the man caged in…
※イルーゾォがヤンデレ
※諜報部ヒロイン
※修羅場・血表現あり、注意






「はい、イルーゾォさん。これが今回の分で……こっちは、次回の分になります!」


あるビルの女子トイレにて。

周りに人がいないか十分に確認した女が、目の前の――鏡に映った男へ≪書類≫を手渡していた。


暗殺チームのイルーゾォ。

己の世界越しに受け取った封筒の中身を確認した彼は、礼を口にしてから気になっていたことを呟く。



「なあ名前。結構何度もこうして情報回してもらってるけど、大丈夫なのかよ」


そう、たとえ同じ組織内であっても、自分たちのチームへの印象が良いとは言えないことを熟知している男。

だからこそ、こうして時折ターゲットの情報を譲ってくれる諜報部の彼女に憂慮を覚えていた。


一方眉をひそめるイルーゾォに対して、名前と呼ばれた少女にも見える女性は優しく微笑んだ。



「ふふ、大丈夫ですよ。気にしないでください……そもそも同じパッショーネなのに、他のチームを敬遠する方がおかしいです!」


「……」



全員がその考えを持ってくれたらどれだけいいか――黙ってしまった彼を不思議に思ったのだろう。彼女が≪イルーゾォさん?≫と顔を覗き込んでくる。

その正直ギャングとは思えない美しい瞳に、男は慌てて視線を背けながら再び口を開いた。


「えーっと……その、なんていうか……ありがとう。オレらってさ、あんま嫌悪以外向けられたことないから」



謙遜でもなく卑屈でもなく、ただ事実だけを述べるイルーゾォ。


仕事のリスクはもちろんだが、暗殺チームは周囲との確執においても苦労を強いられているらしい。

彼がぽつりぽつりと放つ言葉をしばらくじっと聞いていた名前は、現状への歯がゆさと葛藤を入り交じらせつつ小さく首を横へ振る。


そして、溢れ出る柔らかな微笑。



「どういたしまして! 他にも、仕事で知りたい情報があったら遠慮せず言ってください! いつでも調べますから!」


「う、うん」


「では、仕事があるので……そろそろ失礼します」



≪また今度≫。そうした未定に近い口約束を交わして、彼女の背中を見送ったまま今日も話すことができたという喜びに浸る男。


こんな日が続けばいい――意図せずとも成立した二人だけの時間、空間。まっすぐな少女を恋う心には微かな希望だけが広がっていた。










体調不良。

理由はわからないが(服が原因ではないはず)、高熱を出したその日ほど、イルーゾォは自分の運の悪さを恨んだことはなかった。


なぜなら今日がいつもの場所で名前から情報を受け取る、約束の日なのである。



「……(くそ、なんでこんな時に風邪なんか引くんだよ、オレ)」


「その様子では無理そうだな。……今回はオレが行こう」


「! いや……でもさ……」


「侵入は容易くできる。あとは諜報部の彼女が定位置にいればそれで十分だ」



市販の薬を手に、淡々と交代を申し出る我らがリーダー、リゾット。

掻き消される≪二人だけ≫に複雑な想いは交差するが、仕方ない。


「(名前……)」



――会いたかった。

胸中にひどく燻った恋心。

彼女の眩しい笑顔にクラリと眩ませる熱情。


脳内に焼き付いた姿を必死にその場に留めながら、彼はぼんやりとした頭でリゾットを送り出した。









対して、メタリカの能力で難なくビルへ足を踏み入れた彼は、そのまま女子トイレへと直行し――ちなみに一歩間違えれば通報されかねないと言うのに、男が真顔を貫いていたのは言うまでもない――そこで発見した、封筒を大事そうに抱える一人の少女に淡々と声をかける。



