※甘
※被害者:ギアッチョ(出張ってます)
「あー……可愛い」
前触れもなく放たれた呟き。
右耳を貫いたそれに、これでもかと言うほど眉をひそめたギアッチョは声の犯人である隣をじとりと睨みつける。
「あ? 何がだよ。つかお前、今すげー気持ち悪ィ顔になってんぞ」
「何ってほら、名前だよ名前! あの後ろ姿とか可愛いすぎだろ!」
あの後ろ姿。
それは、今食卓を囲む自分たちから少し離れたところで、一人せっせと料理に励む名前の背中のことだったらしい。
眼鏡越しの瞳をぎらつかせた男がおもむろに舌打ちをする一方で、イルーゾォは愛おしさに眉尻を下げ、口元をにやにやとさせながら彼の恋人を凝視していた。
「オレがプレゼントしたピンクのエプロン、いきなり持って来るからどうしたんだろって思ったらさ……≪イルのお昼ご飯、私が作ってもいい? イタリア料理は初めてなんだけど……≫って! そんなの、オレが断るわけないのに! 名前は断られるかもって不安だったみたいで……あー、可愛い。慣れない手つきでパスタ茹でてるのも、瓶に入ってるモノが塩か砂糖かわからなくて挙動不審になってるところも、恐る恐る味見をして安心でいっぱいになった笑顔も……全部可愛い!」
「イルーゾォ。テッメー……聞いてもねえこと、いつまでくっちゃべって――」
「あ、今度は鼻歌歌ってる……! まさに天使の歌声……いや、絶対天使以上だ。オレにはわかる。ギアッチョもそう思うだろ? けどあの歌、名前は無意識で口遊んでるみたいでさ。前に歌上手いねって言ったら顔真っ赤にしながら黙り込んじゃったんだよな。お世辞じゃねえのに」
「……」
自分が何をしたと言うのだろうか。
一体なんの責め苦だ――そう内心で呟き、ガクリと肩を落とすギアッチョ。
あからさまに絶望を滲ませた顔。
だが、彼の辟易とした様子など気付くことなく、男は意気揚々と彼女について話し続ける。
「他にもさあ……時々、眠れないのか夜中に枕を持った名前がオレの部屋に来るんだけど」
「(イライラ)」
「その度に≪いつもごめんね≫って視線を落とすのがこれまた可愛くて。嫌なはずがないから、オレはもちろん歓迎してさ。毎回ぐっすり眠ってくれて安心するんだよ……まあオレは、名前の寝顔見つめてて一睡もしないんだけど」
相変わらず惚気しか要素のない話に、隠しきれない苛立ち。
しかし、イルーゾォが鏡の中以外でこうして語ることは珍しいので、同じチームの仲間としてそれなりに信用されているのだろう。
「(大体よォオオ……ンな恋だの愛だのは、あのジジイか変態に……いや、別の意味で危ねえな)」
ザ・優男のプロシュートやメローネは、名前にちょっかいをかけかねないと危惧しているのかもしれない。
かと言ってホルマジオはここぞという時にからかうだろうし、リゾットは天然発言で意図せず邪魔をしてしまう。
結局、彼の心中に燻る想いを連ねる対象は、なんだかんだ言って無視ではなく耳を傾けるギアッチョかペッシに絞られるのだった。
一方で、あらゆる感情を孕んだ視線を背に受けつつ、名前はイタリア料理の本とにらめっこをしていた。
「えっと、次は……塩を少々……でいいよね?」
実は和食は別だが、全体的に調理に慣れていない彼女。
とは言え、いちいち危なっかしいという点はあるものの、懸命に文字を読み解いていく紅一点にも恋人への言い知れぬ想いがある。
「とりあえず塩を入れたら、アルデンテを意識しつつ中火で茹でて……ん? あ、≪あるでんて≫?(うう、聞いたことはあるんだけど意味がわからない用語……でもイルの喜ぶ顔が見たいし、頑張らなきゃ!)」
そう何度も意気込み、おずおずとパスタの固さを確かめる名前。
