この小さな幸せを心から望んでいたのだから。
プロシュートに支えられて後にした部屋。地下牢の出口へ続く廊下を進みつつ、名前は前触れもなくぽつりと呟いた。
「ね、プロシュート」
「どうした?」
「…………、やっぱりなんでもない」
「はあ? なんだそりゃ」
≪救い出してくれて、ありがとう≫。
≪あんたが思ってるより、私……あんたのこと好きみたい≫。
彼が自分にしてきたように、そんな本音たちをいつかキスと共に贈って、私もこの人の不意を突いてやろう。
重荷のない左手で静かに握り締めた男の手のひら。開いた扉の奥からもたらされる光に眩まないよう、彼女は微笑みながら目をそっと瞑るのだった。
Dum spiro,spero.
胸の奥底にある確かな想い――私はこの人と≪生きていきたい≫。
![](//img.mobilerz.net/sozai/1616_w.gif)
すみません、大変長らくお待たせいたしました!
兄貴で、別組織の暗殺者ヒロインを捕まえている間にお互い恋に落ちるお話でした。
リクエストありがとうございました!
タイトルは、ラテン語の格言で「生きる限り、希望を持つことができる」という意味だそうです。
感想&手直しのご希望がございましたら、clapもしくは〒へお願いいたします!
Grazie mille!!
polka
>
※微切甘
カシャン
地下牢に響き渡る鎖の音。
天井に吊るされた両腕の痛みに耐えながら、名前は一人己の行動を省みる。
「(軽率だった。さすが相手はこの地域を牛耳る組織の……暗殺部隊)」
項垂れた首。
身動ぎ一つしようとしない身体。
薄闇の中で時折煌く、左手首を覆った毒々しい腕輪。
敵対組織に囚われた暗殺者。だがその瞳だけは、誇りを失いはしていなかった。
「!(……来る)」
耳を劈いた靴音。
それは、初めて耳にする癖のモノで――自分を捕まえ、蜘蛛やネズミをチラつかせてきた丸坊主や、まるで見世物を見物に来たかのような好奇の目をこちらに向けた変態マスクの足音ではない。
「(今回の標的は9人≪だった≫……もし、次に来るのがチームのリーダー≪リゾット・ネエロ≫なら、私は確実に――)」
殺られる。
覚悟せざるをえない≪死≫。
しかし、柵越しに現れたのは、海を思わせる蒼の瞳を持ったブロンドの男だった。
「ハッ……オメーがあいつらの言ってたネズミか。ずいぶんひょろっこいじゃねえか」
「……」
この男は――疲労に満ちた脳内で懸命に整理するデータ。
そうこうしている間にも、皮肉げに笑った彼は鍵を取り出し牢に足を踏み入れてくる。
「……おいおい。だんまりはねえだろ」
「っ! ……ん」
「暗くて見えなかったが、≪寝てる≫わけじゃねえようだな」
闇の中から伸びてきた手。
無骨で繊細な指先につーとなぞられる喉元。
これでもかと言うほどひそめられた彼女の眉根。
ひやりとした空間の中で迫り来る妙な擽ったさとむず痒さ。
「ぁ……っ」
「ったく、あいつらもあいつらだぜ……女一人に浮き足立たせてんじゃねえよ」
「んッ」
「悪いが……黙秘を続けるオメーを放っておくほど、オレらもお優しくはねえんだ。お前が所属する組織のことは吐いてもらう……どんな手を使ってもな」
思い出した――この男の名前は≪プロシュート≫。富豪の夫人、情婦。さまざまな女を魅了してきたチームの伊達男だ。
頭の中を駆け巡る≪最悪のシナリオ≫。
それでも名前は、喉を擽りいまだに自分の反応を見て楽しんでいるプロシュートをキッと睨みつけた。
「っ好きに、すればいい」
細められる男の双眸。対して、あくまで強がりの仮面を剥がそうとしない女。
元々、この任務がどれほど難しいかは、熟知している。
同時にわかってもいた。
私は、私たち暗殺者は――組織に捨てられたのだ、と。