「お前が名前か」


「ひえ!? い、いつからそこに……あの、貴方は」


「……イルーゾォと同じチームのリゾットだ。今日は体調不良のイルーゾォの代わりに受け取りに来た」



小さいな――それが名前に覚えたリゾットの第一印象だった。

一方、自分がまさか冷静に分析されているとは露知らず、彼女は納得したように会釈を一つ。



「あ……そうだったんですね。失礼しました……では早速、今回お約束していた書類を――」


「その前に、一ついいだろうか」



きょとん。

仕事の話を遮って届いた言葉に、≪なんだろう≫と名前は首をかしげる。


そんな疑問をありありと宿した双眸を見下ろしつつ、彼は口をおもむろに開き、



「なぜお前はこんなことを続ける」



と、ある意味突拍子もないことを紡ぎ出した。


「え? えっと、それはつまり……」


「言葉通りの意味だ。オレたちのチームに情報を受け渡したところで、お前にメリットは一切ない」


「……」


なぜ周囲との崩れかねない関係もあるだろうに、自分たちに協力しようとするのか。


その点が、男はずっと不可解だったのである。

眼前で視線を落とし、黙り込んでしまった少女。

チリ、と心へ痛みを及ぼす罪悪感に、黒目がちの瞳を少しばかり伏せるリゾット。



「気分を害したのなら謝る。だが――」


「リゾットさん。確かに貴方が言うように、情報をお伝えしたことで私にメリットがあるわけではありません」



≪でも≫。すぐさま彼女の口からこぼれた逆説。

それに続きを予測することもできぬまま、瞬きを一つした彼が目線を移せば――



「私はこれが正しいと信じているから、続けているんです」


自分を真っ直ぐに射抜く、≪意志≫を湛えた二つの眼があった。

チーム一用心深いと言っても過言ではないイルーゾォが、信用していることも頷ける。


自然と硬い表情を解く男。



「……そうか」


「はい。あ、すみません。生意気言って」


「いや、お前がそうしてくれることで助かっているのは事実だ。……ありがとう」


「!」



そのとき、少しだけ――本当に少しだけ緩んだリゾットの口元。

思いもしなかった彼の微笑に、心はわけもわからずざわついてしまう。

だが、その理由を把握していないのは名前自身だけだった。


一方で、彼女が目を白黒させていることに首を捻りながら、彼は音を紡ぎ続ける。



「これからも、この仕事を頼めるだろうか」


「っ! も、もちろんです! なんなりと仰ってください!」


「……ふ」



これでもかと言うほど意気込む名前。

両腕でガッツポーズを作る彼女に、≪可愛らしいな≫と珍しい感情に囚われたまま男は口端を上げるのだった。








「イルーゾォさん! 体調、大丈夫なんですか?」



一週間後。夕暮れの洗面所には、きらりと煌く鏡に向かって笑顔を見せる名前の姿が。


大丈夫――そうイルーゾォが苦笑気味に呟けば≪よかった≫と微笑み、なぜか彼女は視線を彷徨わせ始めたではないか。

どうしたというのだろうか。不思議そうに彼がただただ言葉を待っている、と。



「あの……り、リゾット……さんは、イルーゾォさんと同僚の方なんですか?」


「……え? リー……、ゴホン。≪リゾット≫? あの人はオレより先輩だけど」


「そうなんですか……」


危険性も考慮し、咄嗟に隠した身分。ぽつりと呟いた途端、何度も相槌を打つ名前。

その頬はぼんやりだが、赤らんでいるようにも思える。


瞬間。


男の精神は、ある≪嫌な予感≫に支配されようとしていた。



「リゾットさんって、最初は怖かったけど会話を重ねたら表情を少しだけ柔らかくしてくれて……」


「……、そっか」


「やっぱり、イルーゾォさんが言ってた≪嫌悪≫なんてありえないですよ。イルーゾォさんもリゾットさんも話せばこんなに優しい人たちなのに」


「…………ねえ名前。もしかして」



