Once in a Blue moon
※新人ヒロイン





正直、この人で大丈夫なんだろうか――そう思っていた。



「新入りの名前だ」


どこまでも単調なリゾットの声に、連ねるように吐き出した簡単な自己紹介。

名前はつい最近この暗殺チームに加入した、いわゆる新入りである。


基本的に冷静沈着。そんな彼女の教育係として選ばれたのが、



「イルーゾォ、頼むぞ」


「え、オレ……?」


「ああ。名前のスタンド能力から考慮して、教育係はお前が適任だ」



ひょこりとリビングの鏡から顔を出すイルーゾォ。

彼とリゾットの会話をどこか他人事のように聞いていた少女は、ふと自分へ向けられた視線に気付き静かに会釈をした。



「よろしくお願いします、イルーゾォ先輩」


「……よろしく」


少しだけ八の字に下げられた男の眉毛。

まさか自分が、と言いたげに浮かべられた苦笑と仏頂面の狭間。


この人は表情にずいぶん色がある。


それが己の教育係に対する第一印象だった。





その後、彼女にとってもっとも近い先輩、ペッシがプロシュートの後を付いていくように、四六時中といっても過言ではないほど頻繁にイルーゾォと行動を共にしていた名前。

もちろんそれは、特売日を狙って毎週出動する買い出しも例外ではなく――



「名前、今まで料理は?」


「一応、自炊生活を送ってはいましたが……あまり自信はありません」


「なるほどね。まあ飯に口煩い奴が何人かいるけど、そっちにナイフ投げつけたら大体上手く行くから。大丈夫大丈夫」



それを大丈夫と言っていいのだろうか、と思わずツッコミを入れてしまいそうになった口を慌てて噤む。


最初に対面したリゾットから聞かされた以上に、変わり者集団だった暗殺チームの面々。

ふっと脳内に湧き出てきた≪不安≫を掻き消すがごとく頭を振った少女は、今度は話題を変えようと静かに口を開いた。



「……それにしても、先輩のスタンドって便利ですね。どこで○ドア(※ただし、鏡がある場所に限る)みたいな」


「! だ、だろ!? 能力が鏡だからってメルヘンとかなんとか言ってくる奴もいるけど、違うよな!?」


「ええ、まあ。素晴らしい能力だと思います。(……また表情変わった。リーダーは別のようだけど、あのチームの人たちって全体的にリアクションと表情が豊かで、暗殺を生業にしてるとは思えな……、!?)ちょ、先輩! 前見てください、前……!」


「あーよかった。名前がわかってくれる奴で。お前にも否定されたらオレ引きこもってた、絶対。でも思うんだけどさ、そもそもこのスタンドって能力自体が…………、え? なんだよ、前に何がある――ってうわァアアア!?」



刹那。

まさか眼前に階段があるとは思ってもいなかったであろう彼が、あっという間に最上段を踏み外す。

そして、転がり落ちていく身体と、閑散とした道に響き渡る絶叫。


咄嗟の判断で男が持つ買い物袋を奪い死守していた名前は、下方から届いたドスンという音にハッと我に返って、誰もが驚く勢いで数十段にも及ぶ石階を駆け下りた。



「い、イルーゾォ先輩! 大丈夫――」


「ふあああああぁぁ……」


「……じゃ、ないですよね」



彼女が≪この人で大丈夫だろうか≫と憂う二つの要素。


その一、イルーゾォの注意力散漫ぶり。

特に、テリトリーとも言える鏡から出た瞬間、彼のそれは切実なモノになっていたのである。








さらに、少女の胸中にある小さな懸念を拡張させる、こんなこともあった。



「名前ーッ!」


「……なんですか、メローネ先輩。私は今、初任務の情報を――」


「いいからいいから! 少し見てなって」



ターゲットの資料を手に廊下を歩いていた名前。

すると、どうしたのだろうか。メローネが晴れやかな笑顔でこちらに走り寄ってくる。


どうせロクなことではないだろう――数少なくも濃い経験から彼をあしらおうとすれば、それより先に放たれた言葉。

仕方なくため息を吐いた彼女が、男の指差す方へ視線を向ける、と。



「おいイルーゾォ。冷蔵庫に置いてたはずのオレのドルチェがねえ」


「……ふーん、どんまい」



リビングで話す、明らかに苛立っているプロシュートと興味なさげな反応を見せるイルーゾォ。

彼らの間を取り持つ雰囲気、二人しかいないという状況、そして隣でにやにやしているメローネに、嫌な予感が少女の心中を掠める。


数秒後、それは残念ながら当たってしまったのだ。



「え、ちょ、プロシュートなんでこっち来んだよ……!」


「おいおい、んなモン……リビングにいんのがオメーだけだからだろうがッ! 食った、食ってねえは別としてよ〜、お前は≪犯人≫を知ってるはずだよなァ? いいからさっさと吐け!」