「組織のことは決して話さない」
「……そうかよ」
たとえ捨てられても、話すことはしない、≪できない≫。もはや自棄と紙一重の矜持を胸に彼女はプロシュートと対峙する。
するとしばらくして離れた人影。≪興ざめしたからまた来る≫と、彼はなぜか楽しげに口端を吊り上げつつ、地下牢を後にするのだった。
日付、時間帯すら読み取ることのできない世界。
そこに影を落とした一人の優男。
耳が聞き慣れてしまった歩調。飽きもせず現れるその人物に、思わず名前の少々乾いた唇からは深いため息が溢れる。
「よお、約束通りまた来たぜ」
「(なんなの、この男……1日のうちに何度来るの? 弟分もいるぐらいだし、もしかしなくても世話好き?)」
「ふっ……返事ぐらいしたらどうだ? オレ一人喋ってるみたいで寂しいじゃねえか」
ジャラ、と揺れた拘束具。
そんなこと微塵も思ってないクセに――眉をひそめた彼女は内心悪態を付きながら、ゆっくりと口を開いた。
「毎回こんな薄暗いところに来て……あんた暇なの?」
「……ハン、やっと喋ったかと思えば、相変わらずの減らず口か。困ったモンだぜ……ちなみに、さっきの質問の答えになるが、オレがオメーの担当になったんだ。ありがたく思えよ」
「(誰がありがたいなんて……でも担当がいるってことは、私はまだ生かされるってことか……)」
「つーわけで、これ食ってもらうぞ」
視界の隅に映ったのは、牛乳にパンを浸した簡素な料理。
さらに、それを掬ったスプーンが口元に差し出されていることから、≪食べろ≫ということらしい。
空腹の訴えが、胃からないわけではない。
とは言え、敵が作ったものなど食べられるか、と名前は当然そっぽを向く。
「……(ふいっ)」
「チッ……ガキか、テメーは」
なんとでも言え。
首がもげるのではと心配になるほど拒絶を示した次の瞬間――あからさまに肩を竦めたプロシュートは、戸惑いもなくそのスプーンを口に含んだのだ。
ギョッと見開かれる目。
「!」
「どうだ? これで自白剤も媚薬もねえってわかったろ? オラ、食え」
「んんっ……!」
「言っとくが……全部飲み込むまで、スプーン取ってやんねえからな」
その隙を狙っていたかのように、口内に流し込まれた料理。
ひどく蹂躙される感覚。
口端から息を漏らした彼女が、我慢ならずに嚥下するのもそう遅くはなかった。
言うまでもなく、羞恥で苦悶ゆえに名前は涙目である。
「ふ、ぅ……ん……っ、……最低」
「ハッ、なんとでも言え。つーか、口移しじゃないだけマシだと思うこった」
「っ!」
まあオレは別に、それでも構わねえけどな――口をパクパクと開いては閉ざしている女を傍目に、再びスプーンを皿に寄せた彼はにやりと薄い笑みを浮かべていた。
それからも、男はまるで友人の元を訪れるかのように、地下牢へやってくる。
「よお」
「……(また来た……なんだかんだ言って≪無理やり聞き出すこと≫はしないし、なんなんだろう)」
生かさず殺さず。その心象だけがどうしても把握できない。
とりあえず、本当にあんたって暇人ね――そう、いつも通り毒付こうとした名前だったが、ふと薄闇の中でプロシュートが見せた真摯な表情に、黙らざるをえなくなってしまった。
「なあ。そろそろいいんじゃあねえのか?」
「……?」
「お前、わかってんだろ? いや……最初からオメーは覚悟してここに来たんだったな。≪自分はもう組織に捨てられてる≫ってよ。なら尚更――」
「捨てて……終わりだと思う?」
「……どういう意味だ、そりゃあ」
鋭くなる眼光。
次の瞬間、彼女は自分がつい口を滑らせてしまったのだと悟る。
なんでもない。そう言おうと顔を上げて、視界を埋め尽くした彼の切なさを潜めた面持ちに息をのんだ。
「……」
――なんであんたがそんな顔するの?
――情でも湧いた?