とりあえず及第点は達したのか、次なるステップへ進もうと常に懸命な姿。
だからこそ、彼女は知る由もなかった。自分の仕草一つ一つが、イルーゾォの胸中に居を構えた情愛の育みを助長させるのだと。
「あああッ、今すぐそばに駆け寄りたい! でも、≪全部名前に任せる≫って約束したのに破ると名前に怒られるから……いや、≪イルの心配性!≫って頬を膨らませる名前も可愛いけど……! 口を利いてもらえねえのは辛いし我慢。ッ我慢だ、オレ……」
「ケッ、その方がいーだろうよ(そういや、コイツ自体あんま料理してねえような……≪ヘタ≫なのか?)」
ふとした瞬間、ある疑問に行き着く男。
我らが暗殺チームの場合、一日三食の調理は交代制のはずだが、イルーゾォはコーヒーとシリアルを用意するだけでいい朝食に回されていることが多い気も、しなくもない。
「我慢、我慢……名前に口を利いてもらえないってことは、声が聞けないってことだろ? それは困る。名前と目を合わせて、話すことができないなんて本当にツラ…………あ。料理といえばさ」
「(ゲッ)」
「この前名前が作ってくれた、≪おにぎり≫の話なんだけど……」
一方、隣の同僚に一つの疑惑をかけられているとは考えもしない彼が放ったのは、まるで連想ゲームを思わせる一言。
そう。
また始まるのだ、男の惚気話が。
2メートルほど先で料理に勤しむ恋人。その姿に再び顔を綻ばせながら、イルーゾォは甘やかな回想に身を投じた。
いつも通り、滞りなくとある任務を終えた深夜。
「はあ……疲れた」
自分の世界を渡り歩いていた彼は、一旦リビングへ戻ろうと足を踏み入れる。
すると、
「ん?」
眼前に映り込んだ、テーブル上の白い皿。
それを彩るのは、綺麗な三角型の白に黒を巻きつけた二つの食物。
これって確か――細々とした記憶の糸を辿っていると、不意に男はプレートのそばで佇むこれまた白い手紙に気が付いた。
「『おかえりなさい、そしてお疲れ様! お腹がすいてたら、食べてね』……え、もしかしてこれ、名前が……?」
名前の柔らかく、丸みを帯びた文字を目にした途端、ときめきを覚える心臓。
そして、ラップに包まれた代物を手に取ったと同時に、イルーゾォは料理の名称を思い出す。
――そう、これは≪おにぎり≫。
彼女が丹精込めて握ってくれたのだ。
「〜〜ッ」
口内に広がるほどよい塩加減。
美味しさ、優しさ、嬉しさ。それら全てに、彼がしばらくその場で身悶えていたのは言うまでもない。
「そのあと、感動したあまり寝てる名前を抱きしめに行っちゃったんだよな……あー、あれはほんと美味かった」
「(アイツがテーブルに置いてった意味ねえじゃねーか、オイ)」
「しかも≪おにぎり≫を含めた米って、傷ついた筋肉を修復するらしいぜ。そんなところまで名前が考えて作ってくれたと思ったら……もう嬉しくて嬉しくて」
何度もその味を振り返り、さらにはうんちくまで語り始める男。
コイツは自分にどのような反応を求めているのだ――ギアッチョが呆れに眉を吊り上げた矢先。
突如イルーゾォの顔つきが真剣なモノへと様変わりした。
「とにかく」
「名前は一見のほほんとしてるけど仕事はしっかりやるし、周りへの気配りも徹底してるし、目に入れても痛くないほどすっげー可愛い。だろ?」
「……テメー」
「なんだよ。言っとくけど、反論は許可しないからな」
「ッなら最初っから俺に聞くんじゃねえよ! どうせテメーあれだろ。同意したらしたでよォオオ、≪名前はオレの彼女だから!≫とかなんとかほざきやが――」
そのときである。
洋皿を手に、名前がとことこと歩み寄ってきたのは。
「イル! できたよ……!」
「! 名前大丈夫!? ケガは!? 火傷は!? 鍋のフチとかに腕ぶつけなかった?」
