※イルーゾォ夢
コンコンコン
閑散とした空間に響いたノック音。
「……?」
乱暴で荒々しくないそれに首をかしげながら、イルーゾォはベッドから立ち上がった。
そして、音の聞こえた方を見つめれば、そこには修道服を纏った笑顔の少女――名前が。
「名前? え、なんで?」
思わぬ登場に鼓動は加速していく。
だが、彼女をそのまま放置する気はさらさらない。
それなりに散らばっていたモノをすぐさま押し退け、鏡の前に近付いたと同時に少女を≪許可≫した。
刹那――
パアンッ
「うわッ!?」
「イルーゾォさん、第3位おめでとうございます!」
「えっ? ちょ、名前?」
耳を劈いた爆発音。
飛び散る色とりどりの紙テープ。
じわりと鼻腔を刺激する火薬の匂い。
眼前の名前は左手で円錐形の――クラッカーを持ち、右手でその糸を引いていた。
「???」
祝われた、ということは驚きで埋め尽くされた頭でも理解できる。
しかし、その≪何に対して≫祝福されているのかだけが、わからない。
男がただただ目をぱちくりさせていると、彼女が付け加えるようにこうなった過程を説明し始めた。
「ごめんなさい、驚かせてしまって……でも、第一回人気投票でイルーゾォさんが第3位と聞いて、どうしても直接お祝いをしたかったんです」
「人気投票って……そっか、そんなことがあったんだ(いつの間に……)」
「はい! 本当におめでとうございますっ!」
「あ……ありがとう」
いまだ把握に追いつかない脳みそ。
まさかとは思うけど、三人中の三位だったらどうしよう――とイルーゾォが妙に不吉なことを考えていると、己の視界に白い小さな箱を両手で抱え上げた少女が不意に映り込む。
「というわけで、お祝いのケーキをお持ちしました! 有名だそうなので、ぜひ召し上がってください」
「えっ、ケーキまで? ……なんかごめんな、気を遣ってもらって」
「謝らないでください。ささやかですが、これは私の気持ちなんです」
自分の手に渡る高級そうな箱。
滅多にしない贅沢にゴクッと喉を鳴らせば、嬉しそうに微笑みつつ名前はフォークと白い皿も差し出した。
そして、テーブルを囲んで座る二人。
いつもならばこのあたりで侵入してくるリゾットも、今は音沙汰がない。
「(二人きり、なんだよな……もし今押し倒したら……って、何考えてんだよ、オレは……!)」
「だ、大丈夫ですか?」
一人首をブンブンと横へ振る隣の男に、彼女が目を丸くする。
とは言え、まさか己の妄想は打ち明けられないので、彼は慌てて≪大丈夫≫と呟き、誤魔化すようにそそくさと箱を開けた。
すると――
「こ、れは……!」
どこかで見たことのあるマークが刻まれたチョコ。
ぽつんと上に飾られている赤く瑞々しい苺。
ふわふわのスポンジケーキ。
真っ白な雪景色。
ショートケーキが有名なケーキ屋――実はこっそり憧れていたそれを自分が食べることになるとは。
驚愕と喜心を滲ませたイルーゾォの表情に、自然と少女の顔も綻ぶ。
「ふふ、ご存知だったんですね」
「! そりゃあ……ゆ、有名だから、さ」
食べたかったんだよ、と言えない妙なプライドを持つ自分が憎い。
だが、思わず踊り出してしまいそうなほど心が色めき立ったのは事実だった。
暗殺者という職業柄ゆえ、明朝から販売が始まるこういった店には、なかなか並びに行くことができないのだ。
「……ん?」
「どうかされたんですか?」
「いや……(名前とショートケーキのコラボに浮かれすぎて忘れてたけど……ちょっと待てよ自分)」
この販売は朝から始まる。
そう、≪太陽≫の昇る朝だ。
ガシッ
気付けば、彼は名前の華奢な肩を強く掴んでいた。
「まさか……まさかだけどさ、名前が店に並んだの!?」
忘れてはならない、彼女は吸血鬼だ。たとえ外見も性格もごく一般の女性と変わらなくとも、命に関わるほど危険なものがある。
もし、朝焼けに照らされることがあれば――その後は考えたくもない。
一方必死な形相の男に対して、放たれた質問にしゅんと眉尻を下げる少女。