ドクリ、ドクリと自己主張を始める心臓。


どうか。頼むから当たらないでほしい。

絶えかけのロウソクのように揺らぐ願望を胸に、イルーゾォはゆっくりと口を開く。



「リゾットのこと、気になってる?」


「!? なっ、なな何を言い出すかと思えば! 違います! 全然気になるとか、っそんなのじゃ……!」


「……」


それからのことは、あまり覚えていない。

気が付けば、



「なん、でだよ……」


彼は己の世界に一人、佇んでいた。

自然と繰り返される彼女との会話。掻き消そうとしても霞みすらしないそれに、息は途切れ途切れになる。


「(なんで……ッオレの方が先に、名前のことを好きになったのに……!)」



顔をこれでもかと言うほど歪める男の心を取り囲むのは憤怒、絶望、嫉妬――どれなのだろうか。



否、


すべてなのかもしれない。



「ッ名前……名前、名前」


侵された二人だけの世界。

名前も≪きっと≫、それを望んでいたのに。

やはりリゾットに任せたのがそもそも間違っていた。


地を這ってでも、熱が悪化してでも自分が、自分だけがあの場所に向かうべきだったのだ。



「なあ……なんでだよ。なんで……なんで……なんで名前はオレじゃなくて、リーダーを選んで……」


「オレとリーダー……どこが、何が違うんだよ」


「名前、名前、名前、名前、名前……」



まるで念仏のように唱えられる彼女の名前。




しかし、イルーゾォが恋から生まれた激情に駆られる一方で、男と女は親密になっていく。



「あれ……その書類って、名前からの? なんだよ、言ってくれたらオレが――」


「いや、仕事じゃあない。ただ彼女に、個人的な用事があっただけだ」


「……へえ」



リゾットが彼女を想って紡ぐ一言一言が、名前が彼を想って見せる表情の一つ一つが自分を掻き乱す。

心臓を体内から抜き取って、掻き毟ってしまいたくなるほど――苦しくて、痛くて、辛くて仕方がなかった。


ガシャン。音を立てて散らばる鏡。



「名前……」


考えて、考えて、考えて――ようやく辿り着いた結論。

それは――




「ああ、そうか。そうだよな……名前もリーダーも、オレを≪騙してる≫んだ……オレが、名前にちゃんと想いを伝えられるように」


途方もなく広がった空間を見上げていた、虚ろな瞳。

しばらくして視線を落とせば、予想を超えた光景に歪む口端。


――ああ、どうりで≪痛い≫と思ったら……血、出てるじゃん。

ポタリ、ポタリと滴り落ちる赤を他人事のように見下ろしながら、割った鏡の破片をただひたすら握り続けていた。









とある夜。

薄化粧を施した名前は、街の片隅で胸を弾ませたまま男を待つ。


ついこの間、彼女とリゾットは晴れて恋人という関係になったのだ。



「(ちょっと早すぎたかな……? でもリゾットさん、すごく忙しいはずなのに、会ってくれて嬉し――)」


「名前」


「ッ! え……イルーゾォ、さん?」


「? そうだけど。どうしたんだよ、そんなに驚いて」



静かな靴音と共に闇から現れた男。

そのどことなく影を帯びたイルーゾォの双眸に動揺しつつ、名前はブンブンと首を横へ振った。


「いえっ……ただこうして直接お会いするのは初めてだったので」


「あー、そういえばそうかも。普段は鏡越しだもんな」


「は、はい……」



まさかここで彼と出会うとは思っていなかったのだろう。

たまたま、なのかな――タイミングを読んだ≪偶然≫と言っても過言ではない状況に首をかしげた刹那。


ふとイルーゾォの手を覆う包帯が視界を掠め、ギョッと目を見開いた彼女は慌てて彼のそばへ駆け寄る。



「その手、どうされたんですかっ!?」


「ん? ああ……ちょっとね」



――大丈夫、ただの≪切り傷≫だよ。

あくまで大したことはない、と言い張る男。