よほど心配だったのだろう。
テーブルに皿を置いた彼女をすかさず抱きしめ、憂慮を宿した視線をかち合わせる同僚。
一方、彼の目を見て微笑んだ彼女は「大丈夫だよ〜」とおっとりした様子で切り返した。
だがそれでも男の心には、不安が残るらしい。
「本当に? 名前は結構無理するクセがあるから……前も仕事でできたケガ、黙ってただろ」
「ふふ、今回は本当にどこも怪我してないんだから。あと火傷も。それに、ハグは嬉しいけど、早く食べないとパスタ冷めちゃうよ?」
「あ……そ、そうだよな」
いたたまれなさそうに手を離すイルーゾォ。この男、結婚をすればおそらく≪尻に敷かれるタイプ≫である。
そんな彼を優しい眼差しで視界に収めたまま、満面の笑みで食事を促す名前。
「はい、召し上がれ!」
皿の上で踊るパスタ。しかしなぜだろう。その麺はところどころからプスプスと煙を吐き出していた。
外見がすべてではない――そう、誰かは言う。
だが、所詮料理は≪見た目≫や≪香り≫によって美味か、否かを判断されてしまうものである。
「オイ。これ明らかに見た目ヤバ――」
「どうしよう。すげー嬉しい……食べていいの?」
「うんっ! イルのために作ったから、食べてほしいな……」
ギアッチョの冷静なツッコミを遮るように、口を開いたイルーゾォは彼女と言葉を交わした直後、なんの躊躇いもなくお手製パスタを口へ放り込んだ。――大丈夫なのだろうか。
「……」
「ん……美味い! ちょっと固めの麺と、具材がいい感じに絡み合ってて絶妙だよ!」
「ほんと!? えへへ、よかったあ。あのね? これから時間があるときは、イルのお昼ご飯……私が作っちゃ、ダメかな?」
「(キューンッ)そんなの、ダメだなんて言うわけないだろ!? むしろオレが頼みたいぐらいだって!」
どうやら中身に異常はないようだ。
むしろ、彼の味覚のツボを付いたのか、名前のパスタはかなり好評を得ていた(見た目が見た目なだけに、恋人の欲目という疑いがあるのは言うまでもない)。
「ありがとう……! あ、そうだ! ドルチェも作ったんだけど、食べる?」
「マジで!? そりゃ食べるよ!(あー、オレってどんだけ幸せなんだろ……メローネじゃねえけどディ・モールトベネ……!)」
二人の周りに漂う、溶けたチョコレートより甘く幸せに満ちた雰囲気。
彼女は男が即答したことにますます表情を緩めながら、いそいそと冷蔵庫へ向かう。
もはや彼らにとって、自分たちのそばでじとりとした目のギアッチョがいることなど関係なかった。
再び近付いてくる靴音。
「お待たせ! こ、こっちの方が自信作かも」
「全然待ってないよ。え、そうなの?」
「うん。ドルチェは何度か作ってるっていうこともあって……はい、イル。あーん」
「! あーん」
はにかんだ名前がスプーンを差し出し、イルーゾォが少々たじろぎつつそれを咥える。
期待と不安が入り交じる双眸。
そして静かに刻まれる咀嚼の音。
「どうかな? イルの口に、合う?」
「……もぐ、もぐもぐ…………、どうしよう。すっげー美味い! さすが自信作! これシェフが作った奴より絶対人気出るって……!」
「ええ? もう、イルは大げさだなあ。でもありがとう、すごく嬉しい」
破顔する彼女に対してにへらと笑う彼。そんな恋人たちに顔をしかめたギアッチョが一言。
「鏡でやってろ、ボケが」
放たれた冷ややかな暴言に気付くことなく、砂糖菓子すら意識を眩ませるほどの空気を醸し出す二人。
ここに鉢合わせた俺の運が悪かったってか。納得いかねェエエ――そう胸の内で愚痴をこぼした男は、≪うんざりだ≫と言いたげに視線を一組のカップルから外すのだった。
オレカノ!