ありありと顔をしかめる眼前の男に対して、冗談めいた言葉が出てこない。
嬉しい――胸の内で光ったそんな感情を、どうしても認めたくなかったのだ。
「名前、さっさと答えろ」
「! 名前……知ってたんだ」
「ハン、こっちも組織に信用されてねえ分、情報収集力には長けててな。オメーのことは洗いざらい調べさせてもらったぜ」
当然、己も含めた組織内の情報は企業機密のはずだが、どうやら侵入もお手の物らしい。
――話しても、いいのかもしれない。それで何かが変わるわけでもないのだから。
観念をため息で表した名前は、カシャンと視線を誘導するように左腕を揺らした。
「これ」
「これ? ほーう、これってどれだよ……これか? それとも意外にデカいこれか?」
「んっ……ちょっと! 触り方がいちいち変態くさい! ……そうじゃなくて、この腕輪のこと」
「腕輪……?」
さわさわと身体に手を這わせようとするプロシュートに、すかさずお見舞いした蹴り。
しかし、それはするりと避けられてしまう。
チッ――優れた瞬発力に舌打ちしつつ、彼女は「危ねえ危ねえ」と笑みを滲ませる彼をじっと見据えた。
組織を裏切ることができない。その真意を伝えるために。
「これを外すとき、それは組織を抜けるとき」
グレー一色の床へ落ちた、自嘲を含んだ双眸。
ああ、ここは虚無感に富んだ声がやけに響いて仕方がない。
「この腕輪は≪ボスのスタンド≫。部下一人一人に一つずつ……かなり優れた量産型でしょ? これに危害を加えようとしたり、これを無理やり外そうとすれば、手首の静脈に針が刺さって一瞬で身体中に毒が回る。つまり即死って奴」
「……ずいぶん物騒なモンつけてんじゃねえか」
今、この男はどんな表情をして、どんな感情を抱いているのだろうか。もはや暗闇の中でも慣れてしまった目にあえてそれを映さないまま、溢しゆく実態。
「――≪裏切りは許さない≫。組織は暗殺者である私たちを切り捨てておきながら、飼い殺しするつもりなの」
そういう組織よ、あそこは――伏せ目がちで小さく呟いた名前。
しばらくその場を支配した静寂。
瞬きを何度か繰り返したあと、女の耳には心地よいテノールが届く。
「へえ……お前のいた組織が相当なクソ組織だっつーことはわかったが、オメーらよく≪飼い主の手を噛まずにいられたな≫」
「ふふ、バカね。そんな待遇、我慢できるわけないでしょ? 実際、組織のやり方に反旗を翻した人たち――先輩はいた。今ある組織を壊して、自分たちの思う姿に変えてしまえばいいのだから……でもできなかったの。腕輪も含めて相手が悪かった」
「……」
過去は、どれほど足掻いても消せないものだ。その分だけ人は未来に想いを託すのだろうが、自分にはそれさえ許されない。話は終わり、と言いたげに彼女が静かに俯いた。
すると一歩、複雑な情念を湛えた状態でプロシュートが近付く。
「おい、話はまだ終わって――」
「っ、でもね。本当は……」
刹那、アスファルトに一つ、二つと広がった小さなシミ。
「!」
波のように、ひどく震えた声。
掠れてもいるそれは、一音一音を確かめるかのごとくゆるりと紡がれた。
「本当はすごく……悔しい。悔しくて、悔しくて……たまらない」
「お前……」
「組織に対してだけじゃない。このちょっと力を込めたら簡単に外せそうな腕輪に翻弄されてる私が許せない。この呪縛から解放されるには、組織の――少なくともボスの死を願うか、自分の死を選ぶのみ。けど私は……今までたくさんの命を奪ってきたクセに、今ここで舌を噛みちぎる勇気もないの」
「……(本音、言えるんじゃねえか)」
この暗殺者は、自分たちと同じ――首輪ならぬ腕輪を課せられている。
周りが聞けばどうってことのない、鼻で笑って済ませてしまうような小さな≪共通点≫。
それでもようやく、彼は名前の心にしっかりと触れられたような気がした。
おもむろに、そして確実に、一筋の水滴が伝う柔らかな頬へ手を寄せれば、警戒したのかビクリと肩が揺れる。