だが、ぐるぐる巻きにされた≪白≫にじわりと広がる赤。


これは軽いケガでは済まない傷だ。思いやりに急かされた名前はカバンの中に手を差し入れ、何かを探し始めた。



「血も滲んできているし、包帯替えた方がいいです! ええっと、ハンカチ……ハンカチ……」


「え? はは、そんなことしなくていいって。こんな傷、危険な仕事に直面したりするとよくできるからさ」


「っダメですよ! イルーゾォさんは、もっとご自身を大事にしなきゃ……! 待ってくださいね、消毒液はさすがにないけど――」


「ねえ名前」







「オレ、名前のことが好き」


「今ハンカチを…………、え?」



なんの前触れもなく、唐突に放たれた言葉。

それが≪告白≫であると脳が判断するのに、どれほどの時間を要しただろうか。



「名前のことが好きなんだよ」


ハンカチを探す手がぴたりと止まる。

彼の態度から嫌われていない、とは感じていた。


しかし――彼女がイルーゾォに抱く≪好意≫は恋情ではない。



「っ……ごめんなさい。イルーゾォさんのことは、えっと…………その、お友達のように思っていた、ので……」


「友達、な……。でも、他にも理由はあるだろ? たとえば――」









「リゾットと付き合い始めたから、とか」


「! し、知って……!」


「名前のことならなんでも知ってるよ。少なくとも、オレより後に君と会ったあの人以上には、ね」



男の口から吐き捨てられる言葉に潜んだ≪棘≫。それらに、イルーゾォらしからぬと少しばかり眉をひそめる。

一方、名前のその表情を目にした彼は、おもむろに薄い笑みを浮かべた。



「もしかして疑ってる? そりゃあそうだよな……でもほんとに知ってる。名前が体重を気にして野菜や果物を食べようと心がけてることも」


「毎朝、寝癖を直そうと苦戦しすぎて、遅刻しかけてることも」


「昼食はあのビルの隣にあるパン屋さんのサンドウィッチ。それが売り切れてたりすると結構がっかりしてるよな」


「≪お酒に弱いから≫って飲み会とか断ってるけど、実はビール、ワイン、ウィスキー……なんでも好きだし飲めるし」


「抱き枕がないと眠れない派だよね。わかるよ、何かに抱きついて寝ると安心するもんな」


淡々と羅列されていくのは、≪事実≫。

そう、男が口遊んだことすべてが≪正しい≫のだ。


ヒュッと息をのむ喉。

自然と彼女の心臓はひどく速いテンポを刻んでいた。



「ど、どうしたんですか……? イルーゾォさん……ちょっと怖い、です」


「怖い? コワイ? ……ははは、そんなことねえと思うけど」



――見た目だって、口調だって、いつもと変わらないだろ?

静かに音を紡ぎながら、イルーゾォは視線を揺蕩わせる名前の肩を掴む。



「名前」


「ッ」


「もう一回……ちゃんとした≪返事≫、聞かせてくれるよな?」



自分は≪わかっている≫。

今起きていることはすべて≪冗談≫なのだと。

彼らの≪作戦≫なのだと。


早く自分が望む想いを打ち明けてほしい。


襲う懇願に掻き立てられた彼が、彼女を捕らえる両手に力を込めた――そのとき。



「何をしている」


怒りと警戒を交えた声。

よく聞き慣れたそれが、男の耳孔を突き刺した。


そちらへ視線を向ければ、深い色を湛えた瞳がこちらを制している。



「イルーゾォ。ここで何をしているんだ」


「……、リゾットこそ、何しに来たんだよ」


「名前と会う約束をしていた。名前に会いに来たんだ」



張り詰めた空気。

リゾットの表情から垣間見えた悋気に、≪リーダーも人間らしい感情あるんだ≫とイルーゾォが脳内で感心していると、顔を不審ゆえにしかめた彼が近付いてきた。



「お前の質問に答えたんだ。今度はオレの質問に答えろ、イルーゾォ。彼女に何をしようとした」


「別に何も。ただオレは、名前の本当の気持ちを聞きに来ただけ」



――本当の気持ち?