それは、「オレの彼女はこーんなにも可愛い!」の略。
〜おまけ〜
キッチンへ向かえば苛立ちを抱えるとわかっていたにも関わらず、自分がひたすらイルーゾォの惚気話に堪えていた理由。
それをふと思い出したギアッチョは、次の瞬間額に青筋を立てながら叫んでいた。
「つーかよォ――ッ! 名前! お前、これから仕事だろうがッ! のんきに料理してんじゃねえぞ、クソッ!」
「え…………、あー!」
一瞬きょとんとしたものの、すぐさま大きく目を見開いた名前。
どうやら、本当に脳内から≪任務≫という単語を排除していたらしい。
勢いよく席から腰を上げた彼女は、恋人が贈ってくれたエプロンを慌てて外しつつ口を開く。
「そうだった! 今日がギアッチョとの任務って忘れてた……ごめんねっ、すぐ準備するから!」
「チッ、早くしろ」
「え!? ちょ、名前……!」
刹那、名前の名を切羽詰まった声色で呼ぶ男。
彼のその姿、視線はさながら家を後にする飼い主の背を悲しそうに追う飼い犬の眼差しである。
≪まさか≫――ギアッチョの中で漠然と始まる胸騒ぎ。
それはバカップルを発見する直前のこと。本日の相棒である紅一点を探していると告げたとき、話を聞いたプロシュートが「ハン、そりゃあご苦労なこって」と鼻で笑った意味が、今になってようやくわかった。
「えへへー、大丈夫だよイル。すぐにターゲット≪始末して≫帰ってくるから。私だって一応暗殺者だよ?」
「グッ……そりゃ名前は強いし、可愛い顔で実は相手に容赦ないことはオレが一番わかってるけどさ……ああ、やっぱ心配! オレもついてくよ! リーダーに頼んでくる!」
「オイやめろ。マジでやめろ」
「イル……イルの気持ちはすごく嬉しい! ありがとう! でもね、私だってイルがお仕事のとき、イルのことが心配で心配で仕方がないんだよ? だからお互い様ってことでイルはここで待ってて。ね?」
懇願を秘めた言葉。
それでもなお心配でたまらないのか返答に渋っていると、彼女がはにかんだ表情でイルーゾォの瞳をじっと見つめる。
「でも離れた分だけ……帰ってきたら、ぎゅうってしてほしいなあ」
「! と……当然だろ!? あーッもう! なんで名前はそんなに可愛いんだよ……!」
カッと目を見開いた彼が、了承を示すためこれでもかと言うほど首を縦に振り始めた。
もちろん、三日月を描いた口元は、にたにたと子どもには見せられないような薄い笑みを湛えている。
やっと仕事に迎える――微笑み合う二人からあえて視線をそらしていたギアッチョは、図らずとも深いため息を吐き出した、が。
「わかった。オレはアジトで待ってる。けどせめてさ……≪10分ごとに電話かけて≫いい?」
「えへへ、いいよ? イルからの電話、待ってるから!」
「(はア!? コイツら、本気で言ってんのか……)」
次の瞬間、繰り広げられた耳を疑う会話に、彼は頬を引きつらせざるをえない状況に陥るのだった。
その後、暗殺者たちが向かったのは、≪死≫のカウントダウンへ足を踏み入れた標的の元。
屋敷の物陰。先程までの笑顔とは打って変わって真剣な面持ちの隣を一瞥しながら、男は素っ気のない音を紡ぐ。
「オイ」
「んー?」
「……他人がとやかく言うことじゃねーっつーのはわかってるがよォ、お前アイツのこと甘やかしすぎてねえか? 10分ごとってなんだよ、10分ごとってよォオオオ! ナメたこと言ってんじゃねーぞ、ボケがッ!」
「え? そうかな……?」
不思議そうに首を捻る名前。
自覚はないようだ。
いや、理解しているからこそかもしれない。
彼女は恋人を想い、柔らかな笑みを浮かべたのだから。
「甘やかしてなんかないよ。むしろ私の方がイルにすごく甘やかしてもらってる気がする……イルは私のこと……あ、愛してくれて、とっても恥ずかしいけど、とっても嬉しいんだ。だから……私もイルからの電話を待ってるの」
「……」
「…………、そーかよ」
やはり人の恋愛沙汰にツッコミを入れるなど、自分らしくなかったのだ。
柄にもない、と恥ずかしさも相まって投げやりに返答するギアッチョ。
だが同時に胸中を掠めるのは、妥協に似た一つの感情――≪まあいいか≫。そう思っていた。
要人の抹殺という緊迫した空気の中で、どこからともなく軽快なメロディーが響き渡るまでは。
「あ! イルからだ! もしもし? うん、今ちょうどターゲットをギアッチョがバラしてるところ!」
「おまッ! 人がターゲット凍らせてるってときに平然と電話出てんじゃねえぞ! ボケがァ――ッ!」
終わり
![](//img.mobilerz.net/sozai/1616_w.gif)
長らくお待たせいたしました!
リクエストで、ヒロインにぞっこんなイルーゾォの超甘夢でした。
ぴの様、リクエスト及びお祝いのお言葉ありがとうございました!
メロメロというかデレデレというか……語るイルーゾォの被害者としてギアッチョにかなり出張ってもらいました。
感想&手直しのご希望がございましたら、お願いいたします!