「あの、ごめんなさい……朝ということもあって、さすがにそれはできませんでした」
「だ、だよな(よかった……)」
ホッと口からこぼれる安堵。
しかし、次に浮上するのは≪誰が買いに行ったのか≫ということ。
考え込むイルーゾォ。
すると、相変わらず肩を解放されないまま、名前がおずおずと口を開く。
「えっと、実は……前にアルバイトをさせてもらっていた店長さんにお願いしたんです。イルーゾォさんも、お会いしたことありますよね?」
「……ああ、あのおじさんか」
――自分たちを兄妹やら恋人やらとからかった人か。
ミドルエイジ特有の高いテンションを脳裏に過ぎらせ、彼は小さく苦笑しながら立て続けに言葉を連ねた。
同時に、彼女の可愛らしい制服姿を思い出したのは絶対に秘密だ。
「ねえ名前。もしかしてまた店長さんにからかわれなかった?」
「えっ? い、いえ……ただ自分用じゃないって言ったら、なぜかもっとにこにこされていました」
ああ、完全に誤解されたな――遠くなる目。
ところが、その視界の端に入り込んだ≪白≫に、ハッと男は我に返る。
「ってそれより、名前からのケーキ食べなきゃな」
「そ、そうでした……どうぞ召し上がってください!」
「うん、いただくよ」
手に取ったフォーク。
だが次の瞬間、意識に宿った≪ある思惑≫にイルーゾォはすべての動作を停止してしまった。
漂う無言の空気。
「……」
「?」
ゆっくりとかち合う瞳。
「あの、さ」
祝いに来てくれた少女。
その気持ちに乗じて、わがままを言ってもいいだろうか。
「イルーゾォ、さん?」
「せっかくだから名前に食べさせてほしいなって、思ったり」
「!」
徐々に見開かれる深紅の眼。
当然だ。まるで恋人がするような頼みごとに、驚かないはずがない。
自分をすぐさま叱咤した彼は、胸に現れた焦燥に急かされるがまま口を開く。
「いや! ごめんッ、やっぱいいや! そうだよな、恋人同士でもないのに――」
「いいですよ?」
「え」
――今、なんて?
ドクドク、と自己主張し始める心臓。
男が言うまでもなく瞠目する一方で、いそいそとフォークをその手から優しく取った名前。
そして、一口サイズにケーキを切り分けた彼女は、イルーゾォの口元にそれを差し出した。
「〜〜ッ////」
「はい、イルーゾォさん。あーん」
「! あ……あーん」
パクッ
刹那、口内に広がるほどよい甘さ。
鼻を擽る香り。
美味しい。
しかし何より恥ずかしい。
「どう、ですか?」
「…………すげえ美味い」
羞恥をなんとか抑え、正直な感想を紡ぐ。
その瞬間、自分の発言が安心をもたらしたのか、少女は柔らかな笑みを浮かべた。
「よかったあ……! 美味しいことはよく知っていたんですけど、イルーゾォさんのお口に合うかどうかは不安だったんです」
「そ、そうなんだ。なんというか……オレのために、その……ありがと、名前」
「ふふ、どういたしまして。もう一度、しましょうか?」
「! い、いいいいや! もう! 大丈夫だから! 自分で食べるよ……ッ!」
反射的に首を勢いよく横へ振る。
すると、きょとんとした名前によって返されるフォーク。
ヤバい。自分が言い出したのに、全然直視できない――と思わぬ動揺に悩まされていることを悟られぬよう、男は心配を交えた彼女からの視線をひしひしと感じながら、目の前のケーキに集中することにした。
「――そう言えば」
「? どうされました?」
数分後、ようやく逸る己の鼓動に収まりが付いてきたことで、ある疑問を言葉として発するイルーゾォ。
「いや……名前が他のやつの部屋に行くことも渋るリーダーが、よく許したよなって思って」
「ふふ、そうですね。でもお祝いなのでわかってもらえました……ただ、≪30分だけだぞ≫と念を押されてしまいましたけれど」
「あはは、は……そっか……(さっきのがバレたら、メタリカどころじゃねえだろうなあ……)」
終わり
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