※ギアッチョ夢
「お……おはようございますっ」
明朝。
静まり返ったアジトに響き渡る小声。
それを呟いた張本人――名前は一人、ある人物の部屋の前に立っていた。
手にビデオカメラはないにせよ、その姿はさながら寝起きドッキリのような光景である。
「……大丈夫かな」
今更ではあるが、緊張によって竦んでしまう足。
しかし、このまま立ち尽くしているわけにも行かない。
自分には、使命があるのだ。
「ッ」
小さく息をのんだ彼女は覚悟を決め、掴んでいたドアノブをそっと回した。
「お邪魔、します……」
開いた扉の奥には、人一人分膨らんだベッドが。
布団に深く潜り込んでいる――今回のターゲットことギアッチョが起きてしまわないよう、一歩一歩静かに近付く。
「……」
そして、ベッドの脇に辿り着いた途端、少女は掛け布団の端を手に取り、勢いよくそれを剥がした、が。
「あれっ?」
これでもかと言うほど見開かれる深紅の瞳。
視線の先にあるのは、人ではなく氷の塊らしきモノ。
つまり、ギアッチョはここにはいない。
想像もしなかった事態に、名前は思わずコテンと首をかしげてしまう。
「えと、これは……氷? じゃあギアッチョさんはどこに――」
「――≪氷?≫、ッじゃ」
「!」
ゴンッ
「あうっ!?」
「ねェエエエエエッ!」
次の瞬間、耳を劈く怒声と共に、背後から彼女の頭上へときつい拳骨が振り落とされた。
当然、悲鳴を上げながら患部を両手で押さえる少女。
一方で足音を察知した刹那、布団の下に目くらましを仕掛けたギアッチョは、まだ足りないと言うかのごとく矢継ぎ早に言葉を連ねる。
「寝込み襲うような真似しやがって! 気ィでも狂ったのか!?」
「おそっ……そうじゃないです! その、えっと……襲おうだなんて思っていません! ただ、私……っ」
「あアッ? ただ、なんだってんだよ。妙な言い訳を口走ってみろ……たとえテメーでも容赦しねえ」
こちらを突き刺す鋭い眼光。
だが、もし侵入した相手が名前でなかったとしたら、自分は一発で凍らせていただろう。
その証拠として、彼の中では軽めの制裁で今のところは終わらせていた。
とは言っても男の瞳は怒りでぎらついており、眼鏡越しのそれと床へ交互に視線を向けた名前は、とにかく誤解を解くためにおずおずと口を開く。
「実は、お……お祝いをしようと思って」
「お祝いィイ? なんのだよ」
「人気投票を行っておりまして……ギアッチョさんが今回第2位だったんです!」
「……」
黙り込むギアッチョ。
彼とて人だ。騒ぎにならない程度なら、祝われることは嫌いではない――が。
ガシィッ
「ぁ……ッ!」
「よ――――くわかった。テメーの頭ン中に誠意しかねえのは認めてやる。だがッ、もう少しよオオオ……違えやり方が、あんじゃねえのかアアアア!?」
「ごっ、ごめんなさい! 驚かせたくて……ぁっ、い、痛いですっ、ギアッチョさ……!」
懇願と共に向けられる涙目。
こめかみの痛みを訴える、切羽詰まった声。
はあ、はあと溢れていく苦痛ゆえの吐息。
それらすべてにギョッとした男は、慌てて小さな頭を鷲掴みにしていた右手を離した。
「〜〜テメッ、…………変な声出すんじゃねえよ」
「? えっと、変な……?」
きょとん。
意識があまりにも解放されることに集中していたせいか、≪変な声≫たるモノがわからず、彼女が首を傾ける。
そのあどけなさに改めて隙を感じつつ、ギアッチョはおもむろに少女から目線をそらした。
「……チッ、もういい。気にすんな。大体テメーは≪にぶちん≫すぎんだよ、クソがッ」
口から漏れ出る文句。
そして、そもそもこの≪ちん≫ってよオオオ――と浮上した矛盾をなんとか心の中で抑え、彼が閉じられたドアを乱暴に指差す。
「で? そのお祝いとやらは終わったんだろ? ならさっさと部屋に戻れ。今何時だと思ってんだ……さすがの俺ももう一回寝て――」
「ま、待ってください! まだもう一つあるんです……!」
「!」
気怠げに退出を促しながら、ベッドに向かって淡々と踵を返す男。
だが刹那、後ろから服の裾を控えめに、かつしっかりと掴まれてしまった。
チラチラと視界に映る自分を引き止める細く白い指先に、言わずもがな跳ねる鼓動。
――な、なんだよこの持ち方……ッこれならあの堅物リゾットがデレデレすんのもわかる――って、何あっさり納得してんだよ、オレはアアアアアアア!