Grazie mille!!
polka
>
※被害者:ギアッチョ(出張ってます)
「あー……可愛い」
前触れもなく放たれた呟き。
右耳を貫いたそれに、これでもかと言うほど眉をひそめたギアッチョは声の犯人である隣をじとりと睨みつける。
「あ? 何がだよ。つかお前、今すげー気持ち悪ィ顔になってんぞ」
「何ってほら、名前だよ名前! あの後ろ姿とか可愛いすぎだろ!」
あの後ろ姿。
それは、今食卓を囲む自分たちから少し離れたところで、一人せっせと料理に励む名前の背中のことだったらしい。
眼鏡越しの瞳をぎらつかせた男がおもむろに舌打ちをする一方で、イルーゾォは愛おしさに眉尻を下げ、口元をにやにやとさせながら彼の恋人を凝視していた。
「オレがプレゼントしたピンクのエプロン、いきなり持って来るからどうしたんだろって思ったらさ……≪イルのお昼ご飯、私が作ってもいい? イタリア料理は初めてなんだけど……≫って! そんなの、オレが断るわけないのに! 名前は断られるかもって不安だったみたいで……あー、可愛い。慣れない手つきでパスタ茹でてるのも、瓶に入ってるモノが塩か砂糖かわからなくて挙動不審になってるところも、恐る恐る味見をして安心でいっぱいになった笑顔も……全部可愛い!」
「イルーゾォ。テッメー……聞いてもねえこと、いつまでくっちゃべって――」
「あ、今度は鼻歌歌ってる……! まさに天使の歌声……いや、絶対天使以上だ。オレにはわかる。ギアッチョもそう思うだろ? けどあの歌、名前は無意識で口遊んでるみたいでさ。前に歌上手いねって言ったら顔真っ赤にしながら黙り込んじゃったんだよな。お世辞じゃねえのに」
「……」
自分が何をしたと言うのだろうか。
一体なんの責め苦だ――そう内心で呟き、ガクリと肩を落とすギアッチョ。
あからさまに絶望を滲ませた顔。
だが、彼の辟易とした様子など気付くことなく、男は意気揚々と彼女について話し続ける。
「他にもさあ……時々、眠れないのか夜中に枕を持った名前がオレの部屋に来るんだけど」
「(イライラ)」
「その度に≪いつもごめんね≫って視線を落とすのがこれまた可愛くて。嫌なはずがないから、オレはもちろん歓迎してさ。毎回ぐっすり眠ってくれて安心するんだよ……まあオレは、名前の寝顔見つめてて一睡もしないんだけど」
相変わらず惚気しか要素のない話に、隠しきれない苛立ち。
しかし、イルーゾォが鏡の中以外でこうして語ることは珍しいので、同じチームの仲間としてそれなりに信用されているのだろう。
「(大体よォオオ……ンな恋だの愛だのは、あのジジイか変態に……いや、別の意味で危ねえな)」
ザ・優男のプロシュートやメローネは、名前にちょっかいをかけかねないと危惧しているのかもしれない。
かと言ってホルマジオはここぞという時にからかうだろうし、リゾットは天然発言で意図せず邪魔をしてしまう。
結局、彼の心中に燻る想いを連ねる対象は、なんだかんだ言って無視ではなく耳を傾けるギアッチョかペッシに絞られるのだった。
一方で、あらゆる感情を孕んだ視線を背に受けつつ、名前はイタリア料理の本とにらめっこをしていた。
「えっと、次は……塩を少々……でいいよね?」
実は和食は別だが、全体的に調理に慣れていない彼女。
とは言え、いちいち危なっかしいという点はあるものの、懸命に文字を読み解いていく紅一点にも恋人への言い知れぬ想いがある。
「とりあえず塩を入れたら、アルデンテを意識しつつ中火で茹でて……ん? あ、≪あるでんて≫?(うう、聞いたことはあるんだけど意味がわからない用語……でもイルの喜ぶ顔が見たいし、頑張らなきゃ!)」
そう何度も意気込み、おずおずとパスタの固さを確かめる名前。