彼は一体、何を求めているのだろうか。


不思議でたまらないリゾットから、不意に外れる視線。


そして、荒んだ男の目は再び名前の方へと向く。



「イルー、ゾォさん? あの……」


「聞かせてくれるよな? 名前が本当は誰が好きなのか」


「……っす、き? わ、私はリゾットさんが」


「はは、だからそんな恥ずかしがらなくていいって。もう知ってるんだよ。隠さなくていい。≪ドッキリ≫は終わらせて、早く教えてよ。じゃないとオレは――」








「やめろ、イルーゾォ」


次の瞬間だった。

彼女をかばうように、彼が男女の間に立ち塞がる。


あっという間に消えてしまった少女の感触。何度自分から愛しくてたまらない名前を取り上げれば、彼は気が済むのだ。



「……」


「少し、頭を冷やしたらどうだ。今のお前とは、まともな会話もままならな――」


「うるさいッ!」


イルーゾォの精神を占拠するのは衝動と似た感情。

図らずとも、口からは溜まりに溜まった鬱憤が言葉になって溢れていく。



「うるさいうるさいうるさいうるさい……! オレらの世界に突然入ってきて、名前を攫って……ああ、リゾット。あんたは確かにいい≪リーダー≫だ。けど……なんで名前なんだよ! なんで名前を選ぶんだよ!」



なぜ恋う相手を重ねてしまったのか。

恋情というものが不可解だと理解しているからこそ、彼はひどく焦燥していた。


そんな奇怪なモノに、自分は彼女を略奪されたのだ。



「リーダー、オレは何をやってもあんたには敵わない。ああ、わかってるよ! でも! オレにとって名前は≪唯一≫なのに……!」



苦しいのか。

悔しいのか。

辛いのか。


それだけが把握できないまま、一歩。世界でたった一人の想い人を取り返そうと男は前に歩み出る。



「オレから名前を奪うことは許可しない。オレが邪魔だって言うなら、≪消せ≫よ」


「……ッお前はオレに、仲間を手にかけろと言いたいのか」



少しでも身じろぎすれば、次の瞬間命を落としているような――まさに一触即発。

確かに、リゾットのスタンド能力に勝つことができるとは思わない。


だが、イルーゾォも最強と言われる暗殺チームの一員。

彼の背後には鏡のように反射するガラス。男は本気だった。


一方でチームリーダーの胸中に宿っていたのは≪とにかく落ち着かせなければ≫という想い。彼は失血によって意識を失わせようと右手を振り上げて――




「っやめて!」


「!」


「ッ……名前?」



夜陰に響き渡った叫び。

制止をただただ乞うそれに、見開かれた四つの瞳。


こちらをおもむろに振り向いた二人。彼女は、心を占めた死の恐怖に足が竦んでしまいそうになりながらも、必死に声を震わせる。



「二人共……お願いだから、落ち着いてください。な、仲間なのに、大事なチームなのに、こんなのおかしいです……。今日は一旦離れて……また、別の機会に三人で話しましょう?」