「そこは、≪納得いくか――――ッ!?≫だろーが……ッ!」
「へっ?」
「なんでもねえッ! こっちはいいから、その≪もう一つ≫ってのを早く言えよ!」
「あ、そうでした」
両手を胸の前で合わせつつ、名前がにこりと笑う。
そして、一歩距離を縮めたかと思えば、少し自分より背の高いギアッチョの双眸を真っ直ぐに見つめた。
「ギアッチョさん……何か、私にできることはありませんか?」
「は?」
「あの、お祝いの一環として、ギアッチョさんのご要望を一つお聞きしたいと思ったんです。私ができること限定になってしまいますが……なんでもいたします!」
放たれた思わぬ言葉。
どこまでも室内を占める静寂と、期待の込められた眼差し。
カーテンの奥が徐々に明るくなっていく中、彼は黙り込んでしまう。
「……」
「あ、でもっ……さすがに≪今から太陽の下に出てこい≫は無理です、よ?」
付け加えるように条件がそっと告げられた。
しかし、当然ながらそれはどこかずれている。
見下ろせば、予想通り重なった視線。
こちらを貫く二つの美しい紅を凝視したまま、男はゆっくりと腕を上げ――
「いッ……!」
チョップを落とした。
痛みの再来と動揺で丸くなる目。
「え、あの……」
「名前! たとえば、テメーは≪ここで全裸になれ≫って命令されたら、その修道服を脱ぐのかア!? って、何顔赤くしてんだよ! これはたとえばの話だっつってんだろうが! つまり、男相手に軽々しく≪なんでもします≫なんて言ってんじゃあねえッ! 特にじじいと変態にはな、気をつけろ……! アイツらはそういう隙を狙って、テメーに手ェ出すからなアア! ……クソッ、何がどうしてテメーに説教垂れなきゃいけねえんだよ! 超イラつくぜエエエエエッ!」
まるでプロシュートのような長ゼリフ。
これもすべて、さまざまな視線や伸びてくる手に鈍感な目の前の女のせいだ。
ゼーハーと荒い息をこぼしながらギアッチョが睨み付ければ、ようやく理解したのか彼女は大きく頷いた。
「わかりました! では……脱ぐことと、太陽の下に出ること以外でお願いします!」
「……わかってねえじゃねえか」
「え?」
「いや、気にすんな。余計にややこしくなる」
さすがあの天然リーダーと応酬を重ねる少女――絶望に近い状態で彼はガクリと項垂れる。
だが、問題はまだ残っていた。
「要望って言われても……クソッ」
何を頼めばいいのかわからない。
繰り返す逡巡。
――…………、あ。
もはや自棄だ。奥歯を軋ませた男が静かに口を開く。
「……じゃあ」
「! はいっ、なんでしょう!」
「……、……せろ」
紡がれた声音。
ところが、肝心の要望の部分が名前の鼓膜に届かない。
もう一歩――ギアッチョの元へ進む足。
「あの、ギアッチョさん。よく聞こえなくて……もう一度言ってもらえませんか?」
「ッ、だから――」
刹那、
「!」
右腕を強く引き寄せられたと同時に、上半身が捉える温もり。
彼女は、目の前の彼に抱きすくめられていた。
「≪抱きしめさせろ≫っつったんだよ! 俺はな!」
「えっ……?」
まさかこうした要望とは思いもしなかった――ぱちくりと瞬きを繰り返す少女の瞳に、焦燥を滲ませて男は≪理由≫を紡ぎ出す。
「べッ、別に他意はねえぞ!? ただ気になったっつーかよォオオ……」
そう。