とりあえず及第点は達したのか、次なるステップへ進もうと常に懸命な姿。
だからこそ、彼女は知る由もなかった。自分の仕草一つ一つが、イルーゾォの胸中に居を構えた情愛の育みを助長させるのだと。
「あああッ、今すぐそばに駆け寄りたい! でも、≪全部名前に任せる≫って約束したのに破ると名前に怒られるから……いや、≪イルの心配性!≫って頬を膨らませる名前も可愛いけど……! 口を利いてもらえねえのは辛いし我慢。ッ我慢だ、オレ……」
「ケッ、その方がいーだろうよ(そういや、コイツ自体あんま料理してねえような……≪ヘタ≫なのか?)」
ふとした瞬間、ある疑問に行き着く男。
我らが暗殺チームの場合、一日三食の調理は交代制のはずだが、イルーゾォはコーヒーとシリアルを用意するだけでいい朝食に回されていることが多い気も、しなくもない。
「我慢、我慢……名前に口を利いてもらえないってことは、声が聞けないってことだろ? それは困る。名前と目を合わせて、話すことができないなんて本当にツラ…………あ。料理といえばさ」
「(ゲッ)」
「この前名前が作ってくれた、≪おにぎり≫の話なんだけど……」
一方、隣の同僚に一つの疑惑をかけられているとは考えもしない彼が放ったのは、まるで連想ゲームを思わせる一言。
そう。
また始まるのだ、男の惚気話が。
2メートルほど先で料理に勤しむ恋人。その姿に再び顔を綻ばせながら、イルーゾォは甘やかな回想に身を投じた。
いつも通り、滞りなくとある任務を終えた深夜。
「はあ……疲れた」
自分の世界を渡り歩いていた彼は、一旦リビングへ戻ろうと足を踏み入れる。
すると、
「ん?」
眼前に映り込んだ、テーブル上の白い皿。
それを彩るのは、綺麗な三角型の白に黒を巻きつけた二つの食物。
これって確か――細々とした記憶の糸を辿っていると、不意に男はプレートのそばで佇むこれまた白い手紙に気が付いた。
「『おかえりなさい、そしてお疲れ様! お腹がすいてたら、食べてね』……え、もしかしてこれ、名前が……?」
名前の柔らかく、丸みを帯びた文字を目にした途端、ときめきを覚える心臓。
そして、ラップに包まれた代物を手に取ったと同時に、イルーゾォは料理の名称を思い出す。
――そう、これは≪おにぎり≫。
彼女が丹精込めて握ってくれたのだ。
「〜〜ッ」
口内に広がるほどよい塩加減。
美味しさ、優しさ、嬉しさ。それら全てに、彼がしばらくその場で身悶えていたのは言うまでもない。
「そのあと、感動したあまり寝てる名前を抱きしめに行っちゃったんだよな……あー、あれはほんと美味かった」
「(アイツがテーブルに置いてった意味ねえじゃねーか、オイ)」
「しかも≪おにぎり≫を含めた米って、傷ついた筋肉を修復するらしいぜ。そんなところまで名前が考えて作ってくれたと思ったら……もう嬉しくて嬉しくて」
何度もその味を振り返り、さらにはうんちくまで語り始める男。
コイツは自分にどのような反応を求めているのだ――ギアッチョが呆れに眉を吊り上げた矢先。
突如イルーゾォの顔つきが真剣なモノへと様変わりした。
「とにかく」
「名前は一見のほほんとしてるけど仕事はしっかりやるし、周りへの気配りも徹底してるし、目に入れても痛くないほどすっげー可愛い。だろ?」
「……テメー」
「なんだよ。言っとくけど、反論は許可しないからな」
「ッなら最初っから俺に聞くんじゃねえよ! どうせテメーあれだろ。同意したらしたでよォオオ、≪名前はオレの彼女だから!≫とかなんとかほざきやが――」
そのときである。
洋皿を手に、名前がとことこと歩み寄ってきたのは。
「イル! できたよ……!」
「! 名前大丈夫!? ケガは!? 火傷は!? 鍋のフチとかに腕ぶつけなかった?」