「ッ何? なんのつもり……?」
「ふ……別にどうもしねえよ。ハンカチ代わりとでも思っとけ」
「! 〜〜っキザな言葉ね」
なかなか止まることのない涙を優しく拭った指先。
ほぐされていく、囚われて常に張り詰めさせていた胸中。
自然と、彼女の口からは苦笑がこぼれていた。
「……本当、変な奴。でも……あんたが仲間だったら少しは変わって――」
「それ。やめねえか?」
「え?」
「≪プロシュート≫。アジトにゃ徹底的に調べて侵入したんだろ? ならオレらの名前も知ってるはずだよな?」
虹彩を超えて、胸まで貫いた蒼い視線。
直接心臓を掴まれ、揺さぶられた感触。速まってしまった鼓動に、慌てて男から目をそらす女。
「た……確かに、あんただけ私の名前呼んでたらフェアじゃないものね」
次からはちゃんと呼ぶ――つっけんどんな物言い。だが耳たぶを彩った赤に口端が歪む。
「ククッ……饒舌になったかと思えば、突然素直になりやがって。お前、結構可愛いじゃねえか。耳赤くなってんぞ」
「……うるさい」
それからというもの。
疲労がピークに達したのだろう。
微睡む姿に「もう寝ろ」と目元を覆い隠してやれば、名前は一分も経たぬうちに眠り込んでしまった。
「ん……? そういやタバコ吸ってなかったな」
静かに地下牢を出たプロシュート。そして、胸ポケットに手を伸ばしながらふと顔を上げると、そこには仄暗い壁に背を預けたリーダーの姿が。
「首尾はどうだ」
「ハン、どうもこうもねえよ。今は≪ただ寝た≫、それだけだ」
「そうか。……オレはそろそろお前が、彼女から≪何か情報≫を聞き出したと踏んでいたんだが」
「……チッ」
わかってんなら聞くんじゃねえ――苦虫を噛み潰したかのような顔。
しかし次の瞬間、リゾットを突き刺す彼の瞳は真剣みを帯びる。
「なあ、リーダーさんよ」
「……なんだ」
「おいおい。なんでそう不審がる必要があんだ。オレはただ、オメーに頼み事をしてえだけだぜ?」
頼み事?
お前が≪リーダー≫と呼ぶときはロクなときじゃあない、と彼は深い色の眼を疑心で満たした。
一方、薄い笑みを口元に象ったと同時に頷いた色男。
「ああ、そうだ――」
「ちょっとばかし……オレに≪有休≫をくれねえか」
翌日。
あくびを耐えた名前の耳孔を劈いたのは、久しぶりに聞く靴音だった。
「――ボンジョルノ! 調子は良好……ですか?」
「……(面倒な奴が来た……)」
「あはは、そう睨まないでよ。でも呆れた顔のあんたもベネ!」
今にもハアハアと息を切らし始めそうな勢いのメローネ。
いや、もうすでに荒げているではないか。
この男を前にすると、貞操の危機しか感じない。
あいつの方が、プロシュートの方がまだマシ――彼女が密かに肩を落としたその瞬間。
「期待してるところ悪いけど、プロシュートなら来ないぜ」
「!」
まるで胸中を読んだかのように、飛んできた言葉。
瞠目した女がせめて図星だと悟られないよう、咄嗟に外した視線。
とは言え、その心情を把握している彼はただただ話を続ける。
「ある組織を潰しに行ったんだよ。気持ち悪い腕輪を量産するようなクソ組織を、な」
「…………は?」
「ん? あ、やっと喋ったのか……あまりにも一言すぎて聞き逃すところだったぜ」
身に覚えのあるその特徴。当然ながら脳内を不安が過ぎった。
「まさか」
「そう、そのまさかだねえ。プロシュートが≪一人で≫潰しに行ったのは、あんたが所属してた組織だ」
「……(何無茶してるのよ、あのバカ。いくら小さい組織だからって弱小なワケじゃ……≪一人≫?)」
「ディ・モールト無茶だよな。あのおじいちゃん、一人で行くって聞かないんだぜ? 相手は毒とか十八番なところだし、さすがに危な――ん? 起きてる? もしもーし?」
「今すぐこれを外して」
何をすべきか――そう考えるより先に、発していた想い。名前は何日捕らえられても変わることのない眼差しを、男へ送る。
