「……え?」
自分のものに重なる男の手。
何を――そう思い、顔を上げると視界を横切る左腕。
なぜか無言の彼。
「? あの、プロシュートさ――」
そして――自分の声を塞いでしまう唇。
覆うそれは、いつも受けているものとは違う。
まっすぐに射抜く、海をそのまま映したかのようなブルー。
「んっ」
自身に起きていること。
それを理解するのにどれだけの時間を要しただろう。
数秒?
1分?
窓とプロシュートに挟まれ、キスをされていると自覚した瞬間――名前はグイッと男の胸板を強く押していた。
すると、いとも簡単に彼が離れる。
「え、あっ、ど……どうして」
「……それはオレのセリフだ。キス、気に入らなかったか?」
「!」
吐息を滲ませながら問われ、小さく首を横へ振った。
違う。
そういう問題ではないのだ。
「ハン、ならいいじゃねえか。あいつと……リゾットと付き合ってないんだろ?」
「ッ」
これでもかと言うほど揺れる深紅の瞳。
意地悪なことを言っている。
わかっていながらも、プロシュートは口を開くことをやめなかった。
「名前。オレはお前が好きだぜ……女として。だから――オレを受け入れろよ」
闇に際立つひどく美しい紅。
それに誘われるがまま、もう一度彼女へ顔を寄せれば――
「っ……ごめんなさい」
「!」
壁を作るかのように、差し出された右の手のひら。
その奥――名前へ視線を移すと、彼女は苦しげに眉をひそめ、自分を見据えていた。
「私……っ私……リゾットさんが、好きです……」
「……今の関係でも、か?」
「ッ……は、い」
この判断が正しいのか、わからない。
でも、気持ちを捨てることもできない。
できるはずがない。
「切なくても、苦しくても……この想いは、私の一部なんです」
こみ上げる何か。
それを堪えるためにそっと俯けば、不意に頭が捉える温かさ。
「……プロシュート、さん?」
「ったく、やっと言ったか」
「え?」
「名前。お前はそれでいい」
「!」
「その気持ちを大切にしろ」
優しさと切なさの織り交じる瞳。
穏やかな声。
――≪それでいい≫。たった5文字なのに……プロシュートさんから言われると、どうしてこんなに勇気が出るんだろう。
「いいな?」
「っはい……!」
ガシガシ、といつもより荒く撫で回されながら、名前は今できる精一杯の笑みを浮かべ、頷いた。
「そ、それじゃあ……おやすみなさい」
「おう。ゆっくり休めよ」
遠ざかっていく細い背中。
彼女から視線を外さぬまま、プロシュートはおもむろに言葉を紡ぎ出す。
「……盗み聞きたァ、いい度胸じゃねえか」
「……デートを遂行するためだけに強い酒を人へ盛った奴に、言われたくはないな」
闇から現れたのは、リゾット。
その目だけで人を殺めそうな勢いに、ふっと男は笑う。
「ハン! 何、マンモーニを目覚めさせるには、ちょうどいい劇薬だっただろうがよ」
「……つまり、お前は何が言いたい」
じわじわと駆け上がる鉄分。
容赦ねえな――そう苦笑しながらも、振り返った彼の目には鋭さが帯びていた。
「リゾットよお……お前、何に≪怯え≫てんだ?」
「……」
「いや、聞くまでもなかったな。よーくわかってんだよ……どうせ怯えの原因はお前の過去にあんだろ? ったく、何も気にしてねえような……すべて跳ね除けてるような顔して、意外に過去に囚われやすい男なんだな。リゾット、お前って奴は――」
ガンッ
突如、掴まれる胸倉。
車に打ち付けられた背中を心配しつつも、プロシュートの口は開かれ続ける。
「ハン、どうした? お前が直接手を下すなんて珍しい……それほどオレを殺してえか? あ?」
「……プロシュート、お前」
ギリギリと首元が締まっていく。
それに対抗するように、彼はリゾットを睨み上げ、その胸倉を右手で握りしめた。
「いいか……一つ忠告しといてやる」
「……言ってみろ」
「リゾット。失うのが怖えからって、大切なものを作らねえなんてふざけたことは今すぐやめろ。大切だからこそ……一生を賭すことも厭わねえほど愛しいからこそ! オレは名前を失わねえために守るんだッ!!」
「……」
「それがわかんねえようなら……お前が、いつまでもマンモーニを続けるって言うんなら――奪うぜ」
勢いよく手を離し、乱暴に距離を取る。
相変わらず感情の読めない赤の瞳。
それに顔をしかめ、大きく舌打ちをしたプロシュートは、するりと彼の横を通り過ぎて行った。
街灯に照らされたリゾットの表情が、どのようなものだったかも知らずに――
足を踏み入れた、自分の部屋。
青白い月明かりが映し出す、名前の寝顔。
「……名前」
ベッドにそっと腰を下ろせば、リゾットはあることに気が付いた。
少女の目尻から伝い落ちる、ナミダ。
泣くな。
そう小さく呟いて、右手を伸ばす。
「……」
しかし、それは彼女に触れる直前に止まってしまった。
どうして止めたのか、わからない。
ただの気まぐれと言えたら、どれだけ楽だろう。
以前に交わした約束。
名前を守るために、苦しめるものは消し去りたい――そう思っていた。
だが――
「君を悩み苦しめているのは、オレか」
悟ってしまった事実。
自分の手を見下ろしながら、どうすればいいのか――ただそれだけを考え続けていた。
La sua illusione,
il suo pensiero
彼の迷い、彼女の想い
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