よほど心配だったのだろう。
テーブルに皿を置いた彼女をすかさず抱きしめ、憂慮を宿した視線をかち合わせる同僚。
一方、彼の目を見て微笑んだ彼女は「大丈夫だよ〜」とおっとりした様子で切り返した。
だがそれでも男の心には、不安が残るらしい。
「本当に? 名前は結構無理するクセがあるから……前も仕事でできたケガ、黙ってただろ」
「ふふ、今回は本当にどこも怪我してないんだから。あと火傷も。それに、ハグは嬉しいけど、早く食べないとパスタ冷めちゃうよ?」
「あ……そ、そうだよな」
いたたまれなさそうに手を離すイルーゾォ。この男、結婚をすればおそらく≪尻に敷かれるタイプ≫である。
そんな彼を優しい眼差しで視界に収めたまま、満面の笑みで食事を促す名前。
「はい、召し上がれ!」
皿の上で踊るパスタ。しかしなぜだろう。その麺はところどころからプスプスと煙を吐き出していた。
外見がすべてではない――そう、誰かは言う。
だが、所詮料理は≪見た目≫や≪香り≫によって美味か、否かを判断されてしまうものである。
「オイ。これ明らかに見た目ヤバ――」
「どうしよう。すげー嬉しい……食べていいの?」
「うんっ! イルのために作ったから、食べてほしいな……」
ギアッチョの冷静なツッコミを遮るように、口を開いたイルーゾォは彼女と言葉を交わした直後、なんの躊躇いもなくお手製パスタを口へ放り込んだ。――大丈夫なのだろうか。
「……」
「ん……美味い! ちょっと固めの麺と、具材がいい感じに絡み合ってて絶妙だよ!」
「ほんと!? えへへ、よかったあ。あのね? これから時間があるときは、イルのお昼ご飯……私が作っちゃ、ダメかな?」
「(キューンッ)そんなの、ダメだなんて言うわけないだろ!? むしろオレが頼みたいぐらいだって!」
どうやら中身に異常はないようだ。
むしろ、彼の味覚のツボを付いたのか、名前のパスタはかなり好評を得ていた(見た目が見た目なだけに、恋人の欲目という疑いがあるのは言うまでもない)。
「ありがとう……! あ、そうだ! ドルチェも作ったんだけど、食べる?」
「マジで!? そりゃ食べるよ!(あー、オレってどんだけ幸せなんだろ……メローネじゃねえけどディ・モールトベネ……!)」
二人の周りに漂う、溶けたチョコレートより甘く幸せに満ちた雰囲気。
彼女は男が即答したことにますます表情を緩めながら、いそいそと冷蔵庫へ向かう。
もはや彼らにとって、自分たちのそばでじとりとした目のギアッチョがいることなど関係なかった。
再び近付いてくる靴音。
「お待たせ! こ、こっちの方が自信作かも」
「全然待ってないよ。え、そうなの?」
「うん。ドルチェは何度か作ってるっていうこともあって……はい、イル。あーん」
「! あーん」
はにかんだ名前がスプーンを差し出し、イルーゾォが少々たじろぎつつそれを咥える。
期待と不安が入り交じる双眸。
そして静かに刻まれる咀嚼の音。
「どうかな? イルの口に、合う?」
「……もぐ、もぐもぐ…………、どうしよう。すっげー美味い! さすが自信作! これシェフが作った奴より絶対人気出るって……!」
「ええ? もう、イルは大げさだなあ。でもありがとう、すごく嬉しい」
破顔する彼女に対してにへらと笑う彼。そんな恋人たちに顔をしかめたギアッチョが一言。
「鏡でやってろ、ボケが」
放たれた冷ややかな暴言に気付くことなく、砂糖菓子すら意識を眩ませるほどの空気を醸し出す二人。
ここに鉢合わせた俺の運が悪かったってか。納得いかねェエエ――そう胸の内で愚痴をこぼした男は、≪うんざりだ≫と言いたげに視線を一組のカップルから外すのだった。
オレカノ!