「……」


「……」


「ね……?」



懇願した同意。名前はただ信じていた。

彼らの死闘に巻き込まれるかもしれない状況下で、自分の出した選択は≪間違い≫ではない、と。


ところが、陶酔の檻に囚われた男にとっては、彼女の≪正義感≫ですら、微かな≪希望≫になると知らなかったのだ。



その事実に気付いたのは――








いや、≪いつ≫になれば、名前は悟ることができるのだろうか。









数日後。



「リーダー」


自分の顔の前で手を組み、思案に暮れる彼の背中へイルーゾォはそっと声をかける。

振り返ったリゾット。互いの顔に滲むのは、ある事態ゆえの疲労。



「ごめん。この前はオレ……ほんとどうかしてた。リーダーであること隠してたのに、≪リーダー≫なんてわかりやすく口滑らせちゃうしさ」


「……気にするな。オレもすまなかった、二人の姿に気が動転してしまったんだ」



毎日、リーダーと呼ばれた男はイタリア中を北へ南へと駆け回っていた。

仕事はいつもとほぼ変わらない量。


問題は――



「けどもうあんなことはしない。名前に対する気持ちが変わったわけじゃないけどさ……仕事とはまた話が別だし」


「イルーゾォ……」


「リーダー。頼むから無理はしないでくれよ? オレも、スタンド使って探すから――」








「名前のこと」








≪しばらく遠くへ行きます。心配しないでください≫。そう一言、メールだけを残して忽然と姿を消してしまった自分の恋人。


とは言えパスポートといった、国外へ出た形跡はない。

その事実だけが、リゾットの心に微かな光を灯していた。



「じゃあ、早速行ってくるよ」


「イルーゾォ」


「……ん? 何?」


「お前は……、……」



――≪本当は、名前の居場所を知っているんじゃあないか?≫


自ずと宿ってしまった懐疑。その感情に促され、妙にあっけらかんとしたイルーゾォと交わらせる視線。

ところが今の彼には、どこにも≪違和感≫が見当たらない。


それは入らんとしている鏡の奥にも同じことが言えたが、根拠のない己の疑心にハッと我に返ったリゾットはおもむろに頭を振るう。



「いや、すまない。なんでもない……オレもどうかしていたらしい」


「? よくわかんねえけど、少しは休んだ方がいいぜ?」


そう呟き、自分の目元にある隈を指摘してから、鏡へと消えていった男。

お前も人のことは言えないぞ――同じく顔色が悪かった先程の仲間を思い浮かべながら、彼の口元に溢れる苦笑。



「(恋愛にかまけて仲間を疑うなど、オレはリーダー失格だな……)」


自嘲に表情を歪ませていたチームの長。

しかし自責の念に駆られてもいられないと、男は立ち上がりすぐさま出かける準備を始めた。


物事の是非を見極める力を持つ男、リゾット・ネエロ。そう彼は仲間全員に対し極めて信用を置いていたし、同時に失踪した恋人を探し続けていたことで憔悴しきってもいたのである。










その頃、己の世界へと戻ったイルーゾォが≪捜索≫へ向かおうともせず、ひたすら手中にあるコンパクトミラーを愛おしげに眺めているとも知らずに。



「はは……はははっ」


虚空と似た世界に、乾いた笑いが響き渡った。

闇を帯びた彼の目線の先。そこには――



「リーダーには悪いけど……」








「名前は≪絶対に≫渡さない」



まるで眠り姫のように、仰向けで腹部に両手を重ね、ただ静かに瞳を閉じた名前の姿が。

別に命を奪ったわけではない。彼女は今、昏昏と眠っているだけだ。


しばらく時が経てば、何事もなく目を覚ますだろう。

だがその頃には、もう――



「ああ、名前。早く――」


「早くさ、≪何もかも忘れて≫」


「オレだけの、≪名前≫になって」



記憶として脳内を掠める、柔らかな微笑みとあの鈴を張ったような美しい瞳。

どこまでも真摯なそれに焼き付くのは、自分一人で十分なのだ。


オレ以外に心を奪われた名前なんて許可しない――≪銀≫に浮かび上がる男の口元は、鏡越しの彼女がうっすらと流した涙と共にひどく歪んで映っていた。










the man caged in…
その男が閉じ込めたのは、己の激情と愛しい≪彼女≫でした。











大変長らくお待たせいたしました!
ヒロインが好きなリーダーとヤンデレイルーゾォで、修羅場になるお話でした。
リクエストありがとうございました!
どちら落ちにしようか迷いましたが、イルーゾォ落ちということで……今回は≪好きになったら一直線≫ではなく、感情を隠すといったかなり器用(策士?)なイルーゾォくんでした。


感想&手直しのご希望がございましたら、お願いいたします!
Grazie mille!!
polka



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