「いや知らないから! マジで知らねえ……って、ギャーッ! グレフルは許可しないィィイイッ!」



轟く悲鳴。鏡に消えた男の影。

リビングにモクモクと広がり始める紫煙。

ことの一部始終を目撃した名前は、自然と頬を引きつらせていた。


一方、彼女の肩ごしにそちらを覗きながらメローネがケラケラと楽しそうに笑う。



「あはははは! いやー、イルーゾォがさ……もぐ……あの鏡に飛び込む瞬間はいつ見ても楽しいよね……もぐもぐ」


「あの……メローネ先輩? そのティラミス、まさか……」


「あーこれ? 冷蔵庫に入ってたんだよ。兄貴が選んだだけあって、確かにベリッシモ美味いぜ。食べる?」


「……」



不安その二、何かあればすぐに鏡へ隠れてしまうこと。

仲が良いことが悪いとは言わないが、自分の教育係のいじられっぷりに少女がひっそりため息をついたのは言うまでもない。








「名前?」


「!」



鏡によって作り出された静寂に反響した声――鼓膜を震わせたそれに名前は勢いよく目を見開いた。どうやら、自分はこれから初任務だと言うのに、意識を彼方へ飛ばしていたらしい。


緊張してる?

そう隣から聞いてくるイルーゾォに対して、そそくさと仮初の否定を示す。



「き、緊張してるわけじゃ……ありません」


「そっか」


「……」


再び二人を包み込む沈黙。

何か、話した方がいいのだろうか。

しかしながら、人の心を動かすような言葉を思いつきで口からスラスラ出すことができるほど、彼女は世渡り上手なわけでもない。


どうすべきなのか。妙な居心地の悪さとむず痒さに迷いあぐねていると、不意に一つの人影が鏡越しに映り込んだ。



「! ターゲット発見しました」


「だね」



ついに、この時が来た。

この全身に伝う震えは武者震いだ――そう信じている。


おもむろに喉を上下させた少女はこれから始まる任務に意気込んだ。が、なぜか彼は一向に標的を狙おうとしない。≪行け≫という合図もない。



「……先輩、あの」


「ん?」


「いえ……いつ動くのかなと思いまして」


「え。まだ行かねえけど」



瞠目し、これでもかと言うほど揺蕩う双眸。

胸を占めるもどかしさ。

このとき名前は、暗殺というある種の冷静さを求められる仕事で、一番感じてはならない≪焦り≫を覚えてしまっていた。


なら私が行きます――たった一言、そう呟いて拳銃を片手に鏡を抜け出す後輩。



「は? ちょ、名前!?」


もはや鏡の中にいる男の声も届かない。

しかし、彼女の行動はすぐさま後悔へつながることになる。



「ッ」


「まさか女に命を狙われるとはな」



こめかみに宛てがわれた銃口。目の前で愉快そうにクツクツと喉を鳴らす男。要人は一人ではなかった。

死角に何人もの部下が潜んでいたのだ。


すでに遠くへと弾き飛ばされた拳銃。スタンドすら出せない緊迫した状況。一瞬で心を塗り替える≪悔しさ≫に歯を軋ませる。



「……(先の状況を判断するために、先輩はまだだって言ってたんだ。なのに私……ッ)」


「へえ、よく見れば可愛い顔をしてるじゃないか」


「!」



右手で持ち上げるように掴まれた顔。

ニタニタとした笑みが、すでに苛立っている少女の癪に触って仕方がない。


いっそのこと唾を吐いてやろうか。


縮められる距離に、男を鋭く睨めつけていた彼女は眉をひそめた、が。



「……?」


次の瞬間、己の産毛に纏わり付く空気が、変わった。

言わずもがな脳髄を駆け巡る一つの≪確信≫。



「(まさか……)」



名前はこの肌を覆う空気を、はっきりと覚えている。

なぜなら、つい先程まで自分はここに≪居た≫のだから。


眼前にそびえ立つ男の――イルーゾォの背中。




――この人の背は、こんなにも大きかっただろうか。



一枚のガラスを隔てて浮かび上がる、自分を探しているのか周りを見渡している要人と部下たち。



「ッ、イルーゾォせんぱ――」


「ごめん。今は黙ってて」



振り返ることなく紡がれる、配慮に満ちた言葉。


彼の左手には、鋭利な刃を反転した月夜に煌めかせたナイフが。

ありありと動揺を瞳に宿しながら、自分を凝視する彼女を一瞥してから、男は声高々に叫んだ。



「マン・イン・ザ・ミラー!」





一瞬。瞬きすら許されない一瞬のことだった。