それは、「オレの彼女はこーんなにも可愛い!」の略。
〜おまけ〜
キッチンへ向かえば苛立ちを抱えるとわかっていたにも関わらず、自分がひたすらイルーゾォの惚気話に堪えていた理由。
それをふと思い出したギアッチョは、次の瞬間額に青筋を立てながら叫んでいた。
「つーかよォ――ッ! 名前! お前、これから仕事だろうがッ! のんきに料理してんじゃねえぞ、クソッ!」
「え…………、あー!」
一瞬きょとんとしたものの、すぐさま大きく目を見開いた名前。
どうやら、本当に脳内から≪任務≫という単語を排除していたらしい。
勢いよく席から腰を上げた彼女は、恋人が贈ってくれたエプロンを慌てて外しつつ口を開く。
「そうだった! 今日がギアッチョとの任務って忘れてた……ごめんねっ、すぐ準備するから!」
「チッ、早くしろ」
「え!? ちょ、名前……!」
刹那、名前の名を切羽詰まった声色で呼ぶ男。
彼のその姿、視線はさながら家を後にする飼い主の背を悲しそうに追う飼い犬の眼差しである。
≪まさか≫――ギアッチョの中で漠然と始まる胸騒ぎ。
それはバカップルを発見する直前のこと。本日の相棒である紅一点を探していると告げたとき、話を聞いたプロシュートが「ハン、そりゃあご苦労なこって」と鼻で笑った意味が、今になってようやくわかった。
「えへへー、大丈夫だよイル。すぐにターゲット≪始末して≫帰ってくるから。私だって一応暗殺者だよ?」
「グッ……そりゃ名前は強いし、可愛い顔で実は相手に容赦ないことはオレが一番わかってるけどさ……ああ、やっぱ心配! オレもついてくよ! リーダーに頼んでくる!」
「オイやめろ。マジでやめろ」
「イル……イルの気持ちはすごく嬉しい! ありがとう! でもね、私だってイルがお仕事のとき、イルのことが心配で心配で仕方がないんだよ? だからお互い様ってことでイルはここで待ってて。ね?」
懇願を秘めた言葉。
それでもなお心配でたまらないのか返答に渋っていると、彼女がはにかんだ表情でイルーゾォの瞳をじっと見つめる。
「でも離れた分だけ……帰ってきたら、ぎゅうってしてほしいなあ」
「! と……当然だろ!? あーッもう! なんで名前はそんなに可愛いんだよ……!」
カッと目を見開いた彼が、了承を示すためこれでもかと言うほど首を縦に振り始めた。
もちろん、三日月を描いた口元は、にたにたと子どもには見せられないような薄い笑みを湛えている。
やっと仕事に迎える――微笑み合う二人からあえて視線をそらしていたギアッチョは、図らずとも深いため息を吐き出した、が。
「わかった。オレはアジトで待ってる。けどせめてさ……≪10分ごとに電話かけて≫いい?」
「えへへ、いいよ? イルからの電話、待ってるから!」
「(はア!? コイツら、本気で言ってんのか……)」
次の瞬間、繰り広げられた耳を疑う会話に、彼は頬を引きつらせざるをえない状況に陥るのだった。
その後、暗殺者たちが向かったのは、≪死≫のカウントダウンへ足を踏み入れた標的の元。
屋敷の物陰。先程までの笑顔とは打って変わって真剣な面持ちの隣を一瞥しながら、男は素っ気のない音を紡ぐ。
「オイ」
「んー?」
「……他人がとやかく言うことじゃねーっつーのはわかってるがよォ、お前アイツのこと甘やかしすぎてねえか? 10分ごとってなんだよ、10分ごとってよォオオオ! ナメたこと言ってんじゃねーぞ、ボケがッ!」
「え? そうかな……?」
不思議そうに首を捻る名前。
自覚はないようだ。
いや、理解しているからこそかもしれない。
彼女は恋人を想い、柔らかな笑みを浮かべたのだから。
「甘やかしてなんかないよ。むしろ私の方がイルにすごく甘やかしてもらってる気がする……イルは私のこと……あ、愛してくれて、とっても恥ずかしいけど、とっても嬉しいんだ。だから……私もイルからの電話を待ってるの」
「……」
「…………、そーかよ」
やはり人の恋愛沙汰にツッコミを入れるなど、自分らしくなかったのだ。
柄にもない、と恥ずかしさも相まって投げやりに返答するギアッチョ。
だが同時に胸中を掠めるのは、妥協に似た一つの感情――≪まあいいか≫。そう思っていた。
要人の抹殺という緊迫した空気の中で、どこからともなく軽快なメロディーが響き渡るまでは。
「あ! イルからだ! もしもし? うん、今ちょうどターゲットをギアッチョがバラしてるところ!」
「おまッ! 人がターゲット凍らせてるってときに平然と電話出てんじゃねえぞ! ボケがァ――ッ!」
終わり
![](http://img.mobilerz.net/sozai/1616_w.gif)
長らくお待たせいたしました!
リクエストで、ヒロインにぞっこんなイルーゾォの超甘夢でした。
ぴの様、リクエスト及びお祝いのお言葉ありがとうございました!
メロメロというかデレデレというか……語るイルーゾォの被害者としてギアッチョにかなり出張ってもらいました。
感想&手直しのご希望がございましたら、お願いいたします!
Grazie mille!!
polka
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