ところが、それを一身に受け取ったメローネはにたにたと笑みを浮かべるばかり。
「これ? んー、それってどれかな?」
「ひ!? ちょっ……こんなときにふざけてる場合!? 早く外してったら!」
どこ触ってんだ、この野郎。
だがどうしたことだろう。彼女が瞬時に急所を蹴り上げようとすれば、ひょいと両足を彼に抱えられてしまったのだ。
客観的に見ても、かなり恥ずかしい格好である。
「おっと、蹴らせないよ?」
「ひゃあ!? 離してっ! さっさと離してよ、この変態!」
「んふふ……いいねえ、その声その態度。てかオレは、あんたが捕まったときからずっと目、付けてたんだぜ? でもあいつに≪地下牢には誰も近付くんじゃねえ、特に変態≫って遠ざけられちゃってさ」
「っそ、そんな……やだ! ほんとにやめなさいってば! 〜〜っプロシュート――」
刹那。
「グエッ!」
カエルが潰れされてしまったような声と共に、床へ沈んだ変態。
その突然すぎる結果に呆然としていると、不意に呆れを秘めた音が鼓膜を震わせた。
「ったく、えらく騒がしいと思ったらそういうことかよ」
「! あ、あんた……いるならもっと早、く…………」
「……ふっ、どうした名前。ずいぶんなマヌケ面じゃねえか」
二つの目に映り込んだ景色。名前はプロシュートを包む凄惨さにハッと息をのんだ。
ところどころに滲む血。
ナイフや銃弾の痕で破れたスーツ。
会うたびにきちんと整えられていたはずの髪型も、今はひどく乱れている。
「そ、れ……もしか、して」
「あ? ああ……気にすんな。大したケガじゃねえ……それよりやることがあるだろ」
鮮明に現れた狼狽。
それを横目に、彼が目的とするのは彼女の左手首を締め付けてやまない腕輪。
細く見えて肉刺のある手が、その固く閉じられた金具を捉えた。
「っプロシュート! 言ったでしょ、その腕輪は――」
カラン
なんの音だろう――アスファルトに鳴り渡った無機質な音をどこか遠くで聞きつつ、ぼんやり考える名前。
「……?」
「あー、なんだ。やっぱ≪組織潰したら≫外れちゃうワケ? ディ・モールトつまんねー……まあ、三流組織の技術なんてこんなモノか。……ハッ! そうだ、オレがこれを改良して性的な意味で名前を飼い殺――ブベネッ」
「何美味しい……じゃねえ。とんでもねえ発想してんだ、人の女勝手に腐りきった脳内で汚しやがって……つかメローネ。お前には元々、≪大きなお世話だ≫っつってただろうが。あとこうもオレァ言ったよな〜? オメーがわざわざ来て、≪分解するような代物でもねえ≫ってよお」
「あれ、そうだっけ? そんな話をしてたような、してなか――ってごめん! 冗談だって! プロシュートが戻ってこなかったら、名前をモノにしようと目論んでたのは認めるから! オレの可愛い≪息子≫をグレフルで枯らすのだけは勘弁……!」
飄々としたテンポで進められる言葉の応酬。そこでハッと我に返った彼女は、≪軽くなった手首に違和感を抱いたまま≫叫ぶ。
「あの……ちょっと! 勝手に話進めないでよ!」
自然と吊り上がる眉。
その声に会話を止めた男二人は、一度顔を見合わせてから各々に口を開いた。
「名前。こいつのスタンド能力、思い出してみろよ」
「え……?(確か、人間の女性に≪息子≫を産ませる、でしょ? それでその息子は生物を分解……≪分解≫?)」
「気が付いた? あんたに付いてた気持ち悪い腕輪。それもまあ……一種の生物だよな?」
つまり今や地に落ちた腕輪を、メローネは分解させるつもりだったのだろうか。
だが腑に落ちないことが一つ。
――なぜプロシュートは組織の壊滅を実行したのか。
解放された、という胸に溢れんばかりの感動より、蔓延ったその疑問が先行してしまう。
「じゃ、じゃあプロシュート、あんたは……なんで」
「ククッ、案外鈍いじゃねえか。決まってんだろ? 元々壊滅させるっつー命令は出てたが、なんてったってオレの手でお前を解放するためにはこれしか…………おい、名前?」
――解放する、ため?