そして何より――男たちの呼吸音すら耳に劈くことのない静かな暗殺だった。



「1、2、3……よし、これで全員だな」


彼の世界で床に伏せる男が数人。

今、目の前で息絶えたターゲットと資料の写真を照らし合わせていたらしい。


確認を終えたイルーゾォが、いつの間にか壁にもたれかかっていた少女に右手を差し出してくる。



「名前、怪我はねえ?」


「先、輩……」


「? なんだよ」


優しく自分の左腕を引く意外に大きな手のひら。

薄い皮膚が鮮明に捉えた、安堵をもたらすぬくもり。

普段目にしていたモノとはかなり違う、自信に溢れた笑顔。



トクリ。心臓が疼いた。


だが、青春らしき青春を歩んでこなかった名前にはその理由がわからない。



「……(なんだろう、胸が落ち着かない。でも……先輩って、こんなにかっこよかったっけ……?)」



とは言え、彼女はその原因解明より先にしなければならないことがある。それは、



「一人で突っ走って、すみませんでした。私、自分の力を過信しすぎていました。報告書にはきちんと――」


「ちょ、そんな畏まるなよ。失敗なんて誰にでもあるって。まあ、リーダーは一度もないらしいんだけどさ」



己の行動に対する謝罪。

しかし、少女の一歩前で足を進めていく彼は、ますます苦笑を深めるばかり。



「えーっと……あのな、名前。言うだろ、≪失敗は成功の元≫って。次に同じ失敗を繰り返さなかったら、それでいいとオレは思うよ」



そもそもこの≪暗殺≫自体が本当はない方がいいけど、なんてったって仕事だしな――笑っているのか微かに揺れる黒髪。


ところがそれは、ひどく憂いを帯びた笑声。

巡るめく表情の変化。堪らず名前はしっかり掴まれている腕を、まるで呼びかけるようにグイッと自分の方へ動かした。

刹那、つられてこちらへ傾く男の身体。



「イルーゾォ先輩」


「うわッ!? ……お、驚かせるなって」


「すみません。でも、その……、私」


「? 名前?」








「私……いつか、イルーゾォ先輩の相棒として、先輩に背中を預けてもらえるような暗殺者になれるよう頑張ります」


だから、これからもよろしくお願いします――今日何度目かのお辞儀。

驚きと照れ臭さ、そして困惑で眉尻を下げたイルーゾォはポリポリと指先で己の頬を掻き終えてから、返事の代わりに≪早く帰ろうぜ≫とやけに脈が速いテンポで刻まれている彼女の手首を引いて、ゆっくり歩き始めるのだった。










Once in a Blue moon
二つの靴音。青い月明かりが静かに二人を照らしていた。




〜おまけ〜



「にしてもさ……名前は、オレが相棒でいいわけ?」


「え?」



ぽつりと呟かれた質問。

当然、それを聞いた少女は見る見るうちに顔をしかめていく。



「何を言ってるんですか。私はイルーゾォ先輩がいいんです。確かに最初不安を感じていたのは認めます。でも、今は……その、なんというか……先輩以外、考えられません」


「はは、やっぱり不安だったんだ。うん……わかってるよ。お前の表情からなんとなく察して――って。ええええッ!? ちょ、え、待っ……ええ!?」


「……あの、そんなに驚くことですか? ご指導頂いた方に付きたいと考えるのは当然だと思いますけど」



不思議そうに首をかしげつつ言葉を連ねた後輩。その様子に、彼は慌てて弁明を加えた。


「ご……ごめん。教育係になんの初めてだから、そういう経験なくて驚いただけだよ。(マジで焦った……≪告白みたいだ≫とは言えないよなあ。名前にはそのつもりないだろうし)」



一瞬胸中で盛り上がった≪期待≫に、引きつった笑みで別れを告げる男。


そんなイルーゾォ、さらには名前本人が知らぬところで育まれようとしている慕情。

≪相棒≫から≪相棒兼恋人≫へ――頑張ろうと密かに意気込む彼女の目標が変貌を遂げるのも、そう遠くはない未来なのかもしれない。











長らくお待たせいたしました!
珍しくかっこいいところを見せるイルーゾォと、彼にときめくヒロインでした。
リクエストありがとうございました!
ちなみにタイトルは、≪めったに≫という意味の慣用句だそうです。


感想&手直しのご希望がございましたら、お願いいたします。
Grazie mille!!
polka



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