いつもリゾットが、名前を抱き心地がいいやら、柔らかいやら、あの子は自分の体温を気にしているが結構温かいやらとんでもない惚気を口にするのである。
確かに、抜群だ。
「……」
「あの……えっと……」
「細っこいし、ちっせーな。お前」
「なッ、そんなことありません! ほ、ほら、こうやって背伸びをすれば……ギアッチョさんと同じぐらいじゃないですか……!」
ブーツでなんとか爪先立ちをすれば、バチッと合う眼。
一方、彼女の挑発とも思える行為に頬をひどく引きつらせつつ、気恥ずかしさで居た堪れないギアッチョは視線をあらぬ方へ移した。
「……喧嘩売ってんのか、テメー」
「違います! 本当のことしか言ってませんっ」
少女が小さく唇を尖らせる。
すると、なぜか喧嘩は買われることなく、自然と強まる腕の力。
――コイツ……。
そして、あることに気が付いた彼はぽつりと呟いた。
「――けど、温けえ」
「! ふふ……ギアッチョさんに言ってもらえたなら、信じられそうです」
「あ? どういう意味だよ」
つーか、リゾットの奴も耳が腐るほど言ってんだろ。
淡々と呟き、男がじとりとした目線を戻せば、そこには苦笑を漏らす名前が。
「そう、なんですけど……すごく優しい方だから、リゾットさんは冷たくても遠慮して、私に温かいって言ってくれてるのかなって思ってしまうんです」
「……ぶん殴ンぞ」
「ええっ……ぼ、暴力反対です! そうじゃなくて、ギアッチョさんは思ったことをそのまま……率直に仰ってくださるからって意味ですよ?」
「チッ」
――クソ……殴るに殴れねえ。
咄嗟に自分の胸元に押し付けることで頭を守ってから、こちらを見上げてくる彼女に対し、舌打ちがこぼれる。
けれども、二人の距離は離れない。
「……」
「……」
空気に滲んでいく沈黙。
すると、微動だにしなかった少女がしばらくして、何かを思い至ったかのようにそっと声を震わせた。
「ギアッチョさんは、リゾットさんより少し体温が低めですね」
「はア? オイ。いちいちテメーの恋人と比べてんじゃねえよ」
「えっ……あ、ごめんなさい。そんなつもりはなかったんです……ただ――」
「こ、こんなに強く……腕を回されるとは思わなくて……/////」
「…………、んなッ!?」
次の瞬間、少しばかり仰け反るギアッチョ。
いつの間にか、かなり密着していたらしい。
照れ臭さと焦りという感情。
だがなぜだろう――今も腕の中にいる名前を解放する気にならない。
「〜〜、……ッ」
改めてこの状況を認識したことで、暴れ始める心臓。
テンポを刻むそれを必死に、悟られぬようになんとか抑え込む。
しかし半ば強引に抱き寄せられたと同時に、咄嗟に両手を意外にガッシリとした胸板へ添わせてしまい、そのまま少しも移動させていない彼女が、彼の異変に気付かないはずもなく。
「あれっ? あの、ギアッチョさん、どうして鼓動が速く――」
「ホワイト・アルバムッッ!」
「きゃあ!?」
刹那、男がスタンドを纏ったことによって、自然と置かざるをえなくなった距離。
とは言え、アジト全体を凍らさんとする勢いのギアッチョに――さすがにそれは困ると、懸命に彼を宥める名前の姿があったとか。
だが、まさか自分の呼びかけが、彼の胸の内を支配する羞恥の炎を悪化させることになろうとは、慌て気味の少女は知る由もなかった。
終わり
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