頭を垂れた女。
それを訝しげに思った彼が顔を覗き込んだ途端、怒りを交えた瞳と目が合った。
「バカ、じゃないの……? いっぱいケガして、高そうな服もボロボロにして」
「はあ? どうしたんだよ、オメーそんなこと気にするタマじゃねえだろうが。オレはな、あの時お前が流した涙に――」
「それがバカだって言ってるのっ! ≪私を解放するため≫なんて、もしあの涙が作戦だったらどうしたわけ!? しかも本当に組織を潰しちゃって、そんなの……そんなの――」
「ヒーローのすることじゃない……っ」
「! ……ハッ、そうだな。ヒーローなんて正直柄じゃあねえが……お前が望むモンなら、なんにでもなってやるよ」
それにあの泣き顔が作戦じゃねえなんて、名前がそういう嘘を付けねえなんて、表情を見りゃあわかるんだ。諦めろ――そんな一言が添えられたと同時に、傷ついた両腕によって包み込まれた身体。
恥ずかしさは確かにそこにあるのに、離れる気が起きない。
強まった腕の力。この人の胸元は、なぜこんなにも心地がいいのだろう。
背後から届くメローネのからかいをあくまで胸に留めながら、彼女はこれ以上涙を流す自分を見られないよう、男の破れた衣服に顔を埋めていた。
組織が崩壊したことで、アジトの鎖からも解放された名前。
再び二人となった牢の中で鍵を鳴らすプロシュートに対し、女の胸を巣食うのは≪羞恥≫。
「(不覚……この男の前で二度も泣いちゃうなんて……)や、やっと自由の身、って奴ね。ずっと縛られてたから、もう腕戻らないかと思った」
ぶつぶつと照れ臭さゆえの文句を紡ぐ。
しかし、たとえそうだと理解していても、口と手を出したくなるのが彼の性格というもので。
シニカルな笑みが、突拍子もなく近付いた。
「自由の身、だ? ふっ……そうはさせるかよ」
「え……、っ!」
痛みを解そうと肩を上下させていた彼女が瞬きをした刹那、腰と顎に添えられた両手。
密着した二つの身体。唇を掠めた柔らかな感触。
気を抜けば、肌越しに伝わってしまいそうな鼓動の音。
たった数センチの距離。目の前では、形のいい眉を上げた男が綺麗に笑っている。
「名前、わかってっか? ……お前はもう、オレに捕まっちまってるんだからな」
――ああ、最初からこうなることは決まっていたのかもしれない。
恥ずかしさゆえに抗いたくても、今こうして優しく髪をなぜる手つきに、笑顔に、仕草に、言葉に、胸が高鳴って仕方がないのだ。
「ねえ……私、もしかしなくても組織より質の悪い男に囚われちゃった?」
「ククッ、ああそうだ。かなり質ワリーぜ? 一生離してやる気はねえから、覚悟しろよ?」
「……ふふ、望むところ」
――むしろ、あんたがどれほど嫌がっても離れてあげない。
だって本当は、この小さな幸せを心から望んでいたのだから。
プロシュートに支えられて後にした部屋。地下牢の出口へ続く廊下を進みつつ、名前は前触れもなくぽつりと呟いた。
「ね、プロシュート」
「どうした?」
「…………、やっぱりなんでもない」
「はあ? なんだそりゃ」
≪救い出してくれて、ありがとう≫。
≪あんたが思ってるより、私……あんたのこと好きみたい≫。
彼が自分にしてきたように、そんな本音たちをいつかキスと共に贈って、私もこの人の不意を突いてやろう。
重荷のない左手で静かに握り締めた男の手のひら。開いた扉の奥からもたらされる光に眩まないよう、彼女は微笑みながら目をそっと瞑るのだった。
Dum spiro,spero.
胸の奥底にある確かな想い――私はこの人と≪生きていきたい≫。
![](http://img.mobilerz.net/sozai/1616_w.gif)
すみません、大変長らくお待たせいたしました!
兄貴で、別組織の暗殺者ヒロインを捕まえている間にお互い恋に落ちるお話でした。
リクエストありがとうございました!
タイトルは、ラテン語の格言で「生きる限り、希望を持つことができる」という意味だそうです。
感想&手直しのご希望がございましたら、clapもしくは〒へお願いいたします!
Grazie mille!!